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【蒼空に架ける橋】第4話 背負う想い

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【蒼空に架ける橋】第4話 背負う想い

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■第30章


 肆ノ島へと向かう船のフロアにて。
「スク・ナさん、スク・ナさんっ!」
 ナオは何度となく呼びかけて、スク・ナがわざと自分を無視しているのだと分かると、見るもあきらかなほどがっくりと肩を落とした。
「スク・ナさん……」
 なぐさめるように千返 かつみ(ちがえ・かつみ)がその肩をたたく。
「元気出せ。居場所は分かったんだ」
「そうですね……」
 気を取り直して振り向いたナオは、笑みをつくろうとした矢先にかつみの後ろで青ざめ、凍りついているナ・ムチ(な・むち)の姿を視界に入れて、ぎくりとなった。
「おまえもだ」
 ナオの表情でそれと気づいたかつみがナ・ムチに正面を戻す。
「スク・ナは危険な目にあってるわけじゃない。肆ノ島の太守の屋敷にいるだけだ」
「そ、そうです。どうしてそんなことしたのかは分かりませんけど……きっと、ナ・ムチさんのことを思ってなのは間違いないんです」
「おれのため?」ナ・ムチの口元が自嘲にゆがむ。「ヒノ・コについて行くことが、おれのためなんですか?」
「スク・ナさんは……ナ・ムチさんよりヒノ・コさんを選んだわけじゃないんです。スク・ナさんは、ナ・ムチさんの役に立とうと思って、それで……」
 その一方で、彼に腹を立てているのだということを、ナオは口にできなかった。
 ナ・ムチは護る人だ。ヒノ・コを脅威と判断し、愛する祖母から遠ざけて護ったように、スク・ナも護ろうとしていた。彼はスク・ナをとても大事にしていて、スク・ナが無茶をしないよう、けがをしたりしないよう、脅威から遠ざけることで護ろうとしていた。
 かつて同じように、その真綿でくるむような愛情を受けたことのあるナオは、スク・ナが今感じている不満や鬱屈が理解できる。かといって、その愛し方が悪かったのだと非難することはできなかった。少なくとも、今はまだ。
 ナ・ムチは2人の言葉を信じられないという、冷え冷えとした怒りを感じさせる固い無表情のまま、ひと言も発することなく背を向け、歩み去った。
「気にするな。おまえのせいじゃない」
 うつむいてしまったナオを元気づけるようにかつみが言う。
「遅かれ早かれ、いつかはこうなるのは分かってたんだ」
「……スク・ナさんはナ・ムチさんに腹を立てているけど、でも、甘えてもいるんです。何をしたって絶対ナ・ムチさんはスク・ナさんを嫌ったり、見捨てたりしないって、心の奥では分かってるから……」
 ナオの言葉に、かつみはナオの頭の上でエドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)と目を合わせた。言葉にせず、視線で二言三言語り合ったあと、かつみは一度視線をほかへ飛ばし、それからナオへ戻す。
「そうだな。おまえの解釈は正しい」声がいくらか消しきれない笑いをにじませている。「ちょっと過激だが、これはスク・ナがナ・ムチに甘えているんだ」
「ただ、彼はひとの思いに鈍感そうだから、ナオのように気づけるとは思えないけれどね」
 エドゥアルトはふっと息をつく。
「昨夜、彼言ってたよね。ヒノ・コは自分を利用した、って。幼い自分にツク・ヨ・ミへの想いを植えつけ、脱走したツク・ヨ・ミが彼を頼るようにしむけた……それは、たしかに利用したとも言えるけど、好意的な言い方すれば、きっと助けてくれると信じてたってことじゃない? ナ・ムチなら力になってくれるって。ヒノ・コは彼にそれだけの力があると評価していたんだ。
 どちらにしても褒められたことじゃないし、はた迷惑な、困った人であることは変わりないんだけど」
 くすりと思い出し笑うエドゥアルトに、つられるようにかつみの口元にもうっすらと笑みが広がる。肩を揺らし、くつくつと笑った。
「まあ、たしかに鈍感かもな。照れ屋で、鈍感で、何もかも1人で背負い込みたがって……。
 とりあえず、あいつをもう一度捕まえて、別行動する人たちのために屋敷の見取り図を描かせよう。そうすれば、島に着くまであいつも気がまぎれてくよくよ考え込まずにすむだろうし」
 ナオやエドゥアルトの見守る前、ナ・ムチの消えた戸口へ早足で歩き出すかつみの足取りは力強かった。



