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リアクション
一方、校舎の片隅では教室の拡張工事が行われていた。
この部屋は保健室になると共に、集落唯一の診療所も兼ねる予定だ。
白波 理沙(しらなみ・りさ)が運んだ材木を組み立てているすぐ傍で、早乙女 姫乃(さおとめ・ひめの)と九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)が必要な備品をリストアップしている。
「私の専門はカウンセリングなどのメンタル系なので……。協力して頂けて本当に良かったです」
「一緒にやった方が漏れが少なくなるだろうし、お互いの得意分野も活かせるしね。それにしても懐かしいなあ、保健室……。冬は乾燥するから、ストーブの上に水の入ったヤカンを置いて加湿器がわりにしてたんだよね」
目を細めながら思い出を語るローズを見て、休憩用にとお茶を淹れていたノア・リヴァル(のあ・りう゛ぁる)は少し慎重に言葉を選んで問いかけた。
「ローズさんは……その、保健室へ通われていたことがあるのですか?」
「えっ。いや、無いよ」
気遣うように優しく問いかけるノアの様子に、ローズは慌てて否定をする。
「でもちょっと不真面目な生徒の溜まり場だったでしょ、保健室」
「えー、そうかなぁ」
そう言う理沙は作業を続けながら、苦笑気味の顔だけをローズの方に向けている。
「……違う? ま、まあ中学生のやんちゃ盛りだったから」
苦笑いを浮かべて、ローズは手元のリストに目を落とした。基本的な治療器具等は姫乃がすでに表にしてくれていたので、それに少し補足をした後は机に薬品棚、ベッドやソファーなど大きめの調度品を追加すればいいだろう。冷え込みが厳しくなってくる季節なので暖房器具も忘れないよう、リスト欄に書きこんでいく。
出来あがったリストはチェルシー・ニール(ちぇるしー・にーる)が預かり、彼女の人脈を利用して、全て信頼のおける機関から調達することになっていた。
不審な集団から目をつけられているらしいこの集落に、出所の胡散臭い品物を運び込むことは何としても避けたかったからだ。
「校内に今ある備品はこの表を見てね。それから、こっちがこれから必要になると思われる物の一覧。今までの学校設立計画や進捗状況については、今まとめているからね」
冬月 学人(ふゆつき・がくと)は作成した書類をハーヴィに示しながら、その内容について一枚一枚丁寧に説明していく。大らかな性格の妖精たちにはこういった細かな情報は不要かとも思ったが、きちんと管理をしておいた方が何を揃えるべきか明確に分かって良いだろう、と学人は考えたのだった。
「新しく整備している教室についても今説明しちゃっていいかな?」
うむ、とハーヴィが頷くのを確認してから、学人は指で廊下の先を指し示す。
「向こうではロゼ達が保健室を作っているよ。生徒以外の人でも診療を受けられるように、校内を通らなくても入れる構造にすると言っていたね。それからヴァンビーノ・スミス(ばんびーの・すみす)が画材を、斑目 カンナ(まだらめ・かんな)がキーボードを学校に寄贈したから。この二人は今、ちょうどそれぞれ美術と音楽の授業を開いている所だよ」
「ほう、それは面白そうじゃ。どれ、我もちょっと覗いてこようかのう」
管理者としてというよりは純粋な好奇心から、ハーヴィはそう言ったように見えた。
「お前さんも行かんか?」
「僕は書類を片づけちゃうよ。それが終わったら、学校の入口に生徒の子達の要望を聞くための意見箱も設置したいしね」
「むう……そうか、真面目じゃのう。じゃあそっちはよろしく頼んだぞ。我はちょっと授業の様子を見てくるからの」
学人がいってらっしゃい、と言うが早いか、ハーヴィは弾む足取りで教えられた教室へ向かって行った。
