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真赤なバラとチョコレート

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真赤なバラとチョコレート
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リアクション

2章

1.


「いらっしゃいませ。ようこそ、彩々へ!」
 タシガン伝統衣装に身を包んだウェイターと、可愛らしいメイドさんたちが、訪問客を出迎える。
 ジェイダスが招待状を相当に配ったらしく、開店と同時に、喫茶室は大盛況となった。
「コーヒーを三つ、カフェオレが二つ、ローズヒップティーを一つお願いします!」
「ザッハトルテ、お持ちしてください!」
 バックヤードは、早々に慌ただしさに包まれる。しかし、あくまで客席に、その喧噪は伝わらないよう配慮もされていた。
「どうぞ、こちらのお席へ」
「ありがとう」
 テラス席へと通されたのは、冴弥 永夜(さえわたり・とおや)アンヴェリュグ・ジオナイトロジェ(あんう゛ぇりゅぐ・じおないとろじぇ)ロイメラ・シャノン・エニーア(ろいめら・しゃのんえにーあ)の三名だった。薔薇の学舎の生徒でも、あまり喫茶室を利用したことのない生徒もいる。今日は、せっかくリニューアルオープンということで、永夜はアンヴェリュグとロメイラのリクエストもあり、やってきたのだった。
 早い時間ならば、他校生はまだ少なく、迷惑にならないかとも思ったのだが、すでにほぼ客席は満員だ。これは、かえって早く来てよかったかもしれない。
「タシガンコーヒーは実家でも飲んだ事があるのですが、とても美味しかったのを覚えています。また飲めるとは…永夜さん、良い機会を有難う御座います」
 ロイメラは席に座ると、嬉しげにそう言う。
「ここのコーヒーは有名だって聞いてるからね。俺も楽しみだ」
 長い足を組み、アンヴェリュグは漂うコーヒーの香りを楽しむように目を閉じる。
「いらっしゃいませ。ご注文は、いかがいたしますか?」
 タイミングを見計らい、ヴァルベリト・オブシディアン(う゛ぁるべりと・おびしでぃあん)が、にこやかに注文を受けにきた。
「えーっと、注文は……コーヒー3つと、何かオススメの茶菓子を貰えないか?」
「それでしたら、ただいまですと焼きたてのアップルパイがご用意できます。アイスを添えてお出しいたしますが、いかがでしょう?」
「じゃあ、それがいいな」
 アイスクリームは永夜の好物だ。他に、ヴァルベリトのおすすめのスイーツを2点ほど頼むと、永夜は二人にむきなおった。
「今日はバレンタインだろ? 日頃お世話になっているお礼だ」
「バレンタインといえば、日本では女性が男性にチョコレートを送る習慣があるそうですよ」
「……え?チョコレートを送る? 日本じゃそうなのか?」
「ああ、だから、オープンの記念品はチョコレートなんだね」
 アンヴェリュグが納得したように頷いた。ジェイダスの日本趣味は有名だから、この店名といい、バレンタインの風習も日本のものを取り入れたのだろう。
 一方で、永夜は日本人ではあるものの、長く欧州で過ごしてきたため、日本で過ごしたことはパラミタに来るまで一度もない。
「日本の文化はロイメラのほうが詳しそうだな……」
「ボクも知識として知っている程度ですから、大差はないですよ」
 妙にしみじみと呟いた永夜に、ロイメラはそう謙遜した。
 コーヒーとお菓子は、間もなく運ばれてきた。
「クリームとお砂糖は、いかがいたしますか?」
「ああ、お願いします。ボクはブラックだと苦くて飲めへんさかい」
「いえ、どうぞお使いください」
 差し出された砂糖壺には、角砂糖が詰まっている。クリームと砂糖を3つ入れ、ロイメラはゆっくりと銀の匙で陶器のカップに注がれたコーヒーをかき混ぜる。アンヴェリュグと永夜は、ブラックのまま楽しむことにする。
「すみません、ボクは甘い方が好きなので」
「飲み方も人それぞれだから特に気にしなくても良いよ、ロイメラ君。永夜君がこっそりコーヒーの温度を下げようとしているのと同じでね」
「…………」
 アンヴェリュグの言葉に、さりげなく氷術でコーヒーの温度を下げていた永夜の手が、ぎくりと止まった。
「……猫舌なんだ。しょうがないだろ……」
「そういえば、あまり温かいものを口にしている処を見かけませんでしたね」
 恥ずかしげに呟いた永夜を、ロイメラとアンヴェリュグは微笑ましく見守る。
「ああ。いいコーヒーだね」
 アンヴェリュグが、ブラックのコーヒーに口をつけ、静かに呟いた。
「まぁ、そうだな」
 永夜も、ちょうどよく冷めたコーヒーを飲んだ。苦みと酸味が、柔らかに調和し、気分が落ち着くようだ。
「来てよかったですね」
 ロイメラも、スイーツに舌鼓を打ちつつ、満足げに微笑んだ。
 きっとその極上の味は、一緒にいる人と、この穏やかな時間、その全てがブレンドされてのものだった。


