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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)
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●龍の舞(4)

 体育館で次々と舞の修得者が現れる中、度会鈴鹿も舞を身につけようとしていた。
 全身、爪先から髪の先まで自らの魂が行き渡るように心掛け、静かな、見る者を優しく包み込むような思いで丹精込めて舞う。
 舞うほどに動きが洗練されていく。いつまでも舞っていたい――そんな気にもなる。
 アルセーネが手本に見せてくれた舞が、現在鈴鹿の頭の中を流れていた。
 動きこそアルセーネをトレースするが、鈴鹿は腕の一振りに、足の出し方に、自身の中に宿る魂を乗せた。
 それは、心穏やかなる想い。願い。
 ――どんな状況にあっても心静かに舞えるようでなければ、猛る龍を鎮める事は出来ないでしょうから。
 ふいに、その瞬間は訪れた。
 はっきりとわかる。舞が完成したのだ。
 と同時に鈴鹿の膝は力なく崩れた。電源が不意にオフにされたかのよう。それほどに没頭していたのだ。
「見事」
 そんな鈴鹿を、鬼城珠寿姫が支えていた。
 普段なら織部イルも鈴鹿に駆け寄っていただろうが、現在彼女はそれができる状態ではない。
 なぜならイルの舞も、大詰めに迫っていたからだ。
 今、イルの心はまるで水鏡。揺らぎのない水面のように静かに保ち、曇りなき鏡のように、アルセーネの動き一つ一つを映し出し、自らのものとせんとする。
 イルはすでにこの舞の動作自体が祝詞や呪文に相当するものであり、魂が籠もらなければ周囲に効果を及ぼすものにならないことを感得している……。
「……見極めたか」
 自分の舞が全(まった)きものとなったのを理解し、イルは口を開いた。
 彼女はアルセーネの姿を探した。
 舞は自分も身につけた。そなたは独りではない――その想いを、言葉ではなく目で伝えたかった。

 天黒龍の舞が、完成した。
 過去、『龍』について彼は辛い経験をしていた。それこそ、二度と繰り返したくない類の。
 ――もう二度と同じ想いを繰り返さない為にも、この場で膝だけは折れない。
 峻烈な稽古など、あの時の己の無力に対する絶望と後悔を思えば何の苦になろうか
 その強い意思を保持しつつも、少しずつ、黒龍は凪ぎの海のような心境になっていく。
 後悔と、それにまつわる覚悟、それは黒龍にとって重要な感情だ。だが、強い感情をもとにした舞にはどうしても固さが残る。
 なだめるための舞なのだから、自身の心もなだめるようなものでなければならない。
 ……そう悟ったからだろうか。ついに、黒龍の身にも龍の舞が宿ったのである。
 それは雛が卵からかえるときのような、優しく包み込むような動きだった。
 呼吸を整え、黒龍もアルセーネの姿を求める。
 いない。
 そういえば黄泉耶大姫の姿もない。どこへ行ったのだろう。

 風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)のパートナー鬼城の 灯姫(きじょうの・あかりひめ)も大詰めにさしかかっていた。
 優斗は舞を習うことはせず、もっぱら会場の警護に注力している。
 辻斬り事件が一旦終息したとしても、失踪事件は解決したわけではない。ゆえに彼は、特に先日確認できた情報に沿い対象者としてマホロバ人の女子を中心に、それとなく警護を図っているのだ。
 守られている実感を胸に、灯姫は舞い続けていた。
 何時間も舞を続けたことで体の節々、加えて背が痛い。体の硬い灯姫には厳しい要求だったのだ。決まった動作を繰り返すだけで激痛が走り抜ける。
 けれど、灯姫の決意は揺るがない。
 ――舞が表現しようとする心を学ぶ。その真髄を……知る。
 背後に憂いがないことで、彼女は舞に集中できる。
「……!」
 痛みが耐え難くなったとき、ふいに灯姫は痛みから解放された。
 母親の胎内にいるかのような安らぎが訪れる。
 ――体が軽い……。
 龍を鎮める舞は、舞手の身にも平静をもたらした。
 そのときついに、灯姫は舞を修得したのである。
「成し遂げましたね」
 優斗は彼女を祝福するが、何か胸騒ぎがして急に振り返った。
 おかしい。
 なぜアルセーネは会場から出て行こうとしているのか。

