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●第二幕 第五節 

 このとき藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)も、ある幻覚に襲われていた。
 優梨子は首を絞められている。彼女は一糸まとわぬ姿で、白い肌の随所に、針で突かれた傷や青黒い縄目の痕跡があった。ナイフでつけられたと思われる乳房の裂傷から、黒ずんだ血がどくどくとはみ出している。そして口からは泡と、とめどもない涎の筋が垂れ下がっていた。
 一方、優梨子を絞める二本の腕は丸太のように太く、針金のように太く濃い毛がびっしりと生えていた。ひどく肥って禿げ上がり、しかも牛乳の染みた雑巾みたいな臭いのする大男が、ぐいぐいと彼女を絞め殺そうとしているのだ。その力は万力のように強い。
「アッ、アアアアアア……ッ!」
 優梨子は白目を剥いていた。食いしばっていた口が開き、飛び出した舌がべろりと下唇を舐めた。
「……アハァッ……!」
 電撃のような快感が、優梨子の全身を駆け巡る。
 今、優梨子は死なんとしている。それは彼女にとって究極の悦楽だ。
「これはこれで………気持ちいい……んっ……でも!」
 だがこのとき、優梨子の目玉がぐるりと回転した。裏返ったかに見えた目には瞳が復し、残忍なかたちに歪んだ。
「……甘いですね、そんな絞め方じゃ、人は死にませんよ!」
 男の腕に手を添えると、優梨子は軽々とこれをひねり上げている。驚く大男に飛びかかり、わずか一動作で相手の腰ベルトを抜き取った。瞬間的に相手の背後を取る。長い黒髪を振り乱しながらベルトを、男の首に巻き付けている。
「『ひとごろし』とはこうやるんです!」
 嬌声を上げながらベルトを渾身の力込めて引っ張る。
 ベルトの金具ががちゃがちゃと音を立てた。しかし力を緩めない。握りは二重にしていた。
「ほら! ほらっ! ほらっっ!!」
 優梨子の声は上ずっていた。恍惚の表情が顔中に広がる。もがく大男だがそれも僅かな間、やがて、びくん、と一つ鳴動するや青黒い顔をして倒れ込んだのである。その瞬間、優梨子の身も雷撃を浴びたように大きく跳ね上がっていた。
「ふぅ……。ま、これはこれで楽しい世界ではありますね……」
 肩で息しながら、汗に濡れた髪をかきあげる。まだ快感の余韻が、優梨子の内側で炭火のように燃えていた。バストの先が尖ってしまって、ブラジャーの下で痛いほどである。彼女の姿は、ナラカに足を踏み入れたときに戻っていた。ちゃんと着衣の状態であり、指にはデスプルーフリングが光っている。大男の死体も、ドロドロと溶けてスライムへと変貌していくのが確認できた。
 吸精幻夜を用いて、骸となりゆくスライムから体力を奪うと、優梨子は色っぽい表情で舌なめずりする。
「……こういうの、黄泉戸喫と言うのでしたっけ?」
 四方に目を凝らすと、彼方から真口悠希が駆けてくるのが見える。
「作戦方針は、団体行動厳守、でしたわね。ここは大人しく合流するとしましょうか」
 かといって愉悦を捨てるつもりはない。地獄(ナラカ)へ道連れ、共に楽しむとしよう。

「酷い世界だ……」
 屍龍の登場による混乱からいちはやく抜けだし、鬼院 尋人(きいん・ひろと)は味方の糾合を図って通信を行う。仏教絵巻に描かれるような『地獄』の幻覚より脱してきたが、脳裏に焼きついた光景は、思い出しただけで胸が悪くなる。
「この異変、引き起こしているのは物なのか、人なのか……」
 仮に人であるならば、そこに込められた悪意の強さに辟易したくもなる。
 通信機は、用をなさなかった。
「駄目だな。電波の混乱が激しすぎる。まったく通信ができない」
「場所を移すしかなさそうですね。それはそうと、お疲れのようですが」
 精神的に摩耗している尋人と比すと、パートナーの西条 霧神(さいじょう・きりがみ)は驚くほど平然としている。尋人も彼もデスプルーフリング装備だ。生身だけに、顔色の差は歴然としている。
「体はそうでもないんだけど、心が、ね……疲れたというより、すり減った感じがする」
「致し方ないでしょう。ナラカは人の心を惑わしますからねえ……」
 これに、同じく尋人のパートナー呀 雷號(が・らいごう)が言葉を挟んだ。
「……嫌な場所だな、ここは……。ナラカだからというのもあるが、元のプラントからして、人の思惑が入り交じって臭いが強かったように思える」
「おそらくは。まあ、幸か不幸か私は色々不浄なものを見てきました。ナラカの臭いにも慣れております……慣れればこれで、そう酷いものでもないのですよ。ここの原生生物だって同感でしょう。『住めば都』と申しますし」
「都といっても『魔都』ってところじゃないかな。オレは遠慮したいね」
 言いながら尋人が通信装置を方々に向けると、ある方角に向けたときのみ雑音が弱まった。そちらを指さして、
「通信可能になるには、こっちに進むのがよさそうだ」
 行ってみよう、と尋人は、霧神と雷號に呼びかける。
「鬼が出るか蛇が出るか……ですねえ」
 悠然と、どこか楽しそうに霧神は言うのだが、雷號はさして面白くもなさそうに彼を一瞥すると、黙って尋人に従った。