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リアクション
■ 高柳 陣&セテカ・タイフォン
アガデの都へ着いた日。
買い物へ行くと言うパートナーたちと別れて北区にある下町へ入った高柳 陣(たかやなぎ・じん)は、銀色に塗装をされた――しかしかなり剥げた――羅針盤の模型が入口の脇に置かれている料亭の前で立ち止まり、一度確認するように店全体を眺めると、スイングドアを押して中へ入った。
陰ってうす暗い店内を何気なく見回す。カウンター席にテーブル席が5つほどの、わりと小さめの店だ。飾りやテーブル、イスと、どれ1つとっても年代を感じさせる代物だが、清掃が行き届いていて、ぱっと見印象は悪くない。
「いらっしゃい」
明るく声をかけてくる店員に会釈を返し、入口とは対角の奥の席へ足を進めた。ここなら入口をくぐってきた者に、一番に気がつく。
「いらっしゃい。お客さん、アガデの人じゃないね」
すぐ後ろに立っていた店員が、陣が座るのを待って言った。
服装を見れば丸分かりだ。陣は「ああ」とうなずく。陣の返答に、店員はうれしそうににっこり笑った。
「アガデへようこそ。
何にする? 今日のおすすめはタヴックル・キョフテシィとタブックル・パタテスイェメイだよ」
聞いた瞬間に端から忘れていきそうな、舌を噛みそうな名前を聞いて陣はとまどったが、とりあえず「じゃあそれを」と無難な返事を返した。もちろんそれが何かは分からない。
店員は「分かった」と答えると、それをカウンター内の店員に伝えに行き――戻ってきて、テーブルにドンと中ジョッキを置いていった。
飲み物を訊かれないのでおかしいな、と思ったが、どうやらこの店ではこれが定番らしい。色といい、においといい、ビールのようだ。それを飲んでいると、スイングドアが開く音がした。
「やあ、いらっしゃい」
あきらかに陣を相手にしたときとは違う、ぬくもりのこもった店員の声と笑顔が向けられる。
「おう。久しぶりじゃねぇか」
そのほかにも、カウンターやテーブルについていた客たちから次々と親しみの言葉をかけられて、それらに応じつつセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)は人の間を縫うように歩いて陣のテーブルまでやってきた。
「悪い。待たせたか?」
「いや、そうでもない」
「そうか」
テーブルに料理が並んでいないのを見てうなずくと、向かい側に腰を下ろす。すぐさま店員がやってきて、セテカの分のジョッキを下ろした。セテカと目を合わせ、ニヤリと笑う。
「あら驚いた。ここにいるのはセテカじゃない? ずい分ご無沙汰ね。もうあたしたちのことなんか、忘れちゃったと思っていたわ」
「意地の悪いことを言うなよ。ちょっと忙しかっただけさ」
「ふーん。ま、そういうことにしといてあげるわ」
親しげな口をきいてほおに軽くキスをすると、注文を書きとめて、店員は腰を振りながら去って行った。
その様子に陣は少々あっけにとられる。
「ずい分親しいみたいだが、ここの者たちはおまえのこと、知らないのか?」
「いや。アガデが魔族に襲撃されたあとの復興を担当したからな。ただ、この店の常連たちとは10年以上のつきあいだ。お互い、今さら他人行儀も間が抜ける」
セテカの言葉に、そういえばそんなこともあったな、と思い出した。
あのころちょうどこの北区近辺だけが残って、しばらくアガデの人たちはここを拠点に生活することを余儀なくされていたのだった。
「復興、したな」
瓦礫ばかりの焼野原だった当時のアガデの様子を知る陣は、感慨深げにしみじみ言う。
「ああ。それもおまえたち、シャンバラ人の助力があってこそだ」
そこに、見計らったかのように店員が料理の乗った皿を両手に持って運んできた。陣も知るケバブや、それから何か野菜に詰めた揚げ物が皿に山と盛られている。
「おまたせ!」
ドン、とテーブルに置かれた瞬間、湯気とともにおいしそうなにおいが広がった。
「さあ食べよう。この店の料理は本当においしいぞ。特に肉料理が絶品だ」
それから2人、しばらくたわいのない世間話をしながら食べて飲んだ。香辛料の効いた濃いめの味付けの料理はあっさりとした口あたりのビールに合って、食が進む。
ある程度酒が入り、腹が満ちたところで陣がおもむろにジョッキを持ち上げて言った。
「シャムスとの婚約、おめでとう」
セテカは少し眉を上げて、応じるように自分のジョッキを当てる。
「まさかおまえとシャムスがそうなるとはな。ま、あおったのは俺たちだが」
サンドアート展でのひと幕が頭をよぎり、2人同時に吹き出し笑う。
「今だから言うが、あのときでもおれは無理だとあきらめていた。障害が多すぎる。おまえも知るとおり、おれは図太いからな。おれはどうとでもなるが、彼女を巻き込みたくはなかった。だが」
遠い目をして窓の外へ視線を投げていたセテカが、何かを思い出したように、ふっと表情を緩ませた。
「おまえたちシャンバラ人は、つくづくユニークだ」
「は?」
いきなり話がぶっ飛んだぞ? と陣の目が語っているのを見て、セテカは補足した。
「おれはカナンでもかなり柔軟な方だと思っていたが、それでもおまえたちの思いつきや行動の突飛さには驚かされることがたびたびある」
それは、やはり育ちに起因しているのだろう、とセテカは思った。貴族と平民――身分制度のはっきりしたカナンでは、シャンバラ人のように自由奔放に振る舞うことなどまずあり得ない。当事者である陣たちにはピンとこないだろうが、今度の婚約も、おそらく彼らがいなければ起こり得なかった事だ。
「……まあ俺はともかく、コントラクターは素直でお人よしが多いからな。もし策に使うとしても、もう少し楽に使えよ」
苦笑する陣が何を言わんとしているのか悟って、セテカはフォークを止めた。
「そういえば、あの子はどうだ?」
「元気でやってる。背が3センチ伸びた。ハリールにべったりで、いつか蒼学に入ってかっこいい魔法使いになるんだと言っていた」
「そうか」
もうじきバァルに子どもが生まれる。その子が成人して、継承権を確立すれば、あるいは。あの少年も東カナンへ戻ってこれるかもしれない。そのころにはもうシャンバラに根ざしているかもしれないが、しかしやはり、あの少年のルーツはここだろう。
いつか、シャンバラの自由を尊ぶ気風を持ったカナン人として、新たな風となるかもしれなかった。
「これからもあの子を頼む」
「ああ。こっちこそ、来月からティエンが世話になるからな。なにかあったら面倒見てやってくれ」
「引き受けた。――と言っても、俺もあと半年ぐらいで南カナンへ移るが。バァルたちが喜んで世話を焼くだろう」
その後も、かなり遅くまで2人で思い出を語りあった。婚約パーティーを間近に控え、幸せの絶頂にいるセテカが、かつては幾度も死の危険にさらされて、死神に憑かれているのではないかと囁かれていたのも、今となっては1つの思い出だ。
しかしそれから数日を経、婚約パーティー当日となり、婚約指輪盗難事件発生を聞かされたとき、陣は思った。
あいつ、実は憑かれていたのは死神じゃなくて、貧乏神なんじゃないか、と。
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