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●第二幕 第九節 

 だが、ここで勝利を喜び合っている暇はなさそうだ。
(「敵反応……いや、これは……?」)
 西宮幽綺子は密かにラジオの電源を入れたままにし、イヤホンでこれを聴いていたのだが、これまでなかったようなノイズをキャッチしていた。彼女は、音井博季にそっと囁く。
「どうやら、中心部が近いようよ」
 ジークフリートと美央の他に、二人のやりとりを聞くものはなかった。
 結果から述べる。それから程なくして一行は、災渦の中心に到達したのである。

 同時刻、上層では枢機卿と彼を守る一団が、地上に到達している。
 残念ながら下層を進む連隊にそれを知ることは叶わない。屍龍を撃破したときは忘れていた疲労感がどっと蘇ってきた。
「うう……バクヤ、腹が減ったであります……! ここは想像以上に腹が減る所であります……」
 タフさでは他に負けぬ草刈 子幸(くさかり・さねたか)であるが、腹の虫にだけは弱いのだ。凛々しい眉を『八』の字にしつつ、前のめりによろよろと歩いている。
 草薙 莫邪(くさなぎ・ばくや)は、そんな子幸をジロリと見やって、
「腹減りすぎなんだよ! ついさっき食ったところだろが!」
 と頭から湯気を上げている。怒っているように見えるが、実はこれ、ある意味定番のやりとりなので、莫邪はそれほど腹を立てているわけではない。それなのに毎回、頭に血が上り口調が荒っぽくなってしまうあたりが、自分に素直になれぬ莫邪らしいのである。……ツンデレ?
「その後、屍龍との戦いでエネルギー使い果たしたであります……。自分は食物のエネルギー変換効率が高いのでありますよ……!」
「妙な理屈を言いやがる。ったく、おら!」
 面白くないとでもいいたげな表情で莫邪は背嚢に手を入れると、昔ながらの竹皮で包んだ握り飯を取り出した。アルミ箔で包んでパリパリ感を保った海苔も取り出し、さっと巻いて投げ渡す。
「ナラカに入ってまでおひつ係かよ、勘弁しろってんだ!」
 やはりカッカと爆ぜ栗のような口調だが、どことなく満足げに聞こえるのがすこし可笑しい。そのあたりの事情、とうに鉄草 朱曉(くろくさ・あかつき)は見抜いているので、クックと笑って手を出した。
「それ、ええのお。ばくやん、わしにも一つくれんかのぉ〜」
「こらバカツキィッ! お前まで何だ! 働かざる者食うべからずってことわざを知らねぇのかよ! たまにはお前も飯炊き係やったらどうだ!!」
「ばくやん、そりゃぁわしの仕事じゃぁないけぇ」
「バカ野郎! そもそも俺の仕事でもねぇってんだ!」
「ことわざで返すとしようかのう。それはの、『好きこそものの上手なれ』っていうんじゃけぇ」
「好きじゃねぇよ!!」
 朱曉の言葉がさりげなく図星――正確には炊飯が好きというより、子幸のためにする炊飯が好きなだけだが――だったので、思わず声が大きくなってしまう莫邪である。
 なお、満面の笑みで握り飯を頬張っている子幸は、二人のやりとりをあまり聞いていなかった。
「やっぱりバクヤの作る飯は美味いでありますなぁ……んぐ!」
 握り飯を喉に詰まらせてしまい目を白黒する。ナラカに降りて数時間、異様な光景にはすっかり慣れっこになっている子幸でも、さすがにこれには驚かざるを得なかった。
 そう、災渦の中心、工房汚染の源には。

