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年の初めの『……』(カギカッコ)

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年の初めの『……』(カギカッコ)
年の初めの『……』(カギカッコ) 年の初めの『……』(カギカッコ)

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●教導団の閲兵式(序)

 寒風が、彼の頬を撫でていった。ヒラニプラからの山颪か。ひりひりするほどの冷たさだ。
 クレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)は閲兵式には参加しない。会場外の警護の任に就いているのだ。午前中からパワードアーマーを着込み、腰にはハンドガン、もちろん実弾は装填済みである。
「できれば私も式典に参加したかったが、任務とあらばやむを得まい」
 このような場でテロを仕掛けてくる存在がないとは言い切れない。公式ではなくとも、団長も参加する行事とあれば気は抜けなかった。在前戦場で務め上げる決意である。
 金団長による閲兵の栄誉に浴する貴重な機会をフイにする事になるが、一旦、任務を命じられた以上は、軍人としてそちらを最優先するという鉄の意志が彼にはあった。だからこそ、この任を任されたのであろう。
 すでにクレーメックは7年生への進級が決まっている。ということは来年の閲兵式では、教導団の生徒としての参加は叶わないということになるだろう。無論、国軍の一員としてなら参加できようが……意志は決して揺るがぬとはいえ、それだけは、少し残念だった。
「爆発物の気配はありませんでしたわ」
 クレーメックに敬礼するのは三田 麗子(みた・れいこ)だ。彼女は教導団入団前、裕福な家庭で育ったいわゆるお嬢様だったそうだが、ある日ばっさりと髪を切り、志願して情報科に所属したという異色の経歴を持つ。軍人らしいきびきびした動きは身についているが、どうしても口調ばかりは、かつてのものが出てしまうようだ。
「新年早々爆弾探しだなんて、やっぱり、教導団のお正月は他所とは一味も二味も違うわね」
 結果に安堵したのか、麗子は少し物腰を緩めた。
「ああ。『お年玉』が爆弾ということであれば洒落にもならない。だがこれは事前調査の段階だ。外から『お年玉』を持ち込む輩がいないとは限らない。警戒を怠るな」
「勿論。トラッパーはいつでも使えるようにしておきますわ」
 やがて開場時間が近づく。入口では、島津 ヴァルナ(しまづ・う゛ぁるな)が身体検査を実施していた。
 思った以上の参加人数だった。講堂にはなんとか入りきるが、規模としてはあなどれない。
「教導団が正式にシャンバラの国軍となって以来、着実に治安状態は良くなっている。でも、まだまだシャンバラはテロや犯罪から無縁の安全な社会だ、と胸を張って言える状況ではないのね」
 見知った顔が多くとも、団長暗殺の危険がある以上容赦はできない。直接教導団に所属するわけではないが、出資者らも来場してはいた。彼らにも念入りにチェックをする。
 武器や毒物・爆発物などを隠し持って、閲兵式の行われる会場内に入ろうとする者を警戒しなければならない。ゲートには金属探知機があるとはいえ、やはり最終防衛ラインは肉眼による調査なのだ。本日、ヴァルナは前髪をオールバックにしている。その額にはずっと緊張の汗がにじんでいた。
 さらに、会場上空。
 教導団の警戒網は地上にとどまらない。空にもレーダー防衛技術が使われており、また、島本 優子(しまもと・ゆうこ)が飛行能力を発動して哨戒に努めている。
(「こんな警戒をしないで済めばいいんだけどね……」)
 塵殺寺院を始めとするテロ団体、あるいは武装犯罪者たちにとって、この日の閲兵式は垂涎の的だろう。これを潰すことに成功すれば、さぞや彼らの勢力も増すに違いない。
 だから優子は飛ぶのだ。
(「テロリストや犯罪者が一人もいなくなるまで、私たちは、国軍として、シャンバラの市民を守るために全力を尽くすだけよ」)
 クレーメックの決意に満ちた目を彼女は思いだしている。
 彼のパートナーであること、その右腕として働けることは喜びであり誇りだ。
 会場内部の設営は終わっていた。それでも直前の準備は多い。既に入場者が入りつつあるというのに、やはり齟齬はあるものだ。それを収めるべく、大岡 永谷(おおおか・とと)は忙しく立ち回っていた。
「直前に一部プログラムが変更になったらしい。小暮はプログラム担当だろ?」
 手に書類の束を抱えて永谷は、小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)を捕まえて訊いた。
「ああ。書き換えることにした。ある市民団体が感謝状を渡したいと言っている。これを開始直後に組み込むことにした」
「身内のイベントなのにな……」
 永谷は少し、嫌な気がした。澄みきった水に一滴の墨汁を落とされたような心境だ。見に来るだけならまだいいが、外の者にしゃしゃり出てほしくないというのが正直な気持ちだった。
「友好的な団体であるし、ここでいい顔をしておくのは悪いことではない。少なくとも政治的には、な。ざっと計算して、彼らからの協力は、この場面を設けたことで23.8%増すことになる」
 顔には出さないが永谷は内心、苦笑していた。「ざっと計算」などと言いながら、しっかり小数点下までパーセンテージを呈するところが秀幸らしい。
「逆に、せっかくの申し出を断るほうが人と人の和を乱すようなことになるわけか。団結を高める意図での閲兵式としては、そんな結果になるようなら本末転倒だよな」
「わかってるじゃないか、大岡殿。自分も同じ気持ちだ。だから今回、運営責任者の沙 鈴(しゃ・りん)教官に申し出て、プログラムの変更を認めてもらった」
 秀幸の口元がわずかに弛んだ。そして彼の、銀でできているかのような鋭い眼、その目尻がミリ単位なれど下がるのを永谷は見た。
「じゃあ、関係者へのプログラム周知を任せた。音響と、ライティング関係のな。俺は司会役のルー中尉に知らせてくる」
 片手を上げ、また後で、と言い残すと秀幸は去っていった。
 ああ、と応じて来た道を戻りつつ、永谷は直前の記憶をリピートしている。
 ――まただ。また彼の笑みを見てしまった。
(「小暮のあの表情……意識してやってないんだろうけど、反則だぜ」)
 脳裏に焼きついてしまったじゃないか。しばらく、忘れられそうにない。顔に血が上ったような感触があったが、気づかれてないものと信じたい。
 堅物の彼が鉄の表情を崩したから、印象的になってしまうだけなのだと思う。
 けれど、
(「俺は、小暮のことが異性として気になり始めているのかな、と思う時がある」)
 学園祭の企画書を共に練ったあの日、これが恋なのかなと、大雑把ながら考えたこともあった。しかし、愛だの恋だのという言葉は、どうも異世界の象形文字のようで、意味は知ることができようとも実感として理解しづらいものがあった。
(「ただ、俺自身は、こういうことの経験が殆どないから、よくわからないって言うのが本音かな」)
 このほうが自分の身の丈に合っている気がする。
 それでいいんじゃないか。
 慌ててどうこうしなきゃならないことでもないだろう。
 仮に、今急いで「好きだ。付き合ってくれ」と永谷が告白したとする。それで秀幸が「わかった。付き合おう」と言ったとする……仮定の話なので極端な例であることは断っておこう。
 しかしそうなったとして、次にどうすればいいのか。男女の付き合いというのはこれまでとどう違う?
 そこで行き詰まってしまうのだ。
 それにもう一つ、もっと重要なことがある。
(「そもそも、小暮が俺のことをどう思っているのか? というのもわからないしな」)
 これは素直に気になる。
 まあこれは、交流を通じて少しずつでも知ることができたらと思うことにしよう。
 まずは閲兵式だ。これを頑張って成功させるのが先だ。
 永谷はいつの間にか小走りになっていた。

