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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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 こうして、一同は殺気を削がれて食堂に移動することにした。
 容易に逃げたり攻撃したりできないように、と、エリスは嫌がるジルドらを、マナーだからと言い張って、席につかせる。
 彼女自身もマナーに乗っ取ってお茶やお菓子をサーブする。
「のんきに茶を飲んでいる時間など……」
 苛立ちを隠さずに文句を付けるジルドに、エリスはかえって朗らかに答えた。
「血はすぐ水で叩かせますよって、染みにはさせまへん。ああ、ティータイムで時間足らへんなら晩餐の準備もできてますえ。お腹が空いた方にはお食事をお出ししましょ」
 あの、お手洗いを。と、琴理が言いかけたが、他の使用人が付いていくというので(これもエリスの手配だった)、きまりが悪いのか他に意図があったのか、席に戻る。
 他にも逃走・避難経路は塞いであり、ジルドやレベッカが逃げられないように気を付けてある。勿論武力で突破される可能性はあるが……時間稼ぎにはなるだろう。何よりその前に、ここには多くの契約者がいた。
 エリスはメイドの仕事で忙しいからと、壹與比売が末席で不審な動きがないかと注意を払っているし。
 それは若干挙動不審だったが、そう尋ねられれば、
「あ、わたくしは事情に詳しくない只の気紛れな来客ですので、お話を聞かせて頂くだけで充分でございますよ」
 アイスをひとさじ口にして、
「ええ、味が濃いように感じたものですから」
 と、ごまかしている。これはこれでメイドの不備のようだが……遠い過去、ろくに調味料がなかった時代の生まれなのだ。
「ではまず、一番大事なところをお尋ねしますわ」
 全員にお茶とお菓子が行き渡った頃、一同を見渡して、アナスタシアは「探偵」らしくあろうとしたのか、口火を切った。
 ジルドという大量殺人鬼を前に身体に震えが走ったが、それを押し込めて気高くあろうと顔を上げる。
 時計の針は午後六時を回っている。夜明けの光が差し込むべき窓の外がなお暗いのは、雨雲が立ち込めているからに他ならなかった。時間がない。
「死者の島と“ウロボロスの抜け殻”――あの小さな闇龍の止め方を教えなさい」


 話すことを話し、だがこちらも貴族の威厳を失うことなく連行されるジルドが去る前、レベッカのクローンは意識を取り戻した。
「……お父様。私は……レベッカになりたかった」
 背中に振り絞るようにかけられた声は、小さく、届いていたのかいなかったのか――ジルドは振り返りもせず部屋を出た。
 彼女の処遇はどうなるのか、どうするべきか。アナスタシアが一度引き渡した方が良い、と発言した時だ。
「レベッカさん、私と契約して下さい!」
 と、突如言ったのは、だ。
 シェリルは、ぎょっとしたが、口には出さない。
(リンは、単に可哀想ってだけで契約までしようなんて思ってないだろうね)
 ジルドの殺害未遂、そして本物のレベッカに対する殺人予告――いや、既に本物のレベッカは死んでいるのだから、遺体損壊であろうか――までしたレベッカは、このままでは何をするか分からない。
 ……しかし。彼女が本当は何をしていたのか、詳細を知っているのはここにいる契約者ぐらいだ。馬車の襲撃を見ていた御者がひとりいるくらいか。
 表向き彼女がしたことといえば、レベッカに成り代わってパーティに出たことくらいで、これも気付かなかった人間の方が大多数だ。
 そして、契約することによって保障されるものは多い。
「……凛さん、それは……本気ですの?」
 アナスタシアも、凛の言葉に驚いて聞き返した。
 レベッカもまた、言葉の意味を掴みかねているようだった。



 そこは、薄暗い部屋だった。部屋というより、舞台裏、と言った方がいいかもしれない。
「ここは……」
 意図を察して振り返るジルドに、フェルナンは今まで見せたことのないような、凍るような眼差しを向けていた。
 ジルドを連行するために付いてきた傭兵は、彼によって意識を一時的に失って、床に寝ている。
「私が夕食に薬を入れられ、意識を失い、殺人現場に運ばれた。これが事実として、どうして目撃者の一人もいないのでしょうね?
 使用人を黙らせるのも手ですが、それより早いのはご自身で知られずに運ぶこと。……この道を使って」
 娘のために隠し部屋を作らせていたのだ、それが一つとは限らない。魔術師ならなおさら。
「議会はまだこの部屋を把握していません」
 ジルドは、部屋を出るときに拘束されていた。術具を失い、刻んだ魔法陣を欠けさせていたし、夜中には儀式のために魔力を消費しており、これ以上の抵抗は無駄だと分かっていたのだろう。
 これからの自分の待遇に予想も付けていた。
 しかし……フェルナンの瞳は彼の予想を裏切るような意思が秘められている。
「暫くここで過ごして頂きましょう。見つかるかどうかは運次第です。余計なことができないよう、喉を切らせていただきますね?」
 彼の手に小さな氷の刃が握られているのを見て、ジルドは後ずさりする。部屋は小さく、すぐに壁にぶつかった。
 そしてフェルナンが彼の肩に手をかけようとしたとき――、背後から薄く光が入って、彼は振り向いた。
 北都が立っていた。それに、姿が見えず、追ってきた琴理も。
「ジルド氏のポケットに、忍ばせていただきました」
 フェルナンがジルドの衣服のポケットを探ると、小さな指輪がでてきた。何の変哲もないものだったが、それには“禁猟区”がかかっていた。
「真犯人だとしても、殺されていいわけではありません」
 北都はさりげない動作で、だがいつでも魔法を発動できるように備える。暴力に訴える可能性があるとするならジルド相手がやや確率が高いかと思っていたが……。
 しかし、フェルナンが持っているのは、明確な殺意ではない。死んでもいい、という未必の故意だ、おそらく後遺症が残ることも期待していただろうが。
 諦めるならそれでい。
「……犯罪者は、裁判によって裁かれるべきです」
 フェルナンは苦悩するように眉間に皺をつくって、息を吐き出す。
「ですが、普通の人間にとって“死”は一度しかない――貴族用の、暖かなベッドのある牢で、人々の侮蔑の目からも言葉からも守られ、刑によって死ぬ、それは……彼の行ったことからすれば非常に生温いのではありませんか?」
 それが自分が決めることではなかったとしても。
「神話にこういう話を聞いたことがあります。人の身でありながら神に親しかった王がいた。しかし彼は、神々を試すために子を殺し、盗みをして人に与え、、神の秘密を洩らし……ひどく神々を欺いた。その報いは飢えと渇きの罰だったと。樹に吊るされ、取ろうとしては枝が遠ざかり、水を飲もうとするとさっと引いてしまう……永劫の罰」
 彼は言葉を続けようとする。
「貴方の魔法陣は既に壊れています。苗木と絵画の魔法陣の力を借りれば、貴方はもう……」
「やめて」
 琴理が言葉を遮り、フェルナンの凶器を持った右手を掴む。その手を、彼は静かに外した。
「俺は、家の道具です。だというのに、ヴァイシャリーを守ることもできず、誰かを愛する覚悟もなく……利用されるまま……原色の海を混乱に陥れる手伝いをしていた。だから……」
「あなたが無実だと信じて、助けてくれた人が、沢山いたの。その人たちを、裏切らないで」
 手を掴まれたまま、彼女は肩を震わせていた。