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デート、デート、デート。

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デート、デート、デート。
デート、デート、デート。 デート、デート、デート。 デート、デート、デート。 デート、デート、デート。 デート、デート、デート。

リアクション


●Your Sweetness

 すらりと長い二本の脚が、ウォータースライダーの階段を昇っていく。瑞々しいその肌は、秋月 葵(あきづき・あおい)のものだった。
「やっぱり定番のウォータースライダーに期待しちゃうね!」
 ジェットコースターが上り坂を進んでいる気分だ。すごく緊張する。浮き輪なしでも少しは泳げるようになったとはいえ、まだ葵にとって水泳は鬼門だ。今日だって高飛び込みは早々にパスすることに決めていた。けれどウォータースライダーだけは……それも強烈なスピードのものではなく、比較的ゆるやかなしかもカップル用であれば試してみたいのが乙女心というものだ。
 そんな葵に寄り添う少女の姿があった。ワンピースではあるが大胆に胸元にカットの入ったセクシー度高めの水着だ。彼女はエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)、この水着は……いや、葵のビキニを含め、本日のコーディネートはすべて、彼女が定めたものだった。葵の世話を焼くのが楽しくて仕方がないのだ。今日は開始早々、水着を葵に褒められていい気持ちだった。
「葵ちゃん、怖くないですか?」
「怖くないよ……た、多分」
 ゆるやかなレーンとはいえ、一番上まで昇ると結構な高さだ。葵は専用のゴムボートを置いて座る。ちゃんと二人、並んで腰掛けることができるようになっている。あとは床を蹴って、水がごうごう流れるウォータースライダーに身を任せるだけだ。
 怖くないとは言ったものの、葵の胸の鼓動はいちだんと高まっていた。
「あのね……手を離しちゃ駄目だからね……溺れちゃうかもしれないから」
 葵は、エレンディラの手を自分から握っていた。
「葵ちゃん……」
 付き合って長いはずなのに、葵のこういう小動物のような部分を見ると、エレンディラは胸が締めつけられそうになる。手を握られただけで、背中に汗をかくほどに体温が上がった。
 手を握り返す。それだけで、葵の動悸が感じられるようだ。
「大丈夫です。私が付いていますから」
「うん」
「滑り終わったら、プールサイドのカフェに行きましょうね」
「うん」
 それじゃ、いきましょうか――エレンディラの言葉が合図となった。
 二人の乗ったボートは、ウォータースライダーの滝壺めがけ飛び込んだのだ。
 跳ねる水、こだまする声、スピード、風。
 しっかりと手を握り会いながら、エレンディラと葵はその喜びをわかちあった。
 
