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白雪姫へ林檎の毒を

リアクション

「正直今すぐ帰りたい」
口をついて出そうになる言葉を飲み込んだアレクが、連行されたのはパラミアンに隣接するファッションビルだった。表向きの理由は濡れ鼠になってしまった彼に服をどうにかするというものであり、実際のところは……
「……わぁお、早速じなぽん更衣室にじぜるん連れてって……ってはやっ!」
「大体こういう展開になるのは分かってたんだよ」
 店に入るなり猛スピードで服を引っ掴み、更衣室へ特攻して行ったジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)の背中を新谷 衛(しんたに・まもる)緒方 太壱(おがた・たいち)と見送って、アレクは遠い目をする。ジーナが何かにつけてジゼルに可愛い服を着せたがるのは何時もの事だ。
 正直ミリツァまでパピリオ・マグダレーナ(ぱぴりお・まぐだれえな)アルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)に「お召替え」と連れて行かれるとは思っていなかったが、まあどうせあれも『友達』の一人なのだろうとアレクは複雑な感情を追い払った頭で考える。
『お兄ちゃんと私だけ世界に在ればいい』と公言していた妹が、幾ら故郷の成人年齢に達したとは言え急に社交的な人間になるとは思えない。否、なれる筈が無いのだ。
 一月話し続けて思ったが、肉体的に(一部を除いて)成長したと見える妹の中身は、あの空爆にあった日から全く成長が見られなかった。
 何度も頭に蘇るのは、妹が自分のチェストから銃を持ち出した夜の事だ。お母様を殺すと微笑って、それからついでにお父様も殺そうと考えついて、そんな彼女を何とか寝台に押し戻そうと苦心したあの時。
 兄であっても共犯者になりたくないと強い言葉で言ったつもりが、妹が返したのは
「あら、安心して。アレクはここで眠っていればいいのよ」
 という応えだったのだ。自分以上に激情家で思い込んだら一途な妹が何を言ってもきかない人間だというのは、あの日に物理的に殴られる様な形で学んだのだ。
 だからと言って命をかけても守りたいと思う人が出来た今、簡単に諦めるような事はしていないが――。
「お待たせしましたですッ!」
更衣室の扉を蹴り破らんばかりの勢いで再登場したジーナが、ふんぞり返りながら自らのプロデュース作品を集団の前へ突き出した。
 殆ど踵の無い靴でおずおずとやってきたジゼルは、上下揃いのボルドーのスカートとベスト。上に着ているのは胸元が大胆にカットされたピンク色の長袖シャーリングブラウス。ジーナが選ぶデザインにしては少々控えめな大人っぽい――しかしロリータ服ではあるのだろうデザイン――だと思い、衛は首を傾げながらしょうもない過去の思い出に連れて行かれかけていたアレクの背中をつっつく。
「おーい、あれっくさんよ。
 何時もジナぽんが薦めてるふりっふりひらっひらじゃねえぞ今回は。
 ほれほれ見てやれ見てやれ」
「否でも、逆に何時も通りになったと言うか……」
 言いながら衛と同じ方向を向けば、目が合った瞬間ジゼルがそっぽを向いてしまう。元来そういうのは気にしないタチなのか、制服のボタンも上の方は開け放ってしまっている事の多い彼女だったが、ここまで露骨に胸もとが強調されたデザインは、矢張り恥ずかしさを芽生えさせるのだろう。
「おみぐるしくて……すみません」
 もぞもぞ布地をかき集め開いた部分を隠す様に持ち上げるジゼルの様子に、衛は目を見開く。
「じぜるん胸でっけ!!」
 手をわきわきしながら暫くの後、冷静になったのかジーナへと振り向いた。
「何か今回露出少なくね、じなぽん。いつもだったら見せパンとか、時期を選ばない半袖とか、結構肌が出てる系を薦めるのに……」
 と、その言葉ににやりと笑ったジーナが、徐にジーナがベストとスカートのセットアップらしきケープを持ってくると、ジゼルに上に纏うように指示する。露出の多い胸元を気にしていたジゼルはそれでほっとしたようだが、そこにどうしようもなく惹かれる衛の方は冗談では無い。
「あああああ、唯一見えていた谷間があああ!!」
 叫び声のデカさに近くでこっそり見張りをしていた緒方 樹(おがた・いつき)が退散する。
「足元はペティコートが翻る絶妙なながさ。そしてパルテノペー様の真珠の肌を強調するボルドーカラー、しかし敢えてそれを全て見せないというこの完璧なるコーディネートで煽られる飢餓感! さあ、耐えられるですか!?」
「あれっくさん、あれっくさん!
 あれってお持ち帰りしないと見らんねぇってやつじゃねえの! なあなあなあ!」
 テンションが振り切っている衛に身体を揺すられながらアレクは考える。お持ち帰りというかそもそも、自分達は同じ家に住んでいたのだ。帰れるものなら今直ぐ彼女の手を引いて帰りたい。そんな風に思っていると、パピリオとアルテッツァに伴われて、そのミリツァがやってきた。
「どうかしら、アルテッツァが見たててくれたのよ」
 ミリツァが無邪気な笑顔でくるりと一周回って見せると、大きめの朱色のリボンでハーフアップになった巻き毛が揺れる。
「パピリオが普段着ているブランドなのですって。
 彼女は『ノアールシリーズ』を着ているけれど、私には『ブランシリーズ』が似合うと言っていたわ。これがそうなのだけれど――」
 因にパピリオが服選びの時にミリツァの耳元で小さな声で言ったのは
「乙女ちゃんは『ブランシリーズ』でしょ、可憐な乙女路線で迫るなら」
 という言葉だ。計算高い部分は意図的に省いた。
 白を基調としたセーラーカラーの長袖の上着は、襟にはリボンと同じ朱色のラインが入っている。
 中に着ているジャンパースカートは前開きのロングフレア、ペティコーとも朱色の物にして、前開きから見せるように。その部分の可愛らしさを際立たせる為に、シューズは敢えてワンストラップのシンプルなメリージェーンだ。
「お前それ、どうやって買った?」
 どうやってとは幾らしたのかとか、その金額が何処から出たのかという意味だが、眉を顰めるアレクにアルテッツァが笑顔で会釈する。
「可愛い乙女の為なら、財布の紐も緩んでしまうもの。お兄さんも同じでしょう」
 当然のように言ってのけたが、実際六桁かかった金額は、アルテッツァがミリツァの親衛隊状態になっているプラヴダの兵士から巻き上げたものだった。
「ね、ね、かわいい? どうかしら?」
 溜め息をつく兄の気を知らずに、ミリツァは期待一杯の笑顔でアレクの両手を取ってくる。するとミリツァの横に立っていたパピリオが、耳元近くまでやってきた。
「とっても可愛らしいわよねぇ。素敵よねぇ。でももーっと似合うドレスや靴があるかもしれないわ。
 さぁ『お兄ちゃん』、アナタの『妹』が一番似合うお洋服はなぁに?
 なぁんでも言ってみてぇ、昔似合ってた服とかぁ、昔着せたかった服とかぁ♪
 あの時出来なかったことがぜぇんぶ出来るわよ、今の彼女なら」
 絡めとるようなパピリオの声に誘導されて思い出すのは、矢張り過去の事だ。
 お気に入りだった白いドレスを汚すのも構わずに、血と泥に汚れた自分を父から守ろうと抱きしめてくれた妹。あの時彼女が居てくれなければ、こうして此処に存在する事すら無かっただろう。それはアレクにとってある種の負い目でもある。
「白いドレス……まだああいうの好きなのか?」
 とうの昔の事も覚えてくれていた事に驚いて、そして本当に嬉しそうに微笑むと、ミリツァはアレクに抱きつてくる。自分と同じ黒い髪を「今度な」と言いながら撫でていると、パピリオがにやりと笑って言った。
「あ、そうそう、服を贈るって事は脱がすところまでワンセットだから♪」
「は? 介護でもしろって言うのか?」
 アレクから出てきた言葉に、パピリオは憮然とした。



