百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

雨音炉辺談話。

リアクション公開中!

雨音炉辺談話。
雨音炉辺談話。 雨音炉辺談話。

リアクション



10


 夕べから降り続く雨が、空を、景色を、暗くしていた。
 こんな日は、特にすることがなくて困る。黒衣 流水(くろい・なるみ)は退屈に息を吐いた。今は本を読んで時間を潰しているけれど、読書が終わったら何をしようか。
 パートナーたちが出かけ、普段よりは幾分静かな室内に、雨の音と時計の針の音、それからページを手繰る音だけが響く。
 ふと。
 それらに混じって、かちゃかちゃと何かぶつかり合う音が、聞こえた。
「……?」
 キッチンから、音は聞こえている。誰か、何か作っているのだろうか。気になって立ち上がる。
 覗き込むと、そこにはアサルト・アーレイ(あさると・あーれい)ルルナ・イリエースト(るるな・いりえーすと)がいた。
「アサルト兄さま、ルルナ姉さま」
 呼びかけると、二人が同時に流水を見た。
「どうした?」
「音が聞こえたから」
 何をするの? と言外に問う。
「今日も雨でしょう?」
 ルルナが言った。
「雨だと、妹が部屋にこもりっぱなしになるのよね」
「だって。することがなくって」
「だけど、こもりっぱなしじゃ身体を壊すー、って心配性の姉は思ったわけだ。オレに菓子を作れって言ってきた。ホームパーティを立ち上げて、部屋から連れ出そうってな」
「ちょっとアサルト。人のセリフ取らないで」
「……ええと、つまり」
 ――雨だから、と部屋で読書ばかりしていた私を誘うため?
 心遣いに、胸が温かくなった。自然と、口角が上がる。
「雨の日のお茶会、か」
「嫌かしら?」
「全然。風情があっていいんじゃないかしら。……だから、あの。私も、手伝っていい?」
 お菓子作りなんてしたことないけれど。
 ただ待つだけじゃなくて、何かしら自分も混ざりたくって。
「勿論」
「しっかり教えてあげるわ」
 同意に微笑み、いざ始めようかというところで。
「アサルトさんと料理が作れると聞いて!」
 トリノフェザー・ソアリングリー(とりのふぇざー・そありんぐりー)がやってきた。
「どこから来た……」
「自室から。よろしいですか、流水様。ご一緒させていただいても」
「いい? 二人とも」
 一応、同意を求めてみる。自分だって、ここには混ぜてもらう立場なのだ。キッチンは流水の領域ではない。
「いいんじゃないかしら。みんなで作ったほうが楽しいし」
「……ま、いいだろ」
「やった。アサルトさん、ご教授お願いします!」
「なんでそんな丁寧なんだよ」
「教師と生徒風に」
「普段通りにしとけ」
「はーい」
 アサルトとトリノフェザーのやり取りに、ルルナと顔を合わせて、笑う。
 楽しいお菓子作りになりそうだ、と思った。



