百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

空京薬禍灼身図(【DD】番外編)

リアクション公開中!

空京薬禍灼身図(【DD】番外編)

リアクション


●1.聞き込み・1/捜査開始・初日深夜

 看板の、ショートしたネオンがじりじりと鳴っていた。
 入り口の前には、派手なデコレーションを施したバイクが並んでいる。
 神崎 優(かんざき・ゆう)は、ライブハウス「リズ・M」のドアをくぐった。ドア一枚の向こうに続く狭い下り階段の通路に、ドラムの音が反響している。
 つきあたりにあるもう一枚のドアを開くと、こもっていた大音響が一斉に体に襲いかかってきた。
 ドア横にある長机にいた受付の女の子が、音に負けないようにして「チケットはお持ちですか!?」と叫んできた。
 神崎 優(かんざき・ゆう)は、委任章──今回の依頼で、警察協力者に手渡される警察手帳がわりの身分証明書──を見せた後、
 「お店の邪魔をする気はありません」
と走り書きをしたメモ帳のページを見せた。
 それでも受付の女の子は表情を硬くする。優はふたたびメモ帳にペンを走らせた。
 「仕事は、このバンドの演奏が終わってから始めます。
  終わったらすぐに出て行きます。
  そちらにご迷惑をかけるつもりはありません」
 相変わらず女の子の表情は硬い。理解は得られたと判断し、優は店の奥に歩を進めた。
 ステージの上では、ちょうどバンドの演奏が終わった所だった。照明が落とされ、観客用のフロアの蛍光灯が点灯していく。
 フロアのあちこちには観客達のグループが作られており、そのうちのひとつに優は近づいていった。
「警察の者だ。ちょっとだけ、時間を取ってもらえないだろうか?」
 話しかけると、今まで笑いあっていたグループの顔から表情が消えた。
「……何だよ? おれたちゃ何もしてないぜ?」
「何か? “不良”は好きなバンドのライブ見るのもダメってのか?」
「チケ代はバイトや“依頼”で稼いだもんだぜ? “警察(ポリ)”から因縁ふっかけられる筋合いはねえな?」
「楽しんでいる所を邪魔したのは済まないと思っている」
 優は少し頭を下げた。
「だが、こちらとしては切羽詰っていてね。最近“環七”で広がっているドラッグの事についてのどんな手がかりでも欲しい所だ。
 “環七”西でも顔の広いという君たち“美的流徒(ビューティーストリーマー)”達なら、何か知ってると思ってな。それでよく集まっているというここに来た」
「……ほう?」
 グループのひとりが口の端を吊り上げた。
「聞いたかみんな? 恐れ多くも“警察(ポリ)”様が俺たちにお願いをしに、ここまでおいでになったそうだぜ、へへへ……」
「黙れっての」
 リーダーらしい人間がたしなめた。
 口調は軽いが声が低い。妙な凄味があった。
「……あまりデカい声で“警察(ポリ)”だなんて言ったら、周りが“ビビる”だろうが、な?」
「……わ、分かってるよ、“リーダー”……ただのジョークじゃねぇか」
「……で、“警察(ポリ)”のお兄ちゃん。あんたは“ひとり”でここに来たのか?」
「外には仲間がいる。だが、大人しく待っているように言ってある」
 “リーダー”と呼ばれた人間が、ずい、とニヤついた顔を近づけて来た。
「正直、ここに来ているヤツらは、俺たちを含めてあんたらの事が好きじゃない。下手すりゃ後先考えないヤツがキレて、あんたを袋叩きにする事だってあるだろうさ」
 顔は笑っているが、眼は威嚇と警戒の色を隠していない。恐ろしく剣呑な気配を漂わせていた。
「いい度胸してるじゃねえか? それとも俺らが束になってかかっても、あんたひとりの相手にならない、とでも思っているか?」
「俺の言いたいのは、『知ってることがあったら何でもいいから教えて欲しい』って事だけだ。別に喧嘩を売りに来たわけでも挑発をしに来たわけでもない。
 無礼は自覚しているから、どうしても邪魔だというなら引き下がる。ただ、後日に会う“約束(アポ)”は取り付けさせて欲しい」
 優も、間近からの視線を眼で受け止め、動じない。
「名前は何ていうんだい、兄ちゃん?」
「神崎優」
「……ふん」
 “リーダー”は顔を離した。
“おもて”出ようか」
「喧嘩も挑発もする気はない、と言ったつもりだが?」
「勘違いするなって。ここじゃゆっくり話ができないだろう?
 “警察(ポリ)”は嫌いだが、“ソロ”で押しかけてきた“神崎優”ってヤツの度胸は認めざるを得ないな。“美的(ビューティー)”“軟派”で通ってはいるが、それだけに“漢(オトコ)”ってのが好きでね」
「言って置くが俺にはそっちの趣味はない」
「話が合うな、俺にもそっちの趣味はない。俺たちは“仲良く”できそうだなぁ」
 面白い冗談を言ったつもりらしい。“リーダー”は、くっくっくっ、と肩を震わせ、笑った。

