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リアクション
■女王の友達■
「あ、立ってます」
ポツ、と零したアイシャ・シュヴァーラ(あいしゃ・しゅう゛ぁーら)の言葉に、セルフィーナ・クロスフィールド(せるふぃーな・くろすふぃーるど)はお盆を持ったまま振り返った。
アイシャのプライベートルームの一室だ。
「陛下、何か不手際が御座いましたか?」
「いえ、そういうわけでは――あの、見てください、これ」
質の良い調度品が揃う、完璧に整えられた部屋の椅子に腰掛けたアイシャが何だか一生懸命な様子で手に持ったカップを指さしている。
セルフィーナは内心、少しばかり不安を抱えながらアイシャの方へと近づいていった。
アイシャが手にしているお茶を淹れたのはセルフィーナだ。
パートナーの詩穂が故郷で飲んでいたという種の茶葉が手に入ったので、それを使った。
何度も試した毒見では何の問題も無かったはずだ。
アイシャが指さしていたカップの中を覗き込む。
と、澄んだ緑色のお茶の表面にぷかりと茶の茎が浮かんでいるのが見えた。
「申し訳ありません。このような茶屑の入ったお茶を――すぐにお取替えいたしますわ」
「え? ああいえ、だから違うんです。これ、立ってるんです」
「は……?」
「よく見て下さい。ほら。
以前、詩穂に聞いたことがあります。確か、吉兆の印……だったような。
なんと言いましたっけ。ああ、出てこない。ご存知ありませんか?」
「言われてみれば……」
困ったように見上げてきたアイシャの瞳を受けながら、セルフィーナは首をかしげた。
詩穂にこのお茶の話を聞いた時に、そのような事を言っていたような気もする。
と、扉がノックされた。
テーブルの端に浮かび上がった映像には、扉の外に立つ騎沙良 詩穂(きさら・しほ)の姿が映し出されていた。
「あ、詩穂。丁度良かった、どうぞ。入って下さい」
「丁度良かった? 何の話?」
扉が開かれ、何やら紙袋を抱えた詩穂が部屋の中へ入って小首を傾げる。
ふわっと甘い良い匂いがした。
「あの、立ってるんです。お茶の。なんて言ったら良いのか……とにかく、見てください!」
早く早くと手招くアイシャの様子を見て、楽しくなったらしい詩穂が「なになにアイシャちゃん?」と表情を綻ばせながら駆け寄ってくる。
そして、彼女はアイシャの持っていたカップの中を覗き込んで、あー、と楽しげな声を上げた。
「すごーい、茶柱だ。ばっちり立ってるね」
「――それ! 茶柱です。茶柱」
「それですわね。茶柱」
セルフィーナとアイシャは互いにスッキリとした気持ちで顔を合わせたのだった。
「ん?」
詩穂は笑んだ格好のまま二人の様子に小首を傾げていた。
「石焼き芋だよ、石焼き芋! やっぱり秋はこれだよね。
それにセルフィーナが淹れてたのがお茶でしょ。
これはもう、詩穂が焼き芋屋さんと出会ったのは運命だったってことだよ」
詩穂は紙袋の中から焼き芋を取り出し、それをパコッと二つに割ってアイシャに手渡しながら言った。
「詩穂様、なんとなく理屈が分かりませんわ」
セルフィーナが詩穂の分のお茶を淹れながら、のんびりと零す。
詩穂から焼き芋を受け取ったアイシャは、甘い湯気を立てるそれを見下ろし。
「わ、ほこほこの黄金色ですね」
「美味しいよ。日本だと秋や冬の風物詩なんだ。
こう、ね。ぴーーーっていう音を立てながら焼き芋屋さんがトラックで家の近くを通りかかって――」
「ぴー?」
「うん、そういうすっごい高音を鳴らしてから、『い〜しや〜きいも〜、おいもっ』てオジサンが言うの。
それを聞くとダイエットとか、どうでも良くなっちゃって皆してサンダルを突っ掛けながらダッシュで焼き芋屋さんを追うんだ。
と――いうわけで、召し上がれ! アイシャちゃん」
「あ、はい、では……いただきます」
一口齧って、アイシャの顔は垂れた。
「お……おいひい〜」
「えへへ、良かった」
「はぁぁ、このほこほこ感は堪りませんね。つい、にやけてしまいます」
頬に片手を添えながら、アイシャが『至福』といわんばかりの表情を浮かべる。
「ふっふっふ、アイシャちゃんのその顔が見たくて買ってきたんだ。
あ――アイシャちゃん、そのまま」
「え?」
詩穂に言われるまま動きを止めたアイシャの後ろ側へと、詩穂は回りこんで、アイシャの髪の絡まっていたところに指を落とした。
すぅっと指を走らせると、髪は思っていたより簡単に解けて真っ直ぐになってくれる。
「これで良し。ちょっとだけ髪が絡まってたから」
「ありがとう、詩穂」
「ううん」
言って、詩穂はしばしアイシャの後ろ頭をじっと見ていた。
「あの……詩穂?」
アイシャが不思議そうに振り返り、見上げてくる。
詩穂は少し真剣な表情を向けて言った。
「アイシャちゃん」
「はい?」
「髪を梳かせてもらってもいい?」
焼き芋を食べ終えてから、詩穂は櫛でアイシャの長い髪を梳いていた。
