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ささやかに想う
 
「月にまつわるまじないなど知りませんか?」
 蓬生 結(よもぎ・ゆい)にそう訊ねられて、
「え……」
 イハ・サジャラニルヴァータ(いは・さじゃらにるう゛ぁーた)は、ドキリとした。
 二人並んで薔薇園小路を散策している時だった。
 こちらの反応を見た結が、少しバツの悪そうな表情を浮かべて。
「変なことを聞いてしまったでしょうか? あの……無いようでしたら構いません。少し、伺ってみただけですから」
 イハは、ふと自分を取り戻して、軽く首を振った。
 小さく息を吸う。
「確かに、月の光はよく力を持つと言われています。それは良いものであったり、悪いものであったり、様々。だから、それに纏わるおまじないも。……結はなにを求めますか?」
 結が少しためらってから、
「こ……いではなくて――べ、勉強運。そう、勉強運を上げるようなおまじないはないでしょうか? 俺……勉強ぐらいしか取り柄がありませんし」
「勉強運、ですか」
 イハは、結の少し情けなそうにしている顔を見返した。
 微笑む。
「でしたら普段使っている筆記用具を――そう、そのポケットのシャーペンでよろしいですわ」
「あ、はい」
 結がイハに示されたシャーペンを手に取る。
 差し出されたその手に、自身の手を添え、イハは彼の開いた掌にシャーペンを置き、月光にさらした。
 ゆっくりと短い秘密の言葉を唱える。
 そうしたら、そのペンを彼のポケットへと返してやり、
「これだけです」
「あ――ありがとう、ございました」
 何処と無くボゥっとしていたらしい結が、あ、とワンテンポ遅れてから礼を言う。
 その様子に微笑ましさを感じながら、イハは薄く小首を傾げて、
「でも、このようなことをしなくても、結の普段の頑張りがあれば願いは叶います。それは私が保証しますわ」
「頑張ります」
 結が嬉しそうに頷き、それから、眉端を少し垂れた。
「……こんな話題ばかりで申し訳ありません。せっかくこんな綺麗な場所にいるのだから、もう少し気の利いたお話が出来ると良いのですが」
「どんな場所でどんな話題だろうと、結とお話するのは楽しいことですわ」
「イハさんは、いつもそう言ってくださいます。笑顔で、楽しいと。ですが……」
「本当のことですもの。だから、そんなことなど気にしないで」
 そんな結はいつも、どこへ行っても、細かくイハを気遣ってくれる。
 くす、と笑ってからイハは薔薇園を見やった。
「今宵は薔薇を愛でましょう?」


「やっと着いたー!」
 満足そうに笑うと違い、アルフはまだ不機嫌な顔をしていた。
「ここの噴水がね、1番キレイに月が映るんだって」
 他の大きな噴水は時間毎に変わるライトで様々な色に染まり、それもある意味絶景だ。
けれど、その仕掛けがなく街灯も少ないこの場所なら、満月の明かりだけで輝く噴水が見られる。
「……確かに、凄いな」
「だろう? 絶対アルフに見せたくて、聞いてきたんだ」
 自信に溢れた満面の笑顔を見せる桜の頬に、アルフは思わずキスをする。
 さっきまでイライラしていた思いも晴れて、自然と笑みを浮かべていた。
(君の笑顔は好きだけど、こんなタイミングなんて――!)
 そのキスは告白なのか敬愛なのか。顔を赤くしたアルフは、肝心なことは何も告げず、飲み物を取りに行ってしまった。


 噴水前のベンチ――
 リース・アルフィン(りーす・あるふぃん)レイス・アズライト(れいす・あずらいと)は並んで座っていた。
「もう秋になるんだねぇ」
 レイスはしみじみと零しながら、月を見上げていた。
「だねぇ」
 隣で、同じような調子のリースが、しみじみ零す。
「なんだかんだ、夏が過ぎるのは早いねぇ」
「早いねぇ」
 まったりとした間を十分に楽しんだ後、レイスはリースの方へと視線を落とした。
「この夏の間、何が楽しかった〜?」
「えっと……」
 リースが思い出すように零してから、えへへ、と笑んで、
「お祭りに行ったり、地球に行ったり……とにかく色んなイベントがあったことかな」
「そうかそうか」
 うんうん、と頷いてから、レイスは「じゃあ」と置いた。
「最近、驚いた出来事は?」
「それは、もちろん! 気がついたら明倫館に転校してたことだよね!」
 リースが、「あれはビックリしたー!」と小さな拳を握ったりする様が可愛らしい。
 レイスは、そんな彼女の様子にレイスは内心少しばかり驚いていた。
 以前に比べて、とても明るくなっている。
 それで――
「リース、性格変わった?」
 なんて、うっかり質問してしまった。
「え? ……うーん。あんまり自覚ないけど……」
 突然、思ってもみなかったことを質問されて、当然ながら彼女は少し困惑したようだった。その瞳がレイスを見上げる。
「兄さんから見て、やっぱり、私の性格変わったかな?」
「うーん。変わった、かもしれないけど――というか、質問しといてなんだけどさ。僕は別にどっちでもいいんだ」
 レイスは己を省みながら、リースへと微笑んでみせた。彼女の頭を撫でてやる。
「だって、僕の可愛いリースには変わりないんだから。リースはリース。昔も今も、可愛い僕の妹だ」
「って……兄さん。そんな、可愛い、とか、恥ずかしいよ……」
 リースがベンチの上で小さく丸まっていくように、赤らめた顔を俯かせる。それから、彼女は「でも……」と零し、とん、と頭をレイスの身体に寄せた。
「嬉しい……ありがとうね。お兄ちゃん」