「知りたいのは、ドラッグの事だ」
 優は言った。
“ザラメ”“アズキ”とかいう『契約者』用のドラッグが、“環七”界隈に広がってるのは知ってるだろう?」
「まぁな。俺自身は見た事はないが」
「麻薬捜査の“依頼”なんて慣れていないから、どこから手をつけていいのか見当もつかない。情報を集めるにしても何をどうしたらいいのか分からないんだ。だから、そういう裏事情に通じていそうな君たちに、知っている事を聞かせて欲しい」
「……俺たちだって大した事は知らんさ。ただ……」
「ただ?」
“北”の方の“路王奴無頼蛇亜(ロードブライダー)”が一枚噛んでる、って噂だな。“ザラメ”“アズキ”が流行りだしたのと、ヤツらがデカイ面するようになってきたのとも時期が合う」
“路王奴無頼蛇亜(ロードブライダー)”、か」
「あぁ。
 少し前にあんたらが気合入れてやらかした“取り締まり”“北”の最大勢力がぶっ壊れた。
 その後はあそこじゃパッとしない“暴走族(チーム)”どもが小競り合いをやってたようだが、最近はやっぱり武闘派の“路王奴無頼蛇亜(ロードブライダー)”ってのが幅を利かせている」
「その話は聞いている。“取り締まり”には俺が直接関わったわけではないが」
「こいつら、確かにそれなりに“喧嘩(ゴロ)”は強いようだが、他にも“カネ”が潤沢にあるらしいぜ。バイトや“依頼”で稼げるような額じゃない。もちろん“カツアゲ”したっておっつかないくらいだ。あちこちの“暴走族(チーム)”を吸収して膨れ上がってるみたいだが、そいつも“喧嘩(ゴロ)”“タイマン”で食ったって他に、“カネ”で飼い慣らしたってのもあるって話だ。
 背後にスポンサーがいるか、それともいい“小遣い稼ぎ”の口を見つけたか、どっちかだろうさ。スポンサーがいたとして、そいつもあまりまっとうなヤツとも思えん。
 “ワル”に投資するなんて、ヤクザぐらいのもんだろう?」
(――ヤクザ、と来たか)
「推測が多いな」
「仕方ねぇだろう、聞いた話を言ってるだけだからな」
「……それもそうだ。で、他には何か知っているか?」
「ま、そんなわけで“北”じゃあ“路王奴無頼蛇亜(ロードブライダー)”が飛ぶ鳥を落とす勢いってもんだが、そんな動きについていけないヤツらも内部にいるみたいだな。ブツブツ文句垂れてるのがいるみたいだぜ?」
「よく追い出されたりリンチにあったりしないもんだな」
「ま、おおっぴらに、というわけではないそうだがな……ひとりでモノ飲み食いしてる時に、ブツブツグチグチ独り言を洩らしているって程度だ」
「そいつの名前は?」
「ジョル・ジレッタ。大酒飲み、大食らいの守護天使――だった」
“だった”?」
 ――まさか、死んだ?
 わずかに表情を強張らせた優に対し、“頭(ヘッド)”は再び「勘違いするな」とたしなめた。
「ここ最近、“大食い”ジョルはなかなか姿を見せない。“北部”の『戒』ってバーでたまに姿を見かけるが、グラス一杯の水に、スナックやサラダをちまちまつまんでるって話だ。体重も減って、知ってる奴ほど見違えるらしい」
「ボクシングでも始めたか?」
「『死霊術師』がどんなボクシングをやるってんだ?」
 ふむ、と優は少し首を傾げた。
「『痛みを知らぬ我が躯』で殴られながら強引に懐に飛び込んでのインファイト、『罪と死』で必殺パンチを叩き込み、『リジェネレーション』でダメージ回復……色々とやりようはあるな」
「そいつは考えつかなかった。だが、『契約者』のボクシング大会ってのはあまり聞いた事がない」
「ルール固めておかないと間違いなく死人が続出するだろう。
 ……他には何かあるか?」
「ドラック絡みの事だったら、こんなもんだな。ヤバそうな雰囲気がプンプンするから、正直俺も近づきたくはない」
「それは正しい判断だ。情報ないかと訊ねた方が言うのもなんだが、絶対に近づくな。
 あと、身内に使っていそうなヤツがいたら、すぐ警察なり病院なりに連れて行け」
「……“仲間”を売れ、ってのか?」
「そうじゃない」
 首を横に振る優。
“クスリ”ってのは本人の気合いや周囲の思いやりだけでどうにかなるようなものじゃない。病気に対する医者と同じで、専門家によるケアが必要なんだ。
 ――君達からしたら余計なお世話の類だろうが、これは心からの忠告だ」
「ふん。せいぜい肝に銘じておくさ」
「それと、もうひとつ教えて欲しい事がある」
「何だ?」
「さっき、俺が君達に声かける前に流れていた曲なんだが――」
「フライヤーに今日のバンドとそれぞれの演奏する曲の題名は載っている。さっきのなら、受付でアルバムCDの物販も取り扱っていたはずだ」
 ほれ、と“リーダー”はポケットからしわくちゃの紙を取り出し、優に差し出した。
「……アルバムまで出してるのか」
「あいつらの音は魂に響くぞ、聞くんだったら覚悟しておけ」
 “リーダー”は口元を歪めた。

