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リアクション
第2章 動線わいわい
禁帯出書庫は、図書館西の塔の奥にあり、鬱蒼とした森の奥にも似た林立した書棚の向こうに、こっそりと存在する。高い壁に囲まれていて、小部屋として隔離されているようにも見えるのだが、見上げると壁と天井の間には隙間もある。しかし気付かないと、そこで部屋が終わっているようにも見えるので、ある意味隠されている。
その高い壁に囲まれた禁帯出書庫への入口は1ケ所、その端に『禁帯出文庫』と書かれた小さい札がある。ここらは、クラヴァートの苦心したところだろう。うっかり危険に近付いてしまわないように知らせる札が必要な反面、それを探している不審人物に場所を教えることにもなってしまう。
「不審人物の接近を阻止するために、鏡をどの場所に設置するのが最も効果的か――」
その、書庫周辺の様子をぐるりと見渡し、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は呟いた。
「書庫に至る動線のデータが欲しいところだな。
1人ではなく、大勢が歩いた統計データがあるといい。より確かなものになる」
その言葉を聞いたルカルカ・ルー(るかるか・るー)、そして杠 鷹勢(ゆずりは・たかせ)と魔道書 パレット(まどうしょ・ぱれっと)は、しばし顔を見合わせた。鷹勢の隣りで白颯も、首を傾げる。
持ってきた鏡は、損傷を恐れて布で覆って上から紐で縛ったまま、数枚がダリルの背後の棚に立てかけられている。
「沢山の人が歩いてみればいいのね。分かったわ」
ダリルの言葉を飲み込んで最初に請け負ったのはルカルカである。
「じゃ、データ収集作戦開始っ!」
その言葉と共に、突然、ルカルカの体がぶわっと――増えた。
【多重影分身・現身の術】により、100人のルカルカ(分身)が現れたのだ。驚いて鷹勢は口をあんぐりと開き、ぎょっとなったパレットは後ずさった瞬間書棚に背中を打ち、白颯に気遣わしげな目を向けられていた。周辺の蔵書までが一瞬ざわつく。
「皆、禁帯出の場所も含めて好きに歩いてくれるかな? 好きな本読んで良いからさ」
本体らしきルカルカが言うと、残りは皆「オッケー」「了解!」「わかったー」などとそれぞれに合点して、わらわらと館内に散っていく。
「凄いなー……」
鷹勢はぼんやり呟いた。パレットとの契約で復帰したもののまだまだひよっこ契約者に過ぎない鷹勢には、歴戦の契約者たちの上級スキルが別次元のもののように映ることがあった。
「分身なのに、みんな違う行動を取るんだなぁ」
鷹勢よりは幾分契約者としての自覚は緩く気楽なパレットは、そんなことに感心している。散らばっていったルカルカ達は、それぞれに書棚を物色したり、何かを探しているのか早足で通路を抜けて行ったり、本を手に取ってページを開いてじっくり見たりしている。ルカルカのこの術での分身は残像ではない、実体としての分身、現身(うつしみ)となるので、誰かの動きに従うのではなく、本当にてんでバラバラに動いている大量のルカルカとしか見えないのだった。
「まぁ、契約者も色々な能力に覚醒するからな」
彼らの“ぽかーん”ぶりを見ていて苦笑したダリルが口を挟んだ。
「能力……」
「この前俺が機晶蜂に合体したのもその1つだよ」
ダリルの説明に、ただ聞き入るばかりの鷹勢だった。
「あっ、ごめんねっ」
ルカルカ(のひとり)が通り過ぎざまぶつかりそうになり、やはり布で鏡面を覆った姿見を抱えたセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)に謝った。
「いえ、大丈夫よ」
そう返したが、すぐさま同じルカルカが3人一緒に通り過ぎていき、一体誰に言葉を返したのだかあっという間に分からなくなる。セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と並んで、セレンフィリティは呆気に取られてしばし、彼女たちの後ろ姿を見送った。
「動線を調べているのね」
あちこち歩き回るルカルカ達を見ながら、セレアナが呟いた。
「私たちも、場所を決めないと」
そう言って、セレアナはセレンフィリティの抱えた姿見を見た。
「そうね……」
――「不審者?」
久々に来た夢幻図書館で、現在発生している問題を聞いた時、セレンフィリティは、
「そんなの、一発ぶん殴って縛ってその辺に転がしておけば」
