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【Tears of Fate】part2: Heaven & Hell

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【Tears of Fate】part2: Heaven & Hell

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●シータ、上陸

「探したぞ! ……と、言ってほしかったじゃろうが、あいにくと違う」
 岩場の影より、シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)が姿を見せた。
 待ち人を見てニヤリと笑う。
 手記の待ち人は紫色のスーツを着て、
 赤みがかった髪を頭の後ろで束ね、
 眼鏡の奥から、銀の短刀のような眼を見せていた。
 言うまでもなかろう。彼女がクランジΘ(シータ)だ。その胸には、チェスの『キング』を象ったネックレスが下がっている。
「どうしてわかった! ……なんて野暮は言わないよ」
 ふっと微笑してシータは手記を見上げた。ネックレスを外してクルクルと指で回している。
「それにしてもきみだったか。他にもここで待っていそうな人間を二、三人予想していたがね。どうやら皆、他の用事があるらしい」
 シータは小型艇を止めてロープでこれを岩のひとつにつなぎ、ブーツを履いた足でゆっくりと下船した。
「手」
 と言ってシータが手を伸ばすと、手記は触手でそれを握り、陸に引っ張り上げる。手記は言った。
「シータに種明かしなぞ無粋の極みじゃが、今日は同行者がおるでのう。まあ、我の行動を理解できていないようじゃから説明しておこうかと思う」
「どうぞ」
 と、シータは肩をすくめた。
 手記の同行者とはラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)だった。ラムズは「どういうことです?」とでも言いたげな顔で、しかし興味深げに二人の奇妙なやりとりを見ている。口を挟むつもりはないようだった。
 手記は黄金色の眼から鈍い光を放ち、言った。
「シータの性格と好みの行動、チェスの癖から読んでみたら、自然、ここが上陸ポイントだと予測できたのじゃ」
「おめでとう、景品は出ないよ……ふぅむ、前にもこんなやりとりをしたことがある。そのときの彼女、来てないね」
 シータはふと、残念そうに言ったのである。といっても演技かもしれないが。
 一方で手記は含み笑いする。
「クククッ……さて、最前列まで来て立ち話と言うのも何じゃ、少しばかり踊らぬか?」
 そのとき島から爆発音が聞こえた。戦いは続いているのだ。
「また随分と賑やかになったものじゃな。こう騒がしいと、風情も何もあったもんじゃないのぅ……d4」
 だしぬけに手記は言った。
「きみが白か。d5」
 すぐさまシータも、アルファベットと数字の組み合わせで短く返答した。すると手記も同様に返す。そこから応酬が始まった。
 二人が行っているのはチェスである。ただし、盤も駒も使わないチェスである。記憶力だけに頼り、頭の中に描いた盤面で駒のやりとりを行っているのだ。しかも、互いに十秒以内で次の手を差し合っている。常人には、ついていくことすら叶わぬ世界であった。
 だが戦いはすぐに決着が付いた。手記はみるみるうちに手駒を奪い取られていった。頭のなかの二人のチェスボードがすっきりとする。すると突然、
「リザイン! e4!」
 手記はリザイン(投了)を告げるや新たな手を指した。瞬間的なリターンマッチ宣言だ。
 却下してもいいはずだが、シータは眉一つ動かさず応じた。
 一戦目よりは善戦したものの、手記はまたも追いつめられリザインを告げた。無論、間髪入れず三戦目の初手を指す。
 しかしここで、
「あなたが、クランジΘ……」
 上空よりバロウズが急迫したのである。すると手記は、シータをかばうようにしてそのバロウズの一撃を避けさせた。
「おや手記くん? それはゲーム相手への騎士道精神かい?」
「騎士? 何を呆けた事を……exf4」
 手記は、ふんと小馬鹿にしたように言った。
「我は王じゃ……今、主と対峙する王なのじゃよ。主が倒すべきは我であり、我が倒すべきは主である。故に、我以外の手で逝く事など許しはせぬ!! たとえ我が身に代えようと……な」
「好敵手と呼んであげよう。そうでなくてはね。まあ、もう少しチェスの腕が良ければもっといいのだが」
 バロウズは空からの奇襲を諦め、小型飛空艇から飛び降りてシータにまっすぐな目を向けた。
「バロウズ・セインゲールマンくんだね? つまり、私の兄弟(ブラザー)というわけだ」
「ええ、この身はクランジ。欠番機Ω(オメガ)です!」
「会いたかったよ、オメガ。クランジ会のプリンス、その容貌もプリンスに相応しい。……ところで、Be7だよ」
 シータは告げた。彼女はまだ、手記との勝負を続けているのだ。
「……結局、僕にはこんな方法は思い付きませんでした。力ずくであなた達を止め、戦闘を終了させてこれ以上クランジの悪評を広げさせないというお粗末な方法しか……」
 言いながらバロウズはバスタードソードを実体化させた。彼の体に比すと大振りな剣だが、これを握って立つバロウズの姿勢は非常に安定している。しかしこれを見ても、シータは何とも思わないようだった。
「よしたまえ。きみにそういうのは向いていないよ、オメガ」
