百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

リアクション公開中!

Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

リアクション



【空京: 往来】


「は〜い、はいはい待ってね〜!」
 テーブルの上で端末が受信を告げるバイブレーションに揺れている。ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)は今の段階では聞こえない返事を、電話の向こう側の相手に律儀に返しながら小走りに駆け寄った。
 画面に表示された文字は、発信者がジゼル・パルテノペー(じぜる・ぱるてのぺー)であるとミリアに教えている。
「あらっ? ジゼルさんから電話とか珍しいわね……」と漏らした事で、及川 翠(おいかわ・みどり)サリア・アンドレッティ(さりあ・あんどれってぃ)がヒョッコリと顔を出し、興味深げに目を開いている。二人がああやって惹かれる程度には、何かが起こっているに違いないと覚悟を決め、受信ボタンを押して暫く。
「――へっ?」
 ミリアから出た素っ頓狂な音を聞いて、スノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)も聞き耳を立てる様に近寄ってきた。一体何事かと三人に観察されながら通話を終え、ミリアから出たのは軽い溜め息だ。  
「……え〜と、アレクさんを隠す? って一体何なのよ?」
「ふぇ〜、一体何をなさってるんでしょうかぁ〜……考えるほどにあやし過ぎますねぇ〜……」
 スノゥの言う通り、考える程に怪しいから、いっそ深く悩まない方がいいだろうという心積もりで、ミリアは外出の準備を妹たちへ指示する――。


 * * * 



「うっわ何だこりゃ」
 目の前に広がった人垣に、瀬島 壮太(せじま・そうた)ミミ・マリー(みみ・まりー)は揃って眉を顰めた。
「何かしらあれ」
「男の人が、地面に絵ー描いてるんだって」
「しかも頭に犬乗せてんの」
「路上パフォーマンス系?」
「ちがうちがう、それで幼女を釣ってるみたいよ!」
「ええーっ!?」
 ざわつく群衆から拾える言葉に、壮太はあの人垣の中心に居るものこそアレクサンダル四世・ミロシェヴィッチ(あれくさんだるちぇとゔるてぃ・みろしぇゔぃっち)と確信する。
 そして案の定、ひしめく人の間を縫ってジゼルが現れ飛びついてきた。
「そ、壮太ぁ〜! どうしよ、フレイもミリアたちも助けにきてくれたんだけど、なんでか分かんないけど、もっと変な事になっちゃって!」
 ジゼルの後ろから現れたフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)があわあわと頭を下げるのに続いて、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)があらゆる事を誤摩化す様な笑顔を、壮太とミミに向けた。
「すまん、やっちまった!」
「何時ものように過ごししておく方が自然やもしれませぬ。と、思っていたのですが――」
 ジゼルが彼等に助けを求めた時点で、既にアレクは周囲に疑いの眼差しを向けられていたのだ。仲間――それも犬やら幼女やらが増えれば更に怪しく見えてしまったのだろう。
 読みが外れて頭の上の耳を下げてしゅんとするフレンディスに、彼女を呼んだジゼルも「ごめんねフレイ」と一緒になってしゅんと肩を落とす。
 少し可愛らしい光景だが、それを喜んでいる場合では無かった。
「……確かに目立つけど、
 いつも通りという意味ではアリなんじゃないかな?」
 ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)は飄々と意見を述べる。
 一応の確認で軽くつま先立ちしてみると、得意満面な忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)を頭に乗せたアレクが、両腕に翠とサリアという幼女をぶら下げたまま、氷の権杖で地面に何かを描いているのが見えた。
 確かにあれでは“頭に柴犬を乗せた怪しい男が、地面に絵を描いて幼女を釣っている”事案になってしまう。
 電話ではジゼルから「魔方陣を描いてたら人が沢山集まっちゃってどうしよう」とだけ聞いていたが、状況はあれから悪化したようだ。
 私は関係ありませんという位置では、ミリアとスノゥが小声で言葉を交わしている。
「……これ、“おまわりさんこの人ですっ!”って状況よね絶対…………」
「…実際呼んじゃダメですよぉ〜?
 本当に職務質問されちゃいそうですぅ〜……」
 スノゥの出した不穏な言葉に、ジゼルは泣きそうな顔で壮太に縋った。
「何でも無いんですって言ってるのに、皆、信じてくれないの! あの魔法、失敗したら危ないからって許可とってないって、お兄ちゃん言ってたの。警察きちゃったらどうしよう!」
 柔らかく豊かな胸を腹筋にぎゅむぎゅむと押し付けられながら、壮太は既に考えて居た作戦について逡巡する。
 此処迄きたら無理に隠そうとないで、逆にその行動を利用する。こういった状況でも、大抵の人が納得する魔法の言葉があるんだよね、という具合に。
 壮太は一人ミミと考えてきたそれが成功しそうだと頷いて、彼の様子に首を傾げていたジゼルにある提案をした。