*...***...*


 マダラ・グレスウェル(まだら・ぐれすうぇる)は雨が嫌いだ。
 なので、今日のような雨の日だと、出かける予定があったとしてもキャンセルしてしまう。
「…………」
 けれど、出かけることを諦めきれなかったネスティ・レーベル(ねすてぃ・れーべる)は、じっとマダラを見てみた。
「…………」
「…………」
 マダラの横顔を、じっ。
 たまに視線を合わせて、じっ。
 逸らされても、じっ。
「……そんな見たって外なんざ行かねぇぞ」
「あ、やっぱ?」
 だと思った、と両手を広げて床に寝転ぶ。床は、雨の湿度を吸ってひんやりしていた。
「私は雨でも別にいいんだけどなー」
「俺は嫌だ。そこのガキと遊んでろよ」
「え」
 不意にマダラから話を振られた太陽の東月の西 三匹の牡ヤギブルーセ(たいようのひがしつきのにし・さんびきのおすやぎぶるーせ)は、素っ頓狂な声を上げて窓から目を離した。それから窓の外とマダラ、ネスティを順に見、
「ボク、魔導書だから……雨の日はちょっと」
 しょんぼりとうなだれて、言った。「うー」と、ネスティは転げながら呻く。
 マダラもだめ。ブルーセもだめ。
「あ〜あ。折角三人で出かけられると思ったのに」
「諦めろ」
「うん、あきらめる。部屋でだらだら過ごすよ。ねね、ブルーセ。ここおいでよ」
 隣の床を叩きながら、言う。「うん」と従順に頷き、ブルーセがネスティの隣に横たわった。
「マダラはここ」
 とんとん、と叩くのは、自分たちの頭のすぐ上。はあ? と、マダラの眉が中央に寄った。
「眠いの。膝枕。膝が嫌なら腕でもいいよ」
「何で俺がてめぇに膝枕しないといけないんだよ!」
「てめぇじゃない。てめぇら」
 私と、ブルーセ。複数形だよと指摘して、再び床を叩く。早く早くと急かすように。
「えっ……マダラの膝で!? 怖いよ〜……!」
「大丈夫大丈夫。怖くない」
「すっごく睨んでるよ! 殴られるよ〜!」
「きっと平気。それより枕なしで寝る方が嫌」
「なら枕持ってきてやるからそれで寝ろ」
 やり取りは筒抜けだったので、そう言われたが、「嫌」とネスティは一蹴する。何せもう、マダラの膝で眠るつもり満々なのだ。今更枕を渡されても、困る。……勿論、マダラからすればその主張の方が困りものなのだけれど。
 とはいえ、こうなったネスティが頑固なことも、彼はよく知っている。
「ったく……次はねぇからな! ふざっけんなよくっそ……」
 ぶつぶつと文句を言いつつも、座ってくれた。その膝に頭を乗せる。ブルーセもどーぞ、とマダラの足を叩いて呼んだ。
「で、でも……」
 しかしブルーセはマダラが怖いらしく、なかなか来ない。ちら、ちら、とマダラの様子を窺っている。
 ――その反応って逆効果。
 内心で冷静にツッコミつつ、眠気に任せて目を閉じた。
 直後、
「取って食やしねぇから寝るならさっさと寝やがれ!」
「ひ、ひぃん!」
 怒声と悲鳴。ぐすぐすと洟を鳴らす音がすぐ近くで聞こえたから、ブルーセはこちらへ転がってきたらしい。
「むふ」
「何笑ってんだ」
「みんなでお昼寝。こういうのもいいかなってー……」
「ほざいてんな。寝ろ」
「寝るよ。おやすみ〜……」
 静かな雨の音と、すぐ傍に親しい人の気配。
 ――寝るにはいい空間だね。
 思っているうちに、眠りに落ちていた。


