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シルバーソーン(第1回/全2回)

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シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション


9 地下3階(2)

「そこなキメラどもよ、わが技を受けてみよ!」
 宣言とともに義仲は跳んだ。机を足場とし、壁や衝立を蹴って方向転換をはたし、エンプサと同じ宙へ躍り出た彼はクレイモアを核として導いた轟雷閃を放つ。
 振り切られたクレイモアの刃先から生まれた激しい稲妻が、空を裂きながらエンプサへ向かって疾走した。
「いっや〜んっ ♪」
 ティエンやウォーレンによって歌を相殺され、ほぼ無効化されているとはいえ、身体は健在だ。体勢を立て直したエンプサは、義仲の真剣さをあざ笑うようにふざけたポーズでひょいと横に避けようとする。それを、足に巻きついたの奈落の鉄鎖が引き戻した。
 義仲の宣言と派手な動きは陣から目をそらすためのおとり行為だったのだ。
 轟雷閃に斬り刻まれたエンプサは声を上げることもできず、四肢を引きつらせて落下する。
「なにするのよあなた!! もう許さないんだからっ!」
「そうよそうよ!」
「なによ、人間なんかのくせにっ!」
 周囲のエンプサが激怒して口々に叫ぶ。
「あーあーコウルセー。だから女はいやなんだよ」
 ああやって集団になるとさらにウゼえ。
 片手で耳をふさいで、ぶつぶつ文句を言いながらカーマインを連射する。相手が避けたところですかさずコウモリ羽あるいはロバの足に奈落の鉄鎖を絡みつかせ、引きずり下ろしたエンプサに義仲がとどめをさした。その足で再び跳躍し、宙のエンプサを狙ってクレイモアを横なぎする。
 無駄のない、連携のとれた攻撃。
 どちらがフェイクでどちらがリアルか。とまどっているうちにエンプサは次々とやられていく羽目になった。
「もうっ! 冗談じゃないわよ!」
 コウモリ羽をひるがえし、1匹のエンプサがついに直接攻撃に出た。その手には鋼鉄をアメのように引き裂く鋭い鳥の鉤爪があり、青銅製の足とロバの足がある。蹴りつければ人間の体などグシャグシャに砕く威力がどちらにもある。
 それを見て、武器を光条兵器・鍵剣【暁月】に持ち替えた霜月が割り入るように跳んだ。
 エンプサの足が彼を打ち落とすかに思われた瞬間、その足は幻の彼を貫く。それが残像であったと気付いたときにはもう、彼女の周りにはいくつもの霜月の姿が浮いていた。
「えっ……えっ?」
 どれが本物か。とまどうエンプサの周囲で霜月たちは光の剣をかまえ、突き込む。本物は1人と分かっていても、エンプサには避けられなかった。
 背後から貫いた光剣が、その聖なる光輝の力で不浄のモンスターを焼き尽くす。
 松明のように燃えながら背後に落ちたエンプサを、霜月は一瞥すらしなかった。彼女に致命傷を与えたのは分かっている。そして、倒すべき敵はまだいる。
