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【十一 電離崩壊の小嵐】

 南の街門で、ひとつの戦いが終局を迎えた。
 二百を超える超高熱レーザーで破壊の限りを尽くしていたスナイプフィンガーが、遂に倒されたのだ。
 だが意外にも、とどめを刺したのは歩ではなく、敬一のパワードスーツであった。
 トライアル・ヴェロシティ反応を発現させた歩は、確かにスナイプフィンガーにとっては最大の脅威と化したのだが、肝心の歩自身が戦闘能力に乏しく、ほとんど決定打らしい一撃を加えることが出来なかった。
 そこで動いたのが、敬一であった。
 歩の能力で速度や防御力が格段に落ちたスナイプフィンガーならば、十分に勝機はあると踏んだ敬一が、歩にばかり警戒を向けていたスナイプフィンガーの虚を衝き、ほとんど一撃で仕留めたのである。
「あ、ありがとうございますっ! 本当に、どうすれば良いのか困ってました……!」
 頭をぺこりと下げる歩に、敬一は寧ろ、狼狽していた。
「いや……礼をいうのはこっちの方だ。あんたが来てくれなけりゃ、俺達は確実に全滅していたよ」
 パワードスーツを脱ぎ去り、歩の前で小恥ずかしそうに頭を掻く敬一だが、彼の言葉には決して偽りは無く、歩が来てくれなければ本当に全滅は免れなかった。
 淋とコンスタンティヌスもパワードスーツから離れ、歩に礼を述べる為に、足早に近づいてきていた。
 歩は相変わらず、困惑の表情でふたりから称賛の言葉を受けていたが、その一方で敬一は、大破したパワードスーツを眺めながら、ひとり心の中で溜息を漏らしていた。
(敵の情報をほとんど仕入れなかったが為に、このザマか……軍人探偵失格だな、こりゃ)
 勝てば官軍、結果オーライ、などと片付けて良いことではない。
 敬一はもう一度、はにかんだ笑みで照れくさそうにしている歩を見た。
 感謝の言葉を並べる列に、淋とコンスタンティヌスに加え、レギーナまで足を運んできていた。歩はただただ困惑する一方である。

     * * *

 中央広場での激闘にも、いよいよ終止符が打たれようとしていた。
 マーダーブレインの圧倒的な戦闘能力に手を焼いていたコントラクター達であったが、その後に増援として駆けつけたエース、美晴、あゆみといった面々が火力を増強する形で参戦した為、遂にマーダーブレインにも電離崩壊が訪れたのである。
 長い戦いだった――この場に居る全員が、感慨にも似た感情を胸の奥に抱いている。
「やっと、決着した、か……」
 どこか寂しそうな面持ちで、エヴァルトが風の中で小さく呟いた。
 彼は決して、マーダーブレインに対して哀悼の意を抱いている訳ではない。その意識が向けられているのは、マーダーブレインによって弄ばれた、盲目の幼い命に対してであった。
(ミリエルさん……喜んで、くれるだろうか……)
 輝く粒子となってその巨体が空間中に崩壊していく様を、エヴァルトはぼんやりした面持ちで眺めている。
 そのすぐ隣では、美羽とコハクが、随分と疲れた表情を浮かべていた。
「これで本当に終わり、だよね……」
「うん、多分……」
 美羽もコハクも、まだ信じられないといった風情ではあったが、しかしこの場に居るコントラクター達は間違いなく、マーダーブレインの打倒に成功したのである。
 この事実は、決して嘘でも間違いでもなかった。
「はいはーい! 皆さんお待ちかね、肉まんタイムだよ〜!」
 どこかしんみりした空気が漂い始めたのを、あゆみの明るい声がものの見事にぶち壊してくれた。
 カイとベディヴィア、加夜といった辺りは苦笑しながらも、あゆみが振る舞う肉まんを素直に受け取っていたのだが、ひとりエースだけは、少し変な顔を作っている。
「どうか、したのか?」
 怪訝な表情でカイが疑問を投げかけると、エースは全くどうでも良い台詞を口にした。
「いや……マダム厚子に聞いた話だと、大阪では肉まんというよりも、豚まんという呼び方の方が一般的だってことらしいんだ。本当かな、なんて思ったりしたんだけど」
「……本当に、どうでも良いお話ですね」
 肉まんを頬張りながら、加夜は小さく苦笑した。
 その間も、あゆみとおなもみが他の面々に、肉まんを配って歩いている。
 半ば感傷にひたりかけていたエヴァルトなどは、いきなり手渡された肉まんに度肝を抜かれたらしく、目を白黒、ではなく赤白させて狼狽していた。
「あら、かわいいお嬢さんね。それに美味しそうな肉まん……遠慮なく、頂くわ」
 リリアの妙に扇情的な視線が、これまた変な空気を作り出そうとしている。
 強敵マーダーブレインを打倒したという感傷は、最早ものの見事に砕け散ってしまっていた。