 彼らのやりとりを見るともなしに見ていたティエン・シア(てぃえん・しあ)は、かつみが立ち去ったのを潮に、高柳 陣(たかやなぎ・じん)の方を振り返った。
「お兄ちゃん、義仲くん、スク・ナくんの居場所が分かったみたいだよ」
「お、そうか」
 反応して、顔を上げたのは木曽 義仲(きそ・よしなか)だ。
「うん。なんか、肆ノ島の太守の屋敷にいるみたい。ハデスさんも一緒だって」
「なんと…! ドクター・ハデスよ、スク・ナを人質にするとは卑怯な! スク・ナはわが友。決しておぬしの好きにはさせん!」
「や。まだ人質にされたかどうかは分かんないんだけど。自分でついてったみたいだし」
 しかし義仲は聞いている様子はなく、うむむむとこぶしをつくってやる気を燃やしている。ティエンも、自分の知っているハデスのことを思うに、義仲の想像は当たらずとも遠からじなのではないかという気がしたので、それ以上強く言うこともしなかった。
 壁に溶接された椅子にかけ、腕組みをしてじっと考え込んでいる様子の陣に目を向ける。
「……なんだ?」
 自分を見つめる視線に気づいて目を合わせた陣に、ティエンは少しもじもじしながら答えた。
「えっと。あの……ゆうべは、ごめんなさい。知ったかぶって、えらそうなこと言っちゃって……」
 昨夜、話し合いの席で陣があまりに容赦なくヒノ・コを糾弾しているように見えたティエンは、天燈流しのあと陣を捕まえて、彼を責めたのだった。
『お兄ちゃん、どうしておじいちゃんを疑うの? あんなふうにだれかを疑うなんて、いつものお兄ちゃんならしくないよ。
 お兄ちゃんは、いつもひとのことを疑うより、正しい道筋がどれか一生懸命考えてる人だもん!』
 あれから一夜明けて、起動キーとオキツカガミを奪って姿を消してしまったヒノ・コのことを考えると、結果的に、陣のヒノ・コに対して持っていた疑いは正しかったように見える。
 しかし本質的に、ティエンの言いたかったことはそういうことではない。だからそのことで謝るのは少し違っている気がして……だけどこのままにもできなくて。
 言葉を選びつつ、たどたどしく言うティエンを見上げ、陣は「ちょっとこっち来い」と手招きをした。そしておずおずとそばにやって来たティエンの頭をなでる。
「俺も悪かった。おまえに言われて目が覚めたよ、ひとを疑ってばかりじゃ、いつまでたっても道は開けないってな。
 ここに来てからどうも勝手が違うっていうか、分からないことばっかであせっちまったんだろう。ほんと、らしくもねぇ。
 心配させて、すまなかったな、ティエン」
「……ううん」
 ああ、いつもの優しいお兄ちゃんだと、ティエンはほっとする思いで緊張を解いて笑顔になる。
「それで、お兄ちゃん。何を考え込んでいたの?」
「うん? ああ……」
 陣はティエンをとなりに座らせると、ぽつりぽつり独り言のように考えを口にした。
「クク・ノ・チがなぜオオワタツミと組んでいるか。話を聞く限りではやつは島民から慕われているし、人となりも良く、黒いところが見当たらない。そんだけの人間がそのすべてを裏切ってでもオオワタツミと組む理由はなんだ? と思ってなあ」
 声に出してみれば何か思いつくかと思ってみたが、やはり腑に落ちるようなことはない。
 ガリガリっと頭をかきむしっていると、不意にあかりを遮るかたちで頭の上に人影が落ちたのが分かって、陣は顔を上げた。
「黒いところがない人間なんていないよ」
 はいこれ、と飲み物の入ったコップを差し出して、陣がそれを反射的に受け取ると、セルマ・アリス(せるま・ありす)はテーブルを挟んだ向かいの席に座った。
 自分の分のコップに口をつけ、ひと口飲むとコップのなかで揺れる飲み物に視線を落とす。
「昨夜、エン・ヤさんと少しクク・ノ・チについて話したんだけど、俺は、ちょっとひっかかるものを感じた。
 気づいたかな? みんな、「コト・サカさま」って言ってるんだよ。みんな、とても親しみをこめて、とてもあたたかな顔つきで彼のことを話す。俺はコト・サカという人を知らないけど、彼がみんなに愛されていた人だったことは分かる。
 もちろん、みんなクク・ノ・チをきらっているわけじゃない。むしろ、彼を優秀な太守、努力家で、天才的な法術使いだと評する。だけどその声に称賛や敬意はあっても愛情はない」

