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The Sacrifice of Roses 第三回 星を散らす者

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The Sacrifice of Roses 第三回 星を散らす者

リアクション

3章


1.

 月が満ちる。
 いよいよ、儀式の日が訪れた。
 
 薔薇の学舎にある、バラ園には、一人のイエニチェリの姿があった。
 ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)は、手にした薔薇をじっと見つめている。ジェイダスに隠された、『鍵』だ。
 そんな彼に、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)は、静かに近づいた。その腕に抱かれたエーギル・アーダベルト(えーぎる・あーだべると)が、つぶらな瞳でルドルフを見上げている。
「そろそろ、出発の時間だね」
「ああ……」
 答えたルドルフには、微かに迷いが感じられていた。
 校長に従うと決意はしているが、いざとなると、やはり迷いも生じるのだろう。
 ヴィナに付き従ってきた、ウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)貴志 真白(きし・ましろ)にも、そんなルドルフの心が伝わってくるようだった。
「君たちは、どう思ってる?」
 ルドルフは自分から、そう尋ねてきた。ウィリアムが、口を開く。
「私の個人的な意見を申し上げるならば、力には必ず何らかの代償があります。代償をなしに力を得ることは叶いませんでしょう。また、力を御するには、力も必要です。果たして、あの力を御する力を我々が有しているでしょうか」
「手厳しいな」
 ルドルフが、自嘲気味に笑う。
「僕も四月から薔薇学の中等部に通ってるし、無関係じゃなくなったって言うのもあるんだけど、一つだけ言いたいことがあるんだよね」
 そう切り出したのは、真白だ。
「ウゲンはさ、校長に死んでほしいから、それを仕掛けたんだよね。なら、儀式を行って校長が死んじゃったら、ウゲン、喜ばないかなぁって。ウゲンの喜ぶことをわざわざやらなくてもいいんじゃないかなって。まぁ、エネルギー源は魅力的だけども、封印を解除するキーの変更方法があるんじゃないかなって僕思うんだけど。その方法を探してから儀式でも遅くないような気がするんだけどなぁ」
「結局は、ウゲンの思い通りになっているだけ……ってことかな」
「まぁ、そういうことだよね」
 真白は軽く肩をすくめ、ルドルフに同意する。
「そもそも、力の代償が、校長の犠牲だけで済むものでしょうか」
 ジェイダスの命を捧げたところで、結果として装置を利用することは出来ないのではないか。結果として、大いなる災厄を呼び込むだけではないのか。ウィリアムはそう危惧を口にした。
「罠の可能性は、僕も考えたよ。完全に信用していい相手とは、とても思えないからね」
 ルドルフはそう答え、俯いた。苦悩が微かに、その横顔に滲む。
「はいっ」
 そんなルドルフに、エーギルはチョコレートを差し出した。
 少しでもルドルフの心を和ませようという、エーギルの可愛らしい優しさだった。
「あのね、えーくんはみんながえがおになったほうがいいとおもうよぅ。だって、みんなえがおがしあわせだとおもうの。だから、みんながかなしむようなこと、しちゃだめだよ」
「……ああ、そうだな」
 ルドルフはチョコレートを受け取り、また、やや苦く微笑んだ。
「ルドルフ・メンデルスゾーン」
 そんなやりとりをじっと聞いていたヴィナが、静かにルドルフの名前を呼んだ。
「覚えておいて。俺は、あなたの選択を信じる。あなたは己の正しいと思うことをしなさい。その結果が何であれ、世界中の人があなたを否定したとしても、少なくとも俺はあなたを信じる」
 その言葉は、強くルドルフの心に響いたようだった。
 ややあってから、ルドルフは顔をあげ、ヴィナをその仮面越しにまっすぐに見つめた。
「そうだね。僕は、僕にとって正しく、美しいと思えることをするよ。……ありがとう」
 力強く口にし、ルドルフはマントを翻す。その後ろ姿を、ヴィナは見送った。
(あなたを、信じてるよ)
 心の中で、もう一度呟く。
 そして、マリウスに託した薔薇の想いが、ジェイダスへと届くことを信じよう。
 ――西の空は燃えるような色に染まり、そして東の空には、満ちた月が昇り始めていた。