「教導団というのは、あくまで軍学校です。と言っても、軍事行動を行う集団としての側面があることをお忘れなく」
 結局、身内だけでの閲兵式とはいかなかった。外部からの来客を、教官として沙鈴は迎え、
(「このような基本中の基本を、なぜ一(いち)から……」)
 と内心思いつつも、『国軍』という軍隊と『教導団』という学校の関係、違いを説明していた。混同されるのは、いずれにとっても良いこととは思えないからだ。
 しかし実際は、かなりの意味で誤解されている。一般人が混同するのならまだしも、こうして出資者、取引先として教導団にかかわる立場の客が普通に同一視しているのは由々しき事態であった。
 鈴は説明を続ける。
「国軍の中には職業軍人としての教導団卒業生、国軍を冠した地方軍閥その他のルートでの編入があり、そして国軍の一部として、教導団が存在していることを覚えておいていただきたく。
 つまり、『国軍=教導団』ではないのです。残念なことにこの両者を同一視する方は少なくありません。それを我々は憂慮しています」
 どこかに明記されていればこんな苦労はしないのですが――とは思えど、愚痴っていてもはじまらない。彼らに伝えることでいつしか、知識が広まり共有化されると信じたい。
「今日は、『教導団』としての晴れの舞台です。無論、今後は国軍としての参加者についても、教導団出身なら壇上に立つ権利を与える方針ではありますが、本日は『学生限定』とでも考えて頂いたほうが理解しやすいでしょう」
 教官は閲兵する側でも、閲兵を受ける側でもないと鈴は考えており、こうして率先して裏方作業を担当しているのだった。来客対応のみならず、プログラムについての決裁も担当している。それ以外にも、トラブルがあればすぐに顔を出して解決に努めていた。
 教官だからといって、どっかと座っていればそれでいいのではないだろう。むしろ足を使って鈴は自分の役割をこなしているのだ。
 じき開演だ。急ごう。