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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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第6章 死者の島


 島の上にはたった二組の契約者しかいない。
 島の中にも、たった二組だ。それから、海兵隊員とアステリア族の戦士が少し。
 そのうち、島の上に残ったうちの一組は……いや、一組、というよりひとクラス以上、と言った方がいい。
「マウント(山)」
「リバー(川)」
「そちらはどう?」
 一人の地球人・ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が訊ねれば、霧の奥から現れた影、一人の海兵隊員が現状を報告する。ローザマリアらが大人数でこの島に残るというので、何人か、フランセットが寄越したのだ。
 そのほか、ローザマリアを中心とした三人のパートナーと彼女たちの指揮下にある者は、併せて実に44人に達していた。
「弾が尽きる状況を想定しているという事は――残弾に余裕がある訳でも無さそうですね。ならば、ヴァイス・マム、少しでも効果的な砲撃が行えるよう、私は側面から支援します。では……」
 彼女はフランセットにそう言っていた。人海戦術で取った測量データを用い、8×8の16区画に、賽の目状に区切った死者の島の地図を作成。それをフランセットに渡し、砲撃の役に立つようにした。
 特定の区画にアンデッドを彼女たち自身をで追い込み、その区画への砲撃で一網打尽にするためである。
 フランセットが、遠慮がちでありながらも砲撃の許可を出したのはこのためだった。撤退命令を出したが、予想より多くの人数が残っていたため、一時は砲撃を中止するか迷っていたのである。
「……じゃあ次はA2区画へ追い込むわよ」
 ローザマリアはノクトビジョンを額から押し下げた。自身の考案した追い込み漁を再会するべく合図を送る。
“殺気看破”で周囲に注意を払い、霧を“風術”で払いながら、“ホークアイ”で遠くを見渡す。慎重に、M6対神格兵装【DEATH】を携え瓦礫を踏みしだいていく。
 フィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)は他のパートナーから通信を受け取ると、静かに、そしてそれ以上にローザマリアの動きにアンデッドが気付かぬように、部下を連れて、半包囲陣形を敷いて追い込んでいった。
「A2区画まであと20フィートだよ……行くよっ」
 フィーグムンドは“神の目”を光らせた。同時に、その光を目指して、多数のアンデッドがフィーグムンド目指して殺到する!
「うわっ」
 驚きながら、フィーグムンドは自身を囮にして区画まで駆けていった。
 後ろから手が迫ったが、それを同行した海兵隊特殊強襲偵察群【SBS】の小銃が阻む。
 物陰から、見ていたローザマリアも“エイミング”と“スナイプ”で慎重に狙いを付け、“シャープシューター”でアンデッドの頭部を吹き飛ばす。
 フィーグムンドは急いで離脱する。
 これでは“神の目”をモールス信号にするのは、敵の注目も集めるし、精神力ももたない。やめておいた方がいいだろう。
 海岸線に行くと、手助けのため、シルヴィア・セレーネ・マキャヴェリ(しるう゛ぃあせれーね・まきゃう゛ぇり)は特殊舟艇作戦群【Seal’s】の五人一組4チームと共に、上陸手段である機晶複合艇【Sailfish】を中心に海中に待機し、海岸線に出てきたアンデッドを安全な位置から射撃で追い返していた。
 その時ちょうど、テレパシーが入る。
 エシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)だった。
 彼女は“レビテート”で飛行し、着弾を観測しようとしていた。これは地面から少し浮いた状態を保つもので、足元の安全確保になる。逆に、空に舞い上がって眼下を……とはならない。
 瓦礫の山の上に登って、“ダークビジョン”を備えた目で双眼鏡を覗き込んでいる。
 “テレパシー”で旗艦に砲撃要請と座標を指示していた。砲弾が少ないなら、少しでも無駄弾を減らすためでもあった。
「先ほどの光は確認しました。砲撃要請をするので全員A2区画から撤退してください」
 エシクがそう言って全員撤退する。撤退完了の報告後、間もなく、暴風を伴って、霧を切り裂き、黒い鉄の弾が彼女たちの頭上を通り抜けた――着弾。
 轟音と土煙が辺りを満たす。

 