「薔薇が、綺麗ですね……月灯りもあって……幻想的です」
 神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)は、ぱた、と扇子を閉じながら言った。
 薔薇園の中に置かれたベンチにシェイド・ヴェルダ(しぇいど・るだ)と並び座って、ゆったり薔薇と月とを眺めている。
「覚えているか?」
 シェイドの声に視線をやる。
「オレ達が出会ったのも月夜の晩だったよな」
「ええ……覚えてますよ」
 うっすらと頷き、呟くように続ける。
「怪我をしてたので……寝込みましたね」
「運ぶのに苦労した」
 シェイドが喉を鳴らし笑って、すらりとした足を組み替えながら、上半身と顔を紫翠へと寄せてくる。「知ってるか?」と耳元に触れる声。
「月は、狂わす魔力もあると言う――たまには、いいか?」
 紫翠は彼の碧眼を薄く見やり、それから、名残り惜しく月を仰ぎ、細く息を垂れて言った。
「良いですけど……ほどほどにしてくださいね」
 首元に、甘い痛みが刺さる。

 紫翠は気絶してしまっていた。
 片手で彼の身体を支えながら、シェイドは口元を拭った。
「あ〜……久しぶりだと歯止めが効かねえな、やっぱり」
 この様子ではしばらくは起きそうにない。
 頭を抱き、己の身体に寄り掛からせながら、シェイドは、久方ぶりの充実感と余韻に浸った。
 と――紫翠の声。
「大切で、大好きですよ。二人共」
 ふいに聞こえたその一言。
 それから、また、わずかな呼気だけが聞こえる。
 顔を覗くと、まだ彼は気を失っているままのようだった。
「寝言、みたいなもんか」
 眉を傾げながら呟き、シェイドは端正な彼の顔を見つめた。
「まったく……素直じゃない。寝顔は可愛いんだがな」
 嘆息する。
 目の前に広がる薔薇の花々は、紫翠の言っていた通り、月灯りの下で幻想的に咲き誇っていた。


 最も高い所へと昇った月が、ストレートティーの表面に映り込んでいる。
 藍澤 黎(あいざわ・れい)は、それを銀のさじで、ゆっくりと、波紋で満月を消さないように、三回、かき混ぜた。
「そして、これを飲み干せば、終わりだ」
 黎はテーブルの向かいに座っているエリオへと顔を上げて言った。
「それが、満月のおまじないか? ”ささやかな願い事”を叶えるという」
 己のティーカップを置いたエリオの言葉に、黎は静かに頷いた。
「いつか、何かの本で見掠めた。その時は、自分には必要ないと思ったが――」
「しかし今は、何かを願った。一体、何を願ったんだ?」
 黎は少しばかり口元を笑ませ、
「ささやかな事柄とて、自力ではどうしようもない事は意外にある……」
「どうしようもない事、か」
 エリオの表情に影が滲む。
 黎は、それを真っ直ぐ見据えたまま目を細めた。
「女王を守れなかったことを悔やんでいるのか」
「俺は、また女王様を守ることが出来なかった……」
「だが、不完全とはいえ、エリオ殿の夢である建国はなった」
「俺の夢は『完全な状態』での建国だ。今の状況は、望んでいたものでは全く無い……! なにより、シャンバラ女王が居なければ、何の意味も……ない」
 エリオはテーブルに置いていた手を緩く握り締めながら頭を垂れた。
 黎はエリオのカップを取って、新たに紅茶を注いでやり、彼の前へと静かに置いた。
「エリオ殿も先ほどのまじないをしてみては如何か?」
 エリオが顔を上げ、
「ささやか願い事しか叶わないんだろう」
「ささやかな願い事が何かを知るのも大切だ」
「……何?」
「大きなものばかりを見ていては足元の道を見失う。ささやかな願い事を見つけることは、道の始まりを探すことにもなろう」
 言って、銀のさじをエリオの手へと渡す。
 そして、黎は自身のティーカップを持ち、それを静かに口元へと傾けた。