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「宜しくお願いいたします」
 イルマ・レスト(いるま・れすと)は深々とお辞儀をした。
 正面には憧れの女性、ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)。気高く美しく強い女性。ラズィーヤ様ファンクラブの代表としては、勿論憧れの女性だ。
 けれど、今日は……。
「ようこそイルマさん。あら、今日はお一人なのね」
「はい。二人きりでお話ししたいことがありまして」
 パートナーの朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)はパーティで、お茶を飲みながらイルマの帰りを待っているはずだ。
「そうですの。一応面接では、将来についてお聞きすることになっているのですけれど……」
 イルマはすっと唇を開いた。
「将来についてというか、信念についてでしょうか。そんな立派なものではないのかもしれないですけども」
「どうぞ、お話になって」
 小さく頷いて、イルマは話し始めた。
「私には生き別れのような姉が一人いるのです。たとえ横に並んだとしても、姉さんとは呼べないという意味で」
 それは主人と使用人。見えないけれど、厳然と存在する身分の壁。同じ血を半分分け合っているのに、決してパウエル家の中で、同じ食卓に着くことが許されない。
「彼女は、自己中で我がままで、口は悪いし、飽きっぽいのでやることはいつも中途半端。なんど本気で首を絞めてやろうと思ったことか……。
 でも、とても愛しているのです。もし誰かが姉を傷つけようとしたり、私たちの絆を断ち切ろうとしたら抵抗しますわ。他の誰かを傷つけることになろうが、私自身の破滅へと繋がる道であろうとも、です。
 もちろん、そうならないのが一番ですから、これは極論ですね。幸い自殺願望はありませんし、人並みに幸せになりたいとも思っていますし」
 お互い地球人のパートナーを得た、その時。姉のパートナーには、姉との絆が断ち切られてしまいそうな気がして、心に漣が、いや、時には嵐が吹き荒れそうになったこともあったけれど。
 時間を経て、今はお互いの幸せのためにも、彼女とも歩み寄りつつあった。
「それに、私はきっと幸運なのですよね。姉の親愛の表現方法は変化球というか、危険球で退場になりかねないぐらい歪んでいる時がありますけど……ツンデレというそうですが、私と同じ人を好きでいてくれているようですし……その、好きというには変な意味ではなくて敬愛という類のです」
 目の前のこの人を、好きでいて、理解したい、と。
「それに、彼女は国家機密を奪って敵国に亡命しようとしたりもしません。口先だけの友愛を語る人たちには理解できないのでしょうけど、世界全てを敵に回すことも厭わぬほどの想いは一緒でも、置かれた状況が違えば人の運命というものはこうも違ってしまうのですね。柄にもなく青臭いことを言うと思われるでしょうが……」
 イルマと、ブリジット。ラズィーヤと、ユリアナ・シャバノフ
 或いは、その違いは置かれた境遇だけではなく──。
「ラズィーヤ様は、誰かを心の底から愛されたことがありますか?」
 言ってから、イルマは何かを期待するかのようにラズィーヤをまっすぐに見つめた。
 何か言葉だけでなく、感じ取れるものがあるかと思った。
 が、彼女の瞳は何時ものように微笑んだまま。静かで、何者をも心の奥に入れない、そんな瞳だった。
「……」
 しばしの沈黙の後、イルマは視線をそらすように頭を下げた。
「申し訳ありません、今のはお忘れください。本日はありがとうございました」
 立ち上がり、一礼し、身を翻す。落胆と失望はラズィーヤに対してのものか、それとも自分自身に対してのものだったか。
「お待ちなさい」
 扉のノブに手をかけた時、ラズィーヤの言葉が追いかけてきた。
「あなたのおっしゃる『心の底からの愛』というのものが何か量りかねますけど。それが愛ゆえに理性ではありえない行動をとるということでしたら、ないかもしれませんわね。
 シャンバラ建国までにミルザムを含め、多くの人を失ってきました。苦難はまだ続くかもしれませんが、少しでも多くの人を救いたい」
 イルマは何かを恐れるように、ラズィーヤの瞳を再び見つめる。やはり、何の感情も読み取れなかった。ただ、嘘を言っていないことだけは判る。
「──そのためであれば、個人の感情など優先するべきではございませんでしょ?」
 ああ、この人は。愛する人の為に何かをするのではなく、愛する人を人質に取られてからその為命を懸けるのではなく、その前に愛さないのだと。かたちにはしないのだと、イルマには分かった。
 そして、同時に、彼女は、世界を、シャンバラを、ヴァイシャリーを、そこに住まう人々全てを愛しているのだ。
 何か考え込んでいる様子のイルマに、ラズィーヤはくすりと笑った。
「あまり人に惑わされるものではありませんわよ? イルマさんの愛はイルマさんだけのものですわ。……それでは、ごきげんよう」
「失礼いたします」
 ──ラズィーヤは孤独ではないのだろうか。それとも孤独などとは超越したところに佇んでいるのだろうか。
 扉を閉めても、イルマは暫く、その青い瞳を扉の先に向けていた。