「うっわ……」
 耳を塞ぎ、黒髪の頭を低くしていた一人の少年が、もう今日何度目だろうか、むせながら声を上げた。
「……頭がくらくらしてくるぜ、ったく提督手加減してるんだろーな」
 海兵隊員のセバスティアーノは、暗いし狭いしさぁ、と愚痴を明るくこぼす。訓練でも実践でも、暗くて狭いところなど幾らでも経験したが、この余裕のなさは場所が場所だからだろう。
 何といっても死者の島、幽霊船の中で、水中だ。得体のしれない蛇の尻尾と一緒に長い時間を過ごしている。当たり前だが寝ていない。アステリア族の戦士は、短い仮眠を勧めてくれたのだが、自分が眠れそうにもなく、辞退している。
 おまけに、仲間に砲撃されている。
 そんな彼に、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は淡く笑んだ。
「付き合わせてしまって申し訳ない」
「……えっ? えっ、いや、あの……」
 セバスティアーノは突然そんなことを言われて、顔をうっすらと赤くして手をパタパタ振った。自分でも不思議だが、照れてしまう。同性愛者ではなかったが、童顔の少年から見ても美形だったし、こういうタイプは周囲にいなかったのだ。せいぜい顔だけなら二枚目の船医くらいだが……あれには言動に遠慮とか雰囲気などというものがない。
 ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)はその様子に少々警戒したのか、呼雪の手をぎゅっと握ったが、タリア・シュゼット(たりあ・しゅぜっと)が、目の前に垂れ下がった蛇の尾を眺めながら、呼雪に続いて言った反応で、安心して手を放すことにした。
「尻尾の先に美味しそうなものでもあれば、また食いついてくれるかしら? ……まぁ、でも例えの話ね。永遠を捨てた存在には、終わりがくるのかしら?
 セバスティアーノさん、もう少しだけ付き合って頂戴ね」
 色っぽい美女に物静かに微笑まれて、敬礼する――その鼻の下が伸びていた。
「は、はいっ! もういくらでも付き合いますっ!」
 少年は、やっぱり美女の方が好きらしい。
 呼雪はありがとうと言うと、
「一度離してしまった尾を、もう一度噛ませる事は出来ないのだろうか……」
 と、考え込んだ。
「蛇はナラカで浄化しきれなかった穢れ……それは、思い残しや負の感情の残滓なのかも知れない。だから……せめて俺達は、必要以上に悲しんだり負の感情に囚われないようにしよう」
 こんな状況でもこうやって明るく居られることは、大事なことだと思う。危険な状況だと、自分でも分かっている。けれど、まだ手にしたいものがある。
 そんな呼雪の意思を汲み取ってか、ヘルが、
「色々無茶かも知れないけど……折角ここに来たのに、手ぶらで帰るのもね。
 呼雪も納得してないだろうし、僕だって、ちょっとでも役に立つ事したいしね。だけどタリアちゃんは無理しないでね……」
「ええ」
 さて、では蛇の尾はどうなっているのか。
「進展があるといいが……」
 呼雪は幾つかの情報を考え合わせる。つい先ほどのことだが、術者であるジルド・ジェラルディが捕まり、その供述内容が議会とフランセットを経由して彼らにも伝わっていた。
「ジルド・ジェラルディは自らの身に魔法陣を刻んでいたという。抜け殻はもう陣の外……魔法的な契約の印は抜け殻の何処かにもあるだろうか? それに、闇龍と同様なら何処かに核がある?」
 蛇の尾自体には変化も、周囲にも何もない。
 蛇に上って調べるか、とデスプルーフリングを外れないように指に嵌め直していると、意を察したヘルが言った。
「呼雪、これに乗って行こう」
 彼の足元には、彼が呼び出した「影に潜むもの」が座っている。
「分かった。しかし危険が予想される……。俺は集中が必要だから、調査は頼む」
 “トリップ・ザ・ワールド”を維持し続けるためには、能動的な行動はできない。
「うん。呼雪は落ちないように前に乗ってね。……支えててあげるからさ」
 抱きしめているのは自分かもー、と、ちょっと思ったが……どっちでもいいや。半径一メートルの安全の中にいるには、ぴったりくっついているのが一番だ。
 タリアは“幸せの歌”を水中に響かせて闇への加護を与えると、
「私はここで待って、退路を確保しておくわ。怪我は……しない方がいいけれど、私が治してあげるから、安心して行ってきて」
「危険な場所をお任せしてしまい、申し訳ありません。こちらの調査は、私たちで引き続き行います」
 尾に残ったもう一組の契約者、叶 白竜(よう・ぱいろん)に頼む、と呼雪は頷いた。
 タリアは呼雪と、手を振るヘルに手を振り返して、「影に潜むもの」に乗って、尾を駆け上がる彼らを見送った。
 タリアは暫く蛇の尾を見つめていたが、
(……呼雪さんの歌が、聞こえたような……?)
 顔を上げると、唇を開いて歌を口ずさんだ。
 この蛇は、命の巡りの中で取り残されたもの。けれど、それでもいつか解けて、循環の中へと帰っていけるように……と、強く想いながら。


