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雨音炉辺談話。

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雨音炉辺談話。
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リアクション



13


 ウィノナ・ライプニッツ(うぃのな・らいぷにっつ)の記憶と能力は、ニアリー・ライプニッツ(にありー・らいぷにっつ)に封じ込まれている。
 なのでニアリーには、封印にゆるみが生じていることも、ウィノナ自身が封印を解き放とうとしていることも、すぐにわかった。
 だから、下手に打ち破られる前に、きちんと開放しようと考えた。力を。記憶を。
 その際の立会人に、ウィルヘルミーナ・アイヴァンホー(うぃるへるみーな・あいばんほー)を選んだ。ウィルヘルミーナも快諾してくれ、いざ、解き放ってみると。
「……っ、あ……」
「ウィノナ様。思い出されましたか……?」
「ボク、は……、……っ!」
 僅かに抱えていた、嫌な予感が的中した。
 嫌な予感とは、思い出した末にウィノナが取り乱してしまうこと。
「……やはり、まだ早かったのでしょうか」
 今日までの、ウィノナと広瀬 ファイリア(ひろせ・ふぁいりあ)の様子を
見ていて大丈夫だと判断したのだけれど。
 結果は、こうだ。
 ウィノナは部屋を飛び出して、雨の中姿をくらませてしまった。
 ――私の判断は、間違っていた?
 嫌な動悸に支配される中、ウィルヘルミーナが「急いで探しに行きませんと!」と、切迫した声を上げていた。


 ウィノナ・ライプニッツ。
 ファイリアの、産みの親。
 不老不死を求めるものに追われており、その危険から遠ざけるためにファイリアを広瀬家に『捨て』た――。
 いくら理由が理由だとしても、捨てたという事実が辛すぎて、耐えられなくて、記憶を封印してきた。
 記憶を取り戻す今日までは、ファイリアと姉妹のように接して。
 …………。
 ……。
 ――ボクは、馬鹿か。
 雨の降る公園で、ウィノナは繰り返し、思った。
 ――馬鹿か。
 娘を捨ててしまったことに対して、何度も、何度も。
 他にも方法があっただろう。
 捨てる以外の選択肢が、いくつも。
 なのに、逃れたくて、安易な方向に流れた。捨てることを選んだ。
 ……母親として、失格だ。どんな顔をして会えばいいというのだろう。
 なのに。
 ――会いたい。
 ファイリアに。
 大事な、愛しい、彼女に。
 ――会いたいよ……。
 怒られても。睨まれても。嫌われても。
 それでも、会いたい。
 会って、謝りたい。
 可能なら、抱きしめたい。
 赦してくれるなら、離れてしまっていた分、甘えてほしい。
 でも。だけど。
 過去にした選択が、幸せな未来を蝕んだ。
 ――ボクは、馬鹿だ。
 どうしてもっと考えなかったのだろう。
 どうしてもっと。
 ――こんなボクに、母親なんて名乗る資格なんか、ない。
 会いたい気持ちは封じよう。
 打ち明けることもやめよう。
 拒否されることが怖いから。
 受け入れてもらえるかもしれないという期待より、そっちの恐怖の方が強いから。
 耐えよう。
 一人で、耐えよう。
 ――耐えなきゃいけない。
 耐えられないなら、離れるべきだ。
 覚悟を決められるときまで。
「……ウィノナちゃん!」
 聞き慣れた声がした。間違いようもない、ファイリアのものだ。
 ファイリアは、ウィノナがベンチに座っていることに気付いて駆け寄ってきてくれた。手を伸ばしたくなった。寸でのところで、こらえる。
「ウィノナちゃん! ここにいたんですか。よかった……!」
「……ファイ。ずぶ濡れだよ。なんで傘差してないの」
「傘、走るのにも捜すのにも邪魔だったんです。ウィノナちゃんこそ、びしょ濡れです。風邪引いちゃいますよ、おうち帰りましょう?」
 差し伸べられた手に、しがみつきたかった。……それも、こらえる。
「……ウィノナちゃん」
「…………」
「どうして一人で抱え込むんですか」
「……だって」
 言える、わけがないから。
「……ファイは知ってますよ」
「……?」
「ウィノナちゃんがお母さんだって、もう、知っちゃいました」
「……!!」
 どうしよう。
 知られてしまった。
 ファイリアは、どういう気持ちでここにいるのだろう?
 自分を捨てた母親を前に、なんて。
 ――心臓が、潰れそうだ。
 いっそ、潰れてしまえばいいのだろうか。
 暗く落ちるウィノナの思考の反面、
「――うれしかったです」
 ファイリアの声は、どこまでも明るかった。
「……え」
 聞き間違いか。顔を上げ、ファイリアを見る。ファイリアは笑っていた。
「ウィノナちゃんは、ファイに色々してくれました。
 おっちょこちょいをしたとき叱ってくれたり、落ち込んだときに頭を撫でて優しく慰めてくれたり、遊びに行った先で楽しいを共有してくれたり……。
 パラミタに来て、一番長く一緒にいてくれた人です。そんな人が、ウィノナちゃんが、ファイを産んでくれたお母さんだった。ファイ、すごく、すごくうれしいです!」
 これは、夢だろうか。
 ファイリアからの赦しを望む自分が見た、都合の良い夢?
「……ファイ」
「はい?」
「ちょっとボクのほっぺ、叩いてくれる?」
「ヤですよ。痛いじゃないですか。何を言うんです」
 ぷう、と頬を膨らませたりして、ああもう、可愛い。
「こほん。話を続けますよ。いいですか」
「う、うん」
「……ウィノナちゃんが、どうしてファイを置いて行ってしまったのか。気にならないわけじゃないですけど。
 今まで一緒に過ごしてきたから、『そう』したのはファイのためだったんだって、思えるんです」
 声が、出なかった。
 ――伝わってたっていうの?
 ――ボクの気持ちが、少しでも。
「ウィノナちゃん。ウィノナちゃんのこと、お母さん、って読んでいいですか?」
「……うん」
「抱きしめても、いいですか?」
「……うん」
「……抱きしめて、くれますか?」
「……ファイっ!」
 手を伸ばす彼女の手を、今度はしっかりと握った。
 離すものか。もう絶対に、離してなるものか。
 抱きしめた手の中で、いつも笑顔のファイリアが泣いていた。