 舞を達成できた喜びと静かな充実が、明け方の海のようなさざめきを会場にもららしていた。
 これを背に、黄泉耶大姫は裏口のドアから抜けて彼女を追った。
 ストレートの黒髪が遠ざかっていく。その主は、少し前までは会場の中心であった。だが参加者がそれぞれ舞を習得していくことで注目度が下がったのを利用するかのように、そっと姿を消していた。
「アルセーネよ、どこへ行く?」
 大姫が天黒龍から頼まれていた用件、それは、体育館内にいる人々に、龍杜那由他や仁科耀助の様子について知っている者がいるか問うというもの。およびアルセーネの真意を推し量るというものだった。
 だがいずれにも成功しなかった。誰も那由他らの消息を知らず、また、アルセーネに話しかけることはほとんどできないという状態だったからである。
 ……そのアルセーネが、参加者たちの習得を見届け役割を終えたとでもいうかのように去るのは見逃せない。
 大姫は夢中で追い、追いすがりながら声を上げた。
「アルセーネよ、わらわはそなたに訊きたいことがあるのじゃ」
 アルセーネは振り向かない。言葉は聞こえているはずだ。返答する意思がないのか。それとも。
 体育館裏の道を行く彼女の前に大姫は回り込んだ。
「仁科はともかく、なにゆえ龍杜那由他がこの場におらぬ? 龍杜はたしかアルセーネの舞を心待ちにしておったと思うのじゃが。来られぬほどの不調なのか、他に理由があるのか……」
 大姫の言葉はここで途切れた。
 当分、あるいは二度と、大姫が言葉を紡ぐことはないだろう。
「どうして黄泉耶さんまで……!」
 アルセーネ竹取は、ここではっとなって口を閉じた。
 わかっていたのだ。本当は。
 黄泉耶大姫もマホロバ人だと。おそらくは、乙女だということも。大姫の顔は仮面に隠れているが、容姿に優れていることはまず間違いあるまい。
 ごめんなさい、とアルセーネは大姫に頭を下げた。
「巻き込んでしまって……本当にごめんなさい」
 黄泉耶大姫が言葉を返すことはない。彼女は、石像と化していたからだ。ざらざらと冷たい石となった肌から、なにか残滓のような青白い光がうっすらと生じていた。
 いつ間に出現したのか、石像(大姫)とアルセーネの眼前に、謎の人物が出現している。
 人物は一見、ドラゴニュートのようではあるが、それよりずっと恐ろしげな姿だった。
 その姿に向かってアルセーネは言った。
「次は私の番なのですね」
 人物は何も言わないが、沈黙こそが肯定の証といえよう。
 ドラゴニュートらしき人物が、腕を振り上げようとしたそのとき、
「待って下さい」
 風祭優斗が割って入った。彼もアルセーネを追ってきたのだ。そして、大姫が石化する一部始終を目撃していた。
「あなたが例の『ドラゴニュート』さんでしょう? マホロバ人の乙女を連れ去ったのはあなたでしたか……灯姫に何も告げず出てきて良かった」
 灯姫もマホロバ人である。優斗は言いながら、アルセーネをかばうべきか、それとも謎の人物と交渉を試みるべきか迷うような目をした。
 それを察したか、
「風祭さん、お願いします。しばらく見守るだけにして下さい。決して、妨害しようと思わないで……」
 アルセーネは手を出して優斗を止め、改めてドラゴニュートに顔を向けた。
「さあ、連れていって下さい。あなたの役に立てるのですもの、後悔はしていません」
 異形の龍人は重々しく頷いた。
 そして変化が訪れた。
「何を……!」
 優斗は言葉を失った。
 フィルム写真のネガとポジを入れ替えたように、アルセーネがその場で黒い姿に変貌したのだ。 
 正しくは黒ではない。濃い灰色……石の色だった。
 アルセーネ竹取は、石像に変身したのである。
 このとき優斗は確かに見た。
 ドラゴニュートの胸から、タールのように冷たく黒い光が流れ出すのを。
 同時に、アルセーネの胸の中央から、清らかで暖かげな眩い光が溢れるのを……。
 次の瞬間、まるでお互いの魂が交換されるように、黒い光の塊がアルセーネの胸に吸い込まれ、逆にアルセーネから出てきた光が、ドラゴニュートの身体に吸い込まれた。
 それらの意味を優斗が考えるより早く、ドラゴニュートの背に黒い革のような翼が現れ、そのまま飛び去ってしまった。
 異形のドラゴニュートは両脇に、大姫とアルセーネ、二体の石像を抱えていた。
「なんという力……一体あなたは……」
 アルセーネは『妨害しないでほしい』と言った。だから優斗は呆然と、彼女を見送るほかなかった。
 そう、あのドラゴニュートは『彼女』なのだ。
 優斗はそのことを知っていた。