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第6章 動物の多すぎる書庫


「誰かいますか? いませんか?」
 高い書棚の上によじ登り、その裏を覗き込みながら、ナオは声をかけた。
 人を恐れて隠れている本を探しているのだった。
 恐怖心を無視して無理矢理どうこうするという乱暴な気持ちはないが、狭い場所で身を隠し、息を潜めてずっとひとりぼっち……では可哀想だ。
 人に怖い思いもさせられた気持ちは、ナオにも分かるものだから。
(早く落ち着くところに連れて行ってあげたい……です)
「……いない、かな」
 いないのならそれでいい。書棚はかなりの高さで、天井との間は狭く、思うように動ける場所ではない。ナオは腹這いのまま、降りるためにずりずりと体をずらして方向転換をしようとした。
 その時。
(……出られない)
 聞き逃してしまいそうな小さな声がして、ナオは振り返った。
 声は、棚と壁の隙間から聞こえてくる。
「そこにいるんですか?」
 ナオの呼びかけに、少し間をおいてやはり小さな声が返ってきた。
(……僕は、毟られて潰されて、もう赤裸。もう本じゃない。読める場所なんか残ってない)
(人間の手に取られたくないからここにいた)
(……でも)
(恐怖は紛れても今度は孤独がそれにとって代わる)
「……大丈夫、ここでは誰ももう怖いことはしませんから」
 ナオはなるべく優しい声でそう言って、壁と棚の間を覗き込んだ。しかし、奥行きがありすぎるし暗くて何の影も見当たらない。
(……それを信じることがたとえ出来ても、もう遅い。僕はもう身動きが取れない))
「諦めないでください。手を伸ばしますよ? いいですか?」
 怯えさせないよう断りを入れて、その狭い隙間に腕を差し込んだ。だが、何も見当たらないから盲滅法である。動かしても何も手に当たらないし、どこにあるか見当もつかない。
「うーんっ、…………?」
 手探りで必死に探っていると、突然、腕のすぐ横を何かが動く気配がした。
 と思うと、突然、ほとんど顔を横にして棚の上部にへばりついて腕を入れていたナオの目の前に、何かが壁の隙間から飛び出してきた。
「わっ!?」
 小さな影が空中にぽーんと飛び出し、それが何かをナオに投げて寄越した。咄嗟に、隙間から引き出した腕でさっとそれを受け止める。
 本だった。しかもぼろぼろの……ところどころページが塊で抜けているので背表紙ががばがばしている。時間経過による劣化からくる損傷ではなく、明らかに何者かが無理矢理引っこ抜いたものだった。しかもところどころ、場所によってはページがほぼ丸々黒く塗りつぶされている。その痛ましい跡は、恐らく時の為政者による検閲の結果なのだろう。
 そして、それをナオに放ったのは……
「ネズミ!?」
 小さな茶色い、まさにネズミとした呼びようのないそれは、ちょっとナオに目をやっただけで、すぐに駆け出して壁の隙間とは反対側へ、棚から飛び降りるように飛び出した。
 そこへ、空中を滑るように、音もなく何かが現れた。
 それはフクロウだ。
 ネズミは、空中でそのフクロウの背に飛び乗ると、そのままフクロウと共に飛んでいったのだった。
「……わ〜〜(あのフクロウ、ネズミを捕らないんだ……)」
 ちょっとした小動物の曲芸を見せられた格好のナオは呆気にとられていたが、ハッと我に返り、手の中の書を見やった。書は「ネズミ…」と呟き震えている。棚に置かれている書物にとって何も知らずに齧ってくるネズミは天敵かもしれない。あのネズミは壁に挟まっていたこの書を助けていき、危害を加えなかったようではあるが。
「大丈夫です、もう大丈夫ですよ。今、ここを降りてエドゥさんのところに行って、治してもらいますからね。
 とりあえず今は軽く埃を払って……あ、こう払う仕草、怖いですか? じゃあこう……布でそっと拭いますからね……」
 ネズミとフクロウのことは今は取り敢えず置いておいて、ナオはその書をもって棚を降り、書庫の出口に急いだ。



