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バカが並んでやってきた

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第5章


「やぁ、ブレイズ。気分はどうだい?」
 鳴神 裁(なるかみ・さい)は言った。いつもと変わらぬ微笑みで。

「――よぉ、裁か……最近はずっと九十九とばっかだったから、なんだか久しぶりだな?」
 ブレイズもいつも通り答えた。奇妙な浮遊感というか、違和感を覚える。
「……つか、それどころじゃねぇよ……」
 そもそも自分は戦いに負け、倒れている筈であることに気付くブレイズ。ならばこれは、夢なのだろう。
「ははは、手ひどくやられたみたいじゃないか」
 裁はまた軽く笑った。
「……ああ……俺が、弱いから。いつもそうだ、正義だのなんだの言ったところで、結局は勝つことができねぇ。
 ウィンターだって……取り戻せなかった」
 次第に記憶が鮮明になってくる。冬将軍に手もなく敗れたこと。ウィンターの一部を取り戻すこともできなかったこと。

「弱かったから……そうかなぁ。そもそもさ、戦う必要も、勝つ必要もあるのかな?」
「……え?」
 ブレイズは面食らった。日常、ブレイズと多く行動を共にしているのは彼女と、パートナーの物部 九十九(もののべ・つくも)だ。それゆえに、ブレイズの行動理念である『正義』は裁が最も良く知っている筈ではなかったか。
「正義も悪も本来は同質のもので……信念のひとつなんだよね。ただ、ベクトルの方向が違うだけで。
 『敵』だから『悪』だから『倒す』……そんなものはエゴでしかない、ボクはそう思うんだ」
 日頃語ることがないような、親友の言葉。それゆえに、ブレイズは耳を傾けることができた。
「……そういう……もん……なのか?」
「ボクはそう思うって話。……ゆえに、ボクはいつだって道化役……コミックリリーフを演じているのだよ。おちょくって、いぢくりまわして、ひっかきまわして……。それで最後は、『ああ、なんてバカらしい』と笑いあえればそれでいいじゃないか?」
 その理念は、とても裁らしいと思った。
 しかし、それはブレイズの理念、理想とはまた違う。
「それはそうかもしれねぇ。けどな。誰にだって譲れねぇモンがあるだろ。
 俺にとってはそれが『正義』なんだ」
 ブレイズの言葉に、裁は大きく頷く。
「もちろん、ボクの言っていることも理想論であり、ただのエゴには違いない。
 でもねブレイズ。キミの『正義』を押し通すには、とても大きな力が必要だ。
 人の手は小さくて……とても全てを掬い取れるものじゃないだろう。もし、取りこぼしてしまったものをいちいち背負っていけば、キミ自身がその重さで潰れてしまうことは自明の理だ。……今回みたいにね」
「……」
 俺はまだ潰れてねぇ。そう言い返したいブレイズだが、事実として、彼は冬将軍に対抗する力を持たず、結果として敗れた。

「ブレイズ、キミ一人で戦っているワケじゃないし、キミ一人で勝てばそれでいいワケでもないだろう。
 もう一度言うよ。悪と戦い倒し、勝つこと。それは本当に正義なんだろうか?
 ある人は言ったよ。本当のヒーローはおなかの空いた人に食べ物をあげられる人なのだと。
 ブレイズ……キミにとっての正義って……何なのかな?」

 その問いは、ブレイズ・ブラスという人間の根幹を揺さぶる問いかけだった。
 答えを出すことができないブレイズに、裁は微笑みを投げる。

「ま、別に今すぐ答えを出す必要はないと思うよ、好きなだけ悩めばいい。ボクとしても大事なパートナーを任せるかも知れないんだ、しっかりと答えを出してくれよ、マブダチ?」
「……」
「けどね」
「?」
「この期に及んでまだ、形ばかりの『正義』をことさらに口にするのならば……」
 ぼんやりと、視界が歪んでいく。親友の姿が誰かの姿に重なるように、その声が誰かの言葉に混ざりこむように、不鮮明になっていく。
「……裁……?」
 それでも。
「ボクは……」
 それでも、裁の最後の言葉ははっきりと聞き取ることができた。


「ボクは、その『正義』を討つ」


                    ☆


「――裁!!」


 ブレイズ・ブラスは意識を取り戻した。

「――あ、目覚めましたか?」
 目の前にいたのは鳴神 裁ではなかった。
「あ……あんたは……」
 そこにいたのは、結和・ラックスタイン(ゆうわ・らっくすたいん)アヴドーチカ・ハイドランジア(あう゛どーちか・はいどらんじあ)であった。
 結和は、ブレイズがかつて『正義マスク』として迷走とも呼べる活躍を開始した時の、被害者第一号とでも呼べる存在である。

「!! 危ねぇ!!」
 ブレイズはその結和の背後からアシガルマが迫っているのを見つけ、声を上げた。
 しかし、傷ついたからだは思うように動かず、ただ声を上げただけに留まった。
「――クロエ! お願いします!!」
 結和が張りのある声を上げると、『深緑の賢梟 クロエ』がひと鳴きして周囲を球状の結界で覆った。
 この深緑の瞳を持つオオコノハズクは、周囲に魔力結界を展開することができ、結和にのみ使役することができる。
 自身はアシガルマの攻撃を受けないように上空に飛び上がると、結和の様子を見ながら旋回を始めた。

 迫ってきたアシガルマは結界に防がれ、ブレイズ達に手を出すことができない。
「……すげぇな」
 素直な感想を述べるブレイズ。結和は手早く傷ついたブレイズの身体をチェックする。
「……骨折はないようですね、良かった。凍傷も深刻な状況ではありませんが……擦ったりしないで下さいね……」
 てきぱきと応急処置を進める結和の様子を、ブレイズは意外そうな表情で眺めた。
「……慣れてるんだな」
 ぱっと見には地味で頼りなく見られることも多い結和だけに、こうした医療の知識や技術は驚かれることもある。
「ええ、これでも医者見習いですからね」

