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悪魔の鏡

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悪魔の鏡
悪魔の鏡 悪魔の鏡

リアクション

「ひいいいい……! さっきから着信履歴が怖すぎるんだけど……」
 蓮華は涙目になりながら、街を駆ける。
 金(偽)から目を離したのはうかつだった。あっという間にいなくなるとは……。
 バビッチ・佐野のコピーなどに構っているヒマではなかったのだ。
 動物園から逃げ出してくる金(偽)を見つけて大急ぎで合流したものの、今度は別の女連れと来た。
「どうせ逃げるなら、やっぱり車を買って(?)おけばよかったね。カーチェイスとか燃えたのに。愛の逃避行もオツなものよ!」
 サオリンは、金(偽)の背後にぴたりと付き添いながら楽しそうに言う。
 蓮華は困った表情でサオリンを見つめた。
「……あなたって、サオリのドッペルゲンガーよね? 本人、知ってるの?」
「サオリって誰? あたしはサオリンだよ」
「……まあ、いいか」
 蓮華は問い詰めるのはやめた。走りながら肝心なことだけ伝えておく
「金ちゃんは、私が責任を持ってこの町から追い出すわ。あなたも見逃してあげるからどこへなりと行きなさい」
「いやだよ。あたしも金ちゃんと一緒に町を出て山奥で一緒に暮らすんだもん。金ちゃんが木こりになって山へ芝刈りに行って、あたしが川へ洗濯に行くと、川の上流から大きな桃が流れてきて、二人で美味しく食べてめでたしめでたし……」
 サオリンはよくわからないことを言ってから、非好意的な目つきで蓮華を見た。
「あなた、憲兵なんでしょ? あたし、偉そうな官憲なんて嫌いなの。あなただって、結局最後はあたしたちを捕まえるんでしょ。言いなりになるわけないじゃない」
「……そ、そうなんだけど、今日だけは……」
 蓮華は、出来るなら金(偽)に死んで欲しくないと思っていた。もし、二度と悪さをしないと約束するなら、金鋭峰団長の前に姿を現さないと誓うなら……、監視付きでシャンバラ大荒野にでも連れて行ってあげようと考えていた。可能なら、パラ実への転入手続きも取り計らおう……。
 野生で逞しく育った金(偽)もそれはそれで素敵かもしれない……。
「金ちゃん……。もしあなたが更正して立派な木こりになったら、また会いに行ってもいいよね……?」
 蓮華はチラリと金(偽)に視線を投げかけながら聞いてみる。彼は真顔で答えた。
「ヒャッハー!」
「モヒカンだけはやめてね、お願いだから」
 蓮華は苦笑する。こんな時間が、いつまでも続けばいいと思った。
「金ちゃん、ドッペルゲンガーにだってモヒカンにだって、人権はあるのよ。戦おうよ」
 サオリンは憤然と言う。
 だいたい……、どうして自分達は罪人のように追い回されなければならないのだろうか。生まれた所が母胎ではないだけで、ドッペルゲンガーにだってすでに自我が芽生えている。オリジナルの人間と同じように独立した人格を備えているのに、どこが彼らと違うと言うのだ……。確かに性格に問題のある固体も少なくはないが、彼らとて殺人や強盗などの重罪を犯したわけではない。
「あたし、呼びかけるよ! 『立て、ドッペルゲンガーたち! 奪い去られた人権と自由をこの手で掴み取るのだ!』 団結すれば、怖くない!」
 同志を糾合し、ドッペルゲンガー回収作戦に抗議する大規模なデモ・集会を実施すると共に、金鋭峰や李梅琳を人権侵害と権力の不当行使の容疑でパラミタ大法廷へと告発してやる! 