 彼の前、2匹のエンプサが両側に分かれた。左右から同時に仕掛けるつもりだ。鉤爪で引き裂かんと突っ込んでくるエンプサにかまえをとり、わずかに早い右の対処へと出る。その背をカバーするのはもちろん妻のクコだ。待ち受けることなくゴッドスピードで前へ出たクコは、相手が混乱している隙をついて則天去私をたたき込む。
 グールとの戦いに区切りをつけたリリアもまた、宙のエンプサに向かってバニッシュを飛ばした。
「ちょっ……やばいわよ」
 グールは全部倒されてしまった。そして今、受けて次々と倒されていく仲間を見てエンプサたちはあわてた。態勢を立て直すべくきびすを返し、部屋を出て行こうとする。
「逃がしませんよ!」
 その背にジュノがワイヤークローを投擲したとき。
「待て! 1匹捕まえてくれ!」
 後ろからエースの声が聞こえて、ジュノは即座にワイヤークローを操る手の動きを変化させた。羽を引き裂いて落下させるのではなく、両腕を巻き込むかたちで体に巻きつけて引きずり下ろす。
「やだー! なにこれー! 早く解きなさいよ!」
 ドア近くで転がったまま悪態をついているエンプサに、エオリアやエースたちが駆けつけた。
「彼女をどうするんですか? エース」
「もちろん尋問するのさ。こいつは人語が通じるみたいだし、何か知ってそうじゃないか。――っと、メシエ。もう動いて大丈夫なのか?」
「ああ……問題ない」
 顔色の冴えない、疲れた表情ながらもメシエは苦笑してみせた。今さら取り繕ったところでしかたない。
(まさかああなるとはね)
 自分でも少し驚いていた。もうとうに整理のついたことだと思っていたのに…。
 昔のことだ。はるか、はるか、昔に終わってしまった関係。だから再び胸の奥底の、彼女だけの場所へ沈めた。だがからみついた髪のように今も残るその残滓が、胸のどこかをほろ苦く締めつける。
「メシエ? ヒールをかけましょうか?」
「大丈夫。何でもない」
 気遣ってくるリリアの手からさりげなく身を離して、メシエはそっと答えた。今はまだ、彼女を見ることも、触れられたくないことも、悟られずにすむよう願って。
「さーて、と。話していただきましょうか? お嬢さん」
「な……なによ。何も知らないわよ、あたしっ」
 しゃがみ込み、あきらかに押しの強そうな笑顔で迫ってくるエースに、エンプサは今できる精一杯で後ろに身を引く。
「何もしゃべらないんだからっ」
「ってことは、しゃべりたくない何かがあるってことですよね。そのあたりをぜひとも聞かせていただきたいなぁ。いや俺はね、女性をいじめることは基本的にはしたくないんです。でも見たとおり、仲間のなかには平気な人だっているし……肉体的には一切傷つけなくても、いくらでも精神的に追い込む方法はあるって、きみも知っているでしょう?」
 にこやかに、しかし容赦なく追い詰める。
 じりじりと迫ってくるエースに重圧を感じたエンプサが、何か言おうと口を開いたときだった。
 ぬっと廊下の闇から伸びた手が、風のようなすばやさでエンプサののどを掻ききった。
「! なにっ!?」
 瞠目し、後ろへ飛び退いたエースの手が腰の剣へと伸びる。
 ぱっくりと割れたのどからシャワーのように噴出したエンプサの血で濡れた白い腕には、クビキリカミソリが握られていた。

