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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

リアクション

 祥子が無言で指輪から呼び出した光精が、ぼうっと薄暗い部屋に舞い上がり、レジーナの顔と、そして幾つかの事実を照らし出していた。
 レジーナ・ジェラルディが死んでいること。
 性格の印象を抜きにしてみれば、レジーナとレベッカが、姉妹の枠を超えて瓜二つであること。
 凛は彼女を眺めるうち、ふと、彼女が着けているガーネットの首飾りが妙に気になった。
(何か魔法的な媒介かしら……?)
 慎重に、トップの大粒のガーネットを手に取った。表裏にするが、直接何かの仕掛けがあるようには見えない。
 アナスタシアは短い詠唱をすると、中に込められた魔力を感じ取った。
「これは、初歩の魔法ですわね。取り外されると術者にそれが分かるようになってますわ。それから……魔術の媒体として使用できると思いますの」
「サイコメトリをお願いできませんか? 目に見える以外の事も、何かわかるかも……」
 凛が周囲を見回すと、祥子が胸を叩いて請け負った。
「いいわよ、元々そのつもりだったの」
 そうして祥子が視線を向けたのは――びっくりしたのは、義弘の方だった。まるで泣きそうだ。
 凛はまだ若い白蛇に向かって手を合わせて懇願する。
「お願いします。今は少しでも手掛かりが欲しいの。この方を救う為の手掛かりが!」
「いやだよお……きっと扉をそうした時よりも持っと真っ暗な感じがするよ!?」
 義弘は抗議したが、祥子は諭すように、しかし厳しく言う。
「お葬式みたいっていったイメージをモロに受けることになるでしょうけど、頑張りなさい………。
 あなたに酷いことをしてるって、思うわ。けどね、戦いとは違う陰惨さを受け止められるようになって欲しいし、こうしなきゃ得られない情報がありそうなの」
 義弘は、まだ生まれて一年に過ぎないのだ。彼にとってどれだけ辛いか想像は付いたが、この中で“サイコメトリ”できるのは、彼しかいない。
「後で、他の方にしていただくのでは駄目なの?」
 アナスタシアはそう言いかけたが、義弘は祥子に頷いた。
「うん、怖いけど……やってみるよ……そのまえにお話しして、いい?」
 少しでも恐怖をなくす為か、彼は“テレパシー”で目の前のレジーナに話しかける。と、言っても、年長の祥子の言葉を繰り返したものだったが。
 もう死んでいて、お話しできないのではないか、と義弘は思ったが、不思議なことにレジーナは返事をした。
 未だにたどたどしかったが、それは自らの口を動かすよりも容易だったらしい。
「お名前は?」
(私は……レベッカ……レベッカ・ジェラルディ……)
「レベッカ!? ――レジーナじゃなくて?」
 義弘に翻訳され、祥子は思わず声を上げる。
(……レジーナは……存在……しない……。レジーナと……呼ばれたのは……もう一人の……レベッカが……生まれてから)
 レベッカが、たどたどしく語ったのは、こういうことだった。
 彼女がこんな姿になったのは、三年前、海で溺れてからだという。
 父・ジルドは、レベッカの死に耐えられず、複製体を……クローンを作った。
 それが今「レベッカと呼ばれる姉」である。
 しかし、いくらクローンでも記憶は全く別の人間であることに我慢できず、ジルドは保存していた本物のレベッカの死体に、魂を入れることを思いついた。
 死体のレベッカは、三年分老いていなかった。だから彼女は、表向き、妹のレジーナということになった。
 ジルドは「姉のレベッカ」と自分の三人の前でだけ、彼女をレベッカと呼ぶ。
 彼女を結婚させるのは、ヴァイシャリーの旧家の交易商人なら金銭的に心配はいらず、ヴァイシャリーにいて、夫がほとんど戻ってこないなら、気づかれにくいと。或いは結婚は形だけで、その後の人生が保証されると思ってのこと……だという。
「……貴女の姿とフェルナン・シャントルイユの殺人の嫌疑は関係があるの?」
(多分、秘密を知れば……離婚できなくなる……それに、魂を入れるために必要な薬を……人を殺して、何かにささげて……)
「神……あの闇龍みたいな海蛇ね」
(お父様を……止めて……ください……。私はもう死んでいるんです。生き返らせることはできない。死んでナラカ落ち、浄化されて転生するのがパラミタの理……)
 医神アスクレピオスはその神のごとき医術の技で死者を蘇らせ、神の定めた理に天罰を受けたという。
 錬金術を現す輪廻の蛇ウロボロスもまた、死と再生を象徴している。ジルドはそれに背いたのだ。
 分かった、と契約者たちは約束すると、義弘は次に“サイコメトリ”を彼女のネックレスにかけた。
 次々に、彼女の脳裏に流れ込んでくるイメージが、幼い彼の心を翻弄する。
「義弘、義弘! 大丈夫? できそう?」
 祥子に揺さぶられて、危うく記憶に引き込まれそうになった義弘は、はっと顔を上げた。
「うん……頑張ってみる」
 憔悴し切った顔を上げ、彼は打合せ通り、“サイコメトリ”で得たイメージの映像を、“ソートグラフィー”で空に映す。

