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イルミンスールの息吹――胎動――

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イルミンスールの息吹――胎動――
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『その頃、イナテミスでは』

●共存都市イナテミス

 ザンスカール地方東部の都市、イナテミス。
 かつては数百人規模のこじんまりとした町だったが、後に『精霊事変』とまとめられる事件を経て精霊と共存するようになり、そこに魔族が加わり、今では万を超える規模にまで成長していた。

 しかし、僅か三年での急激な人口増加は、様々な問題を生む。
 その上今年の夏は、誰もが経験したことのない暑さに見舞われていた――。

「暑ぅ!? イナテミスってこんなに暑かったかしら?」
 ようやく時間が取れ、自身が建設に携わった『イナテミス港』の様子を見に来た宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)が、途端に感じる暑さに顔をしかめる。今は夏目前、確かに暑い季節だがそれにしたって暑い。しかも不可解なことに、イナテミス周囲のみが暑いようであった。
「この暑さは、気候の異常か? 少々局所的に過ぎるな」
 共にイナテミスを訪れたヴェロニカ・バルトリ(べろにか・ばるとり)も、気候の異常性を指摘する。
「うーん……気脈や気候の乱れなら炎熱の精霊たちが何か気づいてるかもしれないしー……。
 あとでサラ様にお伺いしてみましょうか。今はひとまず、港の様子を見に行きましょ」
「心得た」
 行動計画を決定した二人は、当初の目的である港の様子を見に行く。

「海の方は特に問題ないッスね。最近は需要が増えて、毎日フル稼働ッスよ」
 港に着いた祥子は、いかにも海の男と言わんばかりの者たちから、近況について話を聞く。人口増加によって魚の需要も増え、漁に出られる日は保有している船全てが出ることも珍しくないとのことであった。
「この調子で漁獲量が増えるなら、港の拡張も考えないといけないわね……。
 他に何かあるかしら?」
「そうッスね……魚の加工や長期保存が出来る施設があると便利ッスよね。ファームには加工工場があるじゃないッスか。あれがあれば交易がもっと盛んになるんじゃないかって思うンスよ。
 後は……ま、今は近海で済んでますけど、これから遠洋に出ることも考えるなら、冷蔵・冷凍庫内蔵のフネがあるといいッスね」
 挙げられた要望を、祥子が記録していく。どの案も一朝一夕に出来るものではないが、今後のイナテミスの発展を担うためにも、これら施設や装備の充実は必要であろう。
「……こんな所かしらね。ありがとう、仕事頑張って」
「ウッス! 祥子さんのおかげで猟が出来るンス。頑張るッスよ!」

「あとは、まとめた資料を町長の所に持って行って、予算に計上してもらえるように……って所かしらね。
 それにしても暑いわー。こう暑いと海でひと泳ぎするか、温泉で汗を流しきってしまいたいわね」
 港の視察を終え、資料を整理した祥子が、額に浮かぶ汗を拭って言う。沿岸はその殆どが手付かずの状態であり、住民が気軽に海水浴、というわけにはいかない箇所が多い。ここに海水浴場でも設けることが出来たなら、住民への娯楽提供に大きく貢献できるかな、そんなことを考える。
「何時如何なる時でも身嗜みは整えておくものだし、人と会うのなら尚更だろうな。……では、これから市街地へ?」
「そうなるわね。……サラ様、温泉にいるのかな。居たらついでに話が聞けていいんだけど」
 二人がイナテミスの市街地へと足を向ける。初めて訪れる街に、ヴェロニカは興味津々といった様子だ。
「イナテミス……今で言う古王国の時代では聞いた覚えがなかった名の街だな。尤も、私自身が戦地に赴いてばかりだったから縁がなかっただけかもしれないが……」
「数年前まではホントに小さな村だったって話よ。ヴェロニカが騎士だった頃は流石に、存在してなかったんじゃないの?」
「そうなのか? ……そのような街が今では、人、精霊、それに魔族が共存する、か。
 ある意味、空京よりも賑やかな街に思えるよ」
 ヴェロニカの言葉に、祥子も確かに、と同意の頷きを返す。
「ところで、宿はどうする?」
「泊まるところー……そうね、宿をとってもいいし、この暑さだから氷雪の洞穴まで行って、避暑も兼ねてしまってもいいかもしれないわ」
「氷雪の洞穴……氷結の精霊が住まう地か。興味があるな、時間があれば見てみたい」
「オッケー、考えとくわ。まずは市街地がどうなってるか、かしらね」