*...***...*


 雨が、降っている。
 世納 修也(せのう・しゅうや)は、傘の内側から鉛色の空を見上げて息を吐いた。
 ――何も、こんな日に出歩くこともないだろう。
 湿度が高く、じめじめしていて、できることなら家で過ごしていたいような、そんな天気の日なのだから。
 のに関わらず修也が今ここにいるのは、
「修也っ、はーやーくーっ!」
 雨の日でも変わらず元気な、ルエラ・アークライト(るえら・あーくらいと)に誘われたからだ。
「こっちだよ、こっちこっち」
 と指差す先は、家とは反対の方向だ。
「買い物は終わっただろ?」
 家に帰らないのか、と言外に問う。ルエラは笑って、「も、もうちょっと!」と言った。何が、もうちょっとなのだろう。買い物か。こっちの通りにショップははたしてあっただろうか。
「ルエラ。何かお前、変じゃないか」
「へ、へへ変じゃないよ!」
「……?」
 今、あからさまに慌てたような。
 ――……さては。
「迷ったな」
 それを誤魔化そうなんて、子供だなぁと笑う。
「今日暇だったからいいものの。予定のある日にこうだと困るぞ?」
「違うもんっ! ボク迷子じゃないよ! ちゃんと目的地に向かってるよ!」
「こっちに店なんてあったか?」
「お店じゃないもん」
「ええ?」
「いいからもう、黙ってついてきてっ」
 ぐい、と手を握られ、引かれた。手が濡れるなあ、と思ったけれど、さすがに口にするのは無粋すぎるだろう。大人しく歩く。
 曲がり角を曲がって、直進して、もう一度曲がり角を曲がったその先に。
「ほらっ!」
 あったのは、教会を模した式場。
「……は?」
「ほら。六月っていったらジューンブライドでしょ?」
「……ああ!」
「……修也って、本当鈍感だよね!」
「うるさい」
 紫陽花の花道を、花嫁が歩く。
 雨、という天候には恵まれていないが、その表情は幸せに充ちていて。
「いいな、こういうの」
 こっちまで、幸せになれる気がする。
「!! でしょ!」
「? ああ」
 見たい、とルエラが思うのも頷けた。
「……花嫁さん、綺麗だねっ」
「ああ」
「…………」
「………………」
「……違う!!」
「何が?」
「こんな状況ならね、普通は……なんでもない。うぅ……」
「……?」
 思ったことを素直に言っただけなのに、なぜかルエラが落ち込んだ。
 花嫁が綺麗なのは事実じゃないか。頷いて何が悪いのか。
 ふと、ルアラだったらどんなドレスが似合うだろうか、と思った。今式を挙げている花嫁は、ピンクのドレスを纏っている。ルアラなら、
「白が合いそうだな」
「へ?」
「ドレス。ルアラが着るとしたら」
「……着せてくれるの?」
「何だ。着たいのか」
「う、うんっ」
「じゃあ今度、貸衣装屋に行こう」
「……修也の馬鹿ぁ!」
 ぽかぽかと、胸を叩かれて怒られた。……なぜだろう。
「そういうことじゃないのか」
「ないよ! ないけどボクからは言えないよ! 馬鹿馬鹿馬鹿ぁ!」
「意味がわからん」
 叩かれていると、その間に歓声が沸いた。なんだ、と顔を上げる。ブーケトスが行われたらしい。
 ふんわりと弧を描き、ブーケは修也たちのいる場所から少し離れたところへ落ちた。見ると、七・八歳ほどの少女が手にして笑っている。
「あー……ブーケ……」
「人のこと叩くから」
「誰のせいだよぅ! わーん、散々だぁ……」
 ともすれば泣き出しそうなルアラの許へ、
「おねぇちゃん。はい」
 ブーケを持った少女がやってきた。
「え」
「あげる。わたし、けっこんなんてまださきだもの」
「い、いいの?」
「うんっ。だから、なかないでね」
 それだけ言うと、少女はばいばいと手を振って立ち去っていった。
「できた子だな」
 思わず感想が口をつく。ルアラはというと、ブーケに目を奪われたままだった。
 そんなに花が嬉しかったのなら、今度プレゼントしてやるのもいいかもしれない。似合っているし。
 喜んでいるルアラを見ていると、式が終わっても帰ろうと言い出す気にはなれなくて。
 雨だけど、まあ、もう少しならここにいてもいいか、と思った。