「あたし達は何も欲しがらない。お金も賞賛も権力も地位も名声も強大な魔力も肥大しきった文明の利器も……。ただ、自由が欲しいだけなんだよ。だから……」
「……」
 黙って聞いていた金(偽)の同意の返事はなかった。
 もしかして、反対なのだろうかとサオリンは彼の様子を伺いやる。
「……!」
 一緒に逃げていた金(偽)の身体がぐらりと傾いた。
 どこからともなく閃光が走り、彼に直撃していたのだ。衝撃を受けて、金鋭峰のドッペルゲンガーはその場で大きくよろめいた。
「な!?」
「到着が遅れたことを許して欲しい。言い訳をするつもりはないのだが、ニセモノの事後処理に追われていたのだよ」
 人ごみの間から、ルカルカのパートナーであるダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が姿を現す。彼は、金(偽)の引き起こした事件の誤解を収めに回っていたためルカルカとは別行動だったのだ。
 ダリルは、金(偽)に向けてもう一度ためらうことなく【魔道銃】の引き金を引いた。発射された光線は、狙い過たず金(偽)の胸部を貫いていた。
「くく、やはりな……」 
 満足げな笑みを浮かべたまま、金(偽)はその場に倒れた。
「なっ……!? ちょっと、あなたねぇ、なんてことするのよ!」
 ダリルの後から追いかけてきたルカルカが驚愕に目を見開く。
「そこまでにしておくんだ、ルカ。団長の言葉を忘れたか」
「で、でも……」
 彼女は、言いよどんだ。
「き、金ちゃん!?」
 サオリンと蓮華は、金(偽)に駆け寄る。人の目も気にせず抱き起こすと、まだ息が残っている。
 程なく、彼の傷は見る見る塞がっていった。始終物陰から様子を見ていたスティンガーが【ヒール】のスキルをかけたようだった。
「ありがとう」
 よろりと立ち上がった金(偽)は、サオリンと蓮華に言う。回復してくれたことのお礼だけではなく、思い出の時間をくれたことへの率直な気持ちだった。
「どうやら、俺にはお迎えが来たらしい。そろそろ行くとするか」
 金(偽)は前方を見つめながら言った。
 正面から戦闘準備を整えた複数の人影がこちらに近づいてくるのが見えた。
「待たせて悪かったな。空京の町は人が多すぎるぜ。探し出すのに時間がかかってしまった」
 シャンバラ教導団中尉のトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)は、やっと追いついたといわんばかりに、金(偽)に宣言する。
「せめてもの慈悲だ。苦しまずに消滅させてやるぜ」
 ニセモノによる金団長の不名誉を払拭するため、彼もまた空京へとやってきていたのだった。先手を打って真っ先に金(偽)を見つけ出すことは出来なかったが、もう逃がすつもりはない。間合いが取れる距離まで近づいてくると、いきなり金(偽)に攻撃を仕掛ける。この敵は全力で抹殺しなければならない。
「……むう!」
 金(偽)は生まれたばかりで戦い慣れていないせいか、防御の姿勢をとるので精一杯だった。
「ま、待って! いい加減にしてよ! あたしたちが何をしたっていうの!?」
 サオリンは叫ぶ。やはりこんなのはおかしい。一方的に回収されるだけだなんて……。そんな彼女に、ダリルは銃を向けた。
「私とて理解している。……保健所の職員の心境くらいはな。ああ可哀想に……」
 野良犬を処分するのと同じだ。彼は一切の躊躇なく引き金を引く。
「きゃっ!?」
 悲鳴を上げるサオリンだが、その前に金(偽)が立ちはだかった。
「……ぐっ……!」
 代わりに射撃を受けた金(偽)は、ダラダラと血を流しながらサオリンに微笑みかける。
「……行くがいい、サオリン。大法廷と正義と自由がお前を待っている。同志たちによろしくな」
「イヤだよ。そんなつもりで言ったんじゃないもん! 金ちゃんがいないと戦えるわけないじゃん!」