 一行がまだビルの中にいる頃だ、衛の余りの騒がしさに先に外に出た樹は緒方 太壱(おがた・たいち)と周囲を警戒をするセシリア・ノーバディ(せしりあ・のおばでぃ)と合流する。
「太壱、小娘、我々は有事の際の準備だ。
 店内の隙間に向こうの陣営がちょこちょこ隠れていたぞ。のほほんと男女の逢瀬を楽しむだけの場ではなさそうだ……見た限りではな」
「了解お袋」
「向こうの陣営……パパーイたちもですよね」
 セシリアが聞くのに、樹は頷いた。
「タイチ……なんだかね、あのイルミンスールでの事件以来、パパーイが変な気がするの。
 タイチのお母さんは、どう思われます?」
「奴は……アルトは、いつもの奴ではない……そんな気がする」
「多分さ、あの王子様がどっちに手を出すかで決まるって奴だろ? ツェツェの所もそんな――分岐点みたいな感じか?」
「小娘のところはそうでもないようだが……」
 何故だと問うような太壱の顔に、樹はふんと鼻をならす。
「ん? 『女のカン』だ
 以前付き合いがあった奴だしな、違和感を感じるだけの材料ならある」
「女のカンってそんな随分アバウトな……根拠は、お袋? 無いの? なぁツェツェ、女のカンって、当たるのか?」
 白目になりかけている太壱にセシリアは大真面目だ。
「タイチ、女のカンってね、ある意味データの蓄積なのよ。男性なら理論的に説明できる所までデータを落とし込むんだけど、女性は見切り発車の部分もあるの。
 でも、表情・行動・言動から収拾したデータとしては確証出来る部分があるから、説明する時には『女のカン』って言い方になるわけ」
「あ、さいですか……だからタチアナもあんな風に動いているンかな?」
 イマイチ納得いってない太壱の背中を、セシリアは叩いて焚き付ける。
「兎に角中からアレクが出てきたら、タイチ、貴男が声をかけてくれない?
 女性だと鯱張っちゃうでしょ! だから、同性である貴男じゃないとダメなの! そこは分かる?」
「何で俺が――」
「いや、軍人娘は未来人らしい。つまり、今のお前と一緒だ、太壱。何かを変えにここに来ていると推測できよう……。
 ほら、王子が出てきたぞ、太壱、お前が行って何か声でもかけてやれ」
「っ?! 分かったよお袋、逝ってくる!」
 弾き出される様に前に出た瞬間、丁度出てきたアレクと目が合った。それだけなのに間にブリザードが流れた気がするのは気のせいだろうか。不機嫌なアレクの持つ妙な迫力に、太壱はヘヘッと微妙な笑顔で返して一行に合流。ミリツァがアレクからほんの少しの間離れたそのタイミングで遂に声をかけた。
「なあアレックス、お前さんはこの茶番をどう思ってるんだ?
 ……俺は、お袋を命の危機から守りに来た、未来人なんだ。俺の仲間の、ツェツェもそうなんだ。
 そっから考えるとよ、アンタの所に来たタチアナも、そんな気がするんだ」
 ターニャの親が誰か、それを匂わせるような言い方に、アレクはまるでギリシャ彫刻のような、人として限りなく不自然な微笑を顔に張り付けている。要するに他人の目に意図が読めないのだ。太壱はもう直球で質問するしかない。
「……自分の判断で大切な人が居なくなるとしたら、アンタ、どうするんだ?」
「二人共ってのは無いのか?」
 そう言ったアレクに太壱は凍り付く。アレクがジゼルもミリツァも同列で語っていると思っていた太壱にはそれが酷く恐ろしげに聞こえたのだ。
 血を分けた妹と義妹と呼ぶ存在。二人の妹の間に横たわる決定的な違いを、温度差を、アレクという変人の持つ常識的価値観を太壱は分かっていない。
 例え二人に向ける言葉が同じ「愛している」だとしても、その言葉に含まれる感情は違うのだ。
 どんな時でも傍に居てくれたアレクの今やたった一人の肉親と、特別な――つまりアレクにとって唯一の女性を二人守る事を出来ないなら、一人を失う選択だの判断だのが必要なら、大切な人達皆を守る為に強くなろうと軍人を目指したアレクにとってもう根本が、この世界自体が訳の分からないものになってしまう。
 太壱の質問を不快に思ったアレクは歩くスピードを上げて、太壱と距離を取った。

