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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【黄昏に向かう足音】




 都市が夜の帳に包まれてから、さほどに時間は経っていなかった。

 まだ広場や通路も、灯りが点りはじめた最中で、どこもかしこも薄暗がりの中にあった中、巡回を終えて帰還した藍色の騎士団員リディアは、団長のビディシエが急にふらっといなくなったと聞いて、嫌な予感に突き動かされるようにして、蒼の塔を駆け上っていた。
(どういうこと? 「計画」は今日動く筈でしょ。当人がいなくなる筈無い……!)
 幼馴染として長くビディシエの傍にいたリディアは、ビディシエの性格は良く知っている。普段はいい加減な所ばかりが目立つために誤解されがちだが、ビディシエは団長という責務の前には案外に真面目な男だ。それが、こんな無責任に現場をほったらかす筈がない。最後に姿を見かけたという戦士たちの言葉を辿りながら、最上階までたどり着いたリディアは、予想していなかった光景に一瞬息を呑んだ。流れた血で真っ赤になった床と、倒れている男達。そして、返り血ひとつ浴びずに抜き身の剣を提げたビディシエが、その剣を杖代わりにしている姿に、リティアは漸く我に返って、傍へと駆け寄った。
「なに、どうしたの!?」
「どうやら、兄上はボクが邪魔になったらしいね」
 苦笑して、ビディシエの語った言葉にリディアは眉を寄せると、自分のスカートを破って怪我をしている背中に簡単な治療を施すと、揃って塔を降り始めた。予想以上に酷い怪我に、リディアは一度はちゃんとした治療を勧めたのだが、「塔の主導権を握っておく必要がある」とビディシエは譲らず、方々へ指示を飛ばしながらその足を止めようとしない。
「今の兄さんに、現状を把握できる能力があるとは思えないからね」
 龍を倒すという目的に囚われて、今現在の都市の危機まで、意識が回ると思えないのだ。その言葉に、リディアは思わず苦笑した。
「辛辣だね、お兄さんでしょ」
「事実は事実さ……」
 返すビディシエの声に力がない。お世辞にも仲がいいとは言いがたい兄弟ではあったが、こうして決別し、互いを敵として認識することに、思うところがあるからだろう。長い付き合いでそれを察して、怪我に障らない様にと肩を貸しながら塔を下っていたのだが、弟が兄を知るように、兄もまた弟を知っている。易々と倒れてはくれないであろうビディシエに、更なる刺客が放たれていたのだ。
「……!」
 男達が得物を抜いたのは、階段を下りようとしていた所のことだ。リディアの大剣は片手で扱えるものではなく、ビディシエにとっては支えるリディアの体が一瞬、死角を生んだ。
「……っ、しまっ……!」
 2人が顔色を変えた、その瞬間だ。突き出された槍が到達するよりも早く、男たちの膝ががくりと折れて、怪談の上に倒れたかと思うとそのままずるりと滑って落ちる。その背中に突き刺さった矢に、2人はふっと僅かに肩の力が抜けるのを感じた。ビディシエの側近にして、蒼族一弓の使い手であるコーセイだ。
「遅くなりました」
 三人が集い、それぞれが状況を共有してからの行動は早かった。
 藍色の騎士団員たちを纏め、それぞれ都市の守護の配備や、茜色の騎士団への伝達など細かく指示を飛ばし、地下へと足を進めて行く。
「半魚人たちの猛攻は、既にこの塔近くまで到達しています」
 その合間で、コーセイはここに至るまでに見てきた情報をビディシエに伝えた。都市の中でも、塔は最も外側に当たる場所だ。それ故、大軍が最初に押し寄せてくるのは間違いない。都市の防衛に手を裂いた分危険だ、と告げるコーセイに、ビディシエは眉を寄せた。
「……普段ならいざ知らず、今は塔の加護は受けれない」
「はい。ですから今は、龍をどうにかするより、目の前のことを何とかするべきでしょう」
 コーセイは頷き、三人は足を速めると、殆ど駆け込む勢いで最地下にある塔の心臓部である台座の場所まで辿り着くと、早速とばかりリディアは準備に入ったが、その横でコーセイは僅かばかり不安げな表情だ。
 塔の機能が“解放”になっている間に、“楔”に戻す制御を行うのに、龍の力が消えていても大丈夫なのかどうかが気がかりなのだ。その疑問には「問題ないよ」とビディシエが応じた。
「龍の力が消えるわけじゃない、接続が切られているだけだからね……接続する機能そのものは、塔の……ものだから、ね」
 その言葉に、コーセイは納得はしたものの、それよりも普段より切れがちなビディシエの声の方が気にかかっていた。なんでもないような顔をしているが、動きが何時もよりも鈍い。負った怪我は、思いのほか深いようだ。そんな彼に負担をかけないようにと思ったのか、リディアは起動準備を終えると、ビディシエの助力を待つ前に、早速”楔”の機能の発動を始めた。それを見ながら、コーセイは僅かに眉を寄せる。
「ですが……此方の塔だけ起動しても」
 コーセイの尤もな疑問にビディシエは頷き「それに」と難しい顔をした。
「蒼の塔が司るのは冷徹な死……こちらだけの出力を上げるのは、リスクが高い」
 元々、都市は二つの塔が共に動いているからこそのものだ。その片側のみでは、都市を維持することは難しい。生を司る紅の塔の起動を待たず、機能を最大に発動させるのは危険だ。だが、蒼族である彼等には、紅族の心臓部をどうにかする力は無い。
「……当てはあるの?」
「アジエスタに伝令をやってる。必ず動く……と、思うけど、どうだろ」
 リディアの問いに、冗談めかすビディシエに呆れたように2人は息を漏らしたが、同時に普段の調子を取り戻しつつあるビディシエの様子に、リディアとコーセイは顔を見合わせた。
「まあじゃあ、とりあえずやることは決まったね」
「赤の塔起動まで、持ち堪えさせる……シビアですね」
 言葉に半紙で少し笑って、コーセイは二人に背を向けた。
「……コーセイ?」
「あなたは休んでいてください」
 首を傾げるビディシエに、コーセイは歩みを止めずに階段を上っていく。 
「私の武器では、こういった場所では不利です。それにここは、半魚人からだけでなく、ビディリード様からも、紅族からも狙われている……」
 思惑はどうであれ、塔の起動を邪魔させるわけにはいかないのだ、と、愛弓をぎゅっと握り締めながら、コーセイは真っ直ぐに鋭い目線を塔の上へと向けた。その先にいるであろう半魚人、或いは他の戦士たちのことを思うと、単騎ではとてもではないが心許ないが、コーセイは塔の入り口へ立つことを迷わなかった。

