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真赤なバラとチョコレート

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真赤なバラとチョコレート
真赤なバラとチョコレート 真赤なバラとチョコレート

リアクション

2.


 春をイメージした、ほんのり桜色のコースターやテーブルクロスに飾られた一角では、さらに華やかな少女二人の姿もあった。
 お正月に芦原城下で手に入れたという、薄桃色をメインにした振り袖姿のレキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)と、橙色の訪問着姿のミア・マハ(みあ・まは)だ。
 着物は窮屈なのでミアはあまり好きではないが、レキが喜ぶのならば少しは我慢もする。それに、滅多にない、薔薇学へと堂々と入れる機会だ。興味も多少はあった。
「いらっしゃいませ。旅行以来ですね、お久しぶりです。お着物、とてもお似合いですね」
 席に案内したレモが、二人をそう褒めると、レキははにかみながらも「ありがとうございます」としとやかに答えた。白百合の生徒として、恥ずかしくないように振る舞おうと今日は決めている。……とはいえ。
「うわぁ、どうしよう……どれも美味しそう!」
 メニューを開くと、美味しそうなケーキやクッキーの写真が目に飛び込んで、レキは弾んだ声を抑えきれなかった。
「ふむ、そなた、おすすめはどれじゃ?」
 ミアが声をかけると、ファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)が伝票を片手に元気に答える。
「お勧めメニューのアドバイスなら、任せてよ!」
 ファルも今日のために、新商品の試食もして、アピールポイントも考えてきている。おちびの龍には、用意された衣装はやや大きいようだったが、それがかえって可愛らしい。
 ファルの説明をきいて、結局レキが頼んだのは、コーヒーと苺のカスタードタルトに、特製パフェ。ミアはハーブティだ。
「パフェの生クリームは、特盛りでお願い致しますわ」
 着物と同じく薄桃色の扇子で口元を隠し、出来る限り淑やかにレキが注文する。
「特盛り?」
 ファルが咄嗟に小首を傾げる。
「レキよ、パフェは牛丼ではないのじゃぞ?」
「あ! ……え、ええと、生クリームは多めにお願い致します」
 真っ赤になって言い直すが、そもそもお嬢様はそういう要望をしないだろう、というツッコミはあえてミアもしなかった。
「うん! じゃあ、たーっぷりでお願いしておくね! ボクもね、生クリーム大好きなんだよ♪」
 ファルが愛嬌のある笑顔でそう答えると、レキも少しほっとしたように「そう……ですよね!」と同意する。
「では、少々お待ちくださーい」
 小さなドラゴンは、きちんと会釈をすると、ちょこちょことテーブルを離れた。
「ふぅ。ね、ちゃんとお嬢様らしくできたよね?」
「……どうだかのぉ」
 ミアは呆れつつも、ふふっと楽しげに笑った。
 注文の品物が来るまでは、もう暫くはかかりそうだ。雰囲気を楽しみつつ、二人が談笑していると、柔らかなリュートの楽の音が響いた。
「演奏かの?」
「みたいだね」
 二人が視線をむけると、入り口近くの一角で、マユ・ティルエス(まゆ・てぃるえす)がリュートを手にしていた。傍らには、なにやら緊張顔のレモの姿もある。
「おや、可愛らしいことじゃ」
 ミアは愛でるように目を細めた。

「……だ、大丈夫かなぁ」
「大丈夫ですよ。練習も、たくさんしましたし……」
 いつもはそれなりに積極的なレモだが、ひどくおろおろとして、マユへ縋り付くような視線を向けている。それに、マユは可憐な笑みを返す。
 リュートの生演奏をするという提案は、内気なマユにとっても勇気のいることだった。けれども、レモと一緒に、色々なことに挑戦したいと思ったのだ。
 ただ、なにせレモは歌が不得手だ。クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)に泣きついて、幸い特訓をしてもらったおかげで、少しばかりはマシになった、という程度である。
「今日は、大切な人と過ごす日だそうです。大切な人、好きな人達の事を考えながら歌うと良いと思います」
「……大切な人……」
 マユの言葉に、レモは目を伏せて、やや考える。おそらくは、レモにとっての双子の存在のことを思い出しているのかもしれない。
 マユにも、大切な人がいる。けれども、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)ははっきりとは口にしないが、おそらく……。そう、わかっていた。その分、レモや、他の人は、大切な人と会えると良いと思う。幸せな時間を、過ごしてほしいと願っていた。
「頑張ってみる、ね」
「はい」
 マユは微笑み、自分の身体と同じくらいの大きさのリュートを抱えると、ゆっくりと楽を奏ではじめた。そして、レモがそれにあわせて、拙くも精一杯、歌いはじめる。それは、タシガンに古くから伝わる、童謡の一種だった。