 一心不乱に、「影に潜むもの」は蛇の身体を駆け上がった。
 駆け上がった、というのは比喩であった。実体をもった尾は、すぐに実体のない身体へと変わっている。蛇のささくれだった鱗のような体は、禍々しい気配を発している。空を飛ぶこともできるそれは、鱗の上ギリギリを走っている。蛇の周囲、瓦礫の隙間を縫って螺旋を描くように。
 二人が身に着けた闇龍の加護符も、彼らをその気配から守ってくれているようだった。本当に闇龍の力を封じているのではない、闇龍への畏怖を込めた名称だったが、奇妙な出会いだと思う。
 ヘルは自然と、闇龍を巡る一連の戦いの事を思い出していた。
「何か見えないかな……弱点とか、核とか……」
 ヘルは調査に集中し、“御宣託”で何か見えないか、試してみる――脳裏に、一つのイメージが浮かび上がった。ジルドが行ってきた一連の行動だ。
 確か、そうだ。さっきの連絡の中でも言っていた。
(この海域に溜まっていた淀み。ジルドが死者を捧げて儀式をすることで、悪魔召喚みたいな感じで力を与えて無理に形にして、見返りにパナケイアをもらって……)
 議会ではジルドの術式や手に入れたがっていた魔方陣を解説させ、また解釈した。これによって、どうやって力を与えたかという魔術的な仕組みを解明し、その妨害が行われようとしている、という。
(たった一人の魔術師が、できることなんてたかが知れてるって言ってたっけ……無理やり集めているって)
 闇龍に核があるように、“ウロボロスの抜け殻”にも核があった。果たして、闇龍と同じように。或いは、別種のものだったか。ともかく、この蛇をここに集めている文字通りの核であり、心臓部でもある。
 彼の目の前に、真空ではないが、やがて核が映った。ヘルは浄化の札を手にして、それを見つめる。
ドージェみたいな事はできないけどさ)
 そう思うのは、同じ「蛇」の親近感からか、どうか。
 戦わないといけない、と彼は決意する。でも。
「本当は、君は何も悪くないんだもんね……」
 ヘルの声に悲しそうな声音が混じった。そして、浄化の札を張り付ける。
 蛇の身体にめり込ませた腕にまるで灼けるような苦しさを感じて、ヘルは小さく呻いた。その彼に、呼雪が声を掛けた。
「これからもっと抵抗が強くなるが、我慢してくれ」
「分かってるよ」
 蛇から身を守るための魔法への集中を解いた呼雪は、祈りを込めた歌、“エクスプレス・ザ・ワールド”を届けた。この蛇が、浄化されぬ魂が少しでも、癒されるように……。
 瘴気を吹き付けられながら、息苦しさを覚えながらも歌い続ける彼の耳に、歌声が聞こえた気がした。
 タリアだろうか?
 いや、……もう一つの声が聞こえる。女の声、だろうか?
「誰だ?」
 問った呼雪に答えたのはヘルだった。目を見開いて、呟く。
「聞いたことないけど……“お告げ”で、知ってるんだ。これは……死んだレベッカの一部……? まだこの中に混じってるの……?」
「ヘル!?」
 ヘルは、核に両手を伸ばしていく。両手も、体も、長い金の髪も闇に染めながら。
「大丈夫、すぐに終わるからさ……」
 ヘルの幻惑の衣がずたずたに裂けていく。
 そうして、彼は、大幣を振った。

