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 第16章 実家との決別

 9月。敬老の日の月曜日の朝。
 蒼空学園近くの我が家にて、新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は平和なまどろみの中にいた。暫く前から注いでいた朝の光が昼の光に変わりつつある中、徐々に意識を浮き上がらせる。目を開けた時、床の脇には――
 白くなった髪をオールバックで整えて髭を伸ばした、『越後の縮緬問屋』を名乗れそうな和服姿の老人が座っていた。地球にいるはずの祖父、新風 天馬(にいかぜ てんま)(記憶が正しければ88歳)だ。
「……おおう、ついに爺様が生き霊に」
「まだ生きておるわ馬鹿者。さっさと起きんか」
 ……本物だった。
 この時間に未だ寝ていたのは燕馬だけで、もそもそと起き出して1人朝食の席に座る。
「随分とまぁお久しぶりです……いつ来たんだ?」
「昨日だな」
 やはり記憶通りに88歳で本物であった天馬も向かいに座り、彼は簡単にパラミタに来てからのことを語り始めた。到着したのは昨日。特に連絡せずにこの家を訪れ、所用で留守にしていた燕馬の代わりに応対してくれたパートナー達と、丸1日を一緒に過ごしたらしい。
「ふぅん……あれ、それってつまり」
「うむ、お前の普段の生活態度について聞くとか、昔のお前の話をするとかの嬉し恥ずかしドキドキイベントなら昨日の内に済ませておいたぞ」
「道理でお嬢さん方の視線が生暖かいと思ったよ!」
 心の中で、「何してくれてんのこのジジイ――!」と思いっきり叫ぶ。お久しぶりですとか言っている場合ではなかった。だが全ては手遅れだ。
「お前がいなかったのだから仕方ないのう。不可抗力というやつだ」
「いや、アポ入れろよ!」
 人の気分を乱すだけ乱して陽気に言う天馬に、燕馬はツッコまずにはいられなかった。

「ほうほう、ここが職員室か」
 話しているうちに普段どんな所で勉強しているのか見たい、と天馬が言い出し、燕馬は彼を連れて蒼空学園の案内をしていた。もう何だか色々諦め、積極的ではないながらも適当に学園内を回っている。グラウンドの脇を通りつつ部活動の見学をさせたり図書館へと立ち寄ってみたり。
 通り過ぎかけた職員室の引き戸が天馬に開けられたのはその時で、燕馬はぎょっとして振り返った。後ろを歩いていた天馬は、止める間も無く職員室へと突撃していく。
「ちょ! じ、爺様……!!」
「ん? 新風、この方はお前のお祖父さんか」
 慌てて後を追って中に入ると、突然の訪問者に注目していた教師の1人が立ち上がった。進路指導の担当教師だ。
「どうも、初めまして。私、進路指導の……」
「いやいや、これはどうも。ちょっと見学させてもらっとります」
「…………」
 名乗る教師と名乗る祖父。成り行きを見守るしかない一生徒。この3人が揃えば、次の展開は目に見えている。
「そうだ。折角ですし少しお話でもいかがですか。お孫さんの進路の話など……」
「じ、爺様! ほら、早くしないと遅れるから……!」
 何に遅れるのか自分でもさっぱり分からなかったが、燕馬は天馬を引っ張って急ぎ職員室を退散した。
(さ、さすがに焦った……)
 無駄に疲労感を覚えながら、カフェテラスの一席に腰を落ち着けて一息つく。対面の席を見ると、天馬が何やら真面目な顔を向けてきていた。
 初めから、天馬の目的が観光だとは思っていない。本題か、と察した直後、彼は言った。
「――わしは、もうすぐ死ぬ」
「…………」
 90歳も近くなれば、それはいつ訪れてもおかしくないものだ。だが、唐突にそういわれて動揺しないというのも無理な話で、燕馬の中で何かが跳ねる。
「これでも医者の端くれ、自分の身体のことは誰よりも把握しておるつもりだ。……時間はあまり無い。だから……心残りを片づけておきたい」
 天馬の心残りとは、彼の過去の失敗が元で起きた、とある『事件』に纏わるものだ。『事件』のせいで、燕馬は地球で暮らす事を諦めなければならなくなった。
 だから今は、パラミタに居る。
「すまなかった、燕馬――この通りだ」
 深々と頭を下げた天馬は、しばらくの後に頭を上げて真剣な面持ちで燕馬に訊いた。
「新風本家に、戻ってくる気はあるか? お前がその気なら、わしが全力で支えよう」
「…………」
 燕馬は昔住んでいた実家の有り様を思い出す。即答はしなかったが天馬への答えは決まっていた。
 医者一族である新風家は資産の心配をする必要のない、富裕層の部類に入る家だ。燕馬は本家総帥である天馬の直系の孫だが、『事件』の後に一族の中で内輪もめが勃発して逃げるようにパラミタに移住した。今更戻ったところで、親戚一同が良い顔をしないのは目に見えている。
 契約者としての力で食い扶持はそれなりに稼げているし――
「これでもパラミタ暮らしを楽しんでるんだよ、俺は」
 ――だからさ爺様。
(……もう、いいんだ)
 その思いを込めて、笑いかける。
「親父と……かぐ姉を頼む。孫のワガママは、そんだけだ」
 父と結婚した、初恋のあの人を思い出して燕馬は言った。