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あなたが綴る物語

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あなたが綴る物語
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●中世ヨーロッパ 6

 闇夜にまぎれて屋敷に近付く人影がいた。
 極力足音をたてないよう忍び足をしているつもりらしいのだがかなりへたくそで、下生えを踏む音やしげみに触れる音が不自然に鳴っている。きょろきょろ周囲を見渡して落ち着きがないのもその一端だろう。
 しかし幸か不幸か屋敷の者に気付かれることなく、人影は屋敷の壁までたどり着けた。
 ふう、と詰めていた息を吐き出して、人影は額の汗をぬぐう仕草をする。そして口元に手を添えておもむろに階上の窓に向かってひそひそ声をかけた。
「ソフィリアちゃん、ソフィリアちゃん。きみの長い髪を垂らしておくれ」
 もちろんそれは男の茶目っ気から出た即興で、実際に髪が垂れてくるわけではない。キイィと小さな軋み音をたてて開いた窓から垂れてきたのはロープだ。男はまるで宝物でも見つけたように目を輝かせてそれを掴み、ホイホイ壁をよじ登り始める。
 目指す窓には人影があった。屋敷の者たちにばれないよう、絞られたあかりは最低限の明るさしかなくて、窓枠と人の区別がやっとつくぐらいだ。しかも光を背にしていて、人影は目鼻立ちも全く見えない。
「ソフィリアちゃん、待った〜? 来たよぉ〜――って、あれ?」
 だんだん近付くにつれ、それが今夜の夜這い相手、カワイ子ちゃんソフィリア・ローレル(そふぃりあ・ろーれる)でなく……それどころか微塵も似通ったところがない、性別だって全く違う男のキルラス・ケイ(きるらす・けい)だということが男にも分かり始める。
「いらっしゃいませロバートさま。短いご訪問でしたが大変楽しいひと時をありがとうございました。ではごきげんよう」
 キルラスはにこやかに、ひと息で立て板に水のごとく告げると、完璧な執事スマイルのままロープを切断した。
 ロバートは驚きに硬直したまま、背中から落下する。
 ――ドン! ドン! ドン!
 銃弾がさらに後追いをかけた。しかしロバートにとって幸運にもまだ夜中を少し回った程度の時刻だったので、彼の姿は完全に闇のなかだった。
「ひ、ひいいい〜〜〜〜っ」
 もう無音などいっていられない。ガサガサ音を立ててロバートは逃げて行った。
「まったく、こりない方さぁ」
 撃ち尽くした三丁の拳銃をサイドテーブルに並べて、キルラスは憤懣をため息に変える。
「さて。次はあなたの番ですさぁ、お嬢さま」
 振り返ったベッドの上には、ちょこんとソフィリアが座っていた。太ももで両手をはさみ、殊勝にも反省してしおらしくふるまっているがキルラスは騙されたりしない。あの青年だってソフィリアがパーティーでそそのかしたに決まっているのだ。
『今夜しのんできてちょうだい。待ってるわ』
 とか何とか言って。ロープが投げ落とされるのを期待していたのが――そして部屋にしっかり用意済みだった――その証拠。
「いいですか、お嬢さま。もうこれまでにも何度も言いましたがね、何度でも言わせてもらいますよ。あなたがうんざりして同じことを繰り返さないためにね!
 彼らの目当てはお嬢さまではありません。お嬢さまはカモなんです。親がいなくて、女性で、財産を持っている。……もちろんそれはあなたから生まれる男子に贈与されたものですが。だからあなたを身ごもらせれば即大金が手に入ると考えて、あの者たちはそれが目当てで――」
「あら違いますわ」
 ソフィリアはつんとすました笑顔で否定した。
「彼らが来るのは私が若くて、キレイで、かわいいからですわ。でなければどうして毎回毎回キルラスの銃弾にさらされようともこの屋敷に来ますの? それもこれも、私がぴっちぴちで――」
「二十代半ば過ぎはもうぴちぴちとは言えませんよ。手入れを怠ればすぐカサカサになりますさぁ」
 ピシッと空間に亀裂が入ったような音がした。
 こめかみに怒りマークを浮かべたソフィリアがくるっと振り返る。何か言い返そうと開いた口が言葉を発する前に、玄関の方でガツンガツンとドアノッカーの音がした。
「ロバートさまのほかにもいたんですか?」
「2人も呼ぶわけないでしょう! そこまで乱れてませんわっ! それに、玄関をノックする夜這いなどいませんでしょう」
 それもそうだ。
「とにかくお嬢さまはもうお休みになってくださいさぁ」
「えっ? でもお客さまなら――」
「こんな時刻に来るようなお客の相手でしたら俺1人で十分。それに夜更かしは美容の天敵、肌荒れの元でさぁ」
「キルラスのばかっ!!」