*...***...*


 雨の日は、普段以上にやる気が起きない。何もかも、面倒くさい。
 だりィ、しゃらくせェ、と口癖を漏らすことすら億劫で、ただただ自室のベッドに埋もれる。そのベッドも、湿度からか肌に吸い付いて気持ち悪い。
「……だりィ」
 ようやく、声が出た。上半身を起こし、何かに触れている面積を減らした。そのまましばしぼうっとする。放っておいたら無為に時間が過ぎていきそうだった。だるくて仕方がない。
 もう一度寝転がろうか、と思ったが、思い直して本に手を伸ばす。読みかけだった本を読もう。古人も、晴耕雨読だなんて謳っていることだし。
 果たして読書は成功した。それなりに面白く、ページを手繰る速度は落ちない。雨の音を聞きながら本を読むのも乙なもの、と思ったところで。
「カノエくん!!」
 ばんっ、と勢いよくドアが開き、壬 ハル(みずのえ・はる)の声がした。
 ――ああ……面倒事がやってきた……。
 頭を抱えたい気持ちになりながら、視線を向ける。ドアの向こうには、ハルの他にヒノエ・ブルースト(ひのえ・ぶるーすと)の姿もある。各々、サックスとウッドベースを手に持って。
 何がしたいのか一瞬で理解した村雲 庚(むらくも・かのえ)は、静かに言った。
「練習するなら学校の音楽室でやれ……俺の部屋でやろうとすんな」
 ここは、庚の部屋は、天御柱学院の学生寮だ。防音完備じゃないし、部屋での楽器の使用控えるべきだろう。
「えっ何で? カノエくんも一緒に練習しようよ」
「だりィ」
「って言うじゃん。だからあたしたちが来たんだよ〜!」
 来られても困る、と思った。
「雨でだりィんだよ……帰れ」
「雨とか関係なく、だれてらっしゃいますけれど。何時も」
「うん。通常運転だよね!」
「てめぇら……」
 好き勝手に言う二人を睨むが、彼女たちは至ってマイペースである。各々楽器の調整をはじめ、それが終わるとみるや音を鳴らし始めた。
 よく知った曲の、ジャズアレンジ。
 ヒノエのウッドベースが、ハルのサックスが、雨音と共に部屋に響く。
 ――ふん。
 悪くはない。気が緩む。
 気付けば、ページを捲る手が止まり、歌の一節を口ずさんでいた。
「……っ」
 はっ、と我に返った。バツが悪い。歌が混じろうが止まろうが、二人の演奏に綻びが生じることはなかった。庚が歌ったことに、気付いていないのだろうか。そっと様子を窺ってみると、
「……!」
 ハルも、ヒノエも、嬉しそうに庚を見て演奏していた。気付いていないのでは、なんて考えたことが恥ずかしい。気付いて、その上で、変わらず演奏を続けていたのだ。また乗せるために。歌わせるために。
 ――そんなに一緒にやりてぇか。
 嬉しそうに、楽しそうに、歌が混じるのを待つように。
 弾む音。楽しそうな雰囲気。いつでも入っておいでよと、誘われているようだ。
 無視して本を手繰っても、また気付けば口ずさむ。今度はもう、二人を見ることはなかった。どうせニヤニヤ笑っているに違いない。
 ――何がそんなに嬉しいんだかな……。
 疑問に思っているうち、演奏が終わった。
「カーノーエーくーん」
 ハルの、甘い声。
「しようよ。練習」
「しねぇ」
「ドラムさぁ」
「気分じゃねぇ」
 今日は読書に集中すると決めたのだ。雨で、やる気が起きないのだから。
 もう満足したろ、と二人に対してしっしっ、と手を振った。むう、とハルが頬を膨らませ、
「……てい!!」
 庚が身体を横たえていたベッドに、飛び込んできた。
「……ッ!?」
 驚いた。息が詰まって、目を見開く。マウントポジションを取ったハルが、演奏中にしていたようなニマニマ笑いをまた、浮かべていた。
「おい、ハル……なんの真似だコラ」
「ふふふー。この状況で本が読めるかな?」
「読めねぇよ。邪魔だ、退け」
 本を取り上げなかったことは褒めてやってもいいが、この状況は褒められたものではない。というかむしろその逆だ。
「……っていうか、どうして表情ひとつ変えないかなぁ。女の子にマウント取られてるんだよ? ちょっとは動揺してよ。あたしショックだよカノエくん」
「急にこんな目に遭わされてる俺の心境を察してみろ……きっと俺の方がショックだ」
「わかんない」
 即答で一蹴だった。この、と睨みかけたところで、
「ぐお!?」
 かかる重さが、増えた。ハルより手前、胸元に、ヒノエがのしかかってきたからだ。
「ブルースト、お前もか……」
「ごめんなさいマスター。ヒノエもこの状況を黙っては見ていられなかったんです」
「そうだな、止めてくれればなお良かった」
 などと憂いても仕方がない。
 だってもう、読書どころではなくなってしまった。いまさら離れられたとしても、先ほどまでと同じように読書に励めるかと問われれば自信がない。平たく言えば、興醒めした。
 ――……仕方ねぇ……。
 変わってしまった気持ちに、いつまでも引きずられるつもりなんて毛頭なくて。
「退け、てめぇら」
 腕を伸ばして、ハルとヒノエを身体の上から動かした。
「む」
 それからゆっくり、立ち上がる。
 向かったのは、部屋の隅。
 置いてあるドラムセットへと。
「カノエくん!」
「マスター。付き合ってくださるのですか」
「仕方ねぇからな。今日だけだ」
 めんどくせぇ、と最後に一度、呟いて。
 後、音が響き渡る間、その言葉が口から零れることはなかった。