 と簡単に告げた。飛空艇を停め、朝斗も駆け下りてくる。
「バロウズさん、いけません!」
 傷ついたように、バロウズの声色は変わっていた。
「どうして……どうして駄目だって言うんですか? 家族を失いたくないと。そう思うのはいけない事なんですか…っ!? 駄目であるならば何故?!」
 シータと朝斗の回答はそれぞれ違う。
「それはね、オメガ、きみこそ、私の王国の王となるクランジだからだよ。女性型だけでは国民が増やせないものでね」
「違う。バロウズさん、気づいて下さい! あなたは、『家族』を守るためと言って『家族』のシータと戦おうとしている……! そんな穢れを引き受ける必要はないんだ……僕が代わりに引き受ける! なぜなら僕は……僕は……」
 朝斗の肌が急速に粟立った。『それ』がどこまで実体を伴うものなのか朝斗は知らない。しかし皮膚感覚として、『それ』が確実に存在していることは知っている。そして、『それ』が自分の一部であることも。
「僕は……無垢なんかじゃないから……!」
 黒いものがひたひたと、朝斗の心を侵蝕し始めた。その様子は、薄い紙にインクの染みが拡がるのに似ている(ただし、倍回し以上の速さで!)。濃い闇は彼にとってのもう一つの人格、心優しい朝斗とはまるで正反対の、残酷で猟奇的な吸血鬼としての貌(かお)だ。かつて彼はこの人格を恐れ憎んだ。しかしこれもまた自分であると、受け入れ認めることができるようになってからは、むしろ必要なときに応じて闇人格を招き入れることができるようにすら成長した。
 きりきりと朝斗の頭が痛んだ。頭に千本の針を突き刺されたかのような痛みだ。しかしこの痛みこそが朝斗の目を覚まさせるのである。眼に見えているものは偽り……彼の意識が判断を下した。と同時に、朝斗の目の前の世界に亀裂が生じる。ありえない話だが、空間がゆで卵の殻のように、ペリペリと割れ始めた。彼にはそう見えた。
「うわああああああああああああああああああっ!」
 朝斗は叫んでいた。
 彼の眼前で、世界が割れた。
 真と偽。世界は二つに分裂し、これまで目にしていた『偽』の世界は消失する。
「シータ」と告げる朝斗は、口調からしてすでに別人だった。「お前の一人芝居はもう、終わりだ」
「おや、オメガのご友人には見えてるようだね? ……Qd7」
 まだチェスを続けながら、シータは指を鳴らした。てすさびにくるくると回していたペンダントを首に戻す。
「なら、催眠術を解くとしよう」
 すると手記、ラムズ、シータ、バロウズと朝斗の周囲に輪ができていることがわかった。崖というのも間違いだ。そこは平地であった。
 輪……というのは、雪のように白く塗られた機晶姫の一群が形成しているものである。
 量産型だ。しかし、独自のカスタマイズが行われており兵装も強化されている。
 手記は動じなかった。シータならこれくらいやってくるはずだと思っていたからだ。
「Qf4じゃ。ほう? チェスの『駒ひと揃い(ピース)』とな? 護衛兵じゃな」
「そう、まさしく『ピース』さ。むこうで教導団の部隊と戦ってる黒のピースと同じ規模なんだ。こちらは白、まさかチェスの駒が一セットだけだなんて思っちゃいないだろう? おっと、Bf6だよ」
 ところで、チェックメイトだって知ってた? とシータは嗤った。
 かくなれば手記も戦うほかはなかった。実際、『ポーン』に該当する量産型が襲いかかってくる。
「私怨と怨恨のみに生きる者には、我を傷つける事叶わず!」
 宣言して手記は『旧びた老眼鏡』をかける。これは己の精神にも悪影響を及ぼす危険なアイテムだが、その一方で幻術を無効化できるのだ。
 シータはいつまでも嗤っていることはできなかった。
 朝斗の着込んだコートの襟から、なにやら小さなものが飛び出して手を振ったのである。それはちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)、「ここだよ!」と言っているように見える。
 そう、朝斗とバロウズにとって、この上なく頼もしい援軍が迫っていたのだ。
「朝斗! すぐ行くわ!」
 ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が如意棒を構え走って来るのが見え、
「バロウズ! 囲まれてるじゃない……あいつがシータ!?」
 軍用バイクに乗ったアリア・オーダーブレイカー(ありあ・おーだーぶれいかー)、さらに、同じバイクのサイドカーに乗るリアンズ・セインゲールマン(りあんず・せいんげーるまん)が馳せ参じてくるのも判る。
(「遂にシータを見つけおったか……しかし、さっそく窮地ではないか。目的に向けて張り切るのは良いが、もう少々回りを見て欲しいものだ」)
 半ば呆れながらリアンズは思うのだが、一蓮托生、絶対にバロウズを救う決意である。
(「バロウズが以前何処で何をしていたかは私は知らんが、少なくともあまり悪い目はしていなかった。その目を信じるぞ、私は」)
 そのリアンズと併走する姿は、緑のエネルギー反応に包まれ薄く輝いて見える。彼女こそアイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)、過去の記憶は謎として残るも、アイビスはもう、思い悩むばかりではない。
(「彼女がシータ……会って確かめたいと思います。私のお母さんやドクターミサクラの事を」)
 それはアイビスにとって知りたくない事実かもしれない。だが、知らずに逃げたくはなかった。