 クッションがぶつかるのをドアで防ぎ、キルラスはろうそくのついた燭台を手に玄関へ向かう。その間もノッカーは定期的に叩かれて、硬質な音ががらんどうの屋敷内に響いていた。
「はいはいはい。今開けますさぁ――っと。
 どちらさまでしょうか」
「夜分申し訳ない」
 押し開けたドアの向こうにいた男は白い息を吐き出しながら、恐縮そうにそう言った。夜風から身を守るように外套の襟を立てていたが、肩を縮こまらせて寒そうだ。
「俺はアルベルト・スタンガ(あるべると・すたんが)という者だ。カーライル城へ向かっていたのだが、馬車の車輪が壊れてしまってね。修理をしていたらこんな時刻になってしまった。こんな時刻に城へ向かうわけにもいかず、困っていたところにこの屋敷が見えたというわけなんだ。よかったら一夜の宿を頼めないだろうか?」
 男の言葉に、キルラスは考えた。
 メイドたちは通いばかりで、夜ここにいるのは自分とお嬢さまだけだ。男を入れるのは体裁が悪い。しかし言葉遣いも教養のある者のそれで、服装も文句なしに高級品。スタンガという名前に聞き覚えはないが、特権階級の者であるのは間違いなさそうだ。
「日が昇って、城門が開く時刻になればすぐに出て行くと約束する」
 キルラスのためらいを見抜いて、アルベルトは愛想よくほほ笑む。どこか懇願しているようなその赤い瞳にじっと見つめられて、何かがキルラスの琴線に触れた。
「分かりました。ですが、当家の者はもう就寝しております。お静かに――」
「あらっ、ちゃんと起きてますわ、キルラス」
 階段の上でソフィリアがふんぞり返っているのを見て、キルラスは半面をおおった。



 それからが少し大変だった。
「お夕飯がお済みでないようでしたら、何か軽い物でもお出ししますさぁ」
「おお。それはありがたい」
 と素直に応じたアルベルトのため、スープやらパンやらを出しているとソフィリアが彼の正面にどっかと座った。
「キルラス、私にも何か出してちょうだい」
「お嬢さまはもうお済みでしょう。お夜食は太――」
「いいから!」
「……はいですさぁ」
 あきらめのため息をつきつつ、キルラスは同じ物をソフィリアに出す。ソフィリアはどうやらアルベルトに対してひと目で敵対心を持ったらしい、というのは分かったが、それがどうしてかは分からなかった。キルラスから見ればアルベルトは礼儀正しくて物腰のやわらかな紳士だ。
(まあ、先のロバートさまのように誘惑しようとしないのはいいことさぁ)
 どちらにしても、ソフィリアの誘惑にアルベルトは乗らないだろう。ソフィリアの発散する敵意を受け流す彼を見ていると、そんな気がした。ソフィリアの手に負える相手じゃない。ロバートは坊やだがアルベルトは男だ。
 そんなことを考えながらワイングラスをテーブルに置いていると、アルベルトの手がそっと袖に触れた。
「きみ、執事くん。名前は?」
 そっと親指で手首をなでられる。
「……キルラスですさぁ」
「キルラスくん。いい名だね。ちょっと異国風だ。きみ、生まれは――」
「キルラス! 早く私にもそそいでくださいな!」
「は、はいですさぁ」
 手を引き抜いてソフィリアの側へ回り、ワインをそそぐ。
 万事がそんな感じだった。アルベルトは何かと給仕をするキルラスに話しかけては彼に軽く触れてくる。そのことにキルラスも気付いていたが、人懐っこい笑みをして気安く話しかけてくるので、これが彼の通常なのかそうでないのかを測りかねていた。
 というか単純に、キルラスをネタにしてソフィリアをカッカさせてその反応を面白がっているだけにも見える。もしそれが彼の手段で、ソフィリアが目的とすれば問題だ。彼を入れたのはキルラスなのだから。
 客室のクッションをたたいてふくらませながらキルラスは、もしアルベルトの目当てがソフィリアだったとして、なぜそれで自分が少し気落ちしなくてはならないんだろう? とぼんやり考えていた。
「お部屋の準備ができましたので、お食事がお済みならご案内しますさぁ」
「おお。それはありがたい」
 彼の荷物を持ち上げて案内しようとするキルラスの背中にすかさずソフィリアが叫ぶ。
「キルラス! 話があります! 案内が終わったらあとで私の部屋にくるんですのよ! すぐに!」
「はいですさぁ」
 何やら胃のあたりがキリキリし始めたのをキルラスは実感した。



「話には聞いていたが、とんだじゃじゃ馬だ」
 部屋に入って早々ベッドに腰かけて、アルベルトはそう言った。
「うちのお嬢さまをご存じなんですか?」
「あの子というより、きみたち2人だな。莫大な財産の相続権を持つ娘とそれをねらう男たちをことごとく撃退する執事。有名な話だ。
 きみはあの子が好きなのか?」
「そりゃあもちろん好きですさぁ。あれでもかわいいところがおありなんですよ」
 くすり。思い出し笑ったキルラスの横顔をじっと見つめる。そして言った。
「そういう意味じゃない」