「この弓にかけて、ここへは到達させませんから」







 同じ頃、徐々に深くなる闇の中を、影が蠢くように密やかに、オーレリア達が神殿へと足を進めていた。
 歩き慣れた一本道とは言え、灯りも持たずにこの闇の中でのその迷いの無い足取りに、パッセルは込み上げる不安に一行を見回した。だが、紅の騎士団員であるディアルトはもとより、従者のアトリ、更には同じ巫女であるオゥーニも、動じる風もなく、矢張り影のような冷たさで追従しているのに、パッセルは今更ながらに、早まったかもしれないと後悔していた。
 蒼族の、しかも族長ビディリードの異母妹であるはずのパッセルが、ここにいるのは訳がある。
 その生まれ故か、状況、特に機を見分けるのに長けたその直感が、蒼族が既に傾いていると悟らせ、どこまでも消えず残った現実的で打算的な部分が、自身の生き残るために、一族を見切るべきか、まだ逆転のチャンスがあるのかを見極めるために、貧民街で培った相手に取り入る話術をもって、オーレリアのすぐ傍へと潜り込んだのだ。が。
(なんだよ、この空気の冷たさ……何で、これでこいつらは平然としてるんだ)
 狙いを気付かれているだろうことも覚悟の上で近付いたこの集団は、想像していた以上に得体の知れないもので繋がっているようだった。ディアルトはまだ、我関せずといった様子であるからまだしも、アトリの目にあるのは盲信にも近い何かで、オゥーニは普段の彼女の様子とはまるで違って、口元に引かれている笑みは背筋を冷たくする何かに満たされているように見える。
(マヤ…マヤール、ちゃんと付いてきてるだろうな…?)
 流石に視線は向けられないが、恐らく自分を監視する目的でついてきているだろう同族へと、心で呼びかけた。実際、マヤールは彼女等を視認で切るギリギリの位置から追ってはいるが、それを確認する術はオアッセルには無い。不安が加速するパッセルは、この空気の冷たさのその原因がオーレリア自身にあることを察していた。
(何だこのババア……ちょっと尋常じゃないっつーか、これじゃまるで……)
 左腕から、ついにその目まで黒い光染め上げた姿は、魔物か何かのようにしか見えない。怯えを隠すように腕をさすっていたパッセルに、不意にオーレリアが視線をあわせた。
「……っ」
 蛇に睨まれた蛙のように思わず固まったパッセルの視線を縫い取るように、オーレリアの不気味に惹き付けられる目がゆっくりと細くなって、笑みを深めた。
「のう……そなた。そなたも妾と同じ匂いがするの?」
 甘く囁く声は、ぞろりと首筋を撫で上げるような、痺れるような響きでもってパッセルを縛った。

「妬みを抱く者よ、“我”が叶えてやろうぞ……くく」