「いいから行け!」
 戸惑うサオリンを思い切り向こうへ突き飛ばして、金(偽)は不敵に笑った。
「来いよ、国軍の下っ端ども。この金鋭峰さまがじきじきに相手をしてやる」
「上等だぜ、このインチキコピー野郎が! このクソ忙しいのに手間をかけやがって。超勤手当て払え!」
 もちろん、トマスのパートナーのテノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)も黙ってはいない。手伝いで一緒に連れてこられたとあって不満爆発だ。【超感覚】のスキルを駆使して金(偽)の行方を追っていたが、なかなか見つからずにイライラしていたところだった。待ってました、とばかりに攻撃に加わる。
「俸給上げろなんてコピーに言っても仕方がないが、せめて愚痴くらい聞きやがれ、コノヤロー!」
「あれ、テノーリオって給料に不満を抱いていたんだ……? 未熟だね。軍人の報酬は平和な世の中と民衆の安全だよ」
 戦いながらもしれっと言ってのけるトマス。
「中尉の手当て貰ってるからって、調子に乗ってるんじゃねえぞ! 俺だって他人の倍くらいは働いているんだ!」
 テノーリオはぐおおおおっ! と吼える。スキル全開でぶっ放した。
「やめて! 殺すまではしなくていいじゃない!」
 ボコボコにダメージを受け続ける金(偽)の姿を見かねて蓮華が割って入ろうとする。
「その場を動かない方がいいぜ、蓮華君。下手をすると、君は手配犯の逃亡幇助で逮捕されることになる。今だって崖っぷちだと認識したほうがいいんだぞ。李梅琳大尉もご立腹だし、それ以前に、君自身が憲兵科だろう?」
 トマスは表情こそは穏やかだったが、口調には怒りがこもっていた。どうして、普通兵科の自分が、憲兵科の彼女に告げなければならないんだ……?
 なんてざまだ。ミイラ取りがミイラとは……。
 彼自身は憲兵ではないしその威を借りるわけではないが、町を騒がせるドッペルゲンガーの捕獲に積極的であった。団長のニセモノを存在させておくわけにはいかない。それだけに甘い対応に苛立ちを覚えていたのだ。
「そして、今目の前にいる敵がニセモノだと確信できたぜ。本物攻撃しちゃったらどうしよう、とちょっと心配だったが……。言っちゃ悪いが、本物の団長が董蓮華と二人きりでデートまがいのことをするはずがないからだ」
 いい度胸してるなー、とトマスは半眼で蓮華を眺めた。
「……」
 蓮華はその場で凍りついた。トマスが敢えて意地の悪い台詞を吐いているのも、彼女のためを思って金(偽)から引き離そうとしていることくらいはわかっているのだが、どうしていいのかわからないほど迷っていた。
 あんなに仲良くなったのに、もうお別れなんて……。
「蓮華も行け。そして国軍の一員としての責務を全うせよ。事件はまだ続いている」
 金(偽)は、鋭峰と同じ口調で言ってから、笑みを浮かべる。
「楽しかったぞ」
 彼は、そう言うものの、戦闘経験不足のためにせっかくの金鋭峰の能力を上手く使い切ることが出来ずに、やられる一方だ。
「金ちゃん! ……あっ!?」
 助けに飛び出そうとするサオリンを、スティンガーが引き戻す。無駄とは思いながらもむざむざやられるのを見るのは忍びない。
「バカ! 離しなさいよ! 金ちゃんが……!」
「……」
 その彼も【ヒール】の打ち止めと首を横に振った。いくらなんでもMPが無尽蔵にあるわけじゃない。
 ほどなく……。
「……」
 金鋭峰のドッペルゲンガーは、ニヤリと満足げな笑みを浮かべるとその場に倒れた。
「いやああああ! 金ちゃん……!」
 サオリンが目に涙を浮かべて叫ぶ。
 あたりは奇妙な沈黙に包まれていた。
「さて、こちらは終わったわけだが……」
 トマスは動かなくなった金(偽)をしっかり確保すると、ダリルたちの方に視線をやった。
「大丈夫だ。逃げ出したバビッチ・佐野のニセモノはすでに捕まえてある」
