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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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     ◆

 逃げた先には敵がいた。
随分とありがちな光景は、しかしあまりにもご都合主義の予定調和。それは本来ありえない。有り得はしないがしかし――確かにそこに、彼等はいた。
「よぅ、依頼主」
「お仕事の御代を貰いに来たの。うふふ、何だかわからないの? それはねぇ――貴方の命」

 逃げた先には敵がいた。
随分とありがちな光景は、しかしあまりにもご都合主義の予定調和。それは本来ありえない。有り得はしないがしかし――もしもそれが敵まみれの渦中だった場合は、どうだろうか。
上も下も、右も左も前も後ろ。全部が全部、ひっくるめてその空間全てに敵しかいないとするのであれば、どうだろうか。

「……仕事は無事に終わった様だな。だがよ、その御代――お前さん等にはちぃとばっかし高くはないかね? ん?」
 着地をし、体を数度揺らしながらに対峙する彼等に声を掛けたドゥング。相も変わらず面倒そうに肩口に大振りの刀を担いで。
「きゃっははっ! ぶっちゃけ御代なんてどうでもいいんス! ただ、自分等はあんたがバラせればそれ――ぶっ!」
 言いかけていた春華の顔面に、鍬次郎の掌底が思いのほか綺麗に決まる。涙を流しながら蹲る彼女を意にも介さず、鍬次郎が口を開いた。
「高い? だぁ? おめぇ、誰に言ってるかわかってんのか? よぅ」
「無論な。高いだろう、俺の命はそんな安いもんじゃあねぇんだよ。お前さん等にくれてやるほど安かぁねぇのさ」
 言い終るや否や、ドゥングの体は彼等の前から姿を消す。次に姿を捉えたのは、鍬次郎の首元に刀が向けられた時。が、その動きは止まる。決して彼の首を討つ事無く、寸でのところでそれは停止していた。鍬次郎とドゥングの間。ハツネの頭上に、彼の顔がある。
「姿が見えてないってのは、結構便利な物でしょう?」
 紫月 唯斗。その人。
「……姿が見えないと思ったら……。今まで何処に行ってたの。答え様によってはただじゃおかないの」
 低い声がした。ハツネが目一杯どすを利かせた声で、彼に問うたのだ。
「隠れていれば意識が外れる。意識が外れれば油断が生まれ、油断をすれば命を落とす。これは俺の考えです。守るにしても、攻めるにしても、それはかなり優位に働くとは思いませんか?」
「どこがなの! 現にこうして――」
「こうして俺ぁ、助かってるって訳だ」
 涼やかな汗を額から流しながら、笑うしかないとばかりに不敵な笑みを浮かべる鍬次郎がハツネの言葉に続けて言った。
「へぇ、そうか。まぁだったらいいよ。隠れて守る、隠れて攻める。いいねぇ、羨ましい限りだ。じゃあ俺も、俺の美学で行かせて貰うぜ」
 ドゥングの言葉を聞いた唯斗が、鍬次郎が、慌てて彼の刀を振り払う。春華も彼の異変に気付いたのか、足元にいたハツネ、葛葉を抱きかかえて後ろに飛び退いた。
「な、ななななな何!? なんなんですか!」
「そうなの! こんなに離れてちゃ攻撃出来ないの! はーなーしーてーなーのっ!」
「イタッ! 痛い! チュイン、暴れないで欲しいっすよ! いたたたた! ちょ、噛まないでっ……!」
 それぞれがドゥングと距離を取り、その様子を見いる。
「……なぁ、紫月の」
「なんですか」
「何だってこんな事になっちまったんだろうな」
「さぁ……俺に聞かれてもね」
「……ね、ねぇ……何なんですか、あの人。獣人なのはわかりましたけど……そんなの出鱈目だ」
 武人曰く――刀を向き合わせただけで相手の力量がわかる。と言うが、彼等もそれを今、体感する。目の前の男。何の変哲もない、ただの獣人。ごくごく普通の――獅子の獣人。
何処にでもいる、漆黒の獅子の獣人。二足歩行は変わらない。顔つきの体格が、人のそれではなくなっただけの話だ。白銀の鬣を靡かせて、歪な色に彩られた瞳を彼等に向けて、ただそこに立っているだけの、ただの獣人。
「さて? お前さんらが本気出すってんなら、俺はこのままの姿で戦うよ。姿を消したけりゃあ消せ。攻撃したきゃあすればいい。俺は避けたりしねぇよ。安心しろ、刀も武器も、心も目的も何もかも、全部を全部――端から端まで、何から何まで全部ひっくるめた上で力の限りにへし折ってやる」
「黒いライオン……ねぇ」
 平然としている唯斗も、思わず構えを取っていた。敵が来ないのを知っていながら、体が勝手に拒否反応を起こしていた。
「くっそっ! 行くぞおめぇら! 冗談じゃねぇ! あいつが調子に乗る前に一気にカタぁつけてやらぁ!」
「ただのライオンさんなの。だったらそんなに大変じゃないの。あっそびーましょ♪ なの」
「嫌ですよ、僕は暫く静観させて貰います。あ、ちゃ……ちゃんとフォローはしますから」
「ワンちゃんの次はライオンさん! バランバランの継ぎ接ぎまみれにしてやるッス!!」