 災いの中心にゴーストイコンがあるとにらんだメンバーもいたが、それは的中とはいえないものの、限りなくそれに近いものではあった。
 出し抜けに、ドーム状の広大な一室が出現する。その内部が『中心』であった。
「これって……」
 合流を果たした水心子緋雨も、魂を奪われたように呆然とこれを見上げる。
 上半身だけとなったゴーストイコンが、きっちり十二体吊り下げられていた。ぐるりと内壁に吊され、標本、あるいは剥製のように微動だにしない。いずれも胴中央の装甲が剥がされ、ジェネレーターと思われるコア部分が露わにされている。たとえ機械とはいえ、どこか哀れみを催す光景だった。
 この場所の異様さはこれに尽きない。コア部分からは滅紫(けしむらさき)色のエネルギー波が絶えず放射されており、十二本の光線が部屋中央で合し、柱のように立ち昇っているのだ。柱の高さは三十メートルはあるだろうか。その果てはよく見えない。これが、ナラカと現世をつなぐ『ゲート』の正体である。
 合流したルカルカ・ルーは滅紫の柱を見上げながら、戦慄が身を駆け巡るのを感じていた。
(「ダリルが端末から入手した情報は、ゴーストイコンに隠された機能(Hidden Feature)があることを示すものだった……時間がなくて詳細は読めなかったけど、これでわかったわ。隠された機能が、ナラカ化を発現する能力だったということが!」)
 このとき、幽綺子が持っていたラジオは強烈な異音を上げ続けていたが、とうとう堪えきれなくなったように煙を上げ停止してしまった。

 このときようやく、東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)が動く。彼はこれまで単独行動が認められず、ほぼ教導団の監視下にあった。とりわけ劉協という青年は、常に雄軒を警戒していたものだ。
(「ナラカ化を止めるなど……馬鹿げた事を。新しい知識の繋がりに成り得るかもしれないというのに」)
 雄軒が求めるのは知識だけだ。ナラカ化もこの混沌も、彼にとっては知識を追求する機会でしかない。ゆえに戦いの混乱はむしろ好機、『ナラカ化を食い止めて世界を救う』『東西シャンバラの争いを防止する』などと(雄軒からすれば)知の進歩を放棄するような信条で行動する同行者はむしろ邪魔でしかなかった。途上、屍龍の最初の出現と連隊の崩壊もその好機と見えたが、運悪く皇甫伽羅の近くに着地してしまい、ままならなかったのだ。
 唇の端が歪む。だがその劉協も、皇甫伽羅も、ゲートの正体に驚く余り、雄軒への警戒を忘れてしまったようだ。
(「私は、私のためだけに動く。それだけですよ。他がどうなろうと、知った事ではない。混沌こそ、争乱こそ、新たな知識を生み育むもの……」)
 ここまでじっとその考えを伏せ、今ようやく監視という軛(くびき)から逃れ得た雄軒は、バルト・ロドリクス(ばると・ろどりくす)を伴い、積極的に場を荒さんと目論んでいた。
 誰にも見とがめられずドームから出て走る。ここはプラント最下層、混沌の被創造物には事欠くまい。それらに姿を晒し、振り切らない程度に逃げて、この場所まで誘導する……悪い考えではなさそうだ。
「ドームの天井……」
 並走しながらバルトが告げた。
「開閉は可能……のようだな」
 バルトの言葉が真実であると証明され、同時に雄軒の考えが実現したのは、それから間もなくのことであった。

 橘カオルはゴーストイコンの状態を調査したかった。手早く撮影を済ませるもののそれ以上時間をかけることはできない。
 ドームの天井が開き、そこから新たな屍龍が飛び込んで来たからだ。最初に見たものより一回り大きく、色が濃い。その背後に虚無の空間はないものの、片側だけ残った目には凶暴な光が宿っている。
 敵はそれのみではなかった。まるで屍龍を先頭にした百鬼夜行だ。スライム、ヤドカリ、デュラハンや巨大蟻といった見覚えのあるものに加え、ありとあらゆる呪われし者、想像を絶するような異形の存在が、どっと攻め寄せてくる。
 この争乱が他ならぬ同行者(雄軒)の企みであるとは夢とも思わず、ルース・メルヴィンは爆弾の準備と設置を急いだ。
「……屍龍は一体きりだなんて決まりはないわけですからね。さて、ここからがスペシャルミッション! 中心破壊を完遂しましょう」
 このとき朝霧垂はある考えに至っている。
(「教導団のお偉いさん達はさ、今回の事件に関して何らかの利益があると確信したから、場所的には東シャンバラであるこのプラントの浄化に乗り出したことにしているけど……もしかしたら表面上の敵対なんてものに拘っていられる程度の事態じゃない、ってだけの話だったのかもな?」)
 屍龍を避けるべく駆けたその先に、一機のゴーストイコン……上半身だけのジャンクが吊されている。ゴーストイコンは滅紫の光を放ち続けているが、それはすなわち、この機体がまだ『生きて』いるということではないか。
「とすればまだ動くはず! 朔!」
 パートナーの夜霧朔を呼び、垂は共にイコンに乗り込もうとしたものの、果たせなかった。
 コクピットに手をかけたと同時に、そこに潜む強烈な『意思』に拒絶され、彼女は吹き飛ばされ壁に叩きつけられてしまったのだ。
「いけません!」
 朔が咄嗟にかばったゆえ致命傷は免れたものの、数秒、呼吸が止まるほどの衝撃だったのである。垂はぐったりとしていた。