「お喋りをしている暇はあまりないかも知れないぞ」
 そこにアヴドーチカが声を掛けた。周囲にアシガルマが集まりつつある。クロエが張った結界があるとはいえ、あまり数が集まると厄介だ。
「まだブレイズさんは……」
 結和はブレイズの様子を見る。応急処置を施したものの、とても戦える状態ではない。
「いや、もう大丈……」
 そこを無理矢理立ち上がろうとするブレイズだが、結和の言うとおりまだ戦える状態ではなく、それどころは朦朧とする意識では立ち上がることすら満足にできなかった。
「無理しないで下さい、まだ動けるような身体ではないんですよ!」
 少しだけ語気を荒げて、結和はブレイズに肩を貸した。よろよろと壁によりかかるようにしたブレイズは、恨めしげにうめいた。

「くそ……っ!! 情けねぇ……俺にもっと……力があれば……!!」
「……ブレイズさん……?」

 いよいよアシガルマの数が増してきたその時。

「ブレイズ!! 大丈夫かいっ!?」
 そこに現れたのは、鳴神 裁に憑依した奈落人、物部 九十九だった。魔鎧ドール・ゴールド(どーる・ごーるど)とギフト黒子アヴァターラ マーシャルアーツ(くろこあう゛ぁたーら・まーしゃるあーつ)を装着した九十九は、風のようなスピードでアシガルマの群れを次々に蹴散らしていく。
「この、ブレイズ達から離れろっ!!」
 さすがに数はあっても、まともにやりあってはアシガルマ達に勝ち目はない。あっという間にアシガルマ達は逃げていってしまった。
 応急処置を受けて痛々しい格好のブレイズに九十九は駆け寄った。

「ブレイズ、ブレイズは大丈夫なのっ!?」
 肩を貸して支える結和に代わって、ブレイズの身体を支える九十九。鍛えられた肉体のブレイズを支え続けるのは、結和の体格では無理がある。
「とりあえず応急処置を施しました……命に別状はありません」
「良かった……と、とにかく傷を治さないと……」
 九十九は、『我は紡ぐ地の讃頌』でブレイズの体力を回復させる。結和の応急処置の甲斐もあって、とりあえず単独行動が可能な程度には回復したようだ。
「……サンキュ、九十九……」
 辛うじて壁によりかかるブレイズ。しかし、癒えた筈のその身体は壁を伝ってゆるやかに崩れ落ちた。
 ずるずると、その場に座り込むように落ちていくブレイズ。
「ブレイズ……どうしたの……?」
 ブレイズは力なく九十九を見上げる。そこに、普段の『正義マスク』たる彼の覇気は微塵も感じられなかった。

「なぁ九十九……傷は治っても……結局、俺の力じゃあいつらは倒せねぇってことだよな……。
 俺に力をくれていた『破邪の紋章』も奪われまった。こんなんじゃ、傷が治ったってよ……」
「……そうかもね……でも、それはさ、ブレイズ」

 九十九が何とか言葉を繋ごうとしたその時。
「……何だ何だおい、まだ治療が足りないか?」
 アヴドーチカが割り込んできた。
「ア、アブドーチカさん?」
「いや、治療はもう……」
「いいや、まだ足りないね。……私が特別に施術してやるから立つがいい」
 結和とブレイズの言葉をぶった切って、アヴドーチカは九十九を促して無理矢理ブレイズを立たせる。
「……何だってんだ?」
 怪訝そうな表情を浮かべるブレイズの背中に立ち、アヴドーチカは告げた。
「まぁ怪我の方は結和とこちらのお嬢さんが治療してくれたんだから大丈夫だろう……。
 まったく、うじゃけた顔しおってからに……そう、私はその……お前さんのうじゃけた根性を叩き治す!!!」
「!?」
 言うが早いか、アヴドーチカが握り締めた1mほどのバールが鋭い唸りを上げた。


「ほぐあっ!?」


 まさかこの局面で背中をバールでぶん殴られるとは思っていない。不意を突かれたブレイズは2mほど転がり、ビクンビクンといい感じに痙攣した。

「な、何するのさ!!」
 九十九が抗議の声を上げるが、アヴドーチカは取り合わず、さらにブレイズに迫った。
 ちなみに、彼女の持つバールは彼女曰く治療器具であり、そのバールによる打擲は彼女曰く生物や物体の不調を回復することができる医療行為である。これこそが、彼女曰く打擲医術なのである。
 もちろん、彼女によればこれは医療行為なのであることから、いかなる抗議も耳に届かない。
「何もへったくれもあるか……女二人にみっちり治療してもらいながらまだそんなうじゃけた顔してるような男には、これが似合いだろう」

「……ああ……そうかもな……」
 うつぶせになりながら、ブレイズはうめき声を上げた。
「まだ足らんか……いやそれよりも……おいお前、自分の右手を見てみろ」
 アヴドーチカはバールをつい、と動かしてブレイズの右手を指した。
「右手……これは……?」
 そこには、男が巻きつけていった紅いマフラーがあった。

「そいつは私達がここに来る前からあった。お前さんの持ち物じゃなかろう」
 アヴドーチカの言葉が耳に入っているのかいないのか、ブレイズは呆然とした表情でそのマフラーを見つめた。
「……ああ……俺はこのマフラーを……知っている……」
 ブレイズの右手に巻かれた、その紅いマフラー。
 その紅いマフラーは、ブレイズに静かに問いかけていた。