波羅蜜多実業高等学校

リアクション

　館自体は単純なつくりで、特に迷うような側路もなく。見張りの男たちに守られた部屋を見つけたのはルカルカたちだった。
「淵」
「任せろ」
　角から廊下の様子をうかがったルカルカは唇の動きで夏侯　淵（かこう・えん）と会話する。淵はエメラルドセイジをかまえ、連射した。矢は音もなく飛び、吸い込まれるように男たちの体に突き刺さる。
「大丈夫だ、急所ははずれている。俺の仲間の術師がすぐに来る。治療すれば死ぬことはない」
　床に転がってうめく男たちの前を通りすぎる際、淵はそう彼らに声をかけた。
「ハリール、なかにいるの？　助けにきたわよ」
　戸口から声をかけたが、なかからは何の返答もなかった。
「縛られているのかもしれねーな」
　カルキノスの言葉にはうなずけるものがあった。あのハリールがおとなしく救助を待っているとは思えない。脱走しようとしてそうなったのは十分考えられることだ。
　なかから人のいる気配はする。
「入るわよ」
　パートナーたちに言うと、ルカルカは用心深くドアノブを回した。
　ドアはすんなりと開いた。見張りがいれば、鍵は不要ということだろうか？　しかしその疑問も一瞬だった。すぐに沸いた新たな疑問があっさり頭中から追い払う。
　部屋のなかにはだれもいなかった。８畳ほどの正方形の小部屋で、あるのは机、イス、寝台。隠れられるようなワードローブや収納の類いは一切ない。窓を完全におおったシーツはそよとも揺れておらず、その裏側で窓が開いていないことが分かる。
「どういうことだ？　こりゃあ」
　戸口にいたカルキノスは手近な床に倒れている男の胸ぐらを掴んで引っ張り上げると、なかを見せた。
「し、知らない…っ」
　肩に刺さった矢のせいで玉の汗が吹き出した顔で、苦しげながらもカルキノスをにらみつけていた男も、部屋のなかを見た瞬間あっけにとられた表情を浮かべる。
「そんな…？」
　そのとき、寝台の向こう側、壁との隙間から「んーっ、んーっ」と口に何か詰め込まれた人が懸命に声を出そうとしているような声が聞こえてきた。
「ハリール！？」
　寝台を回り込み、そちらへ向かう。シーツでぐるんぐるん巻きになった状態で、もがいている者がいた。頭部らしき場所からは赤い髪先が飛び出している。縛られてもがいているうち、転げ落ちてしまったのだろうか？
「ハリール。待ってて、今助けるから」
　淵たちの手を借りてシーツを引きはがしてみると、それは布で口をふさがれた託だった。
「託くん！？」
「上だ！」
　口をふさいだ布をはずされるのももどかしく、託が叫ぶ。「え？」と目をぱちぱちさせた一瞬後、ルカルカたちは同時に天井をふり仰ぐ。それを大佐は待っていた。
　自分に気づいた者たちが浮かべる驚きの表情、大きく見開かれた目に映っているのは自分の姿と、そして彼らが救出したいと思っていたハリールだ。驚愕と、これから何が起きるかを悟った絶望がそこにはあった。まさしく自分が見たかったものだ。
「残念だったな」
　悦に入った表情で、大佐は手のなかのフラッシュバンを彼らの真ん中へ落とす。
　トン、と床についた瞬間、人の目では耐えきれない光量が放出され、耳をつんざく爆音とともに部屋を満たした。



「くそッ！　ナメてんじゃねーぞ、コラ！　下りてこい！！」
　焼かれて何も映さない目で大佐のいた位置をにらみ、カルキノスは怒鳴った。ドラゴンアーツによる遠当てが壁をうがつ音がする。
「よせ……ハリールに当たる可能性がある…」
　チラと視界に入った、シーツにくるまれたハリールとは反対の位置だった。敵がハリールを盾に使用するとは考えにくいが、それでももしもということを考えてダリルが自重を促す。
　大佐は下の４人を見下ろして、ふむと考えた。
　視覚を奪われた彼らは気づいていないかもしれなかったが、大佐は悪疫のフラワシとミアズマを続けざまに用いていた。小さな部屋にあって、大型魔獣でも昏倒する密度の瘴気だというのに、意識を失っているのは託だけだ。ホーリーブレスを用いて対抗しているダリルを重点的に狙うよう仕向けているが、苦痛に歯を食いしばってはいるが気絶までは至っていない。
（やはりタリスマンの効果か。さすがにルカルカたち相手ではこれ以上の効果は望めないそうにないな）
「ならばこれはどうだ！」
　膝をついていた淵が背を正すと同時に神威の矢を放った。
　ひとたび放てば必ずや敵を討つと言われる矢だ。矢は驚異の飛速でまっすぐ大佐へ向かって飛来し、肩に突き刺さる。
「……く」
　激痛にグラビティコントロールが利かず、大佐はぐらりと体勢を崩し、転がるように下へ下りた。
　音のした位置へ向かい、淵はさらに神威の矢を放とうとする。
「させんよ」
　大佐はテレポートアローを用いて邪魔をすると、即座に開いたままのドアの外へポイントシフトで逃げた。
　そろそろ彼らの視界が回復するころだ。ルカルカたちを相手に４対１では分が悪いなんてものじゃない。奇襲の成功でこちらがペースを保っているうちに撤退しなくては。
　烈風のフラワシを部屋に放つ。小型台風のような渦巻きが吹き荒れて４人の脱出を阻害しているのを確認して、影に潜むものとともにベランダのある左手へ走ったときだった。
「待ちなさい！」
　佳奈子の叫声が背後から響いた。
（新手か！）
　振り返ると同時に大佐の視界を振り下ろされた刀身がかすめる。バーストダッシュで一気に距離を詰めたエレノアのウイングソードが右肩から左脇腹へ、背中をなでるように抜けた。
　ポイントシフトで距離をとった先で、大佐は脇腹を押さえる。指の隙間を伝い、ぽたりと血の滴が床に敷かれたじゅうたんに丸いしみを作った。
「逃がさないんだから！」
　利き手に我は射す光の閃刃をまとい、いつでも撃てる状態にした佳奈子がエレノアの隣に並ぶ。背中を見せて走れば、即座に追撃を食らうだろう。
「ハリールに何をしたの！？　彼女を返して！！」
　大佐の背後、シーツにくるまれた人のようなものが影に潜むものの背中に乗せられているのを見た佳奈子は、それがハリールだと直感的に悟る。縛られている様子もく無抵抗なのは、きっと意識がないせいだ。
「……さてね」
　脇腹にあてられていた手が、ぴくりとかすかに動いたとき。部屋の戸口で銃声が起きた。
　ダリルの手には先ほどまでなかった銃が握られていて、射出された弾丸は佳奈子とエレノアの間にある、わずかな隙間を正確に抜ける。
　大佐の目には彼の真後ろにいる遠隔のフラワシの姿が見えていた。
（――駄目だ、あの弾は確実に当たる！）
「行け！」
　大佐の指示に、影に潜むものが走った。ためらいもなく窓を突き破り、ひと跳びでベランダを蹴って外へ飛び出す。
「呼び戻しなさい！　今すぐ！！」
　被弾し、壁にぶつかった大佐を掴み寄せ、ルカルカは強く命じたが、大佐は笑みを浮かべるのみでそれに応じることはなかった。