『かわいそうな子だ』

 陣のなかで、ふいに初めて会ったときのヒノ・コの言葉がよみがえった。

『昔からあの子はそれゆえに苦しんでいた。それさえ捨てることができたら、あの子はもっと幸せになれた。
 あの子はコト・サカを殺さないことも選べたんだ。だけど、殺してしまった。――ああそうか、とうとう選んでしまったのか』

「――あれは、そういうことか?」
 ばかばかしいほど単純で、それでいてだれもが求めてやまないもの。
 それを求めたからといって、一言に罵ることはできない。
 だが。
「そんなことで、やつはこんな大事(おおごと)を引き起こしたっていうのか?」
「分からない」
 セルマは首を振り、肩をすくめて見せた。
「だって彼の評価に、愚者というのはなかったからね。まあ、ばかじゃないからこんなことになっているのかもしれないけど」
 心の奥がじわじわと焼け焦げていくかのような焦燥と、吐き気をもよおすほどの苦々しさ。ばらばらに砕けてしまうのではないかというきしみ。
 そんなものを、もしかすると彼はずっと、ずっと、何十年も感じ続けてきたのかもしれない。
「彼は元婚約者のツ・バキさんを部下として操り、汚れ仕事をさせている。そのツ・バキさんはなぜクク・ノ・チの婚約者に選ばれたかといえば、法術の大会でクク・ノ・チを負かしたからだ。子どものときのことだって言うけど……もし、ずっとそれが彼のなかでくすぶり続けていたのだとしたら?」
 執念深く、抑制が効いて、冷酷。その人となりは必ずしもクク・ノ・チという人物像からかけ離れてはいない。
 何十年も前から考えていたとして。しかし本当にそれだけなら、これだけの年月を待つ必要はない。法力を用いて雲海の魔物たちを呼び込むか、あるいはオオワタツミと接触できた段階で浮遊島群を売り渡し、すべてを破壊して終わらせればいい。
 だが彼はそれで満足しなかった。
 だれにも気づかれないようこれだけの時間と手間をかけ、地上人を巻き込み、細工を施してきたそこには、絶対何らかの意図があるはずだ。
 これは、自暴自棄になった人間のすることではない。
 2人がそれぞれの考えに没入し、黙り込んでいると、ドアがシャッと開いてウァール・サマーセット(うぁーる・さまーせっと)リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)と一緒に駆けこんできた。
「リイムは何にする?」
「ウァールと同じでいいでふよ」
「そっか。じゃあオレンジな!」
 そのまま奥の売店に向かってまっすぐ部屋を横断しかけたところでテーブルについた陣たちに気づいて足を止める。
「ウァール?」
「あー。ちょっと先行ってて。おれもすぐ行くから」
 リイムをその場に残してひょこひょこ近寄ってくるウァールに、陣も気づいた。
「どうした? 何か用か?」
「うん。ひと言言っておきたいと思って。
 あのさ、ゆうべ言ってたろ?「オオワタツミは最初から悪人だったのか?」って。おれ、そんなこと思いつきもしなかった。雲海の龍が、おれの思っていたようなやつじゃなかったのがショックで、そればっかりで頭んなかいっぱいになってて……。
 でも、おれはあいつのこと何も知らなかったんだって気づいたんだ。それで、おれも、知りたいって思った。もう全然遅いかもしれないけど、とにかく少しでも多く、あいつについて知りたいと思う。そしてもし、陣の言うようにあれが本当のあいつじゃなかったとしたら……元に戻してやりたいかな。だって、頭がい骨だらけのあの姿は怖くて、気味が悪くて、なんだかかわいそうだ」
 小さく、つぶやくように言葉を終えると、ウァールは急に照れくさくなったのか笑って「それだけ!」と後退した。
 分かれた場所でそのまま待ってくれていたリイムの元に駆け寄り、2人で当初の目的だった売店へ向かう。オレンジジュースを手にフロアを出て、その年ごろの少年らしくふざけ合いながら甲板へ戻って行くウァールを見送った陣は、同じように目で追っていたセルマとなんとなく視線を合わせると、無言の言葉をかわすように肩をすくめて見せる。
「かわいそう、だよね。たしかに……」
 ぽつっとティエンがつぶやき、ずずっとストローでジュースを吸い込んだ。