「アイシャちゃんの髪、綺麗だよね」
櫛を入れて、落とす。
スゥと流れた線が柔らかに直線を描く。
「詩穂に髪を触られていると落ち着きますね。
他の方に梳かれているのと、何だか違う……」
「詩穂が友達だからだよ」
アイシャの髪を櫛で梳きながら、詩穂は続けた。
「詩穂は今でもアイシャちゃんを一人の女の子として見てるよ。
シャンバラの女王ではなくて、友達として、ここにいる」
「……いつか」
アイシャがポツリと言う。
「いつか、詩穂は同じことを私に言ってくれましたよね。
私はあの時、あなたにどれほど救われたことか……」
「でも、あの時は、詩穂もアイシャちゃんも、まだ馴れ合いの関係だったかもしれない……そう思う」
「……え?」
「アイシャちゃんが、シャンバラの女王としてゾディアックで自ら赴く決意をした時まで、ね。
……強くなったよね、アイシャちゃん」
零して、詩穂はスゥと櫛を抜いた。
「ねえ、アイシャちゃん。
詩穂のここにはね、ずっとアイシャちゃんの温度が残ってるんだよ」
詩穂は自身の胸に手を添え、続けた。
「アイシャちゃんの身体は暖かくて、触れ合っている胸が痛いほどドキドキして……。
詩穂は、アイシャちゃんが自分の胸の中にいることが信じられなかった。
嬉しくて嬉しくて、この幸せがいつまで続くだろうって考えると泣きたくなっちゃうくらい……」
「この胸が温かかった」
アイシャが言う。
彼女の手もまた、大切な温度を思い出すように自身の胸へ添えられていた。
そして、アイシャは振り返り、微笑んだ。
「ありがとう、詩穂。今度は私があなたの髪を梳かせてもらう番ですね」
◇
「ウゲンによって消されかけていた時、歌が聞こえていました。
ずっと……ずっと……」
アイシャの細い指先が髪を取り、そこへ櫛が滑っていく感触。
詩穂はアイシャと入れ替わりに椅子に座らせられ、アイシャに髪を梳かれていた。
頭に触れる小さな感触と気配が、まるで子守唄のように心地良く心を揺らしていく。
「届いてたんだね」
「ええ。
ほんの一欠けの粒子となっていた私には、それが誰の歌で、何を意味しているものかは分からなかったけれど……。
おそらく、私という粒が残ることが出来たのは、あの歌のおかげだったのではないかと思います。
あの歌と皆の想いが私を再び取り戻させてくれた……」
アイシャの言葉が髪を梳く音に溶ける。
詩穂は、それから少しの間を置いて言った。
「ウゲンにはね、感謝してることもあるんだ。
だってアイシャちゃんがこの世界に居てくれたのは、ウゲンのおかげだもん。
詩穂がアイシャちゃんに出会えたのは、ウゲンのおかげ……。
それに――結果的にだけど、アイシャちゃんの成長の一因でもあるでしょ?」
「わたくしたちの元へお帰りになった陛下は、一段と強くなられました」
傍らで二人を見守るセルフィーナが言う。
「陛下の御心をお守りするためには、わたくしたちもまた、強く成長しなくてはなりませんね」
「うん」
そう頷いた詩穂の頭を、そっとアイシャの手が撫でた。
「私は、私を皆の鏡のような存在だと思うのです。
皆の強さが私に未来を信じる強さを与え、それが私の強さとなって現れる。
あの選択は、決して私だけの力で為せた事ではありません。
皆や詩穂が居て、多くの想いがあったから、私は未来を信じる事が出来た」
きゅ、とアイシャが詩穂の頭を柔らかく抱く。
「だから、詩穂。
あなたのおかげでもあるの」
「そんなの聞いたら……ますます強くならなきゃって気がしてくるよ」
詩穂はアイシャの温度に身を預けながら、ゆっくりと微笑んで言った。
「ずっと友達で居てくださいね、詩穂」
「アイシャちゃんが嫌だって言ってもずっと友達で居るよ」
「嫌だなんて言わないわ、私」
「あはは――ね、アイシャちゃん。何かあったらまた相談してね?」
詩穂は手を伸ばして、自身の頭を抱えているアイシャの頭をぽんぽんと柔らかく叩きながら言った。
「大好きだよ、アイシャちゃん」
「ありがとう、詩穂」
ふいに、コホンという咳払いが聞こえた。
詩穂とアイシャはセルフィーナの方を見やったが、セルフィーナは首を振った。
再び、コホン、と聞こえる。
咳払いの主は、通信装置のモニターに映ったヴィルヘルムだった。
『何といいますか……その、少々コミュニケーションが過剰なのでは無いでしょうか?』
「そう……でしょうか?」
アイシャは少々気まずい思いを持ちながら、詩穂の頭を離れた。
と――。
「何の問題もないよっ」
詩穂が、にぃっと笑いながらアイシャの方へと手を伸ばして抱きついた。
「漢字だと、好きという字は『女の子』って書くんだから、女の子が女の子を好き合うのは当然でしょ。このくらいはノープロブレーム!」
詩穂が掲げたピースサインを見たヴィルヘルムが渋面を浮かべる。
向こうではセルフィーナがくすくすと楽しそうに笑っていた。
そして、アイシャは「だそうですよ」と笑ってヴィルヘルムに小さくピースサインをして見せたのだった。