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リアクション
第1章 司書と虫干し監督のお話
【非実存の境】――茫洋とした地平にぽつんと立つ、アレクサンドリア夢幻図書館。
整理が進んだために、入り口に「ホール」と呼んで差支えない、こぢんまりではあるがこぢんまりなりに開けた部屋が確立された。
そこに、契約者や魔道書達、それに司書クラヴァートが集まっている。
「虫干しも、鏡の設置も、注意深く行わなければならない作業になります。
大変な作業になりますが……皆様、どうかよろしくお願いいたします」
クラヴァートはそう言って深々と頭を下げた。
そのクラヴァートに、クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)とクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)がこう提案した。
「図書カードを来館者に発行したらどうかな』
近代の図書館で用いられている様式と同じように、来館者に氏名・誕生日などを登録してもらってそれを記載したカードを発行し、蔵書閲覧に利用するようにしたらどうか、という提案だった。
「借りたい人が見つけられない本は、図書館側で探してくる。
ひょっとしたら、閲覧希望者がこれまで把握していなかった蔵書を発掘して閲覧許可を求めにくるかもしれないし、そうしたら図書館側にもメリットがあるよね」
クリスティーはそんな風に言った。
付け加えれば、貸出票に記録された閲覧した書籍のリストから、どんな傾向の人か読み取れるかも知れないしね。
――何より、来館者の素性が分かるような手段があれば、“不審者の首に鈴をつけられる”。
「そうですね……」
2人の話を聞いて、クラヴァートは頷いた。
が、「ですが、」と続けて口を開いた。
「おそらく“すべての来館者”にその形式で義務を負わせるのは難しいでしょうね……」
「ご存じのとおり、ここに来る来館者は、現実世界で眠りの中にあって夢を見ている者です。
つまりこの世界は自分の夢の中で訪れた場所であり、この外側には実存する自分自身がある……
そのことを知覚しているかどうかは、個人差があります。
換言すれば、『自分は夢を見ている』と分かっていて、
なおかつ『夢を見ている自分』が何者かであるか、夢の中で誰何されて答えられるほどに分かっていられるか、です。
ただ単に、無意識の中で自分に必要な知識の匂いを嗅ぎつけた、というだけで、ここに辿りつく者もいます。
そういう人間は、無意識の求めのままにふらふらと本を手に取りますが……
私も含めた他の人間、自分の意識の外部にあるはずの存在の接触を受けただけで、
夢の世界が崩れ、意識が別の夢に飛んだり、目を覚ましたりということもあるでしょう。
それと、これは私の推測なのですが……
この世界にはありとあらゆる場所、そしてあらゆる時間軸から、人々の意識が訪れます。
例え、自分が夢の中にあると知覚できるほどにしっかりした意識体として存在できたとしても、
その人間の生きている時代や居場所が、客観的に――我々にも通用する知識として、伝えられることができない人もいるかもしれません。
知識がないわけではなく、生まれ育った環境がそういうものをグローバルに備えないがために」
クリストファーとクリスティーは、この図書館を預かる者としての彼の考えを、神妙な表情で聞いている。
そこまで話した後、クラヴァートはしばし口をつぐみ、それから考えを切り替えたようにこう言った。
「――とはいえ、何らかの形で利用者の情報を管理することは必要だろうと、私も考えてはいました。
すべての来館者に通用はしないかもしれませんが、
少なくとも、目的を持って禁帯出書庫に近づく者は、この世界でも強い自覚を携えているはずですし……」
そしてまた、口を閉じたが、ここでクリストファーが言った。
「ならせめて、禁帯出書庫の本に絞ってでも、貸出票を発行する形式を取ったらどうだろう。
貸出票というか、ここの本は【非現実の境】の外には出せないだろうから、閲覧票になるけど。
それによってだけでも、利用者をある程度把握出来ると思うし、個人情報が詳細には掴めなくても要注意人物を見分ける鍵にはなりうるんじゃないかな」
クリストファーの言葉を反芻するように、クラヴァートはしばらく黙って考えていたが、やがて、ゆっくり頷いた。
「そうですね……分かりました。やってみましょう。
取り敢えず、必要なものを用意してきます。力を貸していただけますか」
もちろん、と2人は頷いた。
クラヴァートはまたぺこりと頭を下げ、恐らく雑務に必要な諸々の備品を置いてあるのだろう、司書室へと一旦去っていった。
一方、『蟲』なる存在に精通しているという双子の子供の魔道書、ゼンとコウは。
「すでに人を引き込んでるらしい本を見つけたら、すぐに結界まで持ってきてね。
蟲が潜んでる本は要注意だけど、蟲は大概、1人引き込めば満足するから。
時間がかかるとそれだけ、引き込まれた人の救助にも手間がかかるし、引き込まれた人もそれだけ消耗しちゃうからー。
でも、力の強すぎる蟲は、ごくまれにー、1人だけでは済まなかったりするんだ。
偉そうな…じゃない、格が高そうな? 魔道書に疑いが出た時は、気を付けてくださーい。
不安な時は僕らを呼んでねー」
そんな風に注意を呼びかけるのはもっぱら兄のゼンの方で、人前で話すのが得手ではないらしい弟のコウは一歩下がってもじもじと、手にした小さなガラス瓶をいじっている。その中では黒いものがのそのそと動いている。すでにこの図書館で捕まえた『蟲』らしい。
「――あんなのが本当に、本の中に入っているのかな」
遠目にそれを見ながら、清泉 北都(いずみ・ほくと)がちょっと気味悪そうに呟いた。虫の類はちょっと苦手なのだった。
パッと見、それはやや大きな黒い蜘蛛のようだった。
かくっと曲がる長い脚は、その先端で何かをしっかと捕まえようとしている様子が窺えて、見ていてうすら寒いものさえ感じる。
「本に入ってたら姿は見えねえんだろ?」
ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)も同じものを一瞥したが、聞いたことを思い出してそう面白くもなさそうに言っただけだった。
しかし、“面白くもなさそう”なのには、他に理由がある。
「それより――なんだよ、これ……!」
その“原因”を手に取り、不服を素直に顔に出してソーマは呻く。
「何って……逸れないように」
それは、ソーマの腰の辺りでに巻き付いてその片端を北都のやはり胴回りと結ぶロープだった。
前に来た時にもソーマは、書庫の中で方向感覚を失くして北都が迎えに来るまで出てこられずにいた。
今回は2人で、虫干しのためにので、迷子防止のためにと、このような手段に及んだわけだが。
「いつも逸れるのはお前の方だろ!?」
自分の方が迷っているとは認めたくないようである。
それに対して、北都はちょっと肩をすくめただけで、
「今回は共同作業で、一度に大量の本を運ばなきゃならないからね」
だから途中でバラバラになってしまっては効率が落ちる、ということを暗に含めて言っただけだった。それでソーマも、
「……まぁそうだな」
と一応頷き、ロープ付けてても作業に支障はないからいいけどな、と自分を納得させるように小さく呟いた。
「本を運ぶのに、人の手だけだと限界があるよね。台車があるなら借りたいな」
その方が効率が良いだろう、と北都は、
「司書室は確かあっちだったね」
と歩き出す。ロープが2人の間でぴんと張り、
「おいっ、待てって! 移動する時は声かけろよ!」
引っ張られてソーマも歩き出した。
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