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61


「寄席に?」
 リンスの問いに、ハルははい、と頷く。
「未散くんからリンスくんへと浴衣も預かってきました。ささ、これを着て行きましょう!」
 未散が見立てた男物の浴衣をリンスに渡すと、リンスは戸惑ったような顔をした。
「でも俺、人混み苦手だし」
「大丈夫。寄席の席なら人と人の間に一定の距離は保たれていますし、満員御礼となってさほどの混雑にはなりませんぞ!」
 それに、言葉にこそ出さなかったが未散は自分の芸を友人に見てもらいたいと思っているだろう。
「『引きこもってばかりだと身体に悪いしまた倒れるぞ。だからちょっとは出歩け』とも未散くんは言ってました」
「……はー。そうだね。友人の晴れ舞台に行かないなんて、ちょっとね」
「! それじゃあ」
「行くよ。でも、寄席を見るだけ」
 祭りは、遠くから見て気分を味わう程度でいいんだ、とリンスが言った。
 もちろん、祭りも楽しんでいきましょうなんて強制する気は一切ないから。
 誘いに乗ってくれただけで充分だ。
「はいっ。では早速着替えて向かいましょうぞ!」
 さらに一歩押すと、はいはいとリンスが頷いて、着替えるために部屋に引っ込んだ。
 ――……ところで、どうして未散くんはリンスくんに男物の浴衣を見立てたのでしょうな?
 ――男装して欲しいのでしょうか。普通に女物を着た方が可愛いと思うのですが。
 なんてズレたことを考えたり、ちょこっと口に出したりしたけれど、生憎と否定する本人はその場にいないのだった。


 リンスを席に案内したハルは、「わたくしは少し席を外しますので」と言って席を外した。
 未散に内緒で、彼女の姉――若松 美鶴を迎えに行くために。
 祭りの音に誘われるように、ふらりふらりと歩いていた一人の女性を見て、すぐに彼女だとわかった。
「久しぶりですね」
 声を掛けると、美鶴が足を止めて振り返った。長い青髪が、さらりと揺れる。
「ハル。久し振り」
 にこりと笑った笑顔は、生前のものと寸分違わず美しく。
「相変わらずお美しい」
「お世辞を言っても何も出ないわよ?」
「わたくし、そんな器用な真似はできませんぞ」
「そういえばそうね」
 こちらへどうぞ。
 まるでエスコートするように手を差し伸べて、ハルは美鶴を寄席へと案内した。
 道中、未散にできた友人の話をしながら。
「お待たせしました、リンスくん」
「おかえり。……どちら様?」
「未散くんのお姉さんで」
「若松美鶴です。初めまして、リンスくん」
 ぺこり、美鶴が頭を下げると、リンスも同じようにぺこりと頭を下げた。
 リンスの隣に美鶴を座らせ、さらにその隣にハルが座ろうとして。
 並んだ二人を見て、ハルはふっと思った。
「お二人は似ていますな」
「「え?」」
 きょとん、とハルを見るタイミングも同じだった、それは少し予想外で、思わず笑ってしまう。
「似てるかしら?」
「似てないと思うよ。髪の色も目の色も全然違う」
 いえいえ、充分似てらっしゃいます。と心の中で言ってみた。
 顔立ちとか、体型とか、そういう外見ではなくて。
「雰囲気が似ているのでございますな」
 消えてしまいそうな儚さをはらんだ、美しい容貌から出る雰囲気が。
 ――未散くんがリンスくんに惹かれるのも、そういう巡り合わせなのかもしれませんね。
 等と思いながら、寄席の幕が上がるのを待つ。
 美鶴とリンスは、まだ「似てる?」と互いの顔を見つめ合っていた。