 ゲートを沈黙させようにも破壊対象は多く、爆弾が一つや二つではとても足りない。連隊は爆弾を仕掛ける者と、それを守り奈落の怪物と戦う者の二者に別れた。
「ナラカの敵は火や光属性に弱い、これはここまででしっかり学習したことだぜ」
 可憐に、されど強靱に、ミューレリア・ラングウェイは魔導銃のスナイプで的確に弱点を狙い撃つ。弱った敵の集まりは、さーちあんどですとろいで焼き払った。大量の敵が次々滅する様は痛快であるものの、問題は彼女の処理速度以上に、敵の増援が多いということだろうか。
「奈落魔道によるものだけを、斬る! 行くであります!!」
 子幸もシミターを握り、爆破対象目指し突入する。
「バカヤロウ、打ち合わせの段階じゃ、その『斬る』は俺が発言するって話だったじゃねえか! 台詞残しとけよ!!」
「そもそも、そんな打ち合わせやったけぇのぅ〜?」
 莫邪、朱曉も子幸を追った。

 カレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)の頭上で、落下中のヤドカリ怪物が花火のように破裂した。七、八匹はあったろうに、いずれも綺麗に本体を撃ち抜かれている。たった一発、機晶レールガンの一撃が行ったものだ。
「大ババ様がこの様な施設に頼らざるを得ない程切迫しているのは分かるが……失敗と奏上せざるを得んな。事実は伝えなければ」
 つぶやいて次弾を装填する。あれほどの攻撃を成したというのに、ジュレール・リーヴェンディ(じゅれーる・りーべんでぃ)は何ら誇る素振りを見せなかった。彼女にとってこの攻撃が成功するのは『必然』である。必然に対して特別な態度を取る必要性はないだろう。
「助かったよ。それにしても、ここまでさんざ苦労させられたナラカの混沌が、ゴーストイコンのもたらしたものだったなんて……」
 カレンは苛立ちを隠せなかった。ゴーストイコンの利用にはもともと反対だった彼女だが、その真の機能を知った今となっては、嫌悪感は一層強まっている。
「ゴーストイコンには兵器としての意味の他に、ナラカ発生源となり得るというもう一つの性質があったんだ。やっぱり危険すぎるよ!」
 束ねた金髪の房が左右に揺れる。カレンはビデオカメラを取り出し、爆弾設置と平行しつつできるだけ多くを記録に残そうと試みていた。
「『性質』か。まさしく言い得て妙だな」
 ジュレールは自身の分析を語った。
「誰もが『犯人』を探そうとしていた。枢機卿を疑っていた者すら少なくない。だが、これが人為的なものとは思えない。ゴーストイコンの配置は真円のドームを十二等分するものであり、ミリ単位のずれも見あたらないためだ。人間の手ではそこまで精密に配置を行うことはできないだろう」
「犯人はいない、ってこと? なら、どういうことなんだろう」
「これは予想の域を出ないが……なんらかの法則でゴーストイコンは、ナラカ発生源としての機能を自動発動するのではないだろうか」
 ゴーストイコンを『洗浄』し再利用することには、やはり重大な危険性があった……これがジュレールの出した結論だ。ただし、イコンの量産化そのものは、ゴーストイコン化していない発掘イコンの修復なので問題はないだろう。選んだ手段が拙かったのだ。
 正確な理由を明らかにするには、脱出後の追跡調査を待たねばなるまい。
 今はそのときではない。今すべきは、ナラカ化の原因を止めることだ。