「……で、具体的な策も特にないままここまで参ったが……」
 地下書庫もだいぶ奥までやってきて、オットー・ハーマン(おっとー・はーまん)はふと足を止めると、後ろから呑気な足取りでついてくる南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)を振り返った。
「件の魔道書殿を見つけるために、如何なる手段を取るつもりなのか?」
「鯉くん……よくぞ訊いてくれましたッ!」
「あるのであるかっ!?」
 訊いておきながらまともな考えなど光一郎にあるはずないと思っていたオットーは驚く。
 びしっ! と指を立てた光一郎の一言は。
「無策(薔薇的な意味で)!」
 そんなことだと思った、とオットーは肩を落とす。
「それは想定内として、何なのだその(薔薇的な意味で)とは」
「だってさー、その攫われたっつー頽廃的な魔道書のおねいさんって、中世ヨーロッパの貴族社会が出自なんしょ?
 だったら、詩的表現で気を引くのがイチバンと見た!
 さらに中身がゴシップ書籍とあれば、文末に『薔薇的な意味で』をつければ意味が変わっちゃうフレーズは多々あるはず!」
 イルミンスールで聞いた行方不明の魔道書の特徴から何を考えたんだこいつは、という目でオットーはただ楽しそうな光一郎を見た。
 じと目になりかけたところで気を取り直して咳払いをすると、
「何を考えているのやらよく分からんが、魔道書殿とやり取りしようにも、まず救出するのが先であろうが。そこが無策ではどうにもならぬ」
「だからその辺は鯉くん宜しく〜。どーんとやっちゃってどーんと」
「それがしに出来るのは治療、支援系が専らである。荒事は光一郎に任せたい」
「荒事(薔薇的な意味で)?」
 きょとんと聞いてきた光一郎をオットーは無言でげんこつで殴った。
「まぁまぁ、俺様もちゃんと、【ホークアイ】で隠れてるところ(薔薇的な意味で)を捜そうと思ってるぜ?」
「やめぬか」
「迅速に行動するには【ゴッドスピード】(薔薇的な意味で)!」
「……だからやめろと」
「いざ戦闘となれば【破壊工作】(薔薇的な意味で)!
 ――おっ、なんかこれ淫靡じゃね? 淫靡てーしょん♪」
「……だから」
「♪淫靡がくるりと輪を描い」
「やめろと言っておろうが!」
 2発目のげんこつを叩き込んで、ふーっと息を吐き出したオットーが天井を仰ぐと。

「……フクロウ?」

「えっ、フクロウ(薔薇的な」
 まだやるか、と3発目を打ち込み、
「追うぞ、光一郎!」
「へいへーい」
 【ダークビジョン】で暗がりを注意しながら、オットーは、部屋の天井を静かに飛んでいったフクロウの後を追って走り出した。光一郎はそれに続いた。



「なるほど……ここの本たちが感じてる違和感、かぁ。クラヴァートGJ、だね」
 フクロウの足に結び付けられていた紙を広げて読んだヴァニは、頷いてその紙をベスティに渡す。肩に己の書の中から呼び出したフクロウを止め、紙を読んだベスティはちょっと考えると、
「これはそのまま、パレットたちに流そう」
 再びフクロウの足にその紙を括りつけ、宙に放った。
 フクロウの背に乗って戻ってきたネズミは、特に情報はないようで、ベスティの懐中に還っていった。すると、今度は床を走ってきたモグラが、ベスティの足元に現れた。
「……! 揺籃の獣を見つけたらしい」
「マジ!? じゃあ、すぐに行こう!」
 モグラを再び走らせ、2人は、隠れていた書棚の隙間から飛び出した。
 と。
「わっ」
 誰かにぶつかりそうになった。オットーと、その少しあとから来た光一郎である。
「うわ、書庫の中に鯉がいる! ベスティ!?」
「俺の本には鯉はいないよ。使役獣じゃなさそうだ」
「それがしは鯉ではござらん! ドラゴニュートである! ところで貴殿ら、フクロウが飛んでいくのを見なかったか?」
「それなら僕らのフクロウだよ。ベスティの鳥で大事な伝令役だから取って食べちゃダメ」
「取って食うわけがなかろうがっ!」
「ねーきみ、なんでそんな格好してんの?」
 光一郎はこの状況の中で一番、ヴァニのゴスロリ風の女装姿に疑問を持つという形で注意を引かれたらしかった。
「この格好? 話せば長くなるんだけど、短めに言うとただの趣味」
「ひょえー、これぞく変態的思考(薔薇的な意味で)……ってしっくりきすぎて笑いの余地がねーっ!!」
「変態とは失敬な。僕は享楽主義者とか言われるけど、楽しい方に流れていくことを変な見栄張って周りに隠したりしないってだけだね」
「ヴァニ……早く追おう」
「おや、フクロウは消えたがあんなところにモグラが」
「へー、鯉……じゃないドラゴさん見えるんだー」
「ドラゴさん……」
「ねーね―それより、俺様のホークアイが何か見つけたんだけどー」
 光一郎が発言するのと同時に、積まれた本の山の影から、音もなく黒い獣が飛び出してきた。
「! 揺籃のっ」
 ヴァニとベスティがハッとして叫ぶより早く、口に本を咥えた揺籃の黒い獣は、彼らの方を一瞥しただけですぐに駆け出した。
「ちょっ、まっ、待てっ」
 それを追って、アキラとルシェイメア(とアリス)が、ヴァニや光一郎たちの目の前を駆けていく。
「追おう! あの先に揺籃か姐さんかがいるはずだっ」
 ヴァニたちがさらにアキラたちに続く。ベスティの言葉を聞いて、
「待って待って、俺様も行くぜ〜」
 と光一郎も走り出した。
「あっ、ちょっ……モグラ殿は……? いいのであるか?」
 オットーは戸惑って、モグラがいたところを見たが、役目を終えた魔道書の中のモグラはすでにベスティの中に戻っていて、そこにはいなかった。
 そこで、オットーも彼らを追いかけた。