「ふわああ……素敵ですー」
 感動した様子で、ソフィア・エルスティール(そふぃあ・えるすてぃーる)が呟いた。可愛らしいその様子に、コーヒーカップを片手に、ラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)は無骨な口元を綻ばせつつ頷いた。
 婚約者と共に来られなかったのは返す返すも残念だが、ソフィアは楽しんでいるようだし、なにより初めて飲むタシガンコーヒーはなかなかの美味だ。
「いいなこれ……香りといいコクといい。ブラックで飲んで正解だな」
 空京や大学でも、コーヒーそのものは飲むのだが、どうしても安物で済ませがちだ。こんな店が、空京にあってもいいのんだけどな、とラルクは思う。
 だが、そんな彼の感想に、ソフィアは少しだけ意外そうにしている。
「……いや、味覚が少しおかしいからって、別に何でも美味いって訳じゃないんだぜ?」
 なんでも『食べられる』のは確かだが、それと『味音痴』は少しばかり意味が違う。苦笑まじりに言い添えると、ソフィアも納得したようだった。
「カフェオレも、とっても美味しいです。それに……このお菓子も」
 ソフィアが気に入ったのは、白のミニ大福だ。小さな口で、大切そうに一口ずつ味わっている。
 それほど機会は多くないが、こうして落ち着いた雰囲気のなか、過ごすのも悪くはない。
「よろしければ、コーヒーのおかわりはいかがですか?」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)がさりげなく声をかける。
「ああ、頼むぜ」
 ありがたいサービスだな、とラルクは思いつつ、再び新聞を開いた。だが、ふと気にかかり、おかわりを注ぐ北都へと口を開く。
「混雑しているのなら、そろそろ退いたほうがいいか?」
「いえ。どうぞ、ごゆっくりお過ごし下さい」
 北都は丁寧に答えると、カップをラルクの前に差し出した。おかわりということで、先ほどよりは少しだけ濃さを控えめに抽出した。その分、酸味や香りは強めにしてある。
「お菓子は、気に入っていただけましたか?」
「はい、とっても美味しいです」
「ありがとうございます、お嬢様」
 ソフィアにも軽く一礼をすると、北都は二人の席を離れた。
「やっぱり流石お金持ちさんが通う学校だけあって違いますね。色々とタメになります」
 お嬢様、という言葉にはにかみつつ、ソフィアがラルクを見上げた。
「パパ、連れてきてくれて、ありがとうございます」
「いや、いいってことよ。……けど、本当に砕音もいつか連れてきてぇなーまじで」
「きっと、すぐ来られますよ」
 微笑むソフィアに、「だよな!」とラルクは答え、愛しい婚約者のことを思うのだった。


 夏、のイメージされた席は、白と淡いブルーの色調に、差し色で金色が使われている。同じようにそろえられたカップを手にしたセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)。教導団の制服に包まれた背中は、ぴしりと気持ちよいほどまっすぐに伸ばされている。
「そんなに緊張することもないじゃない?」
 恋人であり、セレンフィリティの前に座るもう一人の制服の女性、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)がそう微笑む。
「緊張してるわけじゃないわよ。ただ、やっぱり制服って、身がひきしまるっていうか……ね」
 セレンフィリティはそう答えるが、やはり多少、気張ってはいる。なんたって『壊し屋セレン』だ。淑女としての振るまいとなると、苦手分野なのは否めなかった。
「そう? それならよかったわ」
 セレアナのほうは、元から貴族階級の出だ。普段は軍隊という場所には身を置いているものの、こういった場所にも、それはそれで慣れている。
「コーヒーも、美味しいしね。……ああ、そうだ」
 ふとセレンフィリティは思い立ち、歌を終えて再び給仕に戻ったレモに話しかけた。
「……このコーヒーは、先日伺った農園のものなのかしら?」
 務めて淑女らしく、丁寧な言葉使いで尋ねると、レモは「はい!」と明るく頷く。
「あのとき植樹したものでは、残念ながら無いんですが。同じ農園のものです」
「そうなの。……大きくなってはいるのかしら?」
「ええ。収穫できたら、また、ご連絡しますね。是非タシガンにいらしてください」
「そうね、ありがとう」
 セレアナも優雅に微笑む。大人びた女性の色気漂う二人に、レモは少しだけ照れた顔をして、会釈をすると席を離れた。
「……ふふ」
「なに?」
「ううん、なんでもない」
 セレンフィリティが笑ったのは、あの旅行のときのことを思い出したからだ。そっと、二人で過ごした甘い時間。それを思い出すと、摘んだチョコレートが、さらに甘く感じられるから不思議だ。
「また来られるといいなって」
「そうね」
 マユの奏でるリュートの音に耳を傾けつつ、ゆっくりと、この時間を愛おしむように二人はコーヒーを飲む。
 薔薇の学舎に立ち入れる機会など、そうはないけれども。それだけに、来て良かったと思えた。
(いつまでも、こうしていられるとは限らないから……)
 ふと、切ない痛みが、セレンフィリティの胸を刺す。
 お互いに国軍の軍人である以上、どちらか……いや、あるいは共に、いずれどこかの戦場で傷つくこともあるだろう。
 もちろんそれは最初から覚悟をしていることだけども、こうして甘い時間を過ごすときに、ふと足裏の影のように意識してしまう。この時が、永遠ではないということも。
「……どうしたの?」
 再びのセレアナの問いかけは、幾分不安げなものだった。しかしそれに、セレンフィリティは微笑んで首を横に振る。
「幸せだなぁって、思っただけ」
 失いたくないと思える相手に出会えた、そのことが一番の幸福だと、ちゃんと彼女はわかっている。失う恐怖など、取るに足らないほどに。
 コーヒーを飲み終え、席を立った二人は、どちらからともなく手を繋ぐ。互いという存在とその絆を、確かめるように。