 数分後。
 金魚鉢ほどもあるグラスは一つ、カーブを描くストローは二本、そんな状態で葵はエレンディラと、カフェでのトロピカルドリンクを楽しんでいた。ドリンクにはフルーツがふんだんに添えられている。南国の海よりも青いブルーは目にも鮮やかだ。
 ふと葵は、松葉杖で歩く少女が入ってくるのを見た。
「あの子……?」
 真っ黒な髪をした美少女だ。長い睫毛に大きな瞳、正直、少し見とれてしまった。スポーティな黒い水着だがこれもよく似合う。知らない顔だがなぜか知っているような気がした。緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)に付き添われていた。声をかけてもよかったが、邪魔するようで悪い気がしたので葵は視線を外した。
 そして彼女は、最も好きなもの――エレンディラの瞳に意識を戻すのだった。
 松葉杖の少女……つまりカーネリアン(カーネ)・パークスは、数ヶ月にわたる車椅子生活から、この数週間で一人歩きできるほどに回復していた。それと同時に、心も開いてくれるようになったと遙遠は思っている。もともと無口だからわかりにくいものの、少なくとも話しかければ返事するようになったのだ。
「カーネ、本当に一人で行けますか? いつでも手を貸します」
「自分で歩かねば……リハビリにならないだろう……」
 まあ、愛想良くなったとはとても言えないが。
 もしかしたら逆かもしれない。唐突に遙遠は思った。巌のようにかたくなだった心が、それでも夏には溶ける万年雪のようにわずかとはいえ和らいだことが、カーネリアンの脚を回復のカーブに乗せたのではないかと。まだ走ったり飛んだりは無理である。しかし、かつて両方ともまったく動かなかった彼女の脚は、海京でのバーベキューを境に左側だけはかなり自由がきくようになった。右側はまだ麻痺が残っている状態ではあるものの立つには不自由せず、触れば感覚が伝わるまでになったという。
 カーネが半仮面を外し、遙遠の世話になるようになってから数ヶ月になる。
 濃く墨を入れたような黒髪、すれ違った十人中十人がはっと振り返りそうな美貌、けれどその目には、ぬぐい去れぬ真冬のような色があった。
 しかし今の彼女を見て、その前身が塵殺寺院製の殺人機晶姫であったと何人が気づくだろうか。
「遥遠、お手数かけました。カーネの着替え……手伝ってもらえて助かりました」
「気にしないでください。それどころか、遙遠がやったらセクハラですものね」
 遥遠はくすくすと笑った。その境遇に同情したわけではない、むしろ遥遠はカーネリアンに、どこか自分と相通じるものを感じていた。だから遙遠が、「カーネが社会復帰できるためのきっかけを見つけられるよう、今は色々なことをさせたいです」とスプラッシュヘブン行きを提案したことに対し全面的に賛成したのだ。
 ほぼカップルのみとなっている施設内を見回し、
「デートなら当然、相手は遥遠ですが……」
 ふと遙遠は呟いた。二人きりですごすべき貴重な時間を、カーネの世話に費やして申し訳ない、そう言いかけた。
 しかし遥遠はその手を、黙って遙遠の手に重ねた。
「……まったくもって自分勝手な遙遠ですね」
 なおも言わんとする彼に、遥遠は黙ったまま首を左右に振り微笑した。
 言葉はいらない、そう告げているのだろう。魂の双子である遥遠ならば、遙遠の気持ちは十分すぎるほどにわかっている。むしろ、カーネのためにここまで献身できる遙遠であるからこそ愛しているとすら、その深紅色の瞳だけで遥遠は語った。
 真に遙遠を理解できるのは遥遠だけだし、その逆も然りだ。
「野暮を口にしました……すみません。では、一緒に楽しむとしましょう」
 そのとき遙遠の口元にも微笑があった。
「ああ、お待たせしました」
 遙遠は顔を上げた。カーネリアンが立ち止まってこちらを見ていた。
「一人では水に入れないですか?」
「入れる」
 ぷいと視線を外すとカーネは、松葉杖をまとめ押しつけるようにして遙遠に預け、おぼつかない足取りながらプールに身を沈めた。
「カーネさん、少し泳いでみましょうか♪」
 遥遠が追って水に入り手を貸すと、
「いらない」
 その手を弾くようにしたものの、いともたやすくカーネの両手は遥遠に握られていた。
「カーネさんは回復の途中、無理をするものではありませんよ」
「……自分は、無理したりしていない」
 という口調がなんだか悄(しょ)げているようで、遥遠にはむしろ微笑ましく感じられるのである。
 弱々しく、それでも、これまでにない力強さで、手を持たれたままカーネは両脚をばしゃばしゃとやった。
 そんな二人を眼を細めて遙遠は眺める。夫が妻子を見守るとき、こんな気持ちがするものだろうか。
 水から顔を上げ、口にしたカーネの言葉を、このとき聞くことができたのは遥遠だけだった。
 どうしよう、と遥遠は思った。まだ時期ではないのでは、と。それでも、応援はしたいとも同時に感じていた。いずれにせよあとで、遙遠と相談しなければ。
 カーネリアン・パークスはこう言ったのである。
「……これまでのこと、感謝している。本当に」
 しかし、と言い加えた。
「脚は治す。直ったら……今の家を出て独りで暮らしたい」
 と。

 嬉しくないはずがない。
 だって御神楽 環菜(みかぐら・かんな)が、つまり愛する妻が、あの思い出の場所でのデートに誘ってくれたのだ。
 スプラッシュヘブン、二年前の夏の記憶は、今も御神楽 陽太(みかぐら・ようた)の心にはっきりと残っている。
 まだ環菜に憧れるだけだった頃、陽太は二年前のこの場所で、環菜に勇気を出して「俺とデ、デートしませんか?」と誘ったのだ。あの頃の彼は環、菜のことを「会長」と呼ぶことしかできなかったものだ。それなのに環菜が「デート中くらいは、名前で呼んでくれる?」と言ってくれたときの、天にも昇るような気持ちを陽太はありありと思い出していた。
「あのとき以来ですよね……ここに来るの」
「そうよね。なんだか懐かしいわ」
 後ろに控えるのが定位置だったのに、今の陽太は環菜と、同じテーブルで向かい合って座るのがデフォルトになっている。環菜の前には、よく冷えたトロピカルドリンクがあった。陽太が運んで来たものだ。もちろん、そのグラスの下には忘れずコースターを敷いていた。(※その理由については本ページを参照してほしい)
「行きましょうか」
 と環菜が言えば、陽太は飛んで行って彼女の椅子を引いた。すると彼の裸の腕に、彼女はするりと腕を巻き付けたのである。まるでそこが、ずっと自分の場所であるとでも言うかのように。
 御神楽夫妻は寄り添って歩いた。さすがに広い施設だけあって、ごった返すような混雑ではないが多数のカップルとすれ違う。
 それでも、と陽太は思う。
 これだけたくさんの女性がいても、環菜ほど美しい人はない……と。
「二年前、このプールで俺、はじめて環菜の水着姿を間近で見ました」
「そうだったわね」
 たぶんそれをわかっているのだろう。今日、環菜はあのときと同じ水着を選んで来ていた。彼女がそれこそ、何十着と水着を持っているのを陽太は知っているから、わざわざそうしてくれたことは明白だ。シャープだが出るところはきっちり出ている環菜の体に、白いビキニは実によく似合う。飾り気がない水着なのにゴージャスな印象を受けるのは、やはり環菜が生まれつき有するカリスマ性に起因するものだろうか。
「……」
 無言で、環菜が頭を陽太の肩にもたせかけてきた。口元に笑みがあった。彼女もまた、二年前の思い出を楽しんでいるようだ。
 環菜が実は甘えたがりの側面をもつことを、知る男性は陽太だけだろう。もちろん結婚しているのだから、ベッドシーツの内側でだけ見せる彼女の表情を彼は知っているし、実はいまだにドキドキしながら、日々の入浴すら共にしている。朝が弱い彼女への目覚めのキスも、今では陽太の大切な役目だ。日中でも屋内ならば、環菜は猫のようにじゃれついてくることすらある。……それだけよく知っている、知り尽くしているくらいのはずの環菜のことなのに、こうして改めてあの日の水着姿を見ると、陽太の平常心は吹き飛んでしまった。
 そう、二年前のあの日のように。
 ノーメイクでも美しい環菜は、水に入ることをいとわない。黄金の髪をした水の妖精のように、ためらいなく飛び込んでばしゃばしゃと彼に水をかけてきたりする。動くたびに髪が揺れる。白いうなじが、胸元が、彼を誘うように見え隠れする。健康的な美しさとは、なんと扇情的なものなのか。
「ほら、どうしたの? 泳がないの?」
「泳ぎます泳ぎますけど……」
 同じく水に半身ひたりながらも、陽太のほうはずっと動きが小さかった。いや、ほとんど立ちつくしているといっていい。彼は顔が赤くなっていた。それもそのはずだ。胸の高鳴りは収まらないどころかどんどん烈しさをし、切ないまでに妻を愛しく思う。公衆の面前なので抑えてはいるが、本音では今すぐでも抱きしめたい。乱暴を承知で言うなら、欲しい。
「あの……」
 真っ赤になりながら彼は、妻の耳元に唇を寄せた。
「なんていうか別腹というか、今……ちょっと心が環菜で一杯になってしまってます」
 注釈しておくと陽太は普段は大いに真面目な青年だ。こんなことを言うようなキャラではない……のだが今は特別だ。夏の太陽が言わせているのだ。陽太は、言った。
「こ、今夜は、昼間の水着姿で……というのはダメでしょうか?」
「えっ……」
 その言葉の意味がわからない環菜ではない。
「もう男って、馬鹿!」
 ばしゃと大きく水を、陽太の顔にかけて小声で、
「だったら今日は早めに切り上げて、ちゃんと水着を乾かさなくちゃね……」
 とだけ呟くように言い残すと、
「ほら、だから泳げるうちに泳いでおくのよ!」
 急にクロールで、イルカのように泳ぎはじめたではないか。どんどん遠ざかってゆく。そこで、
「え? 今なんて言いました? 待って下さーい」
 満面の笑顔で、陽太もざぶざぶと水を切りシャチのごとく妻を追うのだった。