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【DarkAge】エデンの贄

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【DarkAge】エデンの贄
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リアクション


●Prologue (I remember)

 あの日のことを憶えている。
 憶えている。
「まずいことになっているらしい」
 そう言って振り返った当時のクラスメイトの顔を。すぐ目前に危機が迫っているということがどうしても理解できず、映画の予告編を観たばかりとでもいいたげなその表情を。
 憶えている。
 校舎の窓の外の、酷く汚れた黒い雲の形を。それが水に落とした薄墨のように、うねりながらゆっくりと拡がっていく様子を。
 新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は、今でも憶えている。
 大規模テロ勃発の瞬間だった。
 2020年秋、そのときはまだ、この日を境に自分の運命が急転するなどと想像すらできなかった。
 代々続く医者の一族。父も、祖父も、そのずっと先の先祖も。ほぼ例外なく人の命を救うことを生業としてきたと聞いている。
 だから、ただなんとなく、と言えば語弊があるかもしれないが、自分もいずれ医師として、身を立てることになると燕馬は思っていた。
 医学校を出て勤務医となり、いずれは開業する。忙しい日々だろうが、生活に不自由することはないだろう。いつ引退するかはわからないけれど、できるだけ長く続けたい――そんなイメージがあった。2020年の秋、あの日までは。
 クラスメイトの言葉はある意味正しくはあったが、本質的には間違っていた。なぜなら、「まずいこと」なんてものではなかったからだ。
 テロは報復を招き報復は戦争を喚び戦争は狂気を帯びた。いや、本当は最初から狂っていた世界が、ようやくその泥パックを洗い落としただけのことかもしれない。
 ほんの短い期間で、地球は人の住めない土地となった。地表の少なくとも90%は核によって焼かれ、汚染され、かつて生命に満ちていた水の星は、死の沈黙に満ちた巨大なる遺跡となった。
 あの日から数年。燕馬が身一つでパラミタに逃れ生き延びることができたのは奇蹟だ。ただ、あらゆるものがそうであるように、奇蹟とて必ずしも歓迎できるものではない。安息はなかった。そこからの日々は、硝煙と血に満ちた生臭いものとなった。
 地上の混沌を反映するかのように、パラミタの安定も長続きしなかった。要人を次々と消してパラミタを支配した塵殺寺院、その塵殺寺院に反旗を翻したクランジの一族、いずれに対しても燕馬は、レジスタンスの一員として死闘を繰り広げてきた。

