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第29章 紅・最終戦術/重力戦

 ――「黒檀の砂時計」をひっくり返した。時の流れを変える。
 緩慢な時間の中にあっても、迫り来るそのシュートの速度は凄まじい。
 コース予測完了、防御位置確保。
 足元に放り捨てていたタワーシールドを蹴り上げて手に取り、構える。
 「ファランクス」発動。
 「ディフェンスシフト」発動。
 防御態勢移行完了。戦車砲でも止められる――戦車砲?
(あれは、そんなものじゃない)
 タワーシールドを捨てた。「ファランクス」解除。両腕を腰だめに構える。
 衝突してくるカレーボールに向けて一歩踏み込む。たった一歩でも、それは確かに突進、その勢いが腰の両手に伝わって、トリガーとなった。
 迫ってきたカレーボールに向けて、両拳を突き出した。
 ――「ランスバレスト」・双拳式。マイト部長なら、そんな名前をつけるだろうか。
 両拳がボールにぶつかった瞬間、拳の衝突面から衝撃が伝わってくるのが分かった。視界の端、余波を受けてヴァーナーが吹っ飛んでいったのが見えた。
 骨格さえも粉砕していくような「爆発」が、手首、前腕、肘、上腕、肩、そして全身に連鎖していく。
 「痛み」という次元を越え、感覚が麻痺していく中、赤羽美央は歯を噛み合わす。その感触が、飛んでいきそうな意識を自分に繋ぎ止めてくれる。
 叩きつけた拳が押されていた。地を踏みしめる脚のあちこちがガクガク揺れ、崩れそうになっていた。
 ――まだダメ。
 そう自分に言い聞かせる。まだ崩れるわけにはいかない。
 揺れている足腰の動きを無理矢理制御して、ひとたび屈曲。拳を押しているボールの勢いに逆らわず、両腕の全ての関節も、少し曲げる。
 そして、全関節の「曲げ」「折り」を「撓め」として、同一タイミングで「伸ばす」。
 全身の突進力が拳に載り、カレーボールを押し返す。
 体が押された。
 押し返す!
 全身が後ろに傾いていく。
 押し返す!! 何が何でも!
 不意に、拳から感触が消えた。
(離れた!?)
 ――時の流れが戻った。
 悲鳴をあげたかも知れない。赤羽美央の体は後方に吹き飛び、ゴールネットを突き破っていた。

《キーパー赤羽、渾身のパンチング! しかし、ボールの勢いに押されて本人の体がゴールイン!》
《その代わりにボールはちゃんと弾き出しました! せやけど……!》
《カレーボールはまだ生きている! 跳ね返ったボールはシュート時の勢いのままです、果たして紅はどう処理するか!?》
《む、1番椎名がカバーの位置に付いてますな。いい反応ですわ》

 ――ボールは跳ね返る。
 マイトが言う所の「メテオドライブ」が赤羽美央に激突する前から、椎名真はそう読んでいた。あんなボール、キャッチできる筈はない。
(カバーだ!)
 椎名真は「用意は整っております」と「財産管理」を使用し、カレーボールの反射弾道およびそのブロックができる位置を割り出した。
 意外と近い位置。数歩で移動できた。
 が、突っ込んでくるボールを目の当たりにして、彼は愕然とした。
 ――跳ね返ったボールがこれか!?
 トラップはもちろん、ダイレクトで蹴り返すのもできそうにない。
 ――再度「用意は整っております」と「財産管理」を使用。
 激突。全身の感覚が一瞬で消える。
 その一瞬の間に、体の向きを調節し、ボールの方向を高村?の位置へと向ける。
(あぁ……良かった)
 ボールは、ちゃんとその方向に向かっている。
(これで安心して、気を失う事ができる)
 薄れ行く意識の中で、椎名真は自分に問いかけていた。
(俺、確かFWだったよな――)
 前線まで出て、何でゴールキーパーみたいな事またやらなくちゃいけないんだ?
 ――仕方ないだろう、これは「蒼空サッカー」だから。
 その答えを見つける前に、椎名真は気を失った。