ヴァンビーノ・スミス――本名ヴァンビーノ・クリス・ディエゴ・バルトロメオ・スミス・レオーネは、美術室に集まった妖精たちにスケッチ用の紙と鉛筆を配り終えて、今まさに写生の授業を始めようとしていたところだった。
「おお、お前さんがヴァンビーノ先生じゃの。美術の授業とは楽しみじゃ。ささ、我のことは気にせず早速始めておくれ」
突然教室に乱入して授業参観を始めた族長の言葉に少しムッとしながらも、ヴァンビーノは目の前の生徒たちに向かい合って口を開く。
「はいこんにちは。僕のことはディエゴ先生と呼ぶように」
彼はイタリア語で「子ども」という意味を持つヴァンビーノの呼称を嫌っていた。
「今日は簡単なスケッチから始めてみよう、紙と鉛筆は皆持ったかい」
そうヴァンビーノが問うと、妖精たちは大きく頷きながら手にした筆記具を掲げて見せる。
「初めに僕が手本を見せよう、そこの君をモデルにして描くよ」
前列に座った妖精の一人を指し示して、ヴァンビーノは自分の鉛筆を手に取った。そして紙面にそれを走らせた――かと思うと、目にも留まらぬ速さで妖精の素描を仕上げていく。ヴァンビーノがあっという間に描き上げた手本のスケッチを見せると、生徒達から感嘆の声が上がった。
「ほお、凄い技術じゃのう。機会があればぜひ我の肖像も描いて貰いたいものじゃ」
「族長の描く芸術的過ぎる絵とは全然違いますもんねー……でも、描いて欲しいって気持ちは分かります」
「私の絵も描いて欲しいです! ディエゴ先生!」
一人が手を挙げると、それに釣られたように我も我もの大合唱が始まる。
「分かった、分かった。スケッチを描いて欲しいやつは並んでくれ」
ヴァンビーノがそう言うと、妖精たちは一斉に立ち上がって彼の前に列を作る。
「……あれ? これ僕が授業受けてないか?」
妖精たちの列に若干困惑気味の笑みを浮かべながら、ヴァンビーノはキャンバスに向かい合った。
「皆良いのう……。しかしここで同じように並んでは大人げないと思われるじゃろうし……隣の教室でも見に行くとするかの」
写生待ちの列に未練を残しつつ、ハーヴィは美術室を後にした。次に向かうのは、隣の音楽室である。
ハーヴィが音を立てないように注意して扉を開くと、先生役を務めるカンナの綺麗な声が聞こえて来た。
「……合唱をしよう。なんでも良い……皆が歌える歌があるなら、それで」
自身が寄贈したキーボードの前に座って、カンナは生徒たちが歌い出すのを待っていた。しかしいつもなら我先に得意な歌を披露し出す妖精たちが、互いの顔色を窺うようにおずおずと周りを見回している。
教室の後ろで見守るハーヴィには彼らの緊張が見てとれた。皆歌は好きなのだが、普段から伴奏に合わせて歌う習慣がないのでどうしたら良いか分からないのだ。おまけに初めて受ける音楽の授業ということで、失敗を恐れている。
ハーヴィが助け船を出すべきか迷っていた時に、口を開いたのはカンナだった。
「好きな歌、流行っている歌、何でも良いんだよ。音楽ってのは調和だ。バラバラの声や音を一つにまとめて綺麗にしていくのが醍醐味ってやつさ。歌に自信がなくても良い。音が少しくらい外れてても、声が良かったり通っているならそれで良いんだよ」
その言葉に安心したのか、妖精たちは誰が先というわけでもなく自然と同じ歌を歌い始めた。月曜、火曜、と曜日を繰り返す内容のその歌に合わせて、カンナのキーボードが一音ずつ丁寧に音を紡いでいく。
その様子に安心したハーヴィは、しばらく彼らの奏でる旋律を堪能してから、そっと教室を抜け出した。穏やかで楽しげな合唱のレッスンは、このまま何の問題もなく進んでいくことだろう。
「さて今回も頑張って建築するでありますよ」
そう言って葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)が作業を始めてから、幾ばくかの時間が経過していた。今回彼女がパートナーのコルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)と協力して建てているのは、外部からきた客人のための宿泊施設だ。