 廻る。アウタナの戦輪が廻る。双つの輪は榊 朝斗(さかき・あさと)の武器、右腕を伸ばせば右の輪が天翔け、左腕を落とせば左の輪が地を趨る。このとき右の輪は、アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)の背を襲おうとした怪物を縦裂きにし、利き腕たる左の輪は、朝斗自身に迫らんとした悪鬼の首を刎ね飛ばしていた。
 そして双輪はそれ自身意識を持つかのように、鋭い弧を描いて朝斗の腕に戻ったのである。両輪が一度だけ擦れあい、涼やかな音を立てた。
(「まさかゴーストイコンがこんなことを引き起こすだなんて……」)
 ゴーストイコンはナラカの影響を受けていたようだが、それにとどまらず、新たなナラカを出現させる原動力でもあるのだ。今回の件はここでカタがつけられるとしても、第二第三の同様な事件が起こる可能性は否定しきれない。
(「だとするとナラカ化の騒ぎ、簡単に収まるとは思えないな……」)
 サファイアのような朝斗の瞳に、愁いの影が差した。デスプルーフリング装備のおかげで、現在彼の行動はかなりの自由が利くが、その分、パワードスーツの与えてくれる圧倒的な破壊力には欠けている。
 だから朝斗は自身の使命を、爆弾を設置するアイビスの護衛に絞った。現れた屍龍はその強大な力で味方を苦しめている。加勢に行きたい気持ちを堪えて、パワードスーツ姿のアイビスが作業完了するのを見守った。アイビスはスーツの扱いに長けている。作業はすぐ終わるだろう。
(「それにしても……」)
 一瞬、朝斗はドームの天井に眼を向ける。あそこから絶え間なく怪物が降ってくるのだ。このまま戦いを継続すれば、こちらは徐々に圧倒されることだろう。
 このとき、パートナーの方角から鈍い音が響き、驚いて朝斗はアイビスの姿を探した。
「アイビス……アイビスっ!」
 アイビスは横殴りにされていた。彼女自身の体重より重そうな鉄のメイスで、横合いから現れた一つ目巨人(サイクロプス)に殴り倒されていたのである。パワードスーツがなければ即死だったろう。強力無比のスーツですら、そのヘルメットにひび割れが趨っている。それでもなお、
「任務確認……ゴーストイコンへの特殊爆弾設置」
 倒れたまま、彼女は作業を続けようとしていた。爆弾のスイッチを入れ、ゴーストイコンに取り付けるべき場所を探している。身の安全のため逃げる、あるいは任務を中断する、という選択肢はアイビスに存在しない。アイビスはまるで機械人形、感情も心も有してはいないのだ。
 たとえわずかな時間とて、パートナーから目を離すべきではなかった。自身を呪いたい気持ちで朝斗は戦輪を投じた。だが焦ったか右の輪は逸れて標的に当たらず、左の輪も、サイクロプスのメイスに反射されて地面に落ちてしまう。
「アイビス……危ない!」
 サイクロプスはメイスを振り上げた。
「……任務続行します」
 アイビスは動かない。
 メイスが、振り下ろされた。
「逃げるんだーっ!」
 渾身の力で朝斗は地を蹴り、喉から血が出るほどに絶叫していた。
 次の瞬間、一つ目巨人のメイスは地面にめりこんでいた。
「任務変更……『逃走』了解」
 アイビスが側転し、間一髪で攻撃を回避したのである。即座に朝斗は、落ちた戦輪を拾い投じた。輪はサイクロプスの後頭部に突き刺さり、息の根を止めた。
「アイビス……」
 肩で息をする朝斗のほうに、パワードスーツのままアイビスが駆けてくる。
「アイビス……?」
 駆けてくる。抱きとめてくれと言わんばかりに。
 思わず両腕をひろげた朝斗なのだが、これをひょいとかわして、アイビスはさらに走り続けた。
「『逃走』任務続行中……」
 当初の任務に戻れ、と彼が言わなければ、きっとアイビスは地の果てまでも『逃走』を続けただろう。