 ――クククク……


 突然の惨事に気を飲まれた彼らの前、白い手の主は嗤いながら再び闇へと消えて行こうとする。
 アキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)が飛び出した。
「アキュート、やっちゃうのです〜!」
「おまえは潜っていろ」
 コートのポケットから身を乗り出して雄々しく命じるペト・ペト(ぺと・ぺと)の頭を押し戻す。ダークビジョンの発動した目が、闇のなかでもはっきりと敵の姿を映しだしていた。
 だらりと垂れた手にはいまだ血の糸を引くクビキリカミソリが握られている。まばたきもせずアキュートを見返している両眼は、瞳孔が針で突いたほどにせばまっているように見えた。髪と同じ白い目。それだけで、まるで顔面に穴が空いているようだ。服装もきちんとしていない。はだけた胸元や足の際などが露出した様はしどけないなどというよりだらしなく見え、そこに色気などといったものは微塵もなく、手足や胸元に散った血は乾いて茶色くこびりついている。
 一体何人その手にかけてきたのか……アキュートの目が嫌悪に細く締まる。
 彼女の姿は昔、ストリートでよく見かけたヤク中に似ていた。薬のやりすぎでラリって、分別も何もけし飛んでしまっている。
「おまえ、何者だ」
 言葉を理解できる精神状態か、あやふやながらも一応問いかけてみた。こういう輩は今はおとなしく見えても突然何をするか分からない。軽く握った手のなかにはいつでも撃てるように火種を仕込む。
「私…?」
 女はくすりと笑う。
 かくりと首が落ち、くつくつ笑いはやがて全身を震わせる笑いとなった。
「私は小鳥……ちゅんちゅん鳴いて、地に転がるモノを喰らうの。フフ……おなかをまぁるくふくらませ、溶けるモノなら何だって…。ああそれとも、カエルだったかしら? 黒い水面を覗き見て、泳ぐの……もがいて、沈んで……ゲコと鳴く。口のなかへとなだれ込む闇を飲んで…。
 あはっ、あははははははっ」
 ゆらりゆらりと白く長い手足が揺れ動く。人の動きのように見えないそれは、彼女をカカシかマネキンのように錯覚させる。
「私は小鳥? 私はカエル? ああ……私はだぁれ? あなたは知ってる…?」
 顔の下半分に巻いた認識阻害マフラーを少しだけ引き下ろし、クビキリカミソリをくわえた口元で、白い歯が牙のように光った。
 女は一瞬、身を縮めた。そのまま小さく、丸くなってしまうかに思えた次の瞬間、まるで獣のような素早さでアキュートに突貫した。
 その動きは先までと全く違い、まさに疾風迅雷。
「ちッ」
 舌打ちひとつ、アキュートは顔面へたたきつけるように手のなかの火術を放った。
 過去の経験から、彼には分かっていた。こういう手合いはどうしたって救えない。何を説こうが無駄だ。救いなど求めていないのだから。
 女はゆらりと火をかわす。そののらりくらりとした動きは悪夢のなかの化け物そのものだ。
 しかし攻撃は凄まじく速い。
 すれ違いざまビュッと突き出されたさざれ石の短刀を掌打ではじき、こめかみを狙ってひじを入れる。だがかわされた。足払いもかわして、女は地に伏せるほど身を落とし、すべるように床を走って距離を取ろうとする。
「させるか」
 アキュートは跳躍し、ひと息に距離を詰めようとした。プッと女の吹き出したクビキリカミソリが回転しながら顔面へ飛ぶ。それは突き抜けて床へ落ちた。ミラージュだ。
「……ふふん」
 分裂したアキュートを前に、女は鼻で嗤った。無造作に振られた手の先から、彼女を囲うように火遁の炎が走る。その一瞬で、女はアキュートを見抜いた。いわく、現身ありし所影もまた生まれる。
「あははっ!」
 狂女のように髪を振り乱し、嗤って、嗤って、女は短刀を振る。アキュートのほおや腕に裂傷が走った。
「くっ…!」
(この女、相当近接戦闘に慣れている)
 見かけに騙されてはならないと、いま一度気を引き締め直した。大雑把な攻撃を繰り出しているように見えてその実短刀は常に彼の死角をとろうとし、急所目がけて突き込まれてくる。回避能力も高く、彼の打撃技も蹴りも、あののらくらとした動きですべて避けられてしまっていた。
「まがった女がまがった道を歩く……まがった硬貨を拾ってまがった石を投げて……まがったネズミを捕らえたまがった猫を買う……♪」
 女は奇妙な歌らしきものを口ずさみ、アキュートの頭上高く越えて向こう側に着地した。その手には、またもクビキリカミソリが拾われている。
「まがった子どもと手をつなぎ……まがった犬の守るまがったおうちで……♪
 まがった女は何をすると思う?」
 クケッとのど引きつらせて笑うや、女はまたも突っ込んできた。
 突き込まれる短刀。それをアキュートは再度掌打ではじき――手首をとった。
「これでどうだ」