《カレーボールは紅18番高村に渡りました》
《白のゴールがガラ空きですわ、千載一遇のチャンス!》

 普段は優しい高村?の目つきが、鋭く、険しいそれに変わった。
 その口から出た雄叫びは、彼を知る者にとっては到底信じがたいものだろう。
 チームメイトの1番が、その身を吹き飛ばしながら繋いでくれたボールは、やはりこちらをも吹き飛ばしかねない勢いを残している。
 しかし――!
(吹き飛ぶのはボールの方だよ! 白のゴールに向かってね!)
「行くぞ! 1200バワーシュート!!」
 飛んできたボールに、ダイレクトで全力の蹴りを合わせた。
 インパクト。
 蹴り脚が押されるのを、さらに力を振り絞り、押し返した。
 ――基準値は40。
 これは、高村?が自分なりに自分の能力を推し量って出した数値だ。
 そんな「40」の自分が出したシュートに「轟雷閃」を付加すれば、シュートのパワーは60。
 そんな60のシュートを蹴り出す際に、「ヒロイックアサルト」の呼吸を応用すれば、威力は倍増――いや、多分4倍増し。
 ついでに「禁じられた言葉」を使えば、さらに威力は5倍増し。割り出される数値は1200――
(だが、このシュートはそんなものじゃない――!)
 戦略爆撃級のこのボール自身の勢いをも合わせれば、シュートのパワーはさらに数倍――いや、2乗、3乗!
 跳ね上がった数値には、正直大した根拠はない。
 だが、高村?は「そうだ」と信じている。
 そして、信じる心の強さがあれば、信じる事は実現する事を彼は知っている。勇気百倍、という言葉がある。自分の気迫を勇気とすれば、すなわち気迫でさらに100倍がけとなる!
 押される――押し返す――押し返した!
 体が吹っ飛ぶ。だが、視界の端で、カレーボールは確かに白ゴールに向かっていくのが見えた。
(行ったぞ! 止められるか、白キーパー!)
「これが俺の1728億パワーシュートだ!」
 自分の体も吹き飛ばされながら、高村?は叫んでいた。

 態勢を立て直し、ポケットの中の「黒檀の砂時計」をひっくり返した。
 緩慢な時の流れにあっても、相変わらずカレーボールの勢いは凄まじい。
 自分が追い出されたゴールポストに向けて、全力でダッシュ。
 その勢いに載せて、「ランスバレスト」の拳を出そうとして――力が入らない!
(SPが切れた!?)
「くっ!」
 カレーボールがゴールラインを割る前に、何とかその前までたどり着けた。
(体全体で受け止める!)
 両手を前。インパクト。ボールの勢いは止まらない。頭突き。踏ん張り。後退り。抉れる地面。それらは全て、紅のキーパーが先刻にやった事の再現だ。
 全身の力と、装備した防具の「怪力の籠手」「パワードレッグ」、着用している「マクシミリアン」の重さをも使って、その勢いを止める。
 止める!
 止まった!
 ……いや、ここから再加速している!?
(そんな、勢いが増している!?)

 白ゴール前の様子は、客席後ろの巨大モニターに映し出されている。
「……かかったね、白のキーパー!」
 その映像を見て、如月正悟は勝利を確信した。
 味方の18番高村?の言う所の「1728億パワーシュート」――詳細な数値に根拠はないだろうけど、天文学的な勢いがあったのは間違いない――それは確かに止まった。白キーパーの防御力は、本当に底なしだった。
 だが、夢にも思わないだろう。
 その防御力そのものが、一番最後の罠になる、という事に!
「最終段階! 頼んだよ、ザカコさん!」

 ゴール前まで来ていたザカコは、その場面を目の当たりにした。
 メテオドライブ? それは布石だ。
 白のキーパーに、ボールを持たせる事。
 全てはその為の布石!
 そしてこうなった以上、もはや白の鉄壁は崩壊した!
 「奈落の鉄鎖」は発動済み! 最終戦術・最終段階現在進行中!
「キーパーさん! その手のボール、あなたの体ごとゴールに押し込ませてもらうッ!」