今は集落の中心から外れた、やや入口に近い付近で建築を進めている最中である。作業の中心となっているのは吹雪とコルセアだったが、そこそこ体力のある数人の妖精たちも建築の手伝いに来ていた。
建築中の宿屋は妖精たちの居住するログハウスを一回り大きくしたような建物で、周囲の景観とも上手くマッチしているものであった。設計をした時にはまだ集落名が未定であったため名前を付けられなかったが、吹雪は集落の名に因んだ名称をこの宿につけるつもりでいた。
コルセアも建築を手伝いながらその工法や資材に問題が無いかチェックを行っていたが、その最中にふと以前倉庫を建てた時のことを思い出す。あの時は少し目を離した隙に、吹雪が図面にないはずの「秘密の地下室」を作り上げてしまったのだったが……。
「また何か地下に余計なもの作ってないわよね……」
嫌な予感がして、コルセアは設計図を丹念に見直した。すると、明らかに怪しい箇所があるではないか。
急いで図面のポイントに該当する所を調べると、壁が開いて隠し通路が姿を現す。どうやらこの通路、倉庫の地下を経由して集落の外にまで続いているらしかった。
「またかー!!」
「ふふふ……」
思わず叫ぶコルセアの傍らで、吹雪は不敵な笑みを浮かべている。
その時、外の作業を任されていた妖精たちが何かに気付いて声を上げた。
「あー! 『かっこいい戦闘』の先生だ!」
丁度集落に着いたばかりの辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は、あっという間に数人の妖精たちに囲まれてしまった。
「先生、また護身術教えて!」
「せっちゃん先生の恰好良いやつ、また見たいなぁ」
以前刹那が妖精たちに「悪はかっこいい戦闘ができる」ことを示すために披露した模擬戦が、思いがけず彼らの心を掴んだらしい。ただし、依然として何かを誤解しているようではある。
「わらわが教えたのは護身術ではないというに……」
刹那は眉根を寄せて否定するが、妖精たちは構わずキラキラとした瞳を彼女の方に向けていた。あまりに執拗にせがまれるので、とうとう刹那は根負けして彼らの言う「護身術」を教えてやる羽目になった。
「全く仕方ないのぉ……もう少し開けている所に移動するぞ。じゃあの、アルミナ、イヴ。――ああこら、引っ張るでない」
パートナーのアルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)とイブ・シンフォニール(いぶ・しんふぉにーる)に別れを告げると、刹那は妖精たちに手を引かれながらその場を去って行く。
「せっちゃん行っちゃったね。でも、ここまで連れて来てくれて良かったな」
嫌がる刹那に集落への案内を頼んだのは、他でもないアルミナだった。妖精の集落と聞いて、もしかしたらハーフフェアリーである自分を知っている妖精に会えるかもしれない、そんな期待を抱いたのだ。
「あ、今いた子たちにも聞いてみれば良かったかな。まあ、村を見て回るついでに妖精さんたちとお話してみればいっか」
「妖精さんと話がしたいなら、学校に行けば一杯会えるでありますよ? たぶん」
いつの間にか宿屋の外に出て来ていた吹雪が、木造校舎の方を手で示しながらアルミナに言う。
「授業中かも知れないけど、潜り込んで一緒に授業を受けてしまえば問題ないであります」
「問題でしょ、それは。でもまあ、学校なら確実に妖精に会えるのは確かだから、他に行く所を決めてないなら見に行ってみたら?」
のほほんとした顔で冗談をかます吹雪にツッコむ気も失せつつ、コルセアは言う。
「そうなの? じゃあ行ってみるよ、ありがとう!」
アルミナは少し考える素振りをしたが、とりあえずその学校に行ってみることに決めたようだ。吹雪たちに礼を言うと、彼女はイヴを伴って歩き出した。