 “リーダー”が去ってから、優は息を吐いた。ポケットの中に握っていた手を開くと、掌がじっとりと汗ばんでいた。
「どうやら無事に終わったようだな」
 物陰から神代 聖夜(かみしろ・せいや)が姿を現した。離れた所からパタパタと駆けて来るのは水無月 零(みなずき・れい)陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)だった。
「今夜はもう帰らない、優?」
 零は訊ねた。
「この街は危険よ。優にかけておいた『禁猟区』が反応しっぱなしで、イライラしてくる」
「話していた相手が“環七”西最大の“暴走族(チーム)”のリーダーだったからな。多少の危険は仕方ない」
“今”でも反応があるのよ。優がライブハウスに入ってた時は頭が割れそうだったわ」
「……虎穴にいらずんば何とやら、とは言いますが、既に私たちは“虎穴”にいるようですね」
 刹那は周囲を見渡した。
“環七(ここ)”って本当に空京なのか、と疑いたくなります。実はシャンバラ大荒野の中の街なのか、なんて」
 夜の空京、“環七”西部。表通りから道ひとつ折れて入った裏通り。
 スキル「禁猟区」や「殺気看破」を使うまでもなく、空気がひりついている心地がする。
「そういう所だから、ドラッグなんて流行るんだろう。“ザラメ”“アズキ”なんて、ふざけた名前だ」
 舌打ちする聖夜。夜空は雲がかかっていて、出ているはずの月が見えない。
(今夜は月の加護はなし、か)
 一方、優は自分の立っている道路の行き先を見つめていた。あちこちの区画で交差し、折れ、“環七”の闇の中に伸びていく道路を。
 最近流行りだしたドラッグ。最近幅を利かせ始めた“暴走族(チーム)”──いや、ここ最近は“暴走”が自粛ムードだというから“不良グループ”“チーマー”等と呼ぶべきか。
 そして、最近あちこちで見られるという“自焼”行為、“バースト”
 これらの事象は、どこかでひとつにつながっている、と優は感じている。
 闇の中で、三つの事象はもつれあい、さらにその向こうに伸びているのだろう。
(この世に偶然はない。あるのは必然だけだ)
 それは、優の信念のひとつだ。
「行くぞ」
 優は言うと、歩き出した。
「ジョル・ジレッタというヤツを探そう。さっきの“リーダー”は、北部の『戒』というバーが行きつけだ、って言っていた。まずはそこからだ」
“ワル”に投資するなんて、ヤクザぐらいのもんだろう?)
 “リーダー”の台詞を思い出す。
 自分達の行き先は、恐ろしく深い闇の中だ。
 だが、誰かが行かなければならない。さもなければ、この闇は広がり続け――そして、ますます人を飲み込んでいく。

 「戒」というバーに行ったら、幸いな事にジョル・ジレッタという男はすぐに見つかった。
 が、少し話しかけて見ると、
「警察(ポリ)に離す事なんて何もねぇ、帰れ!」
と手で胸を突き飛ばされ、優は床に尻餅をつく事になった。
 「戒」を出た後で、優は羽織っていた上着の胸元に異物感を感じ、手を突っ込んでみた。
(――これは)
 ソースで走り書きされた、折り曲げられた紙のコースターがあった。
   「蒼学のディール・ローデットを保護してくれ」
「……もしもし。こちら“環七”北、神崎チームの刹那。
 蒼学のディール・ローデットについての確認をお願いします」
 数分後、ディール・ローデットなる人物はジョルのパートナーである事が分かった。
 明日までは何やら“依頼”でキャンパスには姿を見せず、登校は明後日以降になるらしい。