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乙女の聖域 ―ラナロック・サンクチュアリ―

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乙女の聖域 ―ラナロック・サンクチュアリ―

リアクション

     ◆

 処変わり――時間軸を数分遡った閑静な住宅街にて――。
 天禰 薫(あまね・かおる)熊楠 孝高(くまぐす・よしたか)はすなわち、下校の最中である。彼等は自分たちが歩いている場所のそのすぐ近くで、壮絶な命の張り合いをしている事など露ほども知らず、のんびりと歩みを進めていた。
別段変わった様子もないからか、薫は晴れ渡る空を見上げ、「気持ちのいい天気だねぇ」などと、隣を歩く孝高へと声を掛ける。
「そ、そうだな。まぁこんないい天気の時はあれだな。どっか行って、のんびりするってのに限るよな」
「うんうん、それは名案だよねぇ」
「で、物は相談なんだがよ、これからその――近くの自然公園でも言ってのんびり日向ぼっこでも、その……どうだ?」
「うーん、学校の課題もそろそろ一段落しそうだし、それもいいかもねぇ」
「ほ、ホントかっ!?」
 相当に意を決した発言だったのか、彼女の何気ない返事を聞いた孝高は、意図していなかった返事が返ってきた事に驚き、思わず薫の横顔を見やった。
(おっと、やべっ……!)
 その横顔にどれほどの意味があったのか、彼はそこで顔を赤らめ、慌てた様子で顔を逸らす。極力彼女の表情が視界に入らない様、懸命に顔を逸らし明後日の方向をひたすらにきょろきょろ辺りを見回す事にした。
「この――のんびりした時間がいつまでも続けばいいよねぇ……」
「そうだな。(出来ればこの帰り道がいつまでも続けば、俺としては更に御の字ってか)
 何ともセンチメンタルな思考を浮かべた彼は、そこで肩を竦めて自嘲気味に笑う。そしてこう続けて思うのだ。
(ま、これから公園に行けるんだ。それはそれで楽しみだよ……な)
 口にはせず、更に顔が赤くなるのを知った上で、彼はもう一度だけ、隣を歩く薫の横顔を見ようと首を向けた。が――。
「うん? どうしたのさぁ?」
「ぬぉぁ!?」
「“ぬぉぁ!?”って?」
「いや、その……」
 こっそりと薫の横顔を盗み見ようとしていた彼は、しかしそこで彼女と目が合う事までは考えていなかった。完全な失念だった。そして今、その失念は彼に墓穴を掘らせ、そして顔を赤らめた彼は、不思議そうに彼を見つめる薫によって質問攻めにあう事になる。
「あれ。孝幸……おぬし顔が赤いけど……」
「いや、違う! その、あれだ! なんでもねぇ! いや……それじゃおかしいな。えっと…」
 もはや正常に機能しない脳を余すところなく使い、懸命に返答を切り返そうとして更に訳のわからない返事を返している孝高。
その様子を、やはり不思議そうな顔で見つめる薫は、「うーん……きっと“難しいお年頃”ってやつなんだねぇ……」と、自己完結させた。再び空を仰ぐ彼女の隣、痛い程に浴びていた視線から解放された孝高は、今度は少し疲れた様子でため息をつき、再び肩を竦める。と――。

 長閑な住宅街の中、公園へと向かう二人の近くから、小切れよく乾いた音が――しかし決して長閑とは言えない物音が響いた。

 周囲にいた鳥たちがその音に驚き空へと飛びあがる。残響と鳥の羽音だけが二人を包み、二人は思わず頭を屈める。
「な、何の音だ!?」
「パンパンって、なんか銃声みたいだったけど……」
「此処は住宅地だぜ? 銃声なんか聞こえる筈が――」
「ちょっと行ってみようよ」
 何を思ったのか、薫は若干険しい表情になり、銃声がした方向へと足を向ける。
「あ、おい! 待てよ!(チクショウ! 天禰との素敵な時間がっ! コンチクショウめっ……!)
 孝高の思いも虚しく、二人は音源へと向けて足を速める。


「ねぇ三月ちゃん、詰まんないからしりとりしましょうよ」
「なんでそうなるのさ……」
「だってぇ…」
 薫、孝高とはまた別の場所。もっとラナロックたちと近い座標に位置し、同じく帰宅の途についていた杜守 柚(ともり・ゆず)杜守 三月(ともり・みつき)。柚は“しりとりをする”と言う自らの提案に三月が賛同しなかったからか少しむくれ、三月はやれやれ、と言った様子でその歩調を緩めた。
「あ、そうだ三月ちゃん! それより、また雅羅ちゃんと三人で何処かに行きたいですよね。ショッピングとか、ハイキングとか」
「あー、いいね。なんかこの前は色々あったから。今度はそういうのなしで行きたいね。うん、明日にでも誘ってみる?」
「はい!」
 三月の言葉に、今度は元気よく頷く柚。とんとんと、やや先行して歩いていた三月の前に躍り出ると、にんまりと屈託ない笑みを浮かべて柚が振り返る。
「ハイキングとかだったら、お弁当作るの手伝ってくださいね、三月ちゃん!」
「……はいはい」
「約束、ですよ」
 むくれていた彼女の機嫌がすっかり直ったのを確認し、三月も笑顔で返事を返す。と、その銃声は彼らの元にも届いた。当然二人の位置はラナロック、雅羅達から近い為、更に大きな音として聞き取れる。
「えっ!?何々!?」
「銃声だ! どうしよう、逃げる? 柚」
「怖いですもんね。とりあえず急いでお家に帰りましょう」
 二人は互いに顔を見合うと小さく頷き、足早にその場を後にした。駆け足で家へと向かう二人だが、しかしそこで、唖然としている雅羅を見つける。まるで何か、この世の物とは思えない様な物を見やる様子で、言葉なくただただ呆然と、ある一点を凝視していた。
「あ! 雅羅ちゃん!?」
「…へっ!? あぁ、柚じゃない!」
「どうしたのさ。そんな呆然と――って」
 雅羅が二人の方を向くと、再びそこから銃声が辺りに響く。惜しげもなく今度は数発、連続で辺りに響き渡った。
思わず首を竦める三人は、再び銃声の方へと顔を向ける。
「せ、先輩が怒ってんのよ。突然目の前にマンボウが出てきた、とかでこのマンボウを撃ったら、突然あの人が先輩に切りかかってきて、それで――」
「先輩……? って、うわぁ、ラナロック先輩ですね……」
「ほんとだね。でも……別人じゃない? あの人、あんな顔だったっけ?」
 柚の言葉に反応してアキュートと交戦中のラナロックを見た三月は、しかし首を傾げる。
「顔、怖いですね……あんなに温和そうな顔してたのに……」
 三月の言葉に柚がラナロックの顔を凝視し、不安そうな表情で雅羅の方を向く。
「今戦ってる人の所為、ではないんだけどね。なんでもウォウルさんが誰かに攫われたんだって。それでもう――なんて言うか、化けの皮が剥がれたって言うか…その」
「女の人って怖いね」
「わ、私たちは違いますからね三月ちゃん! あの先輩がちょっとおかしいだけで、私たちはあんなにはなりませんからっ!」
 彼の感想を懸命に弁明する柚を見て、雅羅も深々と頷いた。


「ねぇ……ねぇねぇ孝高…。なんだろうね、この状況」
「わかんねぇ……あの男の人はまぁ、なんかこの状況で違和感ねぇけど……戦ってる女の人が、なぁ……」
 柚、三月、雅羅達から少し。本当にほんの少し離れた場所で、薫と孝高はそんな会話をし、そしてラナロックを凝視した。そこで、薫の表情が固まる。何とも恐ろしい物を見る様な表情のまま、顔が青ざめていた。
「こ……こ、怖っ!」
「ちょ、おい! そんな、俺まだ心の準備がっ!」
 恐怖だったらしく、薫が隣にいた孝高に抱き着く。抱き着かれた当の孝高は、大凡その場には不釣り合いな意味深発言をするが、慌てて彼女を引き離し、肩で息をしながら再び現状、目の前で繰り広げられる事態を見つめた。
「なんだってこんな状況になってんだ?」
「………あのお姉さん怖いよ!」
「誰か、事情が分かるやつ……ま、居る訳が……」
「……怖い怖い! ホント怖い! 無理だよ」
「お、あそこにいる三人、関係者か……?」
「……嫌だよ! 帰りたい! 寧ろ祖国に帰りたい!」
「ちょっと落ち着けよ天禰

 完全にかみ合っていない二人の会話は、しかし孝高の苦笑交じりの突っ込みで停止した。
パニクっていた薫に、これからどうするかを告げる孝高。簡潔に伝え、彼女を少し落ち着かせた。
「じゃ、じゃあさ。あの人たちに聞いてみればいいんだね? って、あれ雅羅じゃん」
「え? あ、本当だ」
 見知った顔を見つけたからか、少し落ち着いた薫が、何やら壮絶な戦闘を繰り広げているアキュート、ラナロックに見つからない様に雅羅へと近づく。その後に続くようにして孝高も三人の元へと向かった。
「あれれ、雅羅と一緒なの、柚ちゃんと三月君じゃん」
「お、さっき振りだね」
「わわ、薫さん! それに孝高さんも! どうしたんですか?」
 二人に気付き、挨拶を交わす三月と慌ててお辞儀をする柚。
「おっす。んで? 何だってこんな状況に?」
 三人に尋ねた孝高の言葉に、柚、三月が雅羅の方を向いた。
「それに――あの、怖い顔したお姉さんは一体……?」
 薫のその問には、柚が答えた。
「あの人、蒼空学園にいた先輩のパートナーさんで、先輩のラナロックさんって言うんです……私もそこまでよく知った仲じゃないんですけど、前はもっと優しそうな先輩だったんですよ?」
「で、事情はわかんないけど何だかとんでもない事になってるって感じ、だね」
 柚の言葉に続けて三月が言った。
「とても、優しそうには――見えないけど…」
「同感……だな」
 その説明を受けながら、薫、孝高は再びラナロックの方へと目を向けて呟く。
「事情は一応説明するわ。でも――何とかあの状態を収めないと騒ぎになるし……」
 雅羅が心配そうにアキュート、ラナロックを見やる。と、そこで互いの攻撃の手が止み、向かい合ったままの膠着状態となった。
「……なかなか良い死合が出来て光栄だがよ、ねーちゃん。剣を交えてわかった事があるんだ」
「与太話なら余所見つけてやってなさいな。私は今とっても気分が悪いのよ。それこそお兄さん、貴方とこうやっている時間は楽しいけれど、それだって時間の無駄」
「ふん! 吹いてろよ」
 話にならない、と判断したらしい。アキュートは再び武器を握る手に力を込めた。
「ちょっとタイム! 先輩も!」
 漸くきっかけをつかめた雅羅が、そこで漸く二人の間に割って入った。