 ジェイダスの私邸に、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が訪れたのは、空が藍色に没し始めたころのことだ。
 ルキア・ルイーザ(るきあ・るいーざ)は、当初は、ダリルの訪問を快くは思わなかった。
「お引き取り下さい」
 態度はあくまで穏便に、静かに、ルキアは告げる。
「協力の要請があり、こちらはそれに応じたのだが」
「校長先生が協力を要請したのは、薔薇の学舎の協力者にです」
 貴方をそうとは思えない、と言外に告げ、「あなた方の為でもあるのです」と穏やかに言い添えた。
「…………」
「ルキア。……校長先生が、彼を通すように、と」
 そう告げに来たのは、ロレンツォ・ルイーザ(ろれんつぉ・るいーざ)だった。
「ですが、兄様……」
「ルキアがいれば、大丈夫だよね?」
「…………」
 仕方なくルキアは頷き、「失礼いたしました。どうぞ」とダリルに道をゆずった。
 とはいえ、その手には剣を持ち、警戒を緩めるつもりはない。ロレンツォも、ジェイダスの伝言ということで伝えたものの、その表情はやや硬かった。
 一方、ダリルもまた、毅然とした態度でジェイダスの前に立った。
 事前にタシガン市民の安全のため、緊急避難警報を発令するようにダリルは進言しており、ジェイダスはそれを受け入れた。
 それに基づき、希望した市民の保護を完了したとの報告にダリルは訪れていたのだった。
「保護を希望しなかった市民に関しては、夜間の外出禁止を要請した。教導団から数名が、市街の警備にあたる手はずだ」
「そうか。なにが起きるか、完全に予想はつかないからな。感謝する」
 ジェイダスはそう礼を述べた。
「今回は、事前に協力依頼を貰えた事に感謝する。互いの円滑な職務遂行の為、必要な連絡はお願いしたい。それだけで、命令系統の違う自分達との無用の衝突は避けられよう」
「……たしかに、無用の衝突だったな」
「今後とも、依頼があれば協力を惜しまない。是非遠慮せず言って欲しい」
 ダリルはそう言葉を結ぶと、ジェイダスに敬礼をし、退出した。その背中を、ルキアは黙ったまま見送る。最後まで、油断はしないという態度だった。
「おやっさん。お客さんは帰ったのかな」
「ああ」
「それなら、支度ができたよ。いつでもどうぞ」
 佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は微笑み、完璧に支度が調えられたテーブルへとジェイダスを案内した。直接の給仕は、ロレンツォが担当する。
「ほう、これは……」
 用意された料理に、ジェイダスは頬を緩める。
 マフシーを始め、ジェイダスの故郷である中東の料理が、テーブルに美しく並んでいた。薔薇の形に飾られたパプリカの赤が、さらに食卓を美しく飾っている。
「いつもながら、見事だな」
 ジェイダスの賛辞に、弥十郎はややはにかんだ表情を浮かべた。
 ジェイダスへの感謝を伝えようと思い立ち、弥十郎はこの晩餐の準備をした。これから儀式へと向かう、……おそらくは死を覚悟しているジェイダスのために。
 けれども、本当は、死なせたくはない。あの装置の起動が悲願だというのならば、それを手にした未来をも、見て欲しかった。
「どれも素晴らしい味だ。……おまえの想いなのだな、これが」
「……はい」
 弥十郎は頷く。ジェイダスは、幸福そうに微笑んでいた。
 悲壮さも、諦めも、無力感もそこにはない。いつものギラギラとした力強さすら息を潜め、どこか清浄な雰囲気を彼は纏っていた。
(おやっさん……)
「果たして、ウゲンの狙いはなんなのかな」
 弥十郎の兄、佐々木 八雲(ささき・やくも)が懸念していることは、そのことだった。
 料理の下ごしらえをしている間、八雲はぽつりぽつりと弥十郎に語った。
「ウゲンのことだ。実は装置が動かない、なんてことはないだろう。落胆するのは、せいぜい薔薇の学舎の生徒くらいだからな。あり得るのは、起動した装置を巡って、戦乱がおきることを期待して……というところか」
「今のところ、地球もシャンバラ王国も、こちらにかまう暇はないみたいだけどねぇ」
「今のところ、だ。とはいえ、それも回避する手段がないわけじゃない。一番厄介なのは、校長の魂を狙っている場合だ」
「魂?」
「校長の魂は特上だよな。それを魔鎧にするという考えもありそうだな」
「…………」
 たしかに、そんなことになったらぞっとしない。弥十郎は、包丁を操る手を止めた。
「何が起きるか、とにかく警戒しておくにこしたことはないってことだ」
「そうだねぇ」
 八雲の言葉にいつものように返しつつも、弥十郎の表情は硬いものだった。
「お食事中、失礼する」
 藍澤 黎(あいざわ・れい)が、一礼をし、部屋へと入ってきた。側には、ぽよんぽよんと跳ねるあい じゃわ(あい・じゃわ)も一緒だ。
「馬車の支度が出来た。出発は、いつでも」
