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【第七幕:エリュシオン宮殿 3  荒野の王 ヴァジラ】





 その頃、エリュシオン宮殿の、静寂に満ちた一角。
 他の部屋からあからさまに隔離されたその一室は、滅多にない筈の客人達の来訪に、俄に賑やかなものになっていた。
 
「……また、貴様らか」

 顔を見るなりの荒野の王――ヴァジラのため息混じりの一言に、一同は軽く顔を見合わせて笑った。変わらない態度が妙に懐かしく、嬉しかったからだ。
「元気そうだな」
 神崎 零(かんざき・れい)を伴った神崎 優(かんざき・ゆう)が安心したように漏らした言葉に、ヴァジラは鼻を鳴らした。
「入って来るな、と言っても、貴様らには無駄なのだろうな」
「判ってるじゃん。俺たちの盛大なお見舞いに、感謝にむせび泣くといい!」
 アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)は賑やかに言って寝台に近付き、ティー達もそれに倣う。あっという間に賑やかになった枕元に、ヴァジラは再度ため息を吐き出したが、本当に駄目なら引くだろうとわかっているため、それ以上を咎めず、諦めと共に上体を起こした。
「寝ていなくても大丈夫なんですの?」
 イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)の問いに「問題ない」とヴァジラは息を吐いた。
「またぞろ、試されてはたまらないからな。無理もしていない」
 いつかの見舞いの際、強がっていないか試された痛い記憶が蘇ったらしい。その犯人であるティー・ティー(てぃー・てぃー)は誤魔化すように「じ、じゃあ、今日は食べても大丈夫なんですね」と、準備をする、と言い残してぱたぱたと足音をさせながら出て行き、交代するようにアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)をその頭に載せたぬりかべ お父さん(ぬりかべ・おとうさん)が、ぬうっと前へ出た。
「ぬ〜り〜か〜べ〜?」
 その姿にちょっと驚いたように目を瞬かせるヴァジラに向かって、ぬりかべは器用に頭(?)を下げる。
 そして……
『冬を超えればいずれ春は来る。人生の選択肢は決して一つではない。どうかいろんな道を歩んでみて自分の進むべき道を見つけ出して欲しい』
 ……と、言った、つもりだったのだが、残念ながら全ての台詞は
「ぬ〜り〜か〜べ〜」
 にしか聞こえず、ヴァジラは眉を寄せた。ちなみに最初の「ぬ〜り〜か〜べ〜?」は『やあ、はじめまして。身体の具合はいかがですか?』と言う意味だ。
「……何だ、これは」
「何だとは失礼でしょ! ぬりかべお父さんだ!」
 ばーん、と胸を張ったアキラに代わって、アリスがぴょんとぬりかべの頭から飛び降りて器用にアキラの肩に着地すると「お父さんハ、お父さんナノヨ」とやはり適当な説明を説明をするのに、ヴァジラは諦めて「そうか」と流すと「ぬ〜り〜か〜べ〜」と再び頭上から声がした。
「怒られちゃったカラ、ちゃんと説明するワ」
 肩を竦めたアリスが、ようやく先ほどのぬりかべの言葉を翻訳して聞かせると、今度は別の意味でヴァジラの顔は微妙になった。
「……余計な世話だ」
「もー、相変わらず素直じゃないな」
 アキラが憤慨するように腰に手を当てたが、ぬりかべのほうは年長者の余裕をまとって、微笑ましげに目を細める。それが更にヴァジラの渋面を深くしたのは言うまでもない。わいのわいのとやっていると、ティーがわざとらしく扉をノックして注意を引いた。
「おしゃべりもいいですけど、そろそろお茶にしませんか?」
 ティーの声に皆が視線を移すと、そんなやりとりの間に、机の上はいつの間にかティーによってアキラが持ち込んだ大量のお菓子やらの食べ物が並んで、溢れんばかりになっていた。
「しっかり食べて、さっさと元気になって貰わないとねい」
 と持ち込んだ本人が、アリスと共に既に食べる気満々にスタンバイしているのに、ヴァジラはため息以外は言わず、側にあった鈴を鳴らし、使用人に人数分の食器を並べさせ、準備が済むや否やその小さい体にどうやって入れているものか、アキラとともにもぐもぐと忙しくお菓子を頬張るアリスを暫く興味深そうに眺めたヴァジラは、不意に視線をイコナへと移した。
「それで、余は何を食べれば良いのだ?」
 相変わらずな尊大な態度だが、その言葉に「約束」を覚えていてくれたのだと、喜びに顔を綻ばせながら「これですわ!」とイコナが意気込んで差し出したのは、イチゴの乗ったショートケーキだ。
「イチゴのショートは、デザートの王道ですの!」
 王宮で出される菓子に比べると、スポンジケーキに生クリームとイチゴのトッピングというシンプルな見た目だが、だからこそ珍しいのか、ヴァジラはじっとそれを見ると、一同の妙に熱い視線を受けながら、それを一切れ口の中に入れた。
「……」
 暫く無言が続き、妙な沈黙の中で喉が上下する。何故か皆が息を飲む中で、殆ど表情を変えないながらもヴァジラは小さく口を開いた。
「……美味い」
 いつぞやは、悪くない、程度しか言わなかったヴァジラの誉め言葉に、イコナはティーと顔を見合わせて喜色満面に綻ばせた。
「ま、まだまだありますから、遠慮しないでくださいですの」
 その言葉に頷くヴァジラが、ほんの少し照れくさげにしていたのは、その横顔を見ていたティーとアリスだけが気づいたのだった。

