薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

The Sacrifice of Roses  第二回 タシガンの秘密

リアクション公開中!

The Sacrifice of Roses  第二回 タシガンの秘密

リアクション

3.


(ここは、一体……? 南臣さんや藍澤さんは……?)
 目の前が、くらくらする。ルキア・ルイーザ(るきあ・るいーざ)は、周囲を見回した。
 南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)らと共に洞窟を調べていたが、突然開けた空間に出た途端、意識が遠のいた。そこで、記憶は途切れている。
 辺りは真っ暗だ。手に触れる感触は、硬く冷たい。怪我はないようだが、たった一人という状況に恐怖を感じ、ルキアはぎゅっと手のひらを握りしめた。
『……ルキア』
「……?」
 優しい声が聞こえ、ルキアは耳をすます。柔らかな暖かい声は、さらに呼び掛ける。
『大丈夫よ、ルキア』
『安心して、僕がいるよ』
「……兄様、母様……?」
 声のする方向へと、ルキアは足を踏み出した。さらにその足を誘うように、闇の中、ぼんやりと光が灯る。そして、そこにいるのは、愛する家族の姿だった。
『こんなところで、可哀想に……ひとりぼっちで、辛いのでしょう?』
『お前が無理をすることないんだ。もう、戻っておいで』
 両親が寂しげにルキアをいたわり、両手を広げる。そして、兄も、また。
『もう、楽になっていいんだよ。誰も、君を責めたりなんかしない。全部、捨てておいで』
「兄様……」
 その言葉は、疲労したルキアの心に、ひどく甘く染みこんだ。思考が鈍り、ただ安らぎを求め、ふらふらとルキアは歩き出した……その時だった。
『ルキア、大丈夫?』
 それはまるで、光の矢のように、ルキアの胸を射抜く。痛みではなく、かわりに暖かい力が、そこからは伝わってくるようだった。
「兄様、……兄様、ですか?」
 ルキアの声の調子や、その心を感じ、本当の兄……薔薇学の校舎にて、ルキアの身を案じていたロレンツォ・ルイーザ(ろれんつぉ・るいーざ)は、ルキアの状況に気づいた。
『そこにいるのは僕じゃないよ、ルキアにはわかる筈だよ』
 それから、さらに優しく、ルキアへと語りかける。
『今、とても辛いよね……ごめんね。でも、僕はルキアに無事に戻って来て欲しい。目を覚まして、ルキア……』
「…………!」
 その言葉に、ようやくルキアは正気に戻った。
 手にしていた懐中電灯の灯りに照らされ、ルキアの目の前に、奈落が口を広げていたことにぞっとする。あと数歩、幻に惹かれていたら、このまま真っ逆さまに転落していたことだろう。
 所持していた携帯を手にすると、あらためてルキアは兄へと連絡をした。
「ありがとうございます、兄様。僕はもう、大丈夫です」
「……本当に? よかった。でもこの先も、気をつけるんだよ」
「はい」
 そうだ。兄は、心を痛め、無事を祈ってはくれている。だが、無責任に全てを放り出せとは、決して薦めないだろう。
 甘い言葉に騙されてはならない。そう、ルキアは強く自戒した。
「ルイーザ殿。気がつかれたか」
 そこへ、白い制服に身を包んだ藍澤 黎(あいざわ・れい)が姿を現した。その手には、光精の指輪が明るく輝いている。
「藍澤さん。ご無事でしたか」
「ああ」
 頷いたものの、黎は微苦笑を浮かべた。

 黎もまた、一時幻覚に捕らわれていた。
 闇ではなく、彼を取り囲んだのは、業火の朱――製油所で焼死した、両親の姿。苦しげに身体を捩らせ、黎へと救いを求めて手を伸ばす、そんな、痛ましい光景だった。
 しかし。
『熱いの、助けて、こちらへ来て……、黎!』
 そう悲鳴をあげる母親の姿に、黎はこれが幻覚に過ぎないとはっきりと悟った。
 幼い時に亡くした両親が、今の黎の姿を判るはずもない。
 ……彼らが知る、『小さなスィン』はもう存在しないのだから。
「失せるが良い。浅ましい幻よ」
 眉をひそめ、青い瞳に微かな怒りすら滲ませ、ヴァーチャースピアを構える。
『やめろ、なにをする……』
「我が両親の姿を穢すことは、許さぬ」
 微かに槍先が震える。しかしそれを堪え、黎は鋭い一撃を放った。

 そして、幻を振り払った黎は、今こうして、ルキアと合流を果たしたのだった。
「これが、問題の植物ですね」
「そのようだな」
 ルキアと黎の前には、洞窟の壁に這い回る蔦と、そこに咲く花々があった。どれも天井からだらりと下がった、ダチュラに似た花だ。しかし、ラッパ状に開いた花弁は不気味な黒色をしており、洞窟の薄闇にほとんど同化してしまっている。
 そのうちの一つを、黎は凍らせ、手にとった。おそらく幻覚成分は、花粉か香りか。どちらにせよ、氷で封じ込めてしまったほうが安全だろうと判断したのだ。
「ヤコウタケのような類かとも予想していたが、見た目には普通の花のようだな」
「これも、ナラカの影響を受けたものなのでしょうか」
「あるいは、これも遙か以前に『創られた』ものであろう。どちらにせよ、研究の余地はある」
「はい」
 ルキアが頷く。するとその時、微かに彼らの耳に、悲鳴が聞こえた。
「南臣さん……?」
「行くぞ」
 南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)の身を案じ、黎とルキアは、急ぎ走った。