 鍬次郎が先陣を斬り、そのやや後ろをハツネを抱えた春華が走る。一気にドゥングに向かって距離を詰めた彼等は先手を打って攻撃する。鍬次郎の一振りを、春華の一突きを、ハツネの一薙ぎを。その全てを手にする刀で受け止めて、彼は笑った。
「そうだよ。それでこそ――ソレデコソ―――………妾ガコノ世ニ戻ッタ甲斐ガアル――………」
 ゲラゲラと、随分と耳障りな笑い声が聞こえた。
「ぐぬぅぉぉおおお……! んだよこいつの馬鹿力ぁよぉぉお!」
「えっ! 嘘っ!? 何でびくともしないんスかぁ!!!!」
「このお人形さん、ちょっと硬いの……」
 懸命に押し込むはただの一点。ドゥングの顔がある部分。しかしそこには一枚の鋼があって、其処には一枚の障壁があって、彼らの攻撃は届かない。
「なんなんだよ……なんなんだよこれ!!! 気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い!! 何でこいつら狂ってるんだよ!」
 様子を見ていた葛葉が叫ぶ。叫んだままに何かを詠唱し、其処には真っ赤な液体が浮き上がる。固形として一定の形を持たないその液体はまるで生き物のように葛葉の周りを飛び交い、そしてその手に握る巨獣撃ちの猟銃の弾倉部分に吸い込まれていく。
「もういいよ! 知らない知らない! 気持ちが悪いからもう知らない! もう知るか、知らない知らない! 皆もう、燃えればいい」
 熱を持っていた葛葉の言葉は尻つぼみに。そしてその熱は次第に失せて冷徹に。冷淡になったそれは指を掛ける引き金に――。引き金を引けば爆発に。
「おい! おい! 葛葉! 辞めろ! こっちに当たる! 馬鹿野郎! 正気を保て、当てられんな!」
「知らない……… 知らない………… 気味が悪いんだ。あの笑い声が頭から離れないんだ。 もう嫌だ。何もかもが嫌だ。知らない知らない知らない。もう全部燃えちゃえ」
「バイフー! ちょっと! 熱いっスよ! なんていうか熱いっすよ! キョンシーなんて焼いても何の得にもなんねぇっす! ってあっちぃぃぃ!」
「…………」
 その間もゲラゲラと、生き物のそれではない笑い声。そしてひとしきり笑い倒した彼は、思い切り彼等三人の攻撃を、手にする刀で振り払った。
「もう終いか? って、ん? 何やってんだ俺。まぁ良いか、攻撃は防げた様だしな」
 本来立っていた場所は、葛葉が乱射しているそこ。その更に向こう側へと飛ばされた三人が懸命に着地をして体勢を立て直す。
「あぁ……何なんだよ。葛葉のやつも何やってやがる。あれしきの事で当てられやがって、一発ぶん殴って――」
 鍬次郎が言いかけていると、ハツネがゆっくりと葛葉に向かって近付き、その頬を思い切り引っ叩いた。
「しっかりするの。葛葉が術に掛けられてたら世話ないの。ハツネたちは近くにいて、目を合わせてなかったからって言うのはあるけど、それでも葛葉なら術者の事をわかっているんだから目を合わせなければよかったの。……呆れて物も言えない……」
 漸く引き金から手を離した葛葉。後半は弾が切れているにも関わらず引き金を引き続けていた葛葉。涙と涎を拭ってから、「ごめんなさい」と呟く。
「どうでも良いんだが、ね。貴女たち此処にいると狙われますよ」
 音もなく二人に近付き、そして手にする刀を振り下ろしていたドゥングの攻撃を受け止める唯斗がそう言った。
「おいおい、あの一撃を止めんのかよ」
「兄貴ぃ、止まってねぇっすよ」
 驚く彼に対し、春華は指を指した。見れば、恐らくドゥングが暴れた時に割れたものだろうコンクリートが、彼の腕と地面でつっかえ棒をしている。それでも足りない分を、唯斗は自身の武器で受け止めていた。
「……そうだな、そうだよ。俺たちゃプロだった。何もこの身一つで向かってく必要何ざねぇやな。どんな手段を使おうが、どんな手を打とうが、必ず相手を完殺出来りゃあいいんじゃねぇか。そうだろ?」
 返事など待たない。
「紫月の。おめぇら。一旦引くぜ。こっちにだって準備がある。必ず勝って、あのクソライオンにてめぇがやった間違えってのを気付かせてやんだよ」
「……手があるならお貸ししましょう」
「葛葉。行くの」
「……は、はい」
「えー、ライオンちゃんをバラせねぇっすか?」
「じゃあ春華、おめぇはサシであの化け物を殺れんのか?」
「い、いやぁ……ハハハ、面目ねぇッス……アハハハ……」
 それは苦笑にも似た物で、だから以降、彼女は素直に退くことにした様だった。
「おう、逃げんのかい?」
「あぁ、逃げるよ。馬鹿らしいからな。正々堂々なんてぇのは要らねぇだろ?」
「要らねぇな。そんな事、よっぽど腕に自信があるある馬鹿か、単なる馬鹿しかしねぇだろうよ」
 そう言うと、ドゥングは獣人化を解いて人間の姿へと戻る。
「ま、こっちの目的はもうすぐそこだ。もし時間があったらまたやりやってやるからよ」
「はっ! 言っとけよ。次は必ずてめぇをぶっ殺す。行くぞおめぇら」
 追撃はない。何故ならドゥングの目的は彼等ではないのだから。
 迷いはない。何故なら彼等の目的は、ウォウルの護衛ではないのだから。

 双方ともに、そこに主眼は置かれていない。