 後ろ回し蹴りを横っ腹へぶち込む。女はマリのようにふき飛び、窓を突き破って室内へ転がり込んだ。
「おまえは…!」
 両手をつき、むくっと起き上った女に、七刀 切(しちとう・きり)は目を瞠る。
 認識阻害マフラーで顔の半面は隠されていたし、前見たときとは髪の色も服装も、何もかも違っている。だがガラスで切れ、全身血に赤く染まったその姿は、彼のなかのあのロンウェルでの戦いに結びつくものだった。
 声、目の色、髪の色、かたち、肌の色、服装……そういったものは邪魔な情報でしかない。そんなもの、いくらでも替えられる。
 すべてをそぎ落とし、簡略化し、物体を記号として総合的に捉える――ひとはそれを「直感」とも呼ぶのだが――そのとき、切の知覚は完全に彼女をあの夜の不死者と認識した。
「ここで会ったが100年目、ってねぇ」
 先のグール、エンプサでは用いなかった黒鞘の大太刀『我刃』を抜く。光の刃を持つ光条兵器。それを見て、女は血まみれの口で、にぃ、と嗤った。
 切の振り下ろしを、女は獣のように跳んで避けた。その手に握り締められているのはクビキリカミソリ。隙あらば刺突を狙う短刀もある。
 すばやく背面へ回り、斬りつけようとした彼女の攻撃を勘ではじき、振り返りざまさらになぐ。
 息もつかせぬ斬撃を次々と繰り出しながらも、切の胸を占めていたのはあのロンウェルでの彼女の姿だった。二重写しのように重なる、記憶のなかの女と目の前の女。
 その姿も、動きも、2人は似ても似つかない。だが知っている――識っている。この女は「彼女」だと。
 速く、もっと速く。
 呪文めいた言葉がちりちりと胸を焦がす。
 もっと、もっと。まだ遅い。まだ足りない。こんなに遅くては彼女を倒せない。
 あのときこの女はもっと速かった…!!
 そんな切の心中を見透かすように、女は小さく口ずさみ始めた。
「タリホー……タリホー……狩りに行こう……みんな、みんな……♪」
 くるりくるりと回って、アクロバティックな動きで柳葉のように切の剣を紙一重で避ける。
「黒いキツネ……青い目をした、かわいい……犬を放て……♪」
 どこを見ているともしれない白い目に、紫紺の甲冑が映った一瞬、初めてそこに感情らしきものがきらりと浮かんだ。
「追って、追って、追い詰めて……首を刈る……♪」
「――はあっ!!」
 振り切った切の我刃を足場に跳んで、ぽんと頭に片手をつく。そのまま軽々と彼を飛び越え、女は目指す目的の人物へ迫った。
「箱に入れて……ああ、絶対逃がすものか……私のかわいいキツネ……♪」
 ――ひゃはははっ!
「させない!!」
 猛々しい宣告とともに、横からうす闇にまぎれるようにして何かが曲線を描いて飛来した。女はそれを視認ではなく知覚して、攻撃を中断し反対側へと跳ぶ。それが念動球であったというのは、そのとき知った。そして、この宙返りこそが術者の狙いであったことも。
「やあっ!」
 見えないボールを蹴るように榊 朝斗(さかき・あさと)の足が振り切られる。シュタイフェブリーゼを用いた蹴り、そしてそこから生み出される真空波。宙にいる女にはかわすことができない。
「……ぁっ…」
 無防備な背中を切り刻まれ、女はかすれた吐息のような声を発しながら落下した。
「うらあーーーっ!!」
 どうにか受け身をとったものの、痛みからかとっさに立てないでいる女に向け、我刃を振り下ろす。血しぶきが上がり、短刀を握った女の腕が勢いよく飛んだ。
 女は悲鳴ひとつ上げなかった。
 反射的、掲げた己の手首に刃が食い込んだときも、まっすぐ落ちた刃に肩口から切り落とされたときも……女はむしろ恍惚とした表情で「嗤って」さえいた。
 戦慄したのは切の方だった。
「……フフフ…」
 動きを止めた切の前、女は血の吹き出す肩を手で押さえながら壁を抜けて、となりの部屋へ消えた。彼女の消えた壁にはおびただしい血だけが残されている。
「切さん……いいんですか? あの……放っておいて」
 血のりを拭き取り、鞘に納めた我刃を担いで切は振り返った。室内はうす暗かったが、そこにいる全員が目にした衝撃に青ざめているのが分かる。
「んー。あのまま戦ったって、あいつきっと死ぬまでやめんし。そんな最悪なモン目にするのはごめんだからねぇ」
 そんな身勝手に付き合わされるのも。


 ――ふ……ふふふふ。あははは……っ

 どこともしれない暗闇のなか、女の嗤いが反響する。
 炎が一瞬燃え上がり、肉の焦げたにおいがした。
「ああ……あの目。彼は1度も私を映してはいなかった。私はあそこにいなかった。私は……私は…」
 ではこの私は誰? 私はセシリア・ナート? 私は屠・ファムルージュ? そのいずれでもない何か?
 クビキリカミソリが鉄の壁をこすり、疳高い悲鳴のような、聞くに堪えない錆びた音を発する。
 それはまるで伊吹 藤乃(いぶき・ふじの)の内側でこだましている悲鳴のようでもあった……。