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聖麺伝説

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聖麺伝説

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<part2 豪食竜ジロー>


 シャンバラとコンロンの国境に近い、麺麺渓谷。
 切り立った山に挟まれたその谷には、透明感溢れる清水が広い川となって走っていた。川沿いには青々とした夏草が生い茂り、蛙の合唱が流れている。
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は川原にカセットコンロをぽいぽぽぽいと並べていった。ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)がカセットコンロに鍋やフライパンを載せていく。
「……なにするの?」
 佐野 実里(さの・みのり)が小首を傾げた。
「じゃーん! これっ!」
 美羽は登山用のどでかいザックから、モヤシの大量に詰まった袋を取り出す。
「やるんだよ! モヤシ祭! たっくさんモヤシ料理を作って、ジローちゃんをおびき寄せるの!」
「なるほど……。うん、いいかもしれない」
 実里は小さくうなずいた。
 ベアトリーチェが二つの鍋を同時に振るい、モヤシ炒めと豚バラモヤシを作っていく。しかもその隣ではラーメンのスープが煮立っているというマルチクッキングだ。
「実里さん、麺をお願いできますか?」
「……了解」
 実里はザル型強化光条兵器に生麺を入れ、煮立った鍋に浸した。麺が茹で上がると、ザル型強化光条兵器を軽やかに振って湯切りする。
「はいはーい! ここにどぼんとね!」
 美羽がラーメンスープの注がれたどんぶりを差し出し、実里が麺を投入した。美羽は麺の上にモヤシを山のように盛りつけ、どんぶりを折り畳みテーブルに置いておく。
 立ち上るモヤシの匂いに惹かれたのか、遠くからひび割れた鳴き声が響いてきた。派手な羽音。五階建てのアパートよりも大きなドラゴンが、よだれを垂らしながら現れる。豪食竜ジローだ。
「こっちだよー! おいでおいでー!」
 美羽はモヤシ炒めの皿を頭上に掲げてぴょんぴょん跳びはねた。
 予想以上にドラゴンが大きくてびっくりしたが、怖がってはいられない。実里おすすめのラーメン屋に行くのを、ずっと楽しみにしていたのだ。なんとしてでも麺屋一流斉を救出して、実里と一緒に絶品ラーメンを楽しみたい。
 耳の割れるような鳴き声と共に、豪食竜が急降下してきた。美羽はモヤシ炒めを放り投げると豪食竜の懐に潜り込み、ギガントガントレットをはめた拳を腹部にえぐり込む。
 豪食竜が叫び声を上げて舞い上がった。口にはモヤシを幾らかくわえている。そしてその腹から、『ぎゃあああ』と初老の男性らしき悲鳴が漏れた。
 実里がじぃ……っと美羽を見る。
「……お腹を殴ったら、麺屋さんまで死んでしまうのでは」
「……てへ!」
 美羽はぺろっと舌を出すほかなかった。


「んー、まぁ麺屋のおっちゃんが腹ん中生きてたっちゅーことが分かっただけでも儲けもんやろ」
 瀬山 裕輝(せやま・ひろき)は美羽たちの様子を見て言った。手近なところにいる弥涼 総司(いすず・そうじ)に話しかける。
「なあ。あんちゃんも麺屋のおっちゃんを助けに来たんか?」
 総司は苦々しげにうなずいた。
「ああ。料金以下のクソマズイラーメンを出されたもんでな、店員を締め上げて一流斉のことを聞き出した」
「まりーニアンナ酷イモノ食ベサセタ竜、絶対ニ許サナイデス……」
 ロドペンサ島洞窟の精 まりー(ろどぺんさとうどうくつのせい・まりー)は翡翠の瞳をギラギラとたぎらせている。
 裕輝は肩をすくめた。
「そか。オレは別件や。殿下貴賓ってとこからドラゴンの食材採ってきてぇなゆわれてな。ぶっちゃけ麺屋のおっちゃんはどうでもいいんやけど、ここは共闘しよやないかい」
「共闘……?」
 総司が眉間に皺を寄せた。
「せやせや。まぁオレは一人でもドラゴンくらい倒せるけど、親切やから人が無駄死にするのは見てられへんねん。手ぇ貸したるわ。オレがドラゴンの鼻っ面に第一撃を喰らわせるから、あんちゃんらは隙を見て足下に潜り込むんや」
「……別に構わないよな?」
 総司が視線をやると、まりーは何度もうなずいた。その目は上空の豪食竜を強く睨んでいる。
「交渉成立、やな! ほないくで!」
 そう言っているあいだに、豪食竜がやって来た。大きな翼が旋風を巻き起こす。頭が裕輝目がけて突っ込んでくる。裕輝は総司とまりーを振り返って親指を立てた。
「見ててや。オレのビューティフルでスペシャルな戦いぶ――」
 豪食竜が裕輝を一口で呑み込んだ。喉の奥に消えていく裕輝の悲鳴。豪食竜は満足げに空へと舞い上がる。
「……」
「……」
 総司とまりーは沈黙した。あれだけ格好いいことを言っておきながら、一瞬で食われるとは。一部始終を動画に撮っておきたかったぐらいだった。