 二人の眼前に、イナテミスの市街地が広がる――。


「カラムさん。魔族との共存について、ボクたちの案を取り入れてくれてありがとうございます」
 イナテミス町長、カラム・バークレーの下をパートナーと共に訪れた非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)が、自身が提案した『SIZ特区』の理念をイナテミスが継いでくれた事に感謝の意を示す。
「君たちの提案にそのまま乗るよりは、街として方針を示した方が街のためにもなると思っただけだよ。むしろ君たちがあのような提案をしてくれたことに、私は感謝したい。私たちだけでは思いつけなかったかもしれないからね」
「そう言ってもらえると、嬉しいです。……それで今日は、イナテミスが抱えているエネルギー問題について来たのですが……」
 近遠が本題を切り出すと、カラムはうむ、と頷き、まずはこれまでイナテミスがどのような暮らしをしていたかを説明する。
「元々イナテミスには、君たちと同じ契約者が知っているであろう発電施設、と言ったかな? そういうものはなかった。我々だけで暮らしていた時は、木々から火を起こし、用水路を整備して水車を動かしていた。あぁ、風車もあったかな。
 それが、精霊が加わったことで、精霊の魔力をエネルギーとして利用できるようになった。イルミンスールからも製品の融通を受けたのでな、あちらとそれほど変わらない暮らしにまではなったはずだ。
 そして今回、魔族が加わった。魔族は自身の持つ力は我々とは比べ物にならないほど大きいが、精霊のようにただ存在するだけで魔力を供給出来るわけではない。加えて昨今の人口増加がある。これまでのように周りにあるものや、精霊の供給する魔力だけでは不足してきた、というのが現状なのだ」
「そうでしたの……現状は把握しましたわ。参考までにお聞きしますけど、今現在のイナテミスにおける風力や水力が生み出すエネルギーの割合はどの程度ですの?」
 ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)の質問に、カラムが部下がまとめた資料を見ながら答える。かつてはそれがイナテミスの全エネルギーを賄っていたが、今では一割にも満たなくなっているのでは(魔力と自然エネルギーの概念が異なる以上、正確な数値は出ないが)とのことであった。
「……まず風力ですが、イナテミスでは風を期待できますか?」
「そうだな……街中では風が止んだ、というのを感じたことはないな。沿岸に行けばより風の力を得られるであろう」
 カラムの評価を受けて、近遠が考えていた案の一つ、断熱膨張・断熱圧縮による冷暖房の整備を口にする。断熱状態で膨張された空気は冷え、また圧縮された空気は熱を持つ。この原理を応用したのが、地球ではおなじみのエアコンである。
「地球では、電気でしたけど、ここでは魔力ですから……。風力で得られる動力を、魔力に変換出来れば一番いいんですけど」
 言葉を切り、近遠がふぅ、と息をつく。額や首筋に浮かんだ汗をイグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)が拭き取ってやり、近遠がありがとう、と礼を言う。契約者になったことで病弱体質からは解放されたものの、この暑さはやはり堪える。
「すまないな、私たちもこの暑さには参っているのだ。今、サラ様が中心となって原因の解明に当たっている。
 ……それより君の意見だが、確かに風力や水力で得られる力を魔力に変えることが出来れば、便利だな」
 便利、とはいうものの、概念の異なる力を変換する技術や手法は流石に、この場に居る者たちでは出てこない。
「我々では意見を出せずとも、イルミンスールでは意見を出せるのではないか?」
「精霊の皆様に話を聞くのも、有効かもしれませんわね。風や水は精霊にとっては自身の一部に等しいでしょうから」
「いっそ魔族にも話を聞いてみるのもアリですわね。あたしたちの知らない技術を、知っているかもしれませんわ」
 イグナ、アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)、ユーリカ、三人の意見は、人間・精霊・魔族が共存するイナテミスだからこそ可能ともいえる案だった。非力ながら知識を持ち、素材を有効活用することに長けた人間。そこに自然の力を操作する精霊と、類稀な身体能力を有する魔族が加われば、無数の可能性が見えてくる。
「よし、この話は街の皆の共有課題としよう。近遠君、他に意見があれば是非とも話してほしい」
「……そうですね、もし冷暖房が整備されたらの話ですけど……」
 カラムの勧めに応じ、近遠が冷暖房が整備された場合の、副産物として生じる熱(熱気と冷気の両方を含む)の処理についてなどを意見する。その意見はスタッフによってまとめられ、定例議会の案件に挙げられたり、街の掲示板に載せられたりしながら、少しずつ解決への階段を登っていくのであった――。