 泣き叫ぶジルド。泣き晴らしたジルドが、レベッカの死体にそれを付ける。
 赤く染まる部屋。失敗した“人形”の手足。人形の形。間もなく生まれてきた人形。
 話しかけるジルド。絶望するジルド。死体。儀式。目を開ける“レジーナ”。入れ替わり。
 レベッカを憎々しげに見つめている、レベッカ。
 それから、部屋の記憶が流れ込んできた。
 ――あれはメイドだ、と義弘は思った。儀式だろうか。剣を振り上げて殺している。
 全てのイメージは暗く、黒と、黒に変色した赤と、深い赤の三色に彩られていた。


 祥子はそれをビデオカメラに収めた。
 証拠になるほどはっきりしていないが、事件を知って、見る人が見ればわかるだろう。




 その頃、庭の木陰を渡りながら見回りをしていた一匹の番犬こと狼が、くんくんと鼻を鳴らした。
 風に混じるのは、ここにきて嗅ぎなれない匂いだ。
 匂いの元を探るように見回し、顔を向けたそこに、殺気を感じた。
 彼はぐっと後ろ足に力を込めると、地面を蹴り飛ばして屋敷の外壁を駆け昇っていった。





「会長、危ない!」
 扉の蹴り開けられる音と同時に、舞香は前に飛び出した。メイド服のスカートが広がる――靴の踵が、屈強な男の顔面にめり込んだ。
 よろけた男を、背後の男たちは避けて、扉に殺到する。
 相手が誰なのか、確認するまでもなかった。彼らは手に剣を、体に鎧を、そして殺気を纏っていた。
 ジルドが家を留守にするにあたって、傭兵を雇っていたのだ。その数、十人ほどだろうか。
「……数が多い……ちょっと、長く居すぎたかしらね……」
 扉から先は通さないと、構える舞香の横に、機晶剣を構えたシェリルが並ぶ。
 彼女たちが一戦を覚悟した時だ、廊下から窓の割れる音がしたかと思うと、一匹の狼が神速の如き速さで飛び込んで、男の背後から飛びかかった。
「うわああああっ!?」
 悲鳴を上げるのもお構いなしに、狼の右前脚が、狼とも思えぬ速度で押し倒した男の顔を殴打し、飛び上がってもう一度、切りかかってきた男の顔を打った。
(……血が沸々してるぜ、ずーっと番犬で退屈してたからなぁ……)
 それは、白銀 昶(しろがね・あきら)だった。
 傭兵たちを思いっきり威嚇して怯えさせたいところだったが、人の姿に戻ることわけにも、声を出すわけにもいかなかった。
 何せバレたら、パートナーの北都含め、今後の活動にも支障が出かねない。
(……ま、できるだけやってやるぜ)
 低くぐるぐると唸ると、昶は傭兵に再び飛びかかった。
 そうやって、騒ぎが起きて、戦闘が激化していた時のこと――。