     * * *

 そして、ほぼ同じ時刻。
 東の街門外広場でも、スカルバンカーが声無き断末魔をあげようとしていた。
「や、やった、よ……」
 最早疲労困憊、立つことすらままならないといった様子で、セルファがその場にへなへなと力無くへたり込んだ。隣では真人が、片膝をついたままの姿勢で激しく息を乱れさせている。
「いや、正直、かなりギリギリでしたね……もうあと少し粘られたら、危なかったですよ」
 疲れ切っているのは、真人やセルファだけではない。
 ルカルカとダリルのふたりも、珍しく大の字になって仰臥している。
 カルキノスと淵はまだ体力的に余力は残っている方だが、主力として戦ったルカルカとダリルの消耗は、思った以上に激しかった。
「なぁダリル。人工解魔房の起動操作は、出来そうか?」
 いささか不安げな表情で、淵がダリルの端正な面を覗き込んだ。
 ダリルは、幾分残念そうに眉根を寄せて、弱々しくかぶりを振る。
「出来る……といいたいところだったが、流石に無理だ。当分は、動けそうにもない」
 この時ダリルは、悔しそうな色を瞳の奥に滲ませた。
 対する淵は、ダリルのそんな表情に、安堵の念を覚えた。
(どうやら……いつものダリルに戻ったようだな)
 戦闘中はダリルがいつ、変な方向に精神が歪んでしまうのかと気が気でなかった淵だったが、今のダリルはいつも通り、冷静な分析官であり、技術屋でもあるという面を見せている。
 そこへルカルカが、必死に状態を起こしてぜぇぜぇと苦しげな息を漏らしながら、淵とカルキノスに指示を出した。
「代わりに、ギブソンさんに起動操作をお願いするように、いってきて。多分この街に居る面子の中じゃ、あのひとがダリルと同じくらい、詳しそうだし……」
「分かった。ルカとダリルは、ここでもう少し倒れてろ」
 いうが早いか、カルキノスが素早く街門内側方向へと去ってゆく。
 一方、他の面々とは異なり、未だ十分な余力を残している唯斗は、すっかり腰が砕けてしまっているザカコ、ヘル、或いは朱鷺といった面々を、不思議そうに眺めていた。
「そんなに、疲れているのか?」
「えぇ、まぁ……」
 答えながらザカコは、光粒子と化して大気中に霧散してゆくスカルバンカーの残骸を、どこか感慨深げな目線で追いかけた。
「恐らく……コントラクターとしての能力を使うか使わないかで、この疲労度合が異なるのでしょう。オブジェクティブは、こちらの脳波とも微妙にリンクしているようでしたから、コントラクターとしての能力、即ち脳波をより多く使えば、それだけ消耗も早まるのでしょうね」
「成る程……だから唯斗さんは、けろっとしていらっしゃるのですか」
 朱鷺はようやく謎が解けたといった様子で、唯斗の元気そうな立ち姿を見上げた。
 それから、しばらくして――スカルバンカーだった電子の結晶は、風に吹かれるようにして、完全にこの世界から姿を消した。

     * * *

 更に十数分が経過して、ラーミラ達を乗せた移動劇場と輸送トラックが、デラスドーレの街に到着した。
 既に受け入れ態勢を整えていた美晴やエージェント・ギブソンといった面々が、アヤトラ・ロックンロールの包囲網を突破してきた猛者達を迎え入れ、早速、地下のヴァダンチェラへと誘導してゆく。
 ラーミラとラムラダは、揃って緊張に強張った表情を浮かべていたが、ここまで来た以上、最早四の五のいっている場合ではない。
 先般、UBFがデーモンワスプを倒して手に入れた無限機晶器は、人工解魔房の動力源としては二回、起動させるのが精一杯であるという。
 このうちの一回分を、ラーミラ体内の魔導暗号鍵摘出に用いるが、もう一回は、グラキエス体内の狂える魔力の核の摘出に使おう、という話になっていた。
 そしてその摘出順であるが、人工解魔房の起動試験を兼ねて、先にグラキエスの方から処置を施す運びとなった。
 大勢のコントラクター達が固唾を飲んで見守る中、グラキエスに対しての人工解魔措置が施された。
 作業自体はものの数秒で完了したが、肝心のグラキエスはというと、人工解魔房から運び出された際に、妙な表情を浮かべていた。
「おい、グラキエス……大丈夫なのか?」
 ロアが不安げに尋ねると、担架に横たわるグラキエスは不思議そうな面持ちで、小首を傾げた。
「えっと……君は、誰だい?」
 グラキエスのそのひと言で、彼の周囲はたちまちのうちに空気が凍りついた。
 狂える魔力の核を摘出することには成功したが、その代償として、グラキエスは魔力の暴走以前からの記憶をほとんど失ってしまっていた。
「な……何ということだ……」
 ゴルガイスが、その場にがっくりと崩れ落ちる。
 グラキエスはロアはおろか、ゴルガイスやエルデネストの顔も忘れていた。
 ただ、精神的な繋がりは失われておらず、コントラクターとしての契約は尚も続いていたのが不幸中の幸いであった。
 そんな中で、エルデネストは妙に淡々とした表情を浮かべながら、グラキエスにそっと顔を寄せた。
「グラキエス様……お忘れになられたとおっしゃるのであれば、それはそれでも構いません……また一から、関係を築いて参りましょう」
 エルデネストのその言葉に、ロアははっと面を上げた。
 グラキエスがロアの記憶を失ったというのであれば、再び思い出を作っていけば、それで良い――絶望と希望は紙一重であると、誰かがいっていたような気がするが、今がまさに、その時であった。
「そうだ……グラキエス。また一緒に、友情を育んでいこう……」