　２階から飛び出す影を見つけたのは桜月　綾乃（さくらづき・あやの）だった。
　外での戦闘はほぼ終息し、全員で手分けしてビーストマスターや魔獣たちを捕縛・捕獲していたとき、彼女の頭上を大きな影がよぎっていったのだ。
「舞香！　あれを見てください！」
「え、なに？」
　呼ばれるまま振り返り、綾乃の指し示す先を追った桜月　舞香（さくらづき・まいか）もまた、地に着地する巨大な狼を見た。まるで影そのものから生じたようなその黒狼は、背中に対照的で目立つ白シーツでくるまれた何かを背負っている。そして着地した瞬間、端から赤い髪の毛がこぼれ出た。
「あれ、ハリールネ！！」
　奏　美凜（そう・めいりん）が叫んだときにはもう舞香は走り出していた。
「あ、待つヨロシ！　美凜も行くアル！」
　美凜はあわてて魔鎧化し、舞香にまとわれることでついて行く。
「舞香、美凜！」
「綾乃は無理しないでみんなと一緒に追いついてくればいいアルよ！」
　綾乃が美凜の言葉を聞き終わったとき、もう舞香の姿はどこにもなかった。
　影に潜むものは風のように早かった。スタート時でもかなりの差がついている。通常ならばまず追いつけないはずだったが、３つの幸運が舞香に味方した。
　黒狼は気を失ったハリールを運んでいるため高く飛ぶことができないこと。ここが障害物の多い森のなかで、平地のように全力疾走ができないこと。そして舞香がマスターニンジャであることだ。
「……いた。あそこね！」
　一度は見失っていた黒狼に、またたく間に追いついた。
　千里走りの術を用いた舞香は身軽に倒木を蹴り、枝を跳んで黒狼に迫るや含み針を放つ。針は黒狼の後ろ足に刺さった。
　突如走った激痛に黒狼は全身をひきつらせた。倒木を越せず、足をぶつけ、バランスを崩して横の木にぶつかる。背中の荷物は反対側へはじき飛ばされ、地面でバウンドしたあと止まった。巻かれていたシーツがほどけて、なかからハリールが転がり出る。
「ハリール！」
「アチョーッ！」
　ハリールの元へ駆けつける舞香から離れた美凜が、怒り狂って飛びかかろうとしていた黒狼にすかさず足技を浴びせた。洗練された蹴撃は一撃で黒狼をノックダウンする。
　舞香はざっとハリールの体を調べた。かなり手荒い救助だったが、思ったとおり下生えがクッションの役割を果たしてくれて、特にけがを負っている様子はない。
　触診を続けていると、ハリールの目が開いた。
「ここは…」
「目が覚めた？」
「まい、か…？」
「そうよ」
　意識の覚醒に伴って瞳に光が戻り始め、焦点が結ばれていくことにほっとして、舞香はほほ笑む。
「舞香が、助けてくれたの…？」
　不思議そうな疑問符に、パチっとウインクを飛ばした。
「本物のくノ一さんをなめないでね☆　と言いたいところだけど、みんなも一緒よ」
「みんな…………託くんは！？」
　急激に戻った記憶から、自分と一緒にいた託のことを思い出してバッと身を起こす。ハリールの前に、立ち上がるよう差しのべた手の持ち主は託だった。
「無事だよ。ごめんね、守り切れなくて」
「ううん、そんなことないわ。あなたが無事でよかった」
　彼の手をとり立ち上がる。
　そうこうしているうちにほかの者たちも追いついて、全員が一堂に会した。
「よし。これで作戦の第一段階は終了だな」
　ハリールの無事な姿を見て、木曽　義仲（きそ・よしなか）が満足そうにうなずく。
「次はいよいよ儀式の場へ乗り込みだ。場所はベトルーガー殿から聞いている。ティエン、フラルを呼べ。儀式が完了せぬうちに、とっとと――」
「待って！！」
　とっさにハリールは叫んでいた。
「みんな、待って……あたし…」