 瀬乃 和深(せの・かずみ)は看破のメガネで豪食竜を観察した。豪食竜は遠吠えのような鳴き声を響き渡らせながら、上空を悠々と旋回している。
「腹の装甲が他のとこよりは少しだけ弱くなってるみたいだな。そこを狙うぜ」
「はい。お供します。背中はお任せください」
 上守 流(かみもり・ながれ)は凛とした眼差しで和深を見つめた。
 志位 大地(しい・だいち)はそれを微笑ましげに眺めながら申し出る。
「では、俺がサポートを引き受けましょう。お二人は存分に戦ってください」
「ありがたい。頼んだぜ」
 和深は軽く頭を下げた。ドラゴンスレイヤーの柄を固く握り締める。
 竜退治といったらこれだ。いくら相手が驚異的な回復力を誇る化け物とはいえ、天敵なら少しは効果があるだろう。殺そうとまでは思わない。殺したら今後の食材が採れなくなるから。奴の巨体から、ほんのわずかでも肉をそげればいいのだ。
「お二人さん、来ますよ!」
 大地が注意を促した。
 豪食竜が頭から落ちてくる。大地は煙幕ファンデーションを中空に放った。白い煙が雲を成し、豪食竜の視界が刹那奪われる。
「今です! 背後に回り込んでください!」
「うおおおお!」
 和深はドラゴンスレイヤーを振りかざし、なんのためらいもなく豪食竜の正面に突撃する。流はその後ろを影のようにぴったりとついていく。
 当然の結果として、豪食竜は二人を完全に捕捉してむしゃぶりつこうとしてきた。ねばっこい唾液が陽光にきらめきながら二人に降りかかる。
 大地は呆れる。
「む、無茶な攻撃を!」
「無茶でもなんでも構わない! 美味しいところは俺がもらうんだ! いろんな意味でな!」
 和深はこんな危機にあるのに、笑っていた。それは精一杯の強がり。あるいは、戦闘のスリルが楽しくてたまらないのかもしれない。
「まったく、仕方ありませんね!」
 大地はインフィニティ印の信号弾を放った。信号弾が豪食竜の顔面にぶち当たり、強烈な閃光に豪食竜の網膜が焼かれる。豪食竜は大きくうめきながら頭を振り回した。
 そのあいだに和深が豪食竜の腹の下に潜り込む。
「うらあ!」
 ドラゴンスレイヤーで腹部を横薙ぎ。激しい金属音を鳴らして刃沿いに火花が散る。が、傷すらつかない。和深の手に痺れが来るだけ。
「オレたちも行くぞ!」
「デス!」
 総司とまりーも豪食竜の足下に飛び込んだ。腹を攻撃している和深の横を駆け抜け、豪食竜の後ろ肢の下に到達する。そこには超巨大なゴールデンボールが存在していた。
「くそっ、オレが負けた……だと!?」
 なにやらショックを受けている総司は放って置いて、まりーは両の拳をがつんと打ち合わせる。肘を後ろに引き、マズイラーメンを食わされた怨念を込め、
「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ……」
 ゴールデンボールをひたすら連打する。
『アギャン! アギャン! アギャアン!?』
 豪食竜のあられもない悲鳴。ちょっと艶が混じっているような感じがするのは総司の気のせいだろう。
「お前も男ってわけか……」
 感慨深げに鼻の下を擦った総司の視界に、別のドラゴンが映った。
 子犬ほどの、小さな小さなドラゴン。若干離れて空を旋回しながら、心細そうにこちらを眺めている。
 ――お兄ちゃん。パパのゴールデンボールに酷いことしないでぇ……。
 総司には、小さなドラゴンの女の子がそう呼びかけているのが分かった。いや、完全に総司の思い込みだし、女の子だというのも総司の直感なのだが。
「おい、もういい」
 総司はまりーの肩に手をかけた。
「ナンデスカ!?」
 まりーは総司すら殺しそうな形相で振り返る。総司は幾分気押されながらも諭した。
「こいつだって家族がいるんだ。復讐は十分に果たした。帰るぞ」
「ムー、マダ殴リ足リナイノデスガ……」
 まりーは不満そうにつぶやきつつ、総司の後について豪食竜から離れていく。
 総司は小さなドラゴンに背中を向けたまま、ダンディに手を振った。
「ドラ娘ちゃんと達者に暮らせよ、豪食竜ジロー。そして大きくなったら人間に変身してパンツを見せに来いよ、ドラ娘ちゃん」
 小さなドラゴンは感謝するかのように一声鳴いた。

 和深は豪食竜の腹に斬りつけ続ける。が、肉はもちろん皮さえいまだに削げない。そうこうしているあいだに、網膜の細胞を回復させた豪食竜が和深を呑み込もうとしてきた。
「和深さんっ!」
 流が和深の肩を背後から引っ張り、すんでのところで豪食竜の牙を避けさせる。
「よし、いいぞ流! そのまま俺でこいつを殴れ!」
「はい!」
 流は和深の指示に従い、彼の体をぶんぶん振り回して豪食竜に襲いかかった。
「そこに愛はあるのですかー!?」
 大地は仰天しながら豪食竜の目に矢を連射して視界を阻害する。
「これが! 俺たちの! 合体攻撃だ!」
 流が和深を振り回す遠心力。それに和深がドラゴンスレイヤーを振る力が加わり、相乗して、強大な斬撃が繰り出される。
 ドラゴンスレイヤーの刃先が、豪食竜の頑強な外皮に食い込む。人参の皮のように削がれる。
「もらった!」
 和深はさらに斬りつけ、削いだ外皮を切断した。豪食竜は地響きを立てて地を蹴り、空へ飛び立つ。
 流が和深を地面に降ろした。肩で息をする二人に、大地が仙人の豆を投げて寄こす。
「さあ、これを。敵はまだまだ元気ですよ」
 二人は仙人の豆を口に放り込み、噛み砕いて上空を睨んだ。