いいじゃない、と言おうとしてセレアナに窘められた。
「乱暴すぎるわよ!」
図書館という場所で何でためらいもなく物騒な行動を起こそうとしているの、と呆れたようにこんこんと説教された。
「……とはいえ、なかなか捕まえるのも難しいってことよね」
【非現実の境】という、存在すること自体が現実世界と根本的に違う世界ゆえに、他者を追うのも捕まえるのも難しい。存在そのものが……常人なら不安定だし、逆にこの世界での存在を自身でコントロールできる者なら司書を出し抜くことすら画策できる。そんな風にクラヴァートは話した。
「あたしたちも、鏡の設置手伝うわ」
本当に困っているらしいその様子に、そう請け負って、鏡を一枚持って禁帯出書庫へと出向いた。
(『一番見たくない己の姿』ねぇ……それっていったい、何なのよ)
鏡を抱えてセレンフィリティは、ちらりと、それを見た。もちろん、今は布をかぶっているので、鏡面から自分が見つめ返してくることもない。
(「壁に設置するまで布で鏡面は隠しておいて、設置し終えたら一気に布を取り、後は覗きこまないように気を付けてください」)
クラヴァートは2人に鏡を渡しながらそう言ったものだった。
セレンフィリティの前に立ち、セレアナは、図書館入口の方向から禁帯出書庫へ至るルートを想定し、
『そのスペースへ入った際に、否応なく鏡を見ざるを得ないような場所』
を意識して、最適の場所を捜して視線を走らせている。
「……ここに真っ直ぐ入ってきたなら、この柱の手前で左右どちらかに分かれるわね。
一旦どちらに行こうかと迷って立ち止まることも考えられるかしらね……
だとしたら……この柱に立てかけられればいいけど」
考えながら一人でぶつぶつと呟き、セレアナは後ろを振り返った。
「セレン、ちょっとその鏡をここに」
柱にかけて耐えられるかどうか、大きさを確かめようとしてセレンフィリティに声をかけたセレアナだったが、じっと抱えた鏡を見ているセレンフィリティの、その表情にふと眉根を寄せる。
「セレン、」
さっきより強めの語調で呼ぶと、やっと気付いたようにセレンフィリティは顔を上げ、セレアナを見た。
「あ、何?」
「――分かってるわよね、セレン。『鏡は見たらダメ』なのよ」
ほんのわずか、ギクッとしたような表情がセレンフィリティの顔に浮かんで消える。
「も、もちろん、分かってるわよ」
鏡には『一番見たくない己の姿』が映るという。
人はその姿を、認識することを無意識のうちに避けていると、クラヴァートは説明した。例え正面から見せられても、磁石の同じ極同士が反発し合うように、反射的にそこから意識を逸らすのだと。無意識が意識をコントロールして、それを認識させない。それは、危険を避ける野性的な本能に等しいらしい。それを認識することは、己の精神世界を時に致命的なまでに揺さぶりかねないらしいから。
それ程危険な『姿』を、一瞬とはいえ強制的に、眼前に突き付けることになるのである。その精神的ダメージを、不審者侵入を阻む攻撃力とするくらいだから、さぞかし凄まじいショックを受けるのだろう。
(見てはいけない……解ってるけど)
しかし、見てはいけないものほど見てみたくなるというのもまた人情だったりする。
ほとんど監督者のような表情になっているセレアナの手前、セレンフィリティは表情を正して何でもない風を装うが、正直なところ、「怖いもの見たさ」とでもいうべき好奇心が、心の底で疼いていることは否定できなかった。
ルカルカ達は元気に書棚の周りを歩き回ってる。
「鷹勢たちも、来ない?」
一人がそう声をかける。
「行って、歩いてみてくればいい。動線データは多いほどいいからな」
ダリルにもそう言われ、鷹勢は「じゃあ…」と頷き、
「僕らも歩いてみようか」
傍らのパレットに声をかけた。近くの書棚の相当の年代ものらしい百科事典を見ていたパレットは、振り返って頷いたが、
「? 白颯は?」
不思議そうに訊いた。いつも鷹勢の傍に控えている白颯が珍しくいない。鷹勢も、ダリルから契約者のスキルについての話を聞くのに夢中になっていたらしく、パレットに言われて今気付いた。
「あそこだろう」
ダリルが指差すと、書棚の横を、とてとてと走っていく後ろ姿が見えた。
鷹勢についてやって来た場所で、白颯が自発的に動くのは珍しい。そんなに興味を引くものがあるのだろうか、と、鷹勢は首を傾げた。
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