 今日だけ、死者に逢うことができるのだと。
 そういう噂を、聞いた。
 真偽は確かめていない。だって、嘘でも本当でも今日は寄席の仕事があったし、そんなことに気を取られている場合じゃなかった。
 ……それが言い訳だと気付いていても、気付かない振りをして誤魔化した。
 だけど、ステージに上がってもどこか上の空のままだった。いつもならどんなに具合が悪かろうとステージに上がれば切り替えることができるのに。
 ――今から行けば、姉さんに逢えるかもしれない。
 祭り会場を探せば。
 美鶴が好きだったものが置いてある場所に行けば。
 あるいは、大声で彼女の名前を呼べば、来てくれるのではないかと。
 どうしたの、未散。
 そうやって、優しく声をかけてくれるのではないかと。
 ――そんな都合よく行くはずないし。
 ――……そもそも、仕事、あるからな。
 逢ったりする余裕はないのだと。
 逃げ道を作っておく。
 逢いたいけど。
 ……けど。
 上演五分前を知らせる放送が流れ、未散ははっとした。
 いったいどれほどの間、姉のことを考えていたのだろう。噺の内容は? 頭に入っているか? 無様な姿は見せられないぞ。リンスだって呼んだんだ。いや、来てくれているかはわからないけど。
 深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
 大丈夫。
 逢えなくても平気。
 だからやるべきことをやり遂げる。
「……よし」
 なんとか気分が乗ってきた。これでいけると幕が上がるのを待ち――。
 開演。
「……っ!?」
 客席を見て、言葉に詰まった。
 リンスがいて、ハルがいて。
 その間にいるのは。
 ――……サトミ? ……いや。
 違う。
 サトミの持つ雰囲気とは決定的に違う。
 あれは、姉だ。
 姉の美鶴だ。
 ――でも、なんで?
 ――どうしてここにいるの?
 ――ハルが呼んでくれたの?
 ――聞きに来てくれたの?
 様々な思いが渦巻いて。
 今すぐに舞台を降りたくなった。
 真っ直ぐ姉の許へ向かいたい。
 そして、話がしたい。
 ――いや。
 ――違う。
 それじゃ何も変わってないじゃないか。
 ――私に出来ることは何だ?
 未散は自問する。
 ――姉さんに最高の噺を聞かせる。……そうじゃないのか。
 ああ、そうだ。
 それが今未散にできることだ。今やるべきことだ。
 ――姉さんに、成長したところを見せるんだ!
 その一心で。
 未散は、情感を込めて泣ける人情噺を演じきった。観客席から泣き声が聞こえる。終わりを告げる前に、未散も涙を流していた。
 そのまますっと一礼し、幕が下がり。
 泣き顔もそのままに、未散は舞台を降りて一目散に席へ向かった。
「姉さんっ」
 呼びかけたはいいけれど、何を言ったらいいんだろう。何と言ったらいいのだろう。
 そもそも、優しくはあったが厳しくもあった美鶴のことだ。美鶴の死を引きずり続けた未散のことを怒るかもしれない。
 ――ああ、やっぱり逢うべきじゃ、なかった?
 ――逢うにしても、せめて顔を拭いてから来るべきだった?
 でも、気持ちばかり逸ってしまって。
「姉さん、あの……」
 なんとか言葉を繋げようとして、でも、噺をするようには出てきてくれなくて。
 何も言えずにいると、美鶴が拍手してくれた。
「噺、上手になったわね」
「……っ!!」
「あの頃と同じ姿だったから、驚いちゃったけど……」
「それ、は。……姉さんのこと、」
「うん。わかってるわ」
 だからそれ以上言わなくていいの。
 そんな辛そうな顔をしなくていいの。
 そう言って、美鶴は未散を抱き締めてくれた。
「ねえ、さ……」
「未散が私のことを忘れないでいてくれたから。私は、死んでもずっと生きていたのよ。そしてこれからも、そうなの。……わかる?」
 こくり、頷いた。
 人は、二回死ぬ。
 一度目は身体が死んだ時で。
 二度目は忘れ去られた時だ。
「だから、何も悲しがることなんてないの。だって、私は未散と一緒に生きているのよ? そうでしょう?
 それよりも私は貴方にお礼が言いたい。
 今まで忘れないでいてくれてありがとう」
 悩んで。
 引きずり続けてきた未散の心にあった澱が、溶けていくように思える、そんな肯定の言葉だった。


 自分と似た境遇の未散は、姉と逢うことを選んだ。
 ――俺は?
 リンスは姉に、リィナに逢うつもりは、なかった。
 だって、逢ったらまた別れなければならないから。
 それは辛いから、嫌で。
 そうやって自分を優先してしまっていることも、嫌で。
 仕事があるからと、工房に引きこもって。
「リンスは、姉さんに逢うつもりはないのか?」
 考え込んでいた時、未散に問われた。
「……うん」
 逢うつもりは、ないよ。
 首肯すると、「だめだ」と鋭い声が帰ってきた。
「逢うべきだ。逢って、きちんと伝えたいことを言うべきだ」
「伝えたいこと、なんて」
 山ほどありすぎて、今からじゃ遅すぎるよ。
 もう、あと二時間もしないうちに、ナラカの門は閉じてしまう。
「一瞬でもいい。逢った方がいい。
 ずっと引っかかったままでいるなんていけない。だっておまえ、それじゃずっと笑えないだろ? 心から笑えないだろ?」
 あまりに的確に言い当てられたので、俯いた。
「嫌だよ。私はおまえに困ったような顔で笑ってほしくないんだよ。心から笑って欲しいんだよ」
 なあ。
 頼むよ。
 逢って。後悔しない方を選んで。
 ぽつり、ぽつり、紡がれる未散の言葉は、全部ストレートに心に刺さってきて。
「俺ね」
「……うん?」
「逢うつもりなんて、なかった。逢う方が辛いから、後悔すると思ってた」
「…………」
 でも、それはただ逃げていただけだって。
 知っていたから。
「帰るよ。……姉さんに、逢いに行く」
 じゃあね、と身を翻して。
「あ。寄席、招待してくれてありがとう。すごく良かった」
「ばか。そんなこといいから、早く帰れ!」
「でも浴衣って、早足し辛いよね」
「なんでもいいから急げってば! おまえなんでそんなにマイペースなんだよっ」
 そりゃ、そうでもしないと緊張してしまうから。
 ――ごめんね。軽口で少し楽になったよ。
 勝手に利用したことを心中で詫びつつ、工房への道を急ぐ。