「しっかりしてアレク……シス! あなたいつものあなたじゃないわ」
 登場は大分棒読み気味だったが、壮太の「堂々と!」というアドヴァイスを受けたお陰で、接客業仕込みの大声を出せたジゼルに、皆の視線が一斉に集まる。
「あなたはいま……ファリオ……レオ? ラ……」
 そこはいいから! というミミの合図に、ジゼルはアレクの腕をガッと掴んだ。
「エジプトの!! のろい…………に、かかっているのよ。おねがい、わたしをみて!」
 唐突に、かつ頓珍漢な台詞を連発するジゼルに、屈んだまま地面に何かを描いていたアレクは実際彼女を見上げたが、表情は怪訝そのものだ。
「はァ?」と声まで出てしまう始末である。
 しかしジゼルはそれを打ち消す音量で情感たっぷりに――即興で――それっぽい愛のうたを歌い始めた。周囲を囲む人の数は更に増えたが、謎の行動はまだ続く。
「……What’s wrong? What happend with you!?(*何? お前どうしたの!?)」
 アレクの冷静な声が群衆の耳に入る瞬間、ミミのメガホンの合図を受けたジゼルはええいままよとアレクの首に手を回し、困惑したままの彼にキスをした。群衆にどよめきが起こる。
 勢い任せ過ぎるそれが終了し、顔から火を吹き出さんとしているジゼルの突飛な行動に、アレクの集中力も流石に瓦解してしまった。
 愛しい妻の頭がパーになったのだ。仕事どころじゃない。両肩を掴んで、瞳をじっと見つめて、落ち着く様に説得する様にしながらアレクは妻に呼び掛けた。
「Sweetie,I need to talk to――」
「そ、そうよ。そうそうそうそうそうそうわたしは、あなたのこいびとよアレクシス。やっと、おもいだして、くれたのねアレクシス!」
 ジゼルがアレクをひしと抱きしめた瞬間、群衆の向こう側からミミが混乱を裂いた。
「カーーーーット!」
 その単語一つで全てを語ったが、メガホンを片手に輪の中に入ってきたミミは、後ろについてきた壮太のデジカメの映像を確認するフリをして、アレクの肩を叩いた。
「うん、いい絵撮れてるよミラーさん! 良かったよー」
 と、適当な台詞と偽名でアレクに有無を言わせず、くるりと翻って囲んできた群衆に笑顔を向けた。
 ――こそこそせず堂々と。不機嫌にならずにこにこと。そんな振る舞いこそが、相手を引込む為の鍵だ。
「僕たちは蒼空学園大学部の生徒で、映画研究サークルに所属しているものです。
 いまは自主製作中の映画で、ロングシーンを撮影していたところなんです。
 ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます」
 ぺこんと頭を下げるミミに、群衆達はなぁんだと納得がいった様子でその場からバラけていく。無許可にしか見えない雰囲気も、主演女優の大根演技も、『自主制作映画』というそれだけで成る程と思わせる強制力を持っていた。
 それでも逆に「どんな映画なんですか?」と興味を持ってしまった者達に壮太が捕まってしまうが、彼もまた器用に本物の演技を続ける。
「タイトルは『イスカンダル・ロマンス』。
 考古学者の青年が古代エジプトの呪いの謎を解く、冒険SFロマンスクライムミステリーサスペンスホラーアクションディザスターミュージカルコメディです」
「……は、はぁ…………」
「今の撮影していたのは、呪いの掛かった氷の権杖に意識を奪われたアメリカ人青年アレクシスが、街中をさ迷い、ヒロインの愛によって目覚める――というクライマックスシーンです」
 台詞が適当かつ投げ遣りでも、堂々とやられてしまうと説得力は増す。壮太とミミの作戦にまんまと騙される。
 そこへ更に、彼等の興味を別の方向へ引っ張る声が、反対側の道路から響いた。
「さあさよっておいでみておいで!」
 視線がさあっとそちらへ移動する。
 両手を広げて客を歓迎する東條 カガチ(とうじょう・かがち)の隣で、スーツにモノクルの上にキノコの帽子という意味不明なスタイルの東條 葵(とうじょう・あおい)が立っていた。
 仲間がこちらに気付いたのに、葵は片目を瞑って合図してみせる。
「マホロバより来る鬼が怪しき道具用いて魅せる怪しき業の数々とくとごらんあれー」
 カガチの誘導する声に、皆が葵に注目する。そして二人はパフォーマンスグループを装い即席の大道芸を披露し始めた。
 一連の出来事に騒ぎを起こした犯人――アレクは漸く得心がいったようで、カガチたちを見ていた仲間の背中に向かって口を開いて、緊張と興奮で憤死しそうなジゼルの背中を押す。
「……逃げるか」
 こうして彼等は、人の多い往来から無事抜け出したのだった。