 テラス席には、他にも二人連れの女性客がいた。
 緑の髪の小柄な女性、その膝の上と足元では、それぞれ一匹ずつ、可愛らしい猫がすやすやと眠っている。二匹は、彼女……奥山 沙夢(おくやま・さゆめ)の飼い猫で、いつも離れずについてくる。そのため、さすがに店内ではなく、テラス席を選んだのだ。
 幸い、それほど寒さは感じない一日だが、念のため席には膝掛けの毛布も用意している。だが、沙夢の場合、天然毛布(猫)だけで充分のようだ。
「いいなぁ、沙夢……」
 思わずといったように、西村 鈴(にしむら・りん)が呟いた。どうしたって、自分よりはるかに猫に懐かれる体質だとはわかっていても、うらやましいのはある。
「毛布……私のも、使う?」
「ううん、いい」
 別に寒いわけではないのだ。そう?と答えてから、沙夢は運ばれてきたコーヒーを飲む。
 ここに来たのは、半ば沙夢が無理矢理鈴を誘ったからだった。普段は女性は立ち入り禁止の薔薇学に、堂々と入れる機会など、滅多にあるものではないし。それに……。
「……うん、とても美味しい」
 ゆったりとコーヒーを味わって、沙夢が呟く。
「確かにコーヒーは美味しいけど……」
 鈴としても、それは否定しない。できればお酒のほうが好きとはいえ、こうして薔薇や手入れされた庭を眺めて、コーヒーを楽しむのも悪くはない。
「たまにはこうやって一緒に楽しむのも、悪くないでしょう?」
「そうだね」
 ただ、いかんせん。
「…………」
 ちらりと辺りを見渡し、鈴は軽く肩をすくめた。
 まわりには、薔薇の学舎の生徒をはじめ、男性客ばかりが目立つ。こうして女性二人連れでいるのは、なんだかひどく場違いに思えた。
(一体なんで、沙夢はわざわざ連れて来たのかなぁ?)
 そりゃあ、鈴としても興味はないわけではないが、どうしてもというほどではない。それに、沙夢だって、イケメンやら美少年やらに、たいして興味があるはずもないのに。
 そんな風に、鈴がやや訝っているのに気づいたのだろうか。小さく、沙夢が呟いた……気がした。
「それに……ネコばかりに構ってないで、少しは私にも……」
「……? 今、なんて言ったの?」
 鈴が問いかける。しかし、沙夢はそっけなく「……別になんでもないわ」とだけ答え、ついと視線をそらした。その先には、薄紅色の薔薇が、ひっそりと咲いている。
「そう? ……」
 小首を傾げながらも、鈴の目には、沙夢の頬がその薔薇と同じように薄赤く染まっているのが、ちゃんと映っていたのだった。
(なんだ、そっか……)
 ふふっと微笑み、鈴はまた、コーヒーを飲む。その味は、さきほどよりもまろやかに感じられた。「チョコレートは、せっかくだからいただいて行きましょうか」
「そうだね。話のタネになるし……思い出にもなるからね?」
 二人の、大切な時間の。
 そんな風に、鈴は目を細めた。


