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リアクション
・聖カテリーナアカデミーにて
「ここが聖カテリーナアカデミーか」
中世の趣の残る建物を見上げ、柊 真司(ひいらぎ・しんじ)は呟いた。
「おやおやぁ〜お客さんですかぁ〜?」
背後からのんびりとした声が聞こえてくる。真司はすぐに振り返った。そこにいたのは10歳くらいの幼い容姿をした女の子だ。小柄なためか赤い修道服がぶかぶかで、袖が余っている。襟元には「?」のエンブレムがあった。
(どこかで見たことあるような……)
確か、2月のアカデミーの『聖歌隊』と天学生徒会執行部の顔合わせの時だ。その模様はストリーミングで放送されていたが、『聖歌隊』の中にいた気がする。
「あ、ええと……シスター・エルザに会いに。紹介状もちゃんとある」
「ああ〜エルザちゃんが言ってましたねぇ〜あなたでしたかぁ〜」
今にも眠ってしまいそうな目つきで、真司を見上げている。
「案内ぃ〜しますねぇ〜」
少女の後について、真司は回廊を歩いていった。
(シスター・エルザ。色々噂に聞いてはいるが、どういう人なんだろうか?)
何度か姿を見たことはあるが、真司には直接の面識がない。今回彼女を頼ってきたのは、ヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)の病状が悪化しており、それをどうにかするためだ。そのために、アカデミーから留学してきたルルー姉妹に紹介状を用意してもらったのである。『素直に教えてもらえるなんて、期待しない方がいいよ。うちの校長センセー、性格悪いからね』とはドミニクの弁だ。
もちろん、最初からエルザとの接触を考えていたわけではない。ヴェルリアを何とかすることができる可能性を持つ人物――ヴィクター・ウェストのことは独自に調べた。だが、消息を絶って以降、彼が関与していると思しき事件は多くあったが、肝心の足取りは掴めなかった。国際指名手配になっているが、ICPOも有力な情報は掴めていないようだ。
そんな時思い当ったのがシスター・エルザだ。謎の多い人物だが、彼女は『誰の敵でも味方でもない』と公言し、中立の立場にいる。その状態を保ち続けられているのは、彼女が高い交渉力と政治力を持っているからだ。パラミタ出現から数年続いた、魔法勢力の急速な台頭に端を発する欧州の緊張状態が解けるきっかけを作ったのは、エルザである。
ほとんど根拠のない直観でしかないが、真司は彼女を頼れば何か掴めるかもしれないと思った。念のため、ルルー姉妹にはヴィクターの名前は出さずに、ヴェルリアを治療するためと説明してある。
当のヴェルリアも一緒だが、今は本来の人格が表に出てきている状態だ。それでも、大人しく真司についてきている。
「こちらになりますぅ〜」
校長室の前に到着。真司は扉をノックして、中に入った。
「ごゆっくりぃ〜」
扉を閉める前に、案内してくれた少女に一礼した。
「ようこそ。聖カテリーナアカデミーへ。まあ、座りなさい」
「はい……失礼します」
「そんなに硬くならなくていいわよ」
エルザが微笑みを向けてきた。その足でポットを取りに行き、ティーカップに紅茶を淹れる。
「いい葉が手に入ったのよ。せっかくだから、あなたたちにも」
それを真司とヴェルリアの前に置いた。こうして面と向かって会うのは初めてだが、話に聞いていた性格の悪さはほとんど感じられない。むしろ、気品のある育ちのいいお嬢様だ。だが、ヴェルリアよりも幼い容姿であるにも関わらず、彼女を「少女」と形容するのははばかられた。
「話はそっちに留学中の二人から聞いてるわ。そこの彼女も、なかなか複雑な事情を抱えているみたいね」
「事は一刻を争います。海京でヴェルリアのことをどうにかできる人のことを聞いて、ここまで来ました」
「それがあたし……ではなさそうね」
「ヴィクター・ウェスト。ご存知ですか?」
エルザの表情は変わらない。紅茶をゆっくりとすすり、答えた。
「どういう意味で、かしら? 単に名前を知っているかを聞いているのか、それともあたし個人が彼と何らかの繋がりを持っているかを聞いているのか」
「後者です」
「答えは、『はい』よ。あの親子はあたしに借りがある。まあ、まだ返してもらってないのだけれど」
「だったら、今どこにいるか知ってるのよね?」
ヴェルリアがエルザに迫る。
「生憎、あたしにも掴めてないのよ。最後の目撃情報はベトナムだけど、それっきりよ。彼が使ってたらしい研究施設はいくつも見つかってるのにね」
「本当に、今の居場所の検討もつかないっていうの?」
「あたしから言えるのは、『良からぬことを企む者の近くにいる』ということくらいね」
エルザでさえ、ヴィクターの所在を掴めてはいないようだ。
「今、日米が共同で進めている『月神計画』。それを妨害する者がいる。ならば、彼はその妨害している者たちに協力している可能性が高い。協力、というよりは利用している、の方が正しいかしら」
「せめて、その敵勢力が分かれば……」
「だけど、あまり会うのは勧められないわね」
エルザが静かに告げた。
「消息を絶ってしばらくは鏖殺寺院に所属。その後、地球系の一派である『軍』へ。オリジナルのシュバルツ・フリーゲを復元し、そのデータを元に簡易量産機シュメッターリンクを考案したのは彼よ。パイロットたる契約者を量産するために、パラミタ化技術を発展させたのもヴィクターっていう話。要するに、マヌエル君の聖戦宣言以前にあなたたちを苦しめていた兵器を造った張本人なのよ」