「子供……?」
 そうして、皆でケーキやお菓子や零の手作りクッキーを食べながら、紅茶を片手に、優に教わりながらオセロで対決(ちなみに初めの一回以降は一進一退の勝率である)をしていたヴァジラは、その報告に首を傾げた。
「ああ。元気な娘だよ」
 そう言って零の方を見る優の表情は、以前よりも柔らかく、同時に頼もしいようにも見える。その変化は彼が父親となったからだが、親という存在を知らないヴァジラには良く判らないらしい。自身に子供時代というものも存在していないこともあって、純粋に不思議に思っている様子が、その目から見て取れた。
「良く、判らないが……貴様とその女との間で出来た子だと言うことは、貴様等のようなお節介に育つのだろうな」
 ぼそり、とヴァジラが口にすると、一瞬皆きょとんとしたものの、すぐにその意味に悟って笑う声を上げた。
「そうですね、きっと……そうなると思います」
 くすくすと零が嬉しげに笑う。それがまた不可思議なのか微妙に眉を寄せて、ヴァジラが首を傾げていると、トントン、とノック音が響いた。
「なんか楽しそうだね」
 そう言って入ってきたのは、美羽とコハクだ。来客に、また煩い奴らが来たとヴァジラは呟いたが、彼女らの後ろから入ってきた姿に、その顔は一気に渋面に変じた。
 セルウスだ。
「……何をしに来た」
「お見舞い」
 冷たい声に、固い声が返る。わだかまりが完全に晴れたわけではない二人だ。微妙な顔のまま睨みあいになってしまった二人に、一同がどうしたものかと二人を交互に見比べていると、セルウスが動いた。美羽の手からドーナツを受け取ると、そのままつかつかと寝台に近づいて、無言のままでその手のドーナツをずいっとヴァジラに突き出した。
 どうするのか、と固唾をのんで見守っていると、ヴァジラは苦いものを噛み潰したような目でじろりとセルウスを睨んだものの、こちらも無言のままそれを受け取って、ドーナツを小さくかじった。判りづらいが、それで両者の間になにがしかの納得があったようなので、優達は安堵に一斉に息を吐き出し、よく考えれば微笑ましい光景に美羽たちは表情を緩ませた。
 そうして再び賑やかなお茶会風景を取り戻す中「そういえば」と話を振ったのはアキラだ。
「ヴァジラは交換留学の話は聞いてるん?」
「知っている」
 元々アキラ達はその下見で来ていた訳なのだが、対するヴァジラの返答は短い。自分には関係ないと思っているのが明らかだが、ティーが僅かに身を乗り出した。
「契約者は積極的に候補に挙がっている、そうなんです……魅力的ですよね」
 言いながら、どうするのだろうか、という疑問がじっとその横顔を見るのに、珍しく返答に困っている様子のヴァジラに、アキラが助け船を出すように、もぐもぐとやっていたお菓子を飲み込んで口を開いた。
「折角なんだしさ、ヴァジラもこっちに留学してきたらどうだい?」
 その言葉が予想外だったのか、目を瞬かせるヴァジラに「ソウソウ」とアリスが小さな頭をこくこくと頷かせた。
「このまま軟禁状態モ、退屈デショ?」
 国が扱いに困っているなら、いっそのこと国を出てみるって言うのも手じゃないか、と言うのに、セルウスが思わず美羽達と顔を見合わせた。ジェルジンスク監獄への送還が保留になっている今であれば、言い方は悪いが問題は国外へやっておく、という手も確かにあるし、その方がヴァジラには良いのではないだろうか。優も頷いて「そうだな」と言葉を添える。
「洗い流すのは無理だけど、別のやり方で帳消しにすることも出来るんじゃないか」
「……」
 ヴァジラは答えないが、その沈黙がかえってその中に生じている迷いを伺わせる。そして何を思ったのか、その目をちらりとティーとイコナへと向けた。
「……貴様達の育った国か……それも、面白いかも知れないな」
 その言葉は、ただシャンバラという国にへの興味を口にしただけだったのかもしれない。だが、いつになく柔らかに聞こえたその声に、ティーは心の中で暖かく広がったものに、笑みを深めたのだった。