 ニーズヘッグの下を訪れた瓜生 コウ(うりゅう・こう)は、『ザナドゥ魔戦記』の最後、ベルゼビュート城に向かう際受け取った鱗を取り出すと、お礼の言葉と共に返す。
「オレが無事に帰って来られたのも、この鱗のおかげかもな。ありがとうよ」
「おぅよ、よく効いただろ? ま、わざわざ返しに来てくれたことは感謝するぜ」
 笑って、ニーズヘッグが受け取った鱗を背中にあてがう。
「よっ、と。……ん? なんか上手くくっついた気がしねぇな。おい、どうなってる?」
 くるり、とニーズヘッグが背を向けるのでコウが見ると、鱗は溶け込むように身体と一体化していた……が、何となくかさぶたのように見える。
「あぁ、なるほどな。そういやぁ食いもんが十分に得られなかった時にこんなこともあったな。ま、しばらく放っておけばちゃんとくっつくだろ」
 コウが見たままを言うと、ニーズヘッグは納得したように頷く。どうやら魔力量が十分でないと、傷の回復に時間がかかるようであった。
「……治療が必要なら、してやるぞ? 知識なら多少はあるし、持ち合わせもある」
 コウがニーズヘッグに申し出る。もしも治療が必要な場合に備えて、薬草を用いた魔女術による呪療が行える準備をしてきていた。
「おっ、そいつはありがてぇ。んじゃ頼むぜ」

「……なぁ、一つ聞いていいか?」
 背中に術を施しながら、コウがニーズヘッグに伺いを立てる。
「オレで答えられることならな」
 許可されたので、コウは普段聞きにくかったことをこの機会にぶつけてみる。
「長いこと『死』を喰らって生きてきた存在としちゃ、平和ってのはどうなんだ?」
 コウの質問に、ニーズヘッグはしばらく考えて、そして口を開く。
「オレに言わせりゃあ、平和なんてのはほんの一瞬。一年か十年か百年か知らねぇが、いつかまた争いが起きる。ユグドラシルが教えてくれたぜ、ある国とある国が戦いを起こして、戦い続けて、どっちも疲れて戦いを止めて、けどまた戦いを起こして。どっちかの国が潰れても、また出来た新しい国と国が戦いを起こして。そのうち飽きてきたな、またか、って。
 そいつはな、『死』とおんなじなんだ。誰も死から逃れられねぇように、争いからは逃れられねぇ。『死』が形を変えたもんだと思ってる。争いはそれが続いている間、死ぬかもしれねぇ気分が続くだろ? それは『死』を薄めたようなモンじゃねぇかって思うのな」
 生物は本来は不老不死なのだが、『死』という霧に徐々に身体を蝕まれ、抵抗力が無くなった時に『死ぬ』。……科学が発展した今ではそんなことはまっぴら嘘なのだが、『死』は自分が生きている間は常に傍にあるものかもしれない。
「平和ってのはな。『死』がすっげぇ薄まって、生き物がそれを感じなくなってる状態なんだ。そいつはいいことかもしれねぇが、悪いことでもあんだろ。死を感じないってことは生も感じないってことだからな」
 『死』を感じるからこそ、生物は一生懸命、生きようとする。生きようとしたいがために『死』をあえて感じようとすることだってある。
「だからな、平和はほんの一瞬でいいんだ。そいつをめいっぱい味わっとけ。
 ……なんだかオレらしくもねぇなぁ。どうも人の姿を取ってから、考えがテメェらに似てきちまったかもな」
 冗談めかしてニーズヘッグが笑う。
「……あんたの言う通り、『死』が身近にあるとしたら。あんたはそれを喰らって、オレたちに平和を感じさせてくれるのか?」
 知らず、コウは口にしていた。ニーズヘッグの言うように平和は一瞬で、争いはいつでも無くならないのかもしれない。
 大事なのは、ニーズヘッグはこれからも自分たちの傍にいてくれるのか、ということ。
「ははっ。いいぜ、そういうの。嫌いじゃねぇ。
 安心しな、テメェらが死ぬまでは付き合ってやるぜ」
 契約者が『死』を迎えるまで、どれほど長くても百年。数万という年月を生きたニーズヘッグにとって、百年は一瞬。
「……そうか」
 でありつつも、ニーズヘッグの返事は嬉しくもあった。