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そんな、一日。~九月某日~

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そんな、一日。~九月某日~
そんな、一日。~九月某日~ そんな、一日。~九月某日~

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1


 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が結婚した日から、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)は一人暮らしをしている。
 住所自体は美羽と一緒に住んでいた頃とあまり変わらないところにいるが、なにぶん一人の時間が今までよりもずっと多い。やるべきことだって集中して出来てしまうし、すると尚更時間が出来る。
 ベアトリーチェは、正直、時間を持て余していた。
 そうして彼女がとった行動は、
「こんにちは」
 リンス・レイス(りんす・れいす)の工房に遊びに行くことだった。
 工房のドアを開けると、真っ先にクロエ・レイス(くろえ・れいす)が「ベアトリーチェおねぇちゃん!」と声を上げて笑いかけてくる。
「きょうもきてくれたのね!」
 声は弾み、嬉しそうにしてくれているのがわかった。こんな風に自分の来訪を喜んでくれる人の存在を、今は温かいと思う。
 ベアトリーチェが適当な椅子に座ると、クロエがやってきて隣に座った。
「ねぇ、きょうはなにをする?」
 大きな目をきらきらと輝かせて聞くクロエに、ベアトリーチェはにこりと微笑む。
「そうですね。お仕事を頑張っているリンスさんに、お昼ご飯でも作りましょうか」
「うん!」
「クロエちゃん、作ってみたい料理とかあります? あったらそれを作りましょう」
「えっとね、わたしね、グラタンつくりたい!」
「いいですね。材料も……揃ってますし。作りましょう」
 こうして工房のキッチンに立つのも何度目だろう、と思いつつ、ベアトリーチェは手慣れた風に調理器具や食材を用意し、昼食作りを開始した。
 それから少し経った頃だった。
 聞き覚えのある車のエンジン音に、ベアトリーチェは調理の手を止め顔を上げた。キッチンの窓から外を見る。
「あら……あれは」
 そこには、コハクの車があった。見つけると同時に助手席のドアが開き、美羽が飛び出してくる。キッチンから見ているベアトリーチェに気付かない程度には、周りが見えていないようだった。
「こんにちはー!!」
 間もなくして、玄関から美羽の溌剌とした声が響いてきた。調理は一旦休止して、美羽を迎えにクロエとともに大部屋へ戻る。
「あっ、ベアトリーチェ! 来てたんだね!」
「はい。ここ最近、ちょくちょくお邪魔させていただいていて。美羽さんは今日、どうして?」
「うっふっふー。えっとねー、あのねー……」
 幸せそうに笑いながら、美羽は話を始めた。


 数時間前のことである。
 コハクの運転する車に乗って、美羽は大きな病院へ来ていた。
 診察をお願いしたのは、産婦人科。
 そして、椅子に座った医者は言った。
「おめでたですよ」
「え」
「お腹の中に、赤ちゃんがいます。妊娠三ヶ月目ですね、おめでとうございます」
 改めて告げられたものの、いまいち実感が沸かず、美羽は自分のぺたんこの腹を見た。
「赤ちゃんが、いる?」
 口に出してもやはり現実感はなく、このことを幸せだと感じたのは、病院を出てからだった。
 車内に入るなり、コハクがそっと美羽を抱き寄せ、
「ありがとう」
 と告げた時初めて、愛する人との子供を授かった実感を覚えた。嬉しくて、涙が込み上げてきて、ぎゅっと抱き締め返しながら「うん」と頷いた。
 温かい気持ちが胸いっぱいに溢れ、自然と笑顔が浮かんでくる。
 気づけば、美羽はコハクと一緒に笑っていた。コハクの笑みはいつもと変わらない優しいものだったけれど、その笑みの奥に強さのようなものが垣間見え、なんだか頼もしいな、と美羽は思う。
「コハクが急に大人びた」
 と言うと、コハクは少し照れたように笑い、
「これからはお父さんだから」
 家族を支えていくって、決心したんだよ。
 そう囁いて、コハクは美羽の頬に口付けた。
「……私、すごく幸せ」
 同時に思ったのは、この幸せな気持ちを大切な人たちにも伝えたい、という感情だった。
 そのことをコハクに話すと、コハクは「美羽らしいね」と微笑み、車のエンジンをかけた。
 何も言わなかったのに車が向かっているのが人形工房だと気付いた美羽は、「もうすっかり私の考えを見透かされてるね」とコハクに笑いかけた。
 コハクは何も言わず、優しく微笑んだままヴァイシャリーへと車を走らせた。


「そしてここまで来たのでした! 車に乗ってる間にどんどんテンション上がってきちゃってさ、もう、早く着けーって念じちゃったよ!」
 嬉しそうな美羽の報告に、クロエは自分の心がぽかぽかと暖かくなるのを感じた。話を聞いているだけでも、なんだか幸せな気持ちになる。
 美羽はクロエの様子に気付いたらしく、今までで一番優しい笑顔になり、クロエの手を握った。柔らかな美羽の手が、自分のお腹へと誘導していく。
「ここにあかちゃんがいるの?」
「うん。そうだよ」
「ふしぎね」
 美羽のお腹はほっそりとしていて、人一人入っているとは到底思えなかった。
「これから大きくなるんだよ」
 クロエの疑問を見透かしたように美羽が言う。
「元気な子を産んで、精一杯育てて……たぶん、今までみたいに遊びには来れなくなると思う」
「そう……」
 美羽の出産報告はとても嬉しいことのはずなのに、会えなくなってしまうのは少しだけ寂しく思えた。でもこんな風に思うのはいけないことだと思い、クロエはかぶりを振る。
「だからね。これからは、クロエとリンスにも、私の家に遊びに来てほしいな」
 直後言われた言葉に、クロエはきょとんと美羽を見上げた。
「いいの?」
「もちろん。クロエには、この子のお姉ちゃんとして仲良くしていってもらいたいって思ってる」
「おねぇちゃん……」
 その響きに、クロエの胸はどきどきした。嬉しさや期待でいっぱいになる。
「クロエはしっかりしてるし、いいお姉ちゃんになるだろうな」
 コハクが、優しく笑ってクロエの頭を撫でた。
「これからも美羽やこの子のことをよろしくね」
「……うん!」
 赤ちゃんが産まれたら、どんなことをしよう?
 気が早いけれど、クロエはそんなことを考える。
 産まれてきてくれたことを喜んで、待ってたんだよと伝えて、それから、それから。
 自分の知っている、美羽とコハクのお話を教えてあげよう。
 こんな風に二人が幸せになって、それであなたが産まれたのだと教えてあげよう。
 ベアトリーチェと一緒に作ったお菓子を食べながら、本人たちがいない間にこっそりと。
 それはとても素敵な未来に思えて、クロエの顔には笑顔が浮かんだ。