* * *

「海君の好みが分かって嬉しいです」
 海に見立ててもらった服が入っている買い物袋をぶら下げながら小さな笑い声を漏らしてそう言う柚に、海は赤くなって目を反らす。
 カフェでお茶をして、パラミアンで遊んで、次はショッピングだった。
「なんだか普通のデートみたいですね」
 思わずそう言ってしまってから、柚は慌てて首を振る。
(だめだめ、これはジゼルちゃんのためのデートですから)
 ジーナの見立てのボルドー色を花のように風に揺らしながら歩くジゼルに小走りで寄って、柚は提案した。
「ジゼルちゃん、映画を見るのもいいかもしれないと思ったんですが、どうですか?」
「んー……」
 ハミングして、ジゼルは足を止めくるりと柚へ向き直る。
「それは柚が海としたい事よね」
 にっこり微笑まれて柚は言葉を詰まらせた。確かにその通りだった。
 柚はまだ海と恋人同士になったばかり。片時も離さない恋愛マニュアルに書かれていた色んな恋人達の経験。今迄したいと思っていたそれを、柚はここで提案していたのだ。
「いいよ、私は気にしないで。
 二人で行ってきて」
 微笑いながら柚の肩を押して、ジゼルは一行から二人を別の道へ進ませる。この道は映画館へ向かう方だ。
「海もちゃーんと柚をリードしてあげるんだよー。海はいっつもぼやーっとしてるんだから。こんな可愛い彼女、たいせつにしなきゃねー」
「うるせっ」
 悪態をついた海の背中にジゼルが笑って、一行の方へ踵を返して行く。
「今日のデートでジゼルちゃんの恋が進展しますように……」
 祈るような柚の優しい声に、海は手を伸ばして『恋人繋ぎ』をしてみる。
「楽しかったですっ!」
 必死なくらいの勢いでお礼を言う柚に苦笑して、海は映画館に向かって歩き出していた。
「これからだろ」と、言いながら。