 二人でゆったりとお茶を楽しんでいたのは、沙夢たちだけではない。
 喫茶室のなかで、秋にわりあてられた、落ち着いた片隅。そこに、薔薇の学舎の皆川 陽(みなかわ・よう)テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)の姿もあった。
 陽から誘ったわけではない。ただ、新しい喫茶室に興味があった陽に、テディがくっついてきた形だ。もっとも、テディは陽の行くところならばどこでも着いてきたから、おそらく来るだろうとは予測していたけども。
(随分、雰囲気も変わったんだな)
 喫茶室の内装を眺めるものの、陽には詳しいことはよくわからない。ただ、落ち着いた雰囲気はそのままながら、開放的な変化はなんとなく感じられた。
 そして、さすがにオープン初日ということで、いつもよりも多いウェイターたちは、みな薔薇の学舎の美形揃いだ。時折可愛いメイドが混じっているのも、ご愛敬というところだろうか。
(いいなぁ、キレイな人は)
 喫茶室の件をきいて、手伝おうかなと思わなかったわけではない。けれども、自分のような凡庸な人間が、薔薇の学舎の代表みたいに他校生の前で給仕をするなんて、どう考えても相応しくない。ただの庶民だし、地味でドベで冴えなくて、何の価値もない自分とは、彼らは全然違うのだ。
 だが、そんな陽とは裏腹に、テディはコーヒーを飲みながらも、落ち着くどころではない。同級生のみならず他校生もいるような場で、陽が誰かに視線を送るたびに、嫉妬と呪いの念派を送るのにテディは余念がなかった。
(もし手ぇ出したら、決闘だかんな!)
 頼んだザッハトルテをフォークでつつきながら、内心でテディはそう凄んでいる。
「美味しいね」
 陽の前に並んでいるのは、砂糖をたっぷり入れたカフェオレと、苺のカスタードタルトだ。あまり上等すぎるお菓子の類は好みではないけども、これは陽の口にもあった。
 それから、ふと思い出したように、陽は下げてきた鞄を手に取った。出してきたのは、市販の板チョコレートだ。
「テディ、もし足りなかったらだけど、これ……」
 深い意味なんて、全然ない風を装う。もし、テディに訝しげにされたら、すぐにひっこめられるように。
 ……陽にしてみれば、テディがいくら自分を好きと繰り返そうと、それを簡単に信じることなどできない。いや、今は確かにそうだとしても、いつ心変わりをしたって、ひとつも不思議ではないと思っている。第一、自分の気持ちですら、はっきりとわからないままなのだ。
 そんな、若干曖昧な陽からのバレンタインプレゼントを受け取り、テディは瞳を輝かせた。それが板チョコだろうとなんだろうと、全く関係のないことだ。
「ありがとう!」
 どんな喫茶室の上等のスイーツより、ショコラティエのチョコより、テディにはこちらのほうが嬉しい。屈託なく喜ぶテディに、陽はほっとしつつも、やはりどこかフクザツだった。
「あのさ、僕も、あげたいものがあって」
 テディが用意していたのは、特大のチョコレートケーキだ。さすがに喫茶室で渡しても、その場では食べられないだろうと思い、今は持ってきていないが。陽の好みは把握しているので、甘さたっぷりのものだ。そして、テディの愛の大きさそのままに、ケーキそのものも大きかった。
(下心に気づかれたらどうしよう)
 そんな不安もあるが、せっかくのバレンタインだ。少しでも多く、陽に自分の愛を伝えたかった。
「後で、受け取ってくれる?」
「ふぅん……いいよ?」
 一体なんだろう。そんな顔をしつつ、陽は後はただ、黙ってカフェオレをスプーンでかき混ぜていた。