「ふーん、ふふふーん♪」
 この時、清良川 エリス(きよらかわ・えりす)は、鼻歌を歌いながら、一生懸命掃除をしていた。
(今回最低限の人数しか居ないと言う事は、メイドの腕の見せ所! 目指せメイド長!)
 目的と手段が既に入れ替わってしまっているような気がしないでもないが、みんなのさりげないサポートも考えてはいるのだ。嘘じゃない、ほら腰には掃除用にと持ってきた鍵束がじゃらじゃら鳴っている。持ち出せない鍵と、その入ってはいけない場所を照合して。
(それにしても、魔術関係のお掃除って勉強になるわぁ)
 机の上に出しっぱなしにしたら。干からびてゴミ何だかわからないような草の根、葉っぱ、土。細かい器具、複雑な形の道具、割れ物は掃除し辛いことこの上ない。
 一時間でやれ、と言われたら音を上げただろうが、これがメインの仕事ならもう、いくらでも掃除をしていていいわけで。
「ピッカピカやねぇ」
 曇りのないガラス、天井を映す木のテーブル、それらにエリスが大変満足していると、部屋の外でガシャーンという大きな音がした。
「何事どすか」
 モップと箒、バケツを両手に慌てて駆けつけると、見事にガラスが割られて廊下に散らばり、おまけに側では狼と男たちに、女生徒が加わって大騒ぎを繰り広げていた。
 しばし呆として眺めていたエリスだったが、はっと弾かれたように駆け出すと、本能でモップを突き出していた。
「な、な、何してはるんどすか!!」
 エリスは飛びかかろうとする狼と傭兵との間にモップを挟み込むと、睨んでくる傭兵に胸を張って対峙した。
「なんだお前は」
「『お引取りくださいませ』!」
 傭兵の顔に、モップがめり込んだ。スローモーションのように、傭兵がのけぞって廊下に転倒する。
「お前、とは、何どすか! うちはメイドです!! ご主人様の不在を守るんはメイドの役目どす!!
 何やこの騒ぎは、ガラス割っといて、危ないから下がってておくれやす!! 踏んでお客はん怪我しはったらメイドとして恥どすえ!
 おまけに……何や、壁紙に泥ついてんの、これ取るのひと苦労やわ!!」
 この間、微妙に戦闘は続いていたが、皆、演技半分、半ば本気で怒っているエリスの剣幕に押されつつあった。
 彼女はモップと箒の二刀流を、狭い廊下でぶん、振って、互いの爪と剣とを受け止める。
「お掃除の邪魔やわ! お客はんはお客はんらしゅう、お茶でも飲んでっておくれやす!!」
 そうして、エリスはこの場をうやむやにすると、有無を言わせず彼ら彼女らを応接室までずずずーっと押し込んだ。
 来客がほとんどなくて暇なお屋敷だったので、お菓子をお皿に積み上げ、ポットと一緒にどどんと並べると、
「お菓子焼いたんやったわ、どうぞおあがりやす。はいはいこれで喧嘩両成敗、よろしおすなぁ」

 ――ということで、契約者たちはお茶をご馳走されていた。エリスは勿論、後始末をしに戻ったわけである。
 その後、北都や他の使用人たちが集まってきた。不法侵入として通報するかという彼らに、
「不法侵入?」
 ブリジットがふふん、と鼻を鳴らす。
「苗木の強奪で執事が拘束され、当主は慌てて逃亡? しかも姉のレベッカには絵画の窃盗未遂の疑いがかかってるし。
 ……ねぇ、ジェラルディ家はもう終わりよ。ここで、抵抗するなら同罪って見るけど?」
 執事が捕まっている今、屋敷にはまとめる人間がいなかった。彼の代わりのフットマンは頼りない……というより、寝耳に水で、あまりの事実に呆然としていた。
「……ご無礼はお詫びいたします。けれど私たちとて、証拠なくこのような行動に至ったのではないこと、ご理解いただきたいですわ。そのための証明をさせていただきます」
 こうして、アナスタシアが議会に電話で事の次第を説明すると、彼らの傭兵たちが家を捜索。
 後の執事の発言はもとより、ジルドの残したもの、祥子の撮影したビデオから、先日失踪したメイドをはじめとして、ジルドがヴォルロスで起こっている連続殺人に関わっていた証拠が見つかった。
 フェルナンは嫌疑を晴らし――そうして、この家は議会の監視下に置かれることになった。
 レジーナ……真のレベッカ・ジェラルディは今、寝室のベッドの上に横たわっている。