 


「魔法はそんなに人間にとって便利な道具ではないはずです……」
 呟いた白竜は、ジルドが話したという言葉を思い返していた。
 ――錬金術は良く知られた学問だ。様々な薬品や、卑金属から貴金属を作り出すことが良く知られている。特に金を得ようと試みている者は後を絶たない。しかし、これは深遠なる学問の上澄みに過ぎない。
 賢者の石を手に入れ、金どころか永遠の命を手に入れようとする者がいる。「卑金属」に「人間」を含め、「貴金属」である「優れた人間」になろうとする者がいる。真の知を求める者がいる。
 だが……そんなに簡単に、不老不死など手に入れられるはずはない。だから危ないものに手を出した。
「ジルドが行った儀式ってのは、つまり形を与えたってことなんだろ?」
 世 羅儀(せい・らぎ)が、白竜の準備を手伝いながら言った。
「そのために魔法陣を体に描くなんてな……なんせあっちとこっちを繋ぐ扉だ」
 ジルドにとっては場所を取らずに、何時でも使えて便利だったのかもしれない。貴族という立場上、人前で服を脱がないから、滅多なことではばれないだろう。
 しかし……これは、半分人間ではなくなることと近い。
 アステリア族の戦士と共に、やはり瓦礫を手伝っていたセバスティアーノが、口を開く。一人残して全員作業に集中できるのは、地上にほとんどのアンデッドが行ってしまったからだ。
「その扉が壊れたので、今、蛇にはエネルギーの供給がストップしてるはずです」
 彼らが腐った材木やら瓦礫やらを退かしながら、探しているのは、この蛇を止めるためのヒントだ。
「どこかに、たとえば負のエネルギーをここまで増幅して操るためのもの、流れのハブ、島の推進装置があれば……」
 流石に白竜の冷静な声にも疲労の色が滲んでいる。
「綺麗な海に戻せないと美味しい料理も海でナンパもできないからな!」
 羅儀がわざと、明るい声で言ったので、白竜も返す。
「ナンパはさておき……少し遅れてでもまたバカンスを楽しみたいですからね」
 一人の娘の魂を取り戻す為に、この美しい海を引き換えにすることは許されない、と思う。
「娘さんの魂が美しい海で静かに眠れることのほうが、大事だと思いませんか?」
「娘さんが美人だったらそっちも気になるな……しかし、さっきから妙に感触が軽いような……」
 羅儀が言ったのは、この島を構成している破片の重さだった。と同時に、ぐらぐらっと水が揺れた。
 地震のような不意の揺れに、セバスティアーノも不穏を感じた。
「もしかして、魔力の供給が断たれて維持できなくなってるんじゃ……」
 願ったりかなったり、ではある。しかし、今壊れてしまえば蛇の手がかりが……。
 と、思った時だった。再び、今度はより大きい揺れに全員で身構える。ガラガラと……水中故にゆらゆらと、ゆっくりと崩れる破片を、白竜が魔法で砕く。
 降り積もる雪のような視界の中に、破片の中に、彼は見慣れないものを見つけて、急いで水をかいた。
「どうした、白竜?」
 羅儀が声をかける。白竜の視線は真っ直ぐに向き、手はしかし触れるのをためらっていた。彼の手の示す先では、まるで柘榴石のような形をした黒い結晶が浮いていた。側にいるだけで気力を吸い取られてしまうような黒い光を放っている。
「……蛇はこれを中心にして船を集めていたのでは……? 明滅して……かなり弱っているようですが、尚禍々しい」
 機晶爆弾を手にはしたが、果たして、今破壊してしまっていいものか……。


 彼が迷っていたその時、呼雪とヘルを乗せた“影に潜むもの”彼らの元に帰ってきて、白竜は機晶爆弾を仕掛けることにした。
 破壊できたかどうか、それは彼らの目には見えない。セバスティアーノが、撤退のために時限装置を取り付けることを提案したからだ。
 先行するアステリア族の後を追って彼らが島を出た時、背後からの強烈な流れに引き込まれそうになる。
 耐えながら振り返った彼らの目の前で、ゆっくりと死者の島は震え、崩壊していった。
 それと同時に、機晶船からの砲撃再開の報せが届いた。