 やがてもう一つ、忘れられない日が燕馬に訪れた。

「まずいことになっているらしい」
 ザーフィア・ノイヴィント(ざーふぃあ・のいぶぃんと)は他人事のように言って笑った。
 もう笑うしかない。彼女の顔のほぼ六分の一は吹き飛び、右腕は文字通り皮一枚でつながっている状態、同じく右脚も膝から下は砕けて使い物にならない。もちろん立っていられるはずもなく、背中は冷たい石の上だ。
「これはもうダメだね。僕の負けだ」
 ザーフィアは目を細めた。薄黒い雲のあいだに青空を探そうとでもするかのように。
「よくもまあ」
 ローザ・シェーントイフェル(ろーざ・しぇーんといふぇる)は息も絶え絶え、地面に突き立てた刀を杖のようにして、体重をかけて体を支えている。
「それを言うなら私の負けよ。もう塵殺寺院、滅びかけてるじゃない。いや、もう今ごろは滅んじゃってるかもしれない。なんの因果か負けゆく側に発掘されちゃったのがそもそものつまずき……ま、やり直せない状態じゃないと思うのよね。これをきっかけに私、鏖殺寺院を脱退しようっと」
 ローザが言葉を言い終えるより早く、刀はぼきっとその中央から折れた。
 ローザは手を付くことも叶わず、顔面から倒れて地面に這いつくばる格好となる。顔を起こす気もないようで、彼女は首だけ横に向けてザーフィアを見た。口に入った砂利をぺっと吐き出して、
「見てよ、こっちだって満身創痍、気力はもちろん、最後の武器もこれでなくなっちゃったわ。降参降参! そこのクランジちゃん、私を捕虜にして連れていくがいいわ」
 だがそれを聞いても、ザーフィアは掠れた声で笑うばかりだった。
「それは本質的誤謬というものだよ塵殺寺院くん。まず、呼び名だ。僕はたしかに機晶姫だが、クランジはもっとずっと尊崇な方々だ。僕など遠く及ばない。とりわけ……υ(ユプシロン)様のことは尊敬しているんだ。僕ごときを一緒にするのはあの方に失礼というものだよ」
 それに、と咳き込んでからザーフィアは言った。
「片腕片足がなくなった僕が、どうやって捕虜を取って帰還できると言うんだい? 命を惜しむではないが、ここで死んだとあってはυ様に恩を返すこともできない。塵殺寺院くん、降伏するからひとつ、運んでくれたまえよ」
「あのね……呼び名っていうなら、そっちも『塵殺寺院』呼ばわりはやめてくれる? もう抜けるって言ったじゃない」
「そうか。すまない。なら、塵殺寺院所属の『剣の花嫁』くん、名前は?」
「ローザ・シェーントイフェル」
「そうか。まあよろしくだ。おっと、僕はザーフィア・ノイヴィントという」
 ローザは地面に伏せたまま、ザーフィアは仰向けで横たわったまま、握手の代わりとでもいうかのように奇妙な笑みを交わした。
 二人の周囲には、破壊された量産型クランジの残骸、それに塵殺寺院兵士の死体がごろごろと転がっている。まるで爆心地、二人を中心にして、残骸と死体が点在していた。
 だがひとつ、それとは明らかに毛色の違う姿もあった。
 機晶姫ではないし、塵殺寺院兵士の戦闘服も着ていない。汚れた白いシャツに黒い上着、真紅のマフラーで口元を覆った姿だ。倒壊した建物の柱に背を預けて座り、首をかくんと下にして微動だにしない。頭から、ぽたぽたと赤い血液をしたたらせていた。
「あの子……レジスタンスよね」
 ローザは思い出したように目線をそちらに向けた。
「ああ、我々ときみたち、会戦する双方に攻撃してきたんだ。たった一人だったとは驚きだよ。けれどこれで混戦となり、あげく同士討ちすら連発して両軍全滅の憂き目にあったんだからね、あの少年……いや、少女かな? の狙いは成功したというわけさ。大した子だよ」
 ザーフィアがこんな客観的な解説ができるのはすべてが終わったからだ。戦闘中はそんなこと、考える余裕すらなかった。
「だったら私たち両方ノックアウト負け、あの子の勝ちってことにならない?」
「かもね。まあ、彼ないし彼女が生きていればね」
「まだ気づいてなかったの?」
 その声と、レジスタンス……燕馬が薄く目を開けたのは同時だった。
「……終わった、のか?」
 燕馬のその言葉は独り言だ。だがそれにローザが答えた。
「お目覚め?」
 燕馬は反射的に手を伸ばしたが、そこに銃はなかった。
「人間にしちゃあタフだね。レジスタンスくん、戦いは終わったよ。僕と、そこで倒れている『元』塵殺寺院のお嬢さん、その二人しか生きていない。そして二人とも、もう指を動かすのも難しい状態でね。要するに、きみの勝ちさ」
 だが燕馬はにこりともしなかった。
「俺の勝ちなものか……また気が遠くなってきた。失血が酷い」
「私の目の前数メートルのところに応急手当のキットが埋まってるわ。その所持者ごと」
 どことなく皮肉な口調でローザは言う。
「なんで教えるかって? 降伏するから。私の所属してた塵殺寺院、もう崩壊しちゃったみたいなんでね」
「僕に至っては片手片足になってしまった。捕虜にしてくれないか? こう見えて目端はきくほうだよ。塵殺寺院と我々との最終決戦は現在も、この地域のほうぼうで発生している。それに巻き込まれず帰還できるルートくらい割り出してみせよう」
 どうするのさ? というザーフィアの声を聞き流すと、燕馬は中腰で立って這うようにして進み、瓦礫の隙間から赤い十字マークの付いた小箱を取り出した。自分の血を止めると、しゃがんでローザの体を調べる。
「肩を脱臼しているな。あちこち骨折して弾傷もあるが、まず命に別状はない」
「どうしてわかるの?」
「俺は医者だ。まあ、半分は独学だが」
「それは頼もしい。ところで、勝者としてはどうするか今後の方針を教えていただきたいところね」
「勝者……じゃない。俺だって、応急手当用具の所在を教えてもらえなければ長くなかった。それに、そこの機晶姫が嘘をつかず案内してくれなければ、いずれ死地に突っ込んで終わりだ」
「利害が一致したのは好ましいことだね。しかし、誰が勝者か決めなければなるまい」
 燕馬はマフラーを持ちあげて口元を覆った。ほんのわずか、視線が弛んだ。
「なら、俺たちの中で一番長生きした奴が勝ち、というのはどうよ?」
「よし、それでいこう」
「異議なーし! ……ところであなた、名前は?」

 燕馬はこの日のことを憶えている。今でも、はっきりと。
 レジスタンス、塵殺寺院、機晶姫の三人からなるチームが誕生した瞬間だった。このとき燕馬を契約者として、ローザとザーフィアはパートナーになったのだった。

 そして時は流れ、2024年となる。