「……俺は、はやり病で親を亡くして餓死寸前のところを先代に拾って育てていただいた恩があるんですさぁ。それは一生尽くしても返しきれない恩で、でも先代は亡くなってしまったから、こうして先代の大切にしていたお嬢さまを先代の代わりにお守りしているんですさぁ。きっとあの方が生きておられたら、そうしたかったでしょうから」
 と、そこまで話したところで、空気を深刻にしてしまったことに気付いた。
「それにもちろん、お嬢さまにふさわしい、本当にお嬢さまを好いてくださる方が現れたら祝福しますさぁ」
「だがそれではきみは?」
 手招きされるまま近付いたキルラスの両手がアルベルトの大きな手にとられ、包み込まれた。
「きみの幸せはどうなる? あのお嬢さんはまだまだ火遊びを楽しみたい子どもだ。しかしきみは違う」
「俺は……納得してますさぁ」
「だが満足はしていない」
 突然腕を引っ張られ、回転させられたキルラスは、そのまま彼の足の間に座らされた。するりと慣れた動作でシャツのボタンがはずされ、その下に手が侵入する。温かなてのひらと冷たい指先がキルラスの胸で広がった。同時に、もう片方の手がズボンのなかへ強引に押し込まれる。
「アル、ベルトさん…? 一体…?」
「俺と2人きりになればこうなると、気付いてなかったとは言わせないよ」
 そうだろうか? キルラスは自問した。しかしそれもはだけたうなじにアルベルトの唇が押しつけられるまでだった。
「あっ…」
 アルベルトの巧みな手技によって与えられる刺激に、知らずキルラスの体が跳ねる。
「きみは肌が白いから、とても映える。美しい……まるでキャンバスのようだ」
 やわらかく弾力のある唇が押しつけられるたび、そこに赤い花びらが咲く。それを楽しむように、アルベルトはいくつもつけていく。
その動きはじれったくなるほど緩慢で、まるで熾火のようにじわじわとキルラスの情熱をあおった。
 彼のことは何も知らない。彼が何者で、どんな人物で、どんな生き方をしてきて、これに何の目的があるのかも。彼を好きなのかも分からない。この行為に意味があるのかすら。だけどこの腕のなかから抜け出す気にはなれなかった。自分を受け入れ、おおって……抱き締めてくれる温かな存在。
 アルベルトは、これからも続く無私の夜のために、彼に慰めを与えてくれようとしているのかもしれない…。
「も、もう…」
「まだだ。一気に燃え上がる情熱もいいが、たまにはこういうのもいい。まだ夜は始まったばかりだ。きみにはさらに上の快楽があることを教えてあげよう……この夜が生涯きみの脳裏に刻み込まれるぐらい、何度もね」
 アルベルトの唇がキルラスの唇に重ねられようとした、その瞬間。
 むんずと掴まれたキルラスの頭が引っ張られ、密着していた体がベリッとはがされた。
「やっと思い出しましたわ! どこかで見た顔だと思ったら、あなた男食いで有名なあのスコットランドのボスウェル伯ね! 偽名を使っても私は騙されませんからね!!」
 キルラスの肩に腕を回して抱き寄せ、もう片方の手でビシッと指差す。
 アルベルトは乱れた服を直そうともせず、笑顔で肯定した。
「たしかに俺はボスウェルだが、きみの情報は正確じゃないな。俺は両方イケる」
「正確さなんか求めてませんわ!! このケダモノ!! キルラスまであなたの毒牙にかけてたまるものですか! キルラスは渡しませんわ! 絶対、絶対、だれにも渡しません!」
「……お嬢さま?」
 がっちり首に回った両手に、不思議そうにつぶやいた。
 キルラスはまだ先までの情熱から抜け出しきれていなかった。快感にしびれた頭が少しずつ冷めていくにつれ、ようやく自分を取り戻し始めるが、いまだになぜソフィリアがここにいるのか理解できずにいる。
 その呆けたキルラスと独占欲丸出しのソフィリアがツボったのか、アルベルトはのけぞって大声で笑い出した。
「なんですのっ! ひとが真面目に――」
「気に入った! おまえたち2人ともうちに来い! おまえがその女のせいでここから離れられないというのなら、その女ごと俺が引き取って面倒見てやろう!」
「なっ!?」
 予想だにしなかった、あまりに突飛すぎる宣言にソフィリアの舌が凍りついた。
「な……な……なん…っ」
「俺はおまえの財産など必要としない。俺の方がはるかに金持ちだからな。いずれは妻をとる必要があるだろうが、そのときはおまえとは全く違う、従順な相手を選ぶ。俺が右を向けと言ったら左と言われるまで右を向き続けるような女だ。
 かわいいキルラス。それでいいだろう?」
 アルベルトの手がキルラスのあごにかかり、キスを迫る。
 それを見て、カッと一瞬で解凍したソフィリアの手がさらに後ろへキルラスを引っ張った。
「だめって言ったでしょう!! キルラスは私のなの!!」
「それは先までの話だ。今は俺のものだ」
「なんですってーーッ!」
 ……ああ、胃が痛い。
 自分の意志そっちのけで頭の上で繰り広げられている舌戦に、キルラスはそっと奥歯を噛み締めた。