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とある場所での梯子戦

――某所。
 集められた観客の視線の先にはリングがあった。
 四隅に鉄柱、マットを囲うロープ。プロレスで扱う四角形のリング。
 通常のプロレスと異なるのは、リング上にラダーが置かれている事。そしてリングの中央に位置する場所辺りの天井から、吊り下げられているアタッシュケース。
 これが、この日行われるワンマッチの試合形式を物語っていた。

――ラダーマッチ。
 フォール、ギブアップ、KOといった通常の決着方法とは異なり、天井から吊るされているアイテムを用意されたラダーを用いて先に獲得した方が勝利となる特殊なルールの試合形式である。
 相手を痛めつけダウンしている状態で悠々とラダーを上るもよし、隙を突いて素早くアイテムを奪うもよし。如何なる手を使おうとも先にアイテムを獲得した者が勝者だ。
 単純に見えて過酷なこの試合に挑む者が、リング上で対峙していた。

 一方は富永 佐那(とみなが・さな)ソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)をマネージャーとして従えている。
 今回何やら佐那とソフィアは海音☆シャナ霙音☆サフィとしてユニットを組んだ、という事でこの二人での参戦となったようだ。今回の試合はこのプロモーションも兼ねているようである。エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)は観客席から見守っている。
 一方は和 泉空。所属している団体、プロレスリングHCは現在倒産した為フリーランス状態の彼女にセコンドは誰もいない。パートナーは今回別件で出払ってしまっている為一人での参戦だ。その為か時折溜息を吐いているようにも見える。

 折り畳まれたラダーを挟み、佐那と泉空は立っていた。二人の頭上にはアタッシュケースが吊られている。
 観客が見守る中、始まりを告げるゴングが鳴らされた。

 さて、試合の内容である。
 佐那が今回用いた戦法は、自ら攻めるよりも返し技を主体とした物であった。ケースは積極的に狙うよりも、泉空に十分ダメージを与えてから。
 だがこれは失敗だったと言えよう。相手は技巧派の選手である。
 例えば泉空が技を仕掛けたとする。そこから佐那は後ろを取り、三連続ジャーマンを狙おうとするが、泉空はその場で回転し足を取り、膝十字固めを極めていた。
 佐那の技が全く決まらない、というわけでもない。だが相手はしっかりと受け身を取り、ほとんどダメージにはなっていない。まるで、わざと仕掛けさせているようである。
 技の攻防は互角に見え、その実泉空が支配しており着実に佐那にはダメージが重ねられていた。

 試合も中盤に差し掛かった頃、泉空が仕掛けた。
 佐那の背後を取り、クラッチを極めるとそのまま後ろへ反り返る。そして途中でクラッチを外す投げっぱなし式のジャーマンであった。
 大きく放り投げられる佐那であったが、彼女は笑みを浮かべていた。
――この程度であれば受け身を取ればダメージは少ない。そのように考えていたのである。
 直後、佐那は背に大きな衝撃を受け、息が止まる。マットとは違う、固く冷たい感触。
 佐那が投げられた先にあったのは、畳まれたラダーであった。
 受け身を取るタイミングは完全にズれ、背中からダイレクトにラダーに叩きつけられた佐那。そのダメージは大きく、立ち上がる事が出来ない。
 そんな佐那を尻目に、泉空は淡々とラダーを設置し、上りだそうとする。このまま決着が着きそうであった。

(マーマ……じゃなくてシャナさんがピンチです!)
 その光景を見ていたソフィアが動く。事前にセコンドとしてのお約束、を聞いていたは【ポイントシフト】でエプロンへと一気に距離を詰める。
 セコンドとしてのお約束――試合の最後の最後で内容をひっくり返すという為だ。
 エプロンへと上がったソフィアはロープに手をかけ、そのまま反動を利用して飛び上がるがリングには入らず、ロープの上に乗る。
 このロープの反動を利用したスワンダイブ式のミサイルキックでラダーを蹴り、上っている泉空を転倒させようと試みたのである。
 だが、相手も上手であった。ソフィアの姿を確認すると、泉空はさっとラダーから降り、ソフィアにぶつける様にラダーを転倒させたのである。
 ロープの上にいるソフィアは逃げられない。鉄の塊を何とか避けようとするが叶わず、衝撃でリング下へと転がり落ちる。
 ロープからリング下まで、距離は意外と高い。ダメージが深いのか、ソフィアは中々起き上がれない。
 その中で、泉空は再度ラダーを設置し、上り始める。佐那も何とか止めに掛かろうとするが、こちらもダメージが深く起き上がれない。
 邪魔が入らない中、スムーズにラダーを上った泉空はそのままアタッシュケースを手にする。直後、試合終了のゴングが鳴ったのであった。

――試合終了後、泉空はケースをその場に置き、開けずにリングを去ろうとする。
「ちょ、ちょっと! 開けないんですか!? 確かに貴方には興味がないかもしれませんが……」
 何とか立ち上がった佐那が止めようとするが、振り向きもせずに泉空はこう言った。
「……存在しない物に興味は無いから」
「え、あのちょっと!」
 止める声も聞かず、泉空はさっとリングを降りてしまう。
「……マーマ、これ何入っているんですか?」
 少しふらつきながらソフィアがリングに上がってくる。それに対して佐那はただ首を傾げるだけだ。
 そして二人は少し考えた末、『開けてみよう』という結論に行き着くのであったが、
「「……何これ?」」
再度、首を傾げる結果になった。

――ケースの中身は、事前に佐那は『新曲CDを宣伝してくれる誓約書』が入っている物だと思っていたらしい。
 後に解る事であるが、泉空は『HCのベルト挑戦権』だとか聞かされていたらしい。団体が無くなった今、確かに存在しない物である。
 そして実際何がケースに入っていたのか。それについては中身を見た二人から明かされることは無かった。多分碌でも無い物だったのだろう。