「どうして、そんなことを知ってるんですか?」
「さあ、どうしてかしらね? 彼を利用していたどこぞの坊やとあたしが古い知り合いで、自慢げに野望を語るのを聞かされていたから……ってことじゃダメかしら?」
ここにきて真司は、ようやくエルザが「性格が悪い」と言われる理由が分かってきた。彼女は真司の出方を常にうかがっている。居場所を知らないのは本当だろうが、大体の予測は立ってそうだ。真司がそれを教えるに値するかどうかを試しているのだろう。
「分かりました。
それでも、俺は可能性があるならそれに賭けたい。ヴィクターがシャンバラに害をなしたという証拠はありません。国際指名手配になっているとはいえ、それは消息不明だからという理由ですし」
だから、敵に寝返るというわけではない。
「それだけパートナーのことが大事ってことね。ならば仕方ないわ」
エルザが立ち上がった。
「ジャンヌちゃん、やっちゃって」
『はぁ〜い』
扉の向こうから返事が聞こえてきたかと思うと、ここまで案内してくれた少女――ジャンヌが室内に飛び込んできた。
「一体何を!?」
真司、ヴェルリアも思わず席から立ち上がった。ヴェルリアは戦闘態勢に入っている。
「大人しくぅ〜してて下さいねぇ〜一瞬でぇ〜終わりぃ〜ますからぁ〜」
次の瞬間、ヴェルリアが校長室の壁に磔にされていた。
「ヴェルリア! く……体が……」
直立したまま、真司は一歩も動くことができない。ヴェルリアも、本来の人格ならこの程度の拘束はものともしないはずだ。だが、
「力が……使えない……?」
完全に無力化されている。
「無駄ですよぉ〜ここはぁ〜教会のぉ〜庇護下にぃ〜ありますからぁ〜」
敬虔な信徒でないものは、自由を奪われる。そういう術式をジャンヌは発動させたようだ。
「それじゃぁ〜おやすみぃ〜」
十字架がついた短剣を、ジャンヌがヴェルリアに突き立てた。だが、血は流れない。それどころか刺さった痕跡すらない。
「あれ、ここは……」
声を発したのはヴェルリアだが、さっきまでの彼女とは違う。後天的に生まれた人格の方だ。彼女に対しても、同様の短剣が突き立てられた。
「はいぃ〜完了ぅ〜」
ヴェルリアの身体が解放され、壁に寄り掛かった。真司はすぐに駆け寄った。
「ヴェルリア!」
彼女はぴくりとも動かない。
「これで応急処置は完了ね。ただでさえ時間がないのに、どこにいるかも分からない男を探すなんてのは無謀にもほどがあるわ」
「応急処置?」
「これですよぉ〜」
ジャンヌの手には、二つの十字架が握られていた。片方は赤い宝石、もう一方は青い宝石が埋め込まれている。
「この子のぉ〜意識ぃ〜身体からぁ〜切り離しましたぁ〜」
「意識を、切り離した?」
「人格が二つに分離してしまっていて、後天的に生じた意識の方がそれを知ってしまったがゆえに、不安定になった。本来の人格ではないから、いずれは消えるべき存在かもしれない。そういった不安に苛まれ、衰弱していった。あたしはそう聞いたわ」
最初は完全に二つの人格が分離してしまっていたが、最近は相互に影響を及ぼすようになっていた。そのため、本来の人格の方も、このままの状態ではまずいと感じているようだった。
「自分がサブだという思い込みをなくすには、別人格から完全に切り離す必要がある。けれど独立した二つの人格ではなく、あくまで一人の人格が分離しただけ。肉体に意識が宿ったままでは、切り離すことはできないわ」
「じゃあ、まさかその十字架は……」
「ご想像のぉ〜通りぃ〜」
「かつては悪魔祓いの際、悪霊を封じるための手段だったのだけれどね。その十字架の中に、それぞれの意識が眠っている。首から提げてあげれば、目を覚ますわ。二つを同時に提げると身体の中に戻ってしまうから、気をつけて」
真司の判断で、どっちのヴェルリアを起こしておくかを決めなければならないということである。
「あと、さっきも言ったけど、これはあくまで応急処置よ。いずれは十字架の力は失われ、意識は元の身体に戻る。だからその間に、ヴィクターの居場所を探すのよ」
そして、彼女は告げた。
「今日は出払ってるけど、F.R.A.G.の技術局長、ギルバート・エザキに会ってみなさい。変態科学者と言われてるけど、ヴィクターの指導教授だった男よ。居場所は多分知らないけど、ヴィクター・ウェストという人間についてより詳しく知ることはできるでしょう。そうすれば見えてくるものもあるかもしれないわね」
ただし、とエルザが付け加える。
「ヴィクターを探すにしても、できる限り急いだ方がいいかもしれないわ。彼はこの世界のバランスを崩しかねない存在。彼を葬ろうと動いている者もいる。ジャンヌちゃんも教会の『執行官』として、彼を追ってるし」
「彼はぁ〜神に背いてますからぁ〜クローン人間だってぇ〜生命の創造ですよぉ〜人が人を造るなんてぇ〜そんな神への冒涜ぅ〜許しちゃ〜おけませんからねぇ〜」
「ちなみにジャンヌちゃん、こう見えてとっても強いわよ。『聖歌隊』の第四位だけど、はっきり言ってイコン乗らない方が圧倒的に強いくらいだから」
「パートナーさん助けたかったらぁ〜急いでぇ〜下さいねぇ〜うっかりぃ〜鉢合わせたらぁ〜断罪しなくちゃ〜なりませんからぁ〜」
えへへ、と笑うジャンヌ。
ひとまず本来の人格の方のヴェルリアを起こし、改めてエルザの方を見やった。
「色々ありがとうございました」
「感謝の言葉はいらないわ。それに、あなたにとって本当に重要なのはここからなのだから」
真司はエルザに深々と頭を下げ、校長室をあとにした。