「そうか。……おまえも、なにか言いたげだな」
「…………」
 黎は、イエニチェリとして、ずっと考えていた。果たして自分はどうするべきなのかと。
 クリストファーたちと話し合いも重ねたが、やはり、肝心のジェイダスに問いたださずにはいられないという結論にも達していたのだった。
「校長。お答え願いたい。1人を犠牲にしてこの世の中の人を救う世界と。この世の中の人とさらに校長が救われる世界。人を救う為に名より実とをる事も大事だが、実際には人は名も実も有るものを取るのではないか。校長はどうお考えか?」
「死ぬのは早い、と?」
「……我は血を流し争った結果ではなく平和を願い花を贈ったことで選ばれたイエニチェリなのだ。その我に剣を持てとおっしゃるなら、お答え願いたい」
 そう尋ねる黎は、その生真面目さ故に、儀式に参加を決めるならば、自身の考えをハッキリとさせたい。そのために、答えて欲しいと、真剣にジェイダスに迫っていた。
 その隣で、おずおずと、じゃわも口を開く。
「……じゃわは、ヤシュブ殿と約束したのです。校長を守るって」
 じゃわは以前、ジェイダスの弟であるヤシュブと、親しい時間をもった。だからこそ、彼の気持ちを思い、黙ってはいられなかったのだ。
 ヤシュブの名に、ジェイダスの眉がぴくりと動いた。
「ヤシュブ殿はきっと、兄上の夢は叶ったって言ってくれると思うです。でも人のいない所で、いっぱい泣いちゃうと思うです……。そんな風に、大切な人を悲しませて達成される、これは本当に幸せなのですか?」
 そう伝えるうちに、じゃわの瞳には透明な涙が浮かんでいた。ジェイダスは微笑み、じゃわを招き寄せる。
「……校長?」
 大きな手のひらが、じゃわの柔らかな身体を抱き上げ、膝の上に乗せた。
「たしかに、おまえに剣を握らせるのは、酷だったな。しかし、おまえは納得をすれば、それをしてくれる……私はそう信じた」
「…………」
 納得をすれば、だ。今のところ、黎はとてもまだ、校長の言葉に満足はしていない。
「私は、おまえたちに命を預けたのだ。それを無責任ととることもできるだろう。だが、私は、皆が私の命をカミロから守ってくれた時、あらためておまえたちを信じた。おまえたちの刃がいくら私を刺し貫こうと、その想いがある限り、私が死ぬことはないと」
「……校長?」
「あの装置が私の血を欲するのは事実だろう。ならばくれてやる。だが、私は耐えてみせる。おまえ達の想いがあるならば、私はそうできると信じているのだ」
 ジェイダスの言葉を、その場の者たちは驚きをもって聞いた。
「もっとも、捧げろというのならば、喜んでそうするつもりでもあったがな。……皆の想いが、私を変えたのだ」
 ジェイダスは微笑み、傍らの花束を見つめた。先ほど、マリウス・リヴァレイ(まりうす・りばぁれい)が持ってきたものだ。
「生徒達の美しい心、受け取ってください。新参者の私の話を素直に聞いてくれた。良い生徒たちです。……私は、生徒たちを誰一人死なせたくない。ジェイダス校長、あなたもです」
 マリウスはそう告げ、ジェイダスに花束を捧げたのだ。生徒達の想いがこもった薔薇の花たちを。
「……これを、儀式の場に運んでくれ。私とともに」
「わかりました」
 黎は静かに、頷いた。
 それから、ジェイダスはロレンツォへと視線を向けた。
「おまえも、よく尽くしてくれたな。礼を言う」
「いえ……」
 慈しみをこめて向けられた視線に、はにかんだ微笑みを浮かべつつも、ロレンツォは口を開いた。ずっと、聞きたいと思っていたことが、ひとつだけあったのだ。
「もしかして、ですが。校長先生がウゲンの言いなりになるしかなかったのは、エネルギーの件以外にも何かあるんじゃないですか?」
「…………」
 ジェイダスは暫し黙り込む。それから、じゃわを膝から下ろし、目を伏せた。
「一度くらい、あいつの願いを叶えてもいいかと思ったからだ」
「ウゲンの、ですか?」
「かつてはイエニチェリとして側においた者だ。しかし、最後まで、私はウゲンの心には迫れないままだった。ロストイエニチェリとなってからは、なおさら、信じることなどしなかった。もし、私が少しでもあいつと心を近づけることができたら、色々なことが変わったのではないかと、……今更だが、思ったせいもあった」
「校長先生……」
 ウゲンは孤独だった。どうしようもなく。世界を拒絶し、憎悪し、破壊しようとすることでしか、関係をもつことができない存在だった。
 密かにそれをジェイダスは悔いていたのだと知り、ロレンツォは、ただ胸を痛めるしかできなかった。
「己の天秤で量り続ける限り、他者とわかりあうことは難しいのだ。己の正義を守るより、時に大切なこともあると、私はおまえたちに教えられた。……他者の心を、思いやることだ。それを、もう少し早く、ウゲンに教えてやりたかった気もするな」
 薔薇の花束を見つめ、ジェイダスはそう言った。