 ダリルは、難なくニセ・バビッチの襟首を掴みあげると、大事そうに抱えていた悪魔の鏡を取り上げる。
「うむ……」
 ダリルは、その鏡を興味深そうに眺めていたが、そのままためらうことなく鏡を叩き割った。
 バリン、とガラス片を飛び散らせながら、最初の悪魔の鏡は真っ二つになった。
「これでよし。……さて、次に行くか」
「割ることなかったじゃない。どうしてそんなことするのよ!?」
 ルカルカは文句を言うが、ダリルは取り合わなかった。
「もう一度言うぞ。団長の言葉を忘れたか?」
「……」
 鏡が破壊されたことで、捕らえていたバビッチ・佐野のニセモノと金(偽)の姿が消えていく。もちろん、サオリンもだ。
「……そう、あたしも……か……」
 彼女は、最後に幸せそうな笑みを浮かべた。
「楽しかったよ、金ちゃん。また一緒に遊ぼうね」
「……ああ」
 金(偽)も身体の輪郭がおぼろげになりながら、ふふっと笑った。
「嫌よ、嫌! 消えないで……!」
 蓮華は叫んだ。姿を隠していたスティンガーも彼女の元へとやってきて、そっと肩に手をかけながらニセモノの最後を看取る。
 抱きかかえていた金(偽)の姿が、体重を失っていく。映像のように輪郭がぼやけ、影が薄れていった。
「……うう……」
 蓮華の瞳から涙が零れる。その水滴は、もう金(偽)の身体を通り抜けて地面に落ちた。
「蓮華……。お前の想い……受け取った。……上手くいくといいな……」
 金(偽)は、微笑みながらそう言うと、完全に消滅した。
「忘れない。私、あなたのこと忘れないから……!」
 蓮華はまだ金(偽)を抱きしめたままの姿勢で言う。しばらくそうしていたが、目に涙を浮かべたままキッとトマスとダリルを見つめて、食って掛かった。
「どうしてよ!?」
「頼むから蓮華君……。それ以上言わないでくれ。下手な発言は有力な証拠になることくらい知っているだろう。僕は君が軍事法廷に立たされる姿を見たくない」
 軍命は軍命なのだ、とトマスは答えた。
「僕もダリル君も、何も見なかったし何も聞かなかった。……鏡は破壊され、ニセモノは消滅した。その結果だけで他には何も起こっていない」
 トマスはしつこいくらいに念を押す。
 蓮華がニセモノに感情移入をして肩入れしていたことも、逃亡の手引きをしようとしていたことも、今ならなかったことに出来る。彼の瞳はそう強く訴えていた。
「頼むから、そうしてくれ……」
「誰も責められない。それが彼らの役目でもあり、俺達の役目でもあったんだ……」
 軍人とは因果な商売だ、とスティンガーは蓮華を慰めた。
「わあああああああ……!」
 蓮華は大きく嗚咽を漏らすと、スティンガーに飛びついた。ボカボカと胸を殴りつけながら、声を上げて泣き続ける。
 まだ彼の手の感触が残っているのに……。結局、何もしてあげることが出来なかった……。
「ありがとう、世話になったな……」
 そんな蓮華をあやしながらも、スティンガーはトマスたちに言う。
「後は、やっておくから行ってくれ。……中尉」
「ああ……。任務の遂行、ご苦労だった」
 トマスは、軍帽のひさしを指で少し引き、カツンと靴を鳴らして回れ右する。
「面倒くせぇ……。これだけやってもボーナス上がらないんだもんな……」
 ぶつぶつ言うテノーリオを引っ張って、トマスは去っていく。
「……」
 ほっと一息ついたスティンガーは、蓮華に一枚の写真を渡した。
 それは、隠し撮りしていた彼女と金(偽)の楽しそうな二人きりの写真。
「……またね、金ちゃん」
 その写真を見つめていた蓮華は、ぎゅっと抱きしめて呟く。
「次に会ったときはきっと……」
「さて、私たちも続けよう」
 ダリルも身を翻した。
 ルカルカは、金(偽)が消えた場所を一度だけ振り返る。
「またね、金ちゃん……」

 金鋭峰ではなく、金ちゃん。またどこかで会える気がした……。