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ツァンダを歩く

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ツァンダを歩く

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 ツァンダの人ごみの中で立ち尽くしている佐野 和輝(さの・かずき)アニス・パラス(あにす・ぱらす)は頭上に存在する太陽にそっと目を細める。その輝きに目がくらみそうになると、どうして自分がここにいるのかを疑問に抱いてしまう。
 和輝のすぐ隣にはこれ以上ないほどに密着しているアニスが彼の腰に手をまわしていた。
「こう買い物が終わると、お腹がすいてきたな」
「……」
 アニスの沈黙はこれ以上ないほどに雄弁に、和輝の胸に響く。買い物のためにツァンダに来た二人は、ルシア達のリポートに捕まったのが数分前。リポートに巻き込まれようとそそくさと退散しようとしたのが裏目に出たらしい。二人立ち尽くす前で、ルシアの気分は反比例的に上昇していた。
「はい。次に現れたのは佐野 和輝さんとアニス・パラスちゃんです。果たしてこの私をどこに連れて行ってくれるのでしょうか?」
 すっとマイクを差し出されると、和輝ははにかんだ笑みを見せる。本当なら買い物が終わったと同時にツァンダを後にするはずだった。しかし見つかってしまったものはしょうがないだろう。そして何よりお腹がすいているのは事実だったのである。
「それじゃあどこか食べにでも行こうか。ついてきてくれ」
 その言葉を待っていたように、ルシアは飛び跳ねた。もうツァンダの昼は始まっていて、さんさんと降り注ぐ陽光はツァンダの街を白く塗り替えていた。
 アニスは自分の来ているローブのフードを深くかぶる。紫色の自分の髪は二つにまとめられ、肩から胸の前に垂れ流されている。その流れに目を這わせると、自分の足元にまで行き着いた。
 気づかれないように和輝の様子をうかがう。和輝とルシアはずっと会話を続けている。ここにいた理由や、ツァンダのどこが好きなのかを聞かれていた。和輝は愛敬笑いを振りまきながら、ルシアの質問に淡々と答えている。
 取材に協力することは避けたかった。あのマイクが、あのカメラのレンズが自分を覗こうとしている。そのたびに彼女は背筋をなぞられるような寒気を味わうのである。今は渋々とついて行っているものの、本当なら今でも帰りだしたいと叫びたかった。
 きゅっと唇を結ぶと、和輝の手のひらを握りしめる。和輝の手のひらのぬくもりに触れると、その不快な気持ちから自分を遠ざけることができた。
 和輝は、表情ではどこか困った顔を作るものの、アニスの手を包み返す。
「よし。ついたぜ。ここが、俺が連れて行きたかった場所だ」
 アニスが顔をパッとあげると、驚きのあまり息をのむ。ルシアが首をかしげて、和輝の顔を覗き込んでいた。
「ラーメン屋ですか?」
「もちろんラーメン屋だ。とりわけ人目を引くようなものはないな。知っている人しか知らないだろう。
 だけどおいしいとかおいしくないとかは別にして、ここにしかない特別な味があるぜ。何が特別なのかは入ってみるまでのお楽しみだ」
 暖簾をくぐると、店主が歓迎する。慣れた足取りでカウンター席に座るとラーメンを注文した。ルシアはあたりを見回す。ごくありふれたラーメン屋の内装だが、一つだけ目立った点があることを気づいていた。
「この柑橘類みたいな香りはなんですか?」
「ラーメンといったらガッツリな食べ物だと思われそうだけど、このお店では女性向けのサッパリとして食べやすいラーメンが用意されている。その隠し味みたいなものだ」
 数分後に和輝が説明したラーメンが登場する。酸っぱいけれど仄かに甘いものを連想させる香りが一際強くなる。透明なスープの中に蓮華を浸し、香りと味を同時に楽しむようにルシアはゆっくりと口に含ませる。
「おいしい。これならいくらでも食べられますね」
「まぁな。そのために連れてきたのだからな。役に立てよかったよ」
「和輝さんはまだ食べないのですか?」
「猫舌でね。もうちょっと冷ましてから食べるよ」
 ルシアの嬉々とした声がラーメン屋の雰囲気を柔らかくしている。その雰囲気に後押しされて、その場にいる皆の箸が知らず知らずのうちに進んでいく。
 アニスも箸を持って、自分のラーメンが訪れるのを待っていた。フードで目線は見えていないが、小さな唇は緩やかな弧を描いている。
 和輝が注文をした際に、彼女はこっそりと同じものを店員に注文していた。ここに来る前にまとわりついていた鈍重な気分は抜け落ちていた。
 このラーメン屋はアニスにとってお気に入りにお店だった。そこに連れて行ってくれた和輝への感謝の思いを胸の中で唱えると、同時にラーメンがアニスの前に姿を現す。アニスは箸でそっと麺を一本つまむと、それをチュルチュルと吸い始めた。
「けれど、ここまで食べやすいとどんどんと箸が進みますね。太っちゃいそうで困っちゃいます」
「そういうのを気にしているのか?」
「少しだけです」
 ルシアはあっというまにラーメンのどんぶりを空にする。空っぽのどんぶりを抱えながら、満開の笑顔を作った。その笑顔はルシア自身だけではなく、周囲にいる人にも伝わっていた。テレビのリポートとは無関係な、彼女の心の内からの感情だったからこそ、広く強く伝わったのだろう。
「とてもおいしかったですね。テレビの前の皆さんも機会があれば、是非ここに訪れてみてください。佐野 和輝さんでした」
 拍手に包まれる中、不器用な笑みを作る和輝の影で、せっせとラーメンと格闘しているアニスの姿がかすかに映っていた。
 そしてルシアの隣に一人のスタッフが歩み寄る。ルシアにそっと耳打ちをすると彼女はおっと言うように驚きを浮き彫りにさせた。
「外にペガサスが? なんと私を待っていたということですか? これは面白そうな予感がしてきたわ。すぐに行ってみましょう!!」
 ルシアが号令をかけると、テレビのスタッフたちは店内から吐き出されるように出ていく。細部まで指令が行き届いた彼らは瞬く間に消えて行った。後には嘘のような静寂が包まれて、和輝は肩に疲れを感じていた。しかし心地よい疲れだと自分のラーメンを見ながら、ほっと頷く。
 ルシアが出て行ったのを見届けた後に、和輝はアニスの様子をうかがう。まだラーメンを相手にしているアニスは和輝の視線を察知して、顔をパッとあげた。
「うにゅあ〜。美味しい〜」
「アニス。口元が汚れているじゃないか。もうちょっと丁寧に食べろ」
 和輝がそう指摘すると、アニスは覗き込むように顔を上に向ける。前髪がはらりと揺れて、彼女の赤い瞳が露わになる。その目がその汚れを拭いてほしいと語っていた。
「全く、カメラのレンズにもそそくさと隠れてばかりで、俺にばかり面倒なことを押し付けやがって」
 そう悪態をつきながら、和輝はアニスの口を拭いていた。悪態は尽きることがないが、アニスの汚れは徐々に拭い去ってゆく。ラーメンはまだ残されているので、二人はもう少しここに残るつもりなのだろう。