|
|
リアクション
●汝、みだりに揉みしだくことなかれ
大図書館から武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)は飛び出した。
「電話で話してただけで襲ってくるのかよ! 死ねと言われるほどのことか……!」
牙竜は怒鳴りながら振り返る。ちゃんと『電話を使う場合ははこちらで』と書かれたロビーで電話していたのだからマナー違反ではないはずだ。されど彼を追う桃色のゴムたちは、シネシネいいながら跳ねてくる。
「どこまで追いかけて……くっ」
戦うにしろ建物の傍はまずい。牙竜は中庭を目ざした。
だがそこで、
「きゃっ!」
小柄な少女と正面衝突してしまったのである。お互い、振り返りながら全力疾走していたので仕方がなかった。
「……いたたたた、転んじゃったよ」
と、額をさすりながら道に手をついたのは久世 沙幸(くぜ・さゆき)だった。
「痛……あれ、誰かにぶつかったのに痛くないけど、やわらかい……って、沙幸!?」
折り重なるように、というより牙竜が沙幸を押し倒す格好で二人は倒れていたのである。なお、牙竜の手は偶然、彼女の胸元を握りしめていた。
「って、田中さん……じゃなくって牙竜!?」
「す、すまん」
「あのね牙竜、いま、私の胸を鷲づかみしてるって知ってる?」
「な、なおさらすまん! 今どくから動かないでくれ、腕と脚が変な具合に絡み合ってしまって……あ、でもやわらかいだけじゃなくて温かいな……」
「って、ひゃうっ……そうやってドサクサにまぎれて揉むのはサイテーなんだもんっ!」
「誤解だ誤解……ひぐっ!」
肋骨のあたりを爪先で蹴り飛ばされ、牙竜は一メートルほど吹き飛ばされ転がった。
「田中さん、よりによってわたくしの目の前で沙幸さんに破廉恥行為とはいい度胸ですわ」
痛撃したのは藍玉 美海(あいだま・みうみ)である。どうやら沙幸を待たせてコーヒーを買いに行っていたらしい、湯気上げる紙カップを美海は両手に持っていたが、
「沙幸さんはわたくしのものですわよ! 天誅っ!」
言うが早いか中身の熱々を牙竜に浴びせたのである。
「うわ熱っ! 誤解だって言ってるだろ!」
「揉みしだいておいて誤解も十戒もありませんわ。わたくしぶち切れましてよっ」
ぐるり周囲を睥睨して美海は声を上げた。
「とりわけ、あなががたに!」
彼ら三人を中心として、円を描くように桃色の怪ゴムが出現し彼らを包囲していたのだ。
「リアジュウシネー!」
「シネー!」
桃ゴムたちは悶絶するように声を絞り出していた。
「ねーさま……私汚されちゃったよぅ。ねーさまを待ってワクワクドキドキしてたら、桃色したゴムみたいなのに追われて……そして、田中さ……いや牙竜に玩ばれて……」
沙幸は目に涙を浮かべ美海に抱きつく。よしよし、とその背を撫でながら美海は言った。
「田中さんも同じのに追われていたようですわね」
包囲の輪が狭まってくるが、いま美海は牙竜に問いただしたいことがあるようだ。
「確かに、らぶらぶなわたくしたちはリア充の資格十分ですが、あなたはそうではないのでは?」
「そ、そうだ、俺はカップルじゃない。なんで『リア充』呼ばわりされて追われるんだ。ただ電話してただけなんだ」
「通話相手がまずかったとか?」
「そうでもないぞ。赫乃が寂しいとかいって電話してきたから慰めて、終わったと思ったら真理奈から電話があったので相談に乗って……そしたらリースからキャッチホンが入ってきて明日暇かどうか聞かれた。あと、セイニィにメールしようとしてただけだ」
「……そりゃあ、死ねって言われますわ」
美海がやれやれと首を振ると、「シネー」の大合唱とともに桃ゴムが、国技館で舞う座布団のようにどしどし飛来し牙竜を下敷きにしたのである。
それを尻目に美海は沙幸の涙を拭いてやる。木の下のベンチに移動して、
「沙幸さん……かわいそうに。気の多いセクハラ男にセクハラされるなんて災難でしたわね。わたくしがその汚された所を消毒して差し上げますわ」
「えっ、消毒って……別に転んだ表紙にすりむいたり溶かしてないんだもん」
と問われるもかまわず、美海はその冷たい手を、すりっと沙幸の胸元にさしいれた。
「あなたのここは、わたくしだけのもの……。あんな汚れた男の記憶など消し去ってさしあげますわ」
指はまるで一匹の蜘蛛のように、沙幸の柔肌を這い、突起を探し求める。
「って、ひゃっ……そうやって何かとこじつけてセクハラとかダメなんだもん!」
「わたくしは恥ずかしくありません」
「そういう問題じゃ……! はあうっ!」
甘い声が誘うのは桃ゴムである。当然、二人とも改めて「リアジュウシネー!」の洗礼を浴びた。
「もう、せっかくのところを……! ええい、田中さん、手を貸しなさい!」
仕方なく美海は牙竜と協力して桃ゴムを攻撃することにした。
少し離れたところで、武神 雅(たけがみ・みやび)はなりゆきを見守っている。
(「愚弟が戻ってこないから見に来てみれば……なんとも面白そうな騒ぎではないか」)
あのゴム生物、見たことがあるな――と雅はふと思った。空京大の知人が、宇宙服の新素材として開発していたものに似た弾力性がある。
「ふむ」
雅は携帯電話を取りだし、銃型HCと接続した。彼女はHCを操作して大学のネットワークに侵入すると、学内の内線電話の番号を探った。見つかった研究室におもむろに電話する。
「もしもし……」
電話の向こうでガラガラと何かが崩れる音がした。崩れた瓦礫の山から這い出してきたらしく、電話に出た男の声は疲弊している。
「雅だ。なに、今起きたと? 安心しろ。この通話は聞かれていない」
今、貴様が開発したと思わしき怪有機体が騒ぎを起こしている――と雅は前置きした上で、
「ああ、貴様の予想通りに愚弟は成敗しに行くようだぞ。気をつけろ。すぐに私もそちらに行く」
相手の声を聞くと、雅は薄笑みを浮かべた。
「なぜ、教えるかだと? そっちの方が面白そうだからだ」