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■ 柊 真司&ヴェルリア・アルカトル


 東カナンであった婚約パーティーから帰宅した翌日。
「……ふえ?」
 自然と目を覚ましたヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)は、もそもそベッドの上で身を起こした。
 目覚まし時計が鳴った記憶がない。
 めずらしい、鳴る前に起きることができたんだ、と思いつつ、目覚ましへ目を向けた直後。
「!!!!!!!!!!」
 ヴェルリアは声にならない悲鳴を上げてベッドから飛び出した。
「大変……っ、大変なのです!」
 真司たちの朝食が!!
 いやもう朝食どころか昼に近い時間で、今から準備したらそれは昼食だろう、とかなんとか、パニックを起こした頭がどこかでツッコミを入れるなか、階下へ駆け下りる。
「ああ、起きたのか」
 ばたばたとダイニングキッチンへ駈け込んできたヴェルリアを、ソファにかけていた柊 真司(ひいらぎ・しんじ)が振り返って見た。
「はい! すみません! 寝坊しました! 今すぐ作ります!」
 彼の前、ヴェルリアはあたふた冷蔵庫を開け、食事の支度にとりかかろうとする。
「いや、いい。リーラも俺も、あり合わせの物で簡単にすませたから」
「えっ?」
「昨夜、おまえ疲れている様子だったろう? 今日は好きなだけ眠らせておいてやろうって」
「そう、だったんですか……。じゃあ、目覚ましを止めていたのはリーラだったんですね。てっきり止めて、また眠ってしまったんだとばかり思ってました」
 きょとっとしたヴェルリアに、真司がくつりと笑う。
「だから、作るなら自分が食べる分だけでいい」
「分かりました」
 1人分、と考えて、手早くキュウリとハムのサンドイッチを作る。途中でふと、お昼が近いことを思い出した。
「真司、お昼はどうしますか?」
「んー?」
 返ってきた生返事に、肩越しに振り向くと、真司はテレビに見入っているようだった。ヴェルリアが何を言ったか、頭に入っている様子はない。
(一緒に自分の分もとは言わなかったですし。きっとまだおなかは空いてないのでしょうね)
 自分たち以外のだれかが家にいる気配はなかった。きっとリーラは出かけているのだろう。
 念のため、真司の分のサンドイッチも作ってラップをかけ、テーブルに置いておくことにした。そして自分の皿を持って、ひょこひょこソファへ近付く。
「何を見てるんですか?」
 そんなに夢中になっているのが何か知りたくて、訊いてみた。ら。
「昔のホラー」
 ぼそっと返ってきた言葉に、カチンと固まった。
 そんなヴェルリアの様子も知らず、画面に釘付けになったまま、真司は自分の横をぽすんと叩いて座ることを促し、その手をソファの背もたれへ乗せる。
 まあ、まだ昼間だし。
 真司もいるし。
 正直、遠慮したかったが、そう考え直して前へ回り込むと、真司のとなりへ腰を下ろした。
(平常心……平常心なのです)
 呪文のように胸でつぶやいて、サンドイッチを口元へ運ぶ。
 やっていたのはジャパニーズホラーだった。
 かなり苦手の類いだ。
 ゾンビやモンスターを相手に戦っている日常を過ごしていて、何を今さらと思われるかもしれないが、ジャパニーズホラーはそのものずばりを見せず、音楽や効果音、カメラワークとかで見る者の感覚、感性に訴えてくる。何か起きる「かも」しれないことを恐れる無意識、生理的な恐怖……。
「ヴェルリア」

「ぅわっは、はいっっ!!

 いつの間にかどっぷり見入っていて、そんな中で名前を呼ばれたものだから胸にドキンときて、思わず裏声で叫んでしまった。
「大丈夫か、と訊こうとしたんだが」
 ヴェルリアの反応がよほど面白かったのか、真司はくつくつ肩を揺すって笑う。その姿に、ますますヴェルリアは赤面した。
「あ、あの……私、お夕飯の買い物、してきますね……っ」
 いたたまれない思いで腰を浮かし、サイドテーブルに置いてあった空の皿を取ろうとしたヴェルリアの手を、真司が掴む。
「おどかした俺が悪かった。あと少しだ、最後まで見て行く方がいい」
「だって……お夕飯……」
「買い物ならあとで俺もつきあってやる。
 途中でやめるとずっとラストが気になるぞ。そっちの方が嫌だろう?」
 それもそうかも。
 思い直して座り直したヴェルリアの手を、しかし真司は離さなかった。そのままぐいと引っ張って、自分の方へ倒れ込ませる。背もたれにあった手がヴェルリアの肩を抱いていた。
「し、真司?」
「怖いならこうして俺に掴まっていればいい」
「でも、あの……でも」
 密着したところから伝わってくる感触や熱で、とても映画に集中できな――……
「言っておくが、この映画、これからさらに怖くなるぞ」
 それを聞いて、身を起こして離れようとしていたヴェルリアの動きがぴたりと止まった。
 ためらうような間をあけたあと、ゆっくりと起こそうとしていた体を戻す。「お世話になります」と言うように、遠慮がちに真司の服を掴んだ。だが、ヴェルリアはまだ遠慮している。
 わずかに空いた隙間をなくすよう、真司はヴェルリアの肩を抱く手の力を強めて2人の体を密着させた。
「真司……」
 目を上げると、すぐそばに真司の横顔があった。
「黙って。重要な場面を見逃すと、話についていけなくなるぞ。――ほら、ヒロインが来た」
(……だって……っ。これじゃあ真司が気になって、映画に集中できません……っ)
 というか、なんで真司は平気そうなんですかっ。私ばっかりこんな…………ずるいです。
「あ、あの。真司、もう少し緩めて……」
「いやだ」
 ってそんな、子どもみたいに。
「でも……いつリーラが戻ってくるか……」
「あいつはまだ帰らない」
「………………」
 この状況をほかのだれかに見られるのはとんでもなく恥ずかしい。だけど――結局のところ、ヴェルリアもうれしいのだ。
 指輪をもらい、婚約して数カ月。だけどまだどこかふわふわ気持ちが浮ついて、現実味が薄いというか、夢心地なところがある。
(真司は、どちらかというと淡泊で、こんなこと滅多にしてくれないから……)
 だから、してくれるときくらい、甘えたっていいかもしれない。
 無理に終わりにする必要なんかないのかも。
 そう思ったら、肩から力が抜けた。触れ合った箇所から真司にもそれが伝わってくる。
「……こ、この映画が終わるまで、ですから……っ」
 猫のように真司の肩に頬をこすりつけ、耳まで赤くなって小声で言うヴェルリアのかわいらしさに、真司は衝動を抑えきれなかった。
 顎を持ち上げ、唇を押しつけるようなキスをして。その唇に囁く。
「この映画、スペシャルエディションだからあと70分はあるぞ」
 真司の腕のなか、ピキンとヴェルリアの体が引きつったのは、今まさに画面上で盛り上がっているホラー映画への怖さからか、それとも……。
「し、真司ぃ……?」
 なさけない声で彼を呼ぶヴェルリアに、真司はくつくつ笑いが止まらなかった。