リアクション
* * * はたしてヨミは、とある家屋の屋根の上で蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)の横に腰かけて、もらった板チョコにかぶりついていた。 満面の笑顔で口をモグモグさせているヨミを見て、夜魅は立てた膝の上で頬づえをつく。 「ママから聞いたんだけど、あなたの名前もヨミっていうんだって? あたしと同じ名前だね! あたしも「ヨミ」っていうんだ。ふふっ。ママに頼まれたから、あたしがヨミの護衛をするよ!」 「ヨミに護衛など不要なのです。ヨミはロノウェ様の副官で、軍だって持っているのですからっ」 ヨミはすました顔で答える。しかしほおがチョコで汚れているので、せっかくの言葉がだいなしだ。 夜魅はポケットからハンカチを取り出し、ふき取ってあげた。 「うーん。じゃあ友達はどう? ヨミ、友達いる?」 「トモダチ?」 きょとん、と目が丸くなった。 「その顔……もしかして、あたし、ヨミのはじめての友達? じゃあ、一番の友達だねっ! 親友になろっ、ヨミ!」 「無礼な。ヨミ様と呼ぶのですっ」 差し出された手をまじまじと見つめて、ヨミはぷん、と顔をそむけた。 「友達は、敬称なんかつけないんだよ! だからあなたはヨミ! ねっ?」 夜魅は強引にヨミの手を引っ張り、自分の手と握らせた。 ロノウェの副官として魔族に恭しくされることはあっても、こんなふうに強引に腕を掴まれたりしたことはない。あまつさえ対等に口をきかれたことなどないヨミは、すっかり度肝を抜かれてか、腕を引き戻すことも思いつかずに夜魅をまじまじと見返した。 「ん? どうかした? ヨミ」 カッと真っ赤になって、あわてて手を振り放す。 「ヨ、ヨミは、トモダチとかいうものなんか、不要なのですっ。ロノウェ様がいらっしゃれば、十分なのですからっ」 もぐもぐもぐ。チョコにかぶりついたが、今度のそれはいかにもごまかしだった。口いっぱいにチョコをほおばって、食べることに夢中になっているフリをしている。 それがただのフリなのはミエミエで、本当は自分の方に意識の大部分を向けていることに気付いている夜魅は、ニヤニヤ笑いながら大きな耳の先っちょをツンツン引っ張った。 「ヨミはロノウェのことが好きなの?」 「無礼でしょう! ロノウェ様と言いなさい!」 「んーと。じゃあ、ロノウェ様。これでいい?」 よろしい、と言わんばかりにヨミは鷹揚に頷く。 「それで?」 促され、答えようとした、そのとき。 「こんな所にいたの」 ロノウェが同じ屋根に着地した。 「ロノウェ様!」 パッと表情を明るくして立ち上がったヨミが、ぱたぱたと走り寄る。 「……ヨミ。あなた、私の命令はどうしたの? ちゃんと伝えた?」 「――はうっ……」 今の今まで忘れきっていたことに気付いて、ヨミは目を白黒させる。 その手に握られた食べかけの板チョコを見て、ロノウェは眉をしかめた。 「あなたの食癖についてとやかく言う気はなかったけれど、命令に支障をきたすようでは放置できないわ。これから1カ月、チョコは禁止!」 「えええっ!!」 がーーーん。 「待って!」 ショックのあまり、ぽろりとチョコを落としてよろけたヨミをかばうように、夜魅が2人の間に割り込んだ。 「あたしが悪いの! あたしがヨミと友達になりたくて、呼び止めたりしたから!」 「あなたは?」 うさんくさそうに夜魅を下に見る。 答えたのは、少し離れた所から様子を伺っていたコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)だった。 「私の子です」 「あなたはたしか、あの会議室にいた……?」 「はい。コトノハといいます」 コトノハはゆっくりと、同じ屋根に歩を進めた。武器は何も持っていないことを示すため、指を前で組んでいる。 (よかった……アナトさん、解放されたのね) 視界の隅に、控え目に立っているアナトの姿を確認して、コトノハはほっと胸をなでおろした。 ロノウェと一緒に行動しているということは、魂の返却はかなわなかったのだろう。けれど、夜魅や自分を攻撃してこないということは、あの命令は解いてもらえたのだ。それは彼女の陥った状況を思えば、せめてものことだった。 そして、それをかなえてもらえたということであれば、この魔神はやはりあの魔神とは違う。そう、コトノハは確信し、あごを上げた。 「ロノウェさん、やはり万博に来ていただけませんでしょうか?」 コトノハの切り出しに、ロノウェはぽかんとあっけにとられた。 「――は?」 この期に及んで一体何を口にするかと思いきや、万博? この女には、周囲の状況が見えていないのだろうか? 街が燃え、魔族が襲撃し、逃げ惑っている人間の悲鳴が、この女には聞こえないのか? 人間がどうなろうとロノウェには知ったことではなかったが、それでも、同族の苦境に対し無関心な様子を見せる彼女の姿には、わが目を疑う思いだった。 「シャンバラで開催される万博とやらに、私に出ろと言っているの?」 ――いや、もしかすると、これは何かの策かもしれない。実際、ヨミは誘惑されて軍に自分の命令を伝えるのを怠ったのだし、とロノウェは気を引き締め直し、油断なくコトノハを見返す。 「そうです」 うなずくコトノハは真剣そのものだ。 「あるいは魔王パイモン、できれば全魔神に。 あのあと、シャンバラにいる友人と連絡をとりました。国家神アイシャに、あなたたち魔神を招聘してはいただけないか交渉中です」 「そう。では許可がおりてからあらためて書状を出してちょうだい」 今夜アガデが陥落し、東カナンという国がなくなってもそんな許可がおりるのか、はなはだ疑問ではあったが。人間がそういう種族だというのなら、それはそれで自分にはどうということもない。 「さあ行くわよ、ヨミ、アナト」 「待ってください!」 背を向けかけたロノウェを、あわてて呼び止めた。 「まだ何かあるの? 人間」 やはり目的は時間稼ぎか。警戒するロノウェの前、コトノハは両手を差し伸べるしぐさをした。 「私……あなたの気持ちが分かります。いいえ、分かる気がしているだけかもしれない。本当は、私なんかでは想像もできないくらい、あなたの思いは強いのかもしれない……。でも、こう思うんです。あなたは、人間を憎んでいるんじゃない。憎もうとしているだけで、本当は失望しているのだと。 私も経験があります。過去、信じていた人たちに裏切られたことがあるから……。私を断罪する前に、私の真意を知ろうとしてほしかった。きっと彼らならそうしてくれると思っていたのに、彼らは決めつけ、話を聞こうともせず、ただ自分の考えのみで私を裁きました」 つらくて、苦しくて、やり場のない思いだけが胸で反響していた。なぜ? と。私たちは友達ではなかったの? 私がどういう人間か、知っていてくれたのではなかったの? なぜ友達に、あんな残酷な真似ができたの? あれから大分時間が過ぎた今でも、思い出すだけで涙がにじむ。 「……でも、思ったんです。それすらも、私が勝手に作り上げていた友人像なんです。私が勝手に私の価値観で作り出していた「友とはこうあるべきもの」というものに彼らをあてはめていて、そうでなかったからと、怒って……。 私が腹を立てているのは、結局、彼らが私の望む友人の姿とは違ったから。勝手に失望しているんです」 彼らは、ただ彼らであっただけ。そのことに、いいも悪いもない。 「ロノウェさん、あなたもそうだったんじゃないですか? 「人間はこうあるべき」と、自分の中で作り出して、その基準を満たしていなかったからと失望して……。 「人はすぐに忘れる」「人はすぐに心を変える」耳の痛い言葉です。それを否定するつもりはありません。ですから、人がそうしないためにはどうすればいいか、一緒に考えませんか? 口伝えでは限界があります。歪曲されないように何か形のある物で遺さないといけないでしょう。石碑や、文書として遺したり、会談の内容を全世界に生中継して多くのひとたちを証人にしたり――」 「もう遅いのよ、人間」 ロノウェは静かな……穏やかとも言える声で、コトノハの言葉を止めた。 その目には、いつしかあわれみの光が浮かんでいる。 「あなたはこれが持つ意味を、全く分かっていない」 見ろと言うように、ロノウェは燃える街に向けて手を広げた。 「バルバトスが何を意図してこうしたか。ただ領主バァルやアガデが気にくわないからこうしたと、あなたは思っているの?」 あの狡猾な魔神が、それだけのためにするはずがない。 だからこそ彼女は同じ魔族にも畏怖される存在として、数千年もの長きに渡り、最強の魔神と呼ばれてきているのだ。 「何を……何が彼女の目的だったんです!?」 そこまで教えてやる義理はない。 驚愕するコトノハに、ロノウェは今度こそ背を向け、振り返らなかった。 「ヨミ、さっさと命令を伝えてきなさい。今度寄り道をして忘れたりしたら、承知しないわよ」 「はいなのですっ」 あたふたと、ヨミは大急ぎ、屋根を跳び渡って行く。 「ロノ――」 「ロノウェ様」 追いすがろうとしたコトノハの声にかぶさって、シャノン・マレフィキウム(しゃのん・まれふぃきうむ)がマッシュ・ザ・ペトリファイアー(まっしゅ・ざぺとりふぁいあー)と魄喰 迫(はくはみの・はく)を伴ってこの場に現れた。 自分たちの出現に身構えたコトノハをちらと見て、冷笑する。 「遅くなりまして、申し訳ありません」 「ちょうどいいわ。アナトをロンウェルの城へ連れ帰ってちょうだい」 「分かりました。――マッシュ」 「え? 俺?」 「おまえはスキルを封じられているからな」 ……むーう。まだまだ楽しくなりそうなのに。マッシュは不服そうに表情を曇らせる。 でも、シャノンさんの命令だから、仕方ないか。 「はーい」 いかにもしぶしぶといった様子ではあったものの、マッシュは逆らわず、アナトに合図を送ると彼女を連れてクリフォトの樹へ向かった。 そしてシャノンと迫も、ヨミの守護に回る許可をもらい、一礼して飛び去って行く。 屋根の上に残ったのは、ロノウェとコトノハ、そして夜魅だけ。 「ロノウェ……」 「無駄よ、人間。もう事は起きてしまった。あなたにはどうすることもできないのよ」 今この瞬間にも、バルバトスの計画は着実に進行している。人間はそれとも知らず、彼女の狙い通りに動いているのだ。 おそらくは、己が考えたことと信じて疑わずに。 これ以上ここにいる意味はない。ロノウェはハンマーを手に、跳躍する。 「ロノウェ! 待って!! 数千年前、人間と魔族は共存していたのでしょう? なら、私たちも共存できるはずよ! そうでしょう!?」 西の進軍が遅い。何か手間取っているようだ。ロノウェはそちらに意識を集中し、コトノハの言葉を意図的に胸から締め出そうとする。だがそれは思ったほど、うまくいかなかった。遠いこだまのように身内で何度も反響し、ぶつかり合い、細かな破片と化して散っていく。 「……もう遅いのよ……」 だれに言うでもなく、ロノウェは繰り返